第153話 世代交代の兆候



 12月に入り年末が近づくドナウでは、いつもより活気が少なかった。王政府からは何も発表はされていないものの、民衆は戦争の気配を敏感に嗅ぎ取って、もしものための生活用品以外は買い控えが目立った。逆に商人は最も機敏に動いており、地方軍用の兵糧や武器を調達して臨時収入を得ようと必死だった。

 給金を貰い、武具や兵糧全てを支給される直轄軍の兵士と違って、地方軍はほぼ自前で武具を揃えなければならない。一部領主の直属なら領主が用意することもあるが、そうした少数の例外を除けば大半が徴兵の地方軍兵は商人から自分か出身の村などが武具を調達しなければならない。そこに商人は商機を見出し、少しでも利益を得ようと必死だった。

 徴兵の武具の質はお世辞にも良いとは言えない。チェインメイルに剣があれば恵まれており、大半の兵士は皮張りの木製楯に錆の浮き出た槍を一本持っている程度だ。そんな粗末な武具でも彼等にとっては大事な財産であり、自らの命を守る存在だった。だからこそ金に糸目を付けず、全身を金属鎧で覆い、脚竜に跨る貴族は羨望の目で見られるのだ。武具とはただ、身を護るだけにあらず、民衆に自らの権威を見せつける道具でもあった。



 その道具を最も使いこなしている職業の一つに就くウォラフとゲルトの親子は脚竜に揺られて帰路を急いでいた。今は完全に日が落ちており、二人の顔には若干の疲れが浮かんでいる。連日このぐらいの時間まで城で勤務しており、どれだけ二人が鍛えていようが疲労は溜まっていた。


「二度目の事ですが、戦の準備とは手間が掛かりますね父上。ホランドの連中は毎度こんな面倒をしていても平気なのでしょうか?」


「戦とはそんなものだ。だが、ホランド人はここまで苦労はしてないだろう。連中は戦を兵の兵糧を現地で調達しているし、我々と違って大量の書類を用意しない。その分だけ管理が杜撰だが、準備は楽に違いない」


 微かに嘲笑の乗った言葉にウォラフは、父も書類の山に大分疲れているのかと心情を見透かしていた。


「忙しいのは仕方ありませんよ。何せこの戦は我々近衛騎士団も戦力として数えられるのですから、無駄な犠牲を避けるには十全の備えが必須です。今回さえ乗り切れば、暫くはドナウも戦をせずに済みますし」


「そうだな、今回の戦が終われば今後数十年はドナウに大戦は無い。だからこそここで騎士団は武功を建てねば、直轄軍から下に見られる。私もお前も戦に出る以上は祖国の勝利は勿論だが、当家の為、騎士団の栄誉の為に命を賭けろ。

 私はカール殿下と共に南へ、お前は直轄軍と共に東へ。どちらも大役だぞ」


 いつになくゲルトは感情的に、そして高揚感を滲ませながらも冷静に息子に檄を飛ばす。それを受け止めたウォラフは、ようやく機会が巡って来て年甲斐も無く猛っていると、少し醒めた眼で父を見ていた。

 父は今でこそ近衛騎士団長の地位に落ち着いているが、かつては野心に溢れ、少しでも領地を増やそうと躍起になっていた事もあった。場合によっては王女のマリアを息子の嫁にしようと画策した事もある程に栄達を望むほどだったが、騎士団長に任ぜられて、それなりに向上心が満たされたので落ち着いていたが、最後の戦の機会とあっては久しぶりに野心が滾るらしい。


「承知しています。ですが今回私は護衛に徹する脇役ですよ。

 寧ろ父上の方が雑多な地方軍の中にあって、騎士団は中核を担う戦力なのですから責任は重大です。それに地方貴族の纏め役はあのマンフレート=ザルツブルグ殿と聞きます。彼やその取り巻きが好き勝手しないように睨みを効かせるのを陛下も期待なさっているのですよ」


 マンフレートの名を聞きゲルトは、さも忌々しそうな顔をして不快感を露わにする。マンフレートに限った話ではないが、雑多な地方軍における発言権は兵力の割合によって強くなるのが慣例だ。それに当てはめれば大領地の領主はそれだけで発言権を得られる。他の大領主も参戦するが、血筋や財力を加味すればあの肥え太った豚が一歩先んじるのは目に見えている。それを危惧したカリウスが兵力兼備えとしてゲルトを含めた騎士団の半数をカールに付けた。近衛騎士百五十名、従士四百名、計五百五十名は地方軍の優に一割にあたる最大規模の集団になる。これなら地方貴族もおいそれとカールを軽視しないだろうが、愚者は時に誰も考えつかないような失態や愚行を犯す事をカリウスやアラタは知っており、最後は武力をもって対抗出来るゲルトが補佐役に適任だと認識していた。


(とはいえカール殿下の補佐と諸侯の抑えだけが私の役割ではないのだがな。まあ、息子なら気づいていても何も言わないだけかもしれんが)


 自分より頭が切れる息子の事だから多分気付いているが、人の良い所のある息子は出来ればそうなって欲しくないと心の中で考えているのだと、ゲルトは息子が他を押しのけてでも栄達を望まない事を惜しいと思った。ただ、だからこそ人望を集める結果になるのだから皮肉だとも思っている。

 力によって畏怖を集めた自分は騎士団長までが限界だったが、きっと息子なら自分とは違ったやり方でもっと高みへ昇って行ける、それがゲルトには複雑であり嬉しくもある。


(ならば私はお前やトーマスの為に恐れをもって些事を斬り払い地ならしをしよう。それが我が生涯の誉れとなる)


 いざとなれば自分の命すら礎にして子や孫らの為に捨てる覚悟を胸に秘めたゲルトは、天に住まう父祖達に自らの覚悟を聞き届けてもらえるように祈りを捧げた。



      □□□□□□□□□



 同時刻、とある貴族の邸宅では二人の男が酒を酌み交わしていた。ただし、二人ともあまり楽しそうには見えず、淡々と杯を飲み干すだけの空々しさのほうが目についた。

 学務長官ルドルフ=デーニッツ、財務長官テオドール=ハインリヒの二人は何度もこうして酒を飲み交わしつつアラタの追い落としを画策したが、そのほとんどが空振りに終わり苛立ちを募らせて酒を煽っている。

 何杯目かの酒を飲みほした二人は酒臭い息を吐いて乱暴に杯を叩き付ける。


「まったく、どうにか出来ないものか」


 ルドルフの憤りに何をとテオドールは聞き直さない。彼もまた同じ思いを抱き、悪態を吐きたかったが、先にルドルフに言われてしまったので黙っていた。


「アスマンの若造もレオーネの性根を見切っているのか、それとなく宰相の地位を追い落とそうとしていると耳に入れても、有り得ない事だと一笑に付している。もう少しこちらの意を汲んで動けというのだ。あれは昔から可愛げが無い男だったが、最近はそれに拍車が掛かっておるわ」


 若造と言ってもルーカスも今年50歳になるが、60歳のルドルフから見れば年上の自分を差し置いて宰相の地位に居る小生意気な若造でしか無かった。尤も医療技術の低い西方では60歳ともなればそろそろ息子に地位を譲って隠居している年なのだが、ルドルフにとっては長官の椅子は余程座り心地が良かったのか、一向に後任に椅子を譲る気を見せず、学務省内では密かに老害扱いされていた。

 ここからさらにルドルフの愚痴は長時間続き、いい加減聞き飽きたテオドールは強引にでも話を変えようと、今一番関心のある話題を切り出す。


「では此度の戦で武勲を挙げて、彼等の鼻を明かしてやるのが良いでしょう。デーニッツ殿の御領地からも御嫡男が自ら兵を率いるのでしょう?」


「む、それはそうだが、私の領地の兵など精々三十人程度だ。それでは賑やかしが精々だよ。寧ろ、ハインリヒ殿の御子息の一人は近衛騎士、彼に頑張ってもらって功を挙げて貰った方が現実的に思えるが」


 互いに謙遜し合って息子を持ち上げるが、どちらも戦功からは程遠い位置に居ると半ば諦めている。

 ルドルフの長男は今年40歳、男として一番脂の乗った時期だが、残念ながら武の才には恵まれていない。しかも自身の領地は大した事が無いので兵士三十人を確保するのがやっとだ。これではとてもではないが目立つ事は出来ない。

 対してテオドールは息子の一人が近衛騎士だが腕は並程度。それに長官にまで上り詰めても領地を持たない自分には兵を動員する権限は無く、功績など立てようが無かった。

 せっかく自国の国土が数倍に増えるチャンスだというのに、その機会にありつけない二人は却って鬱屈する思いを抱く。一応今までの内政面での評価から幾らか領地を貰えるのは確実だが、一人の男として戦場を駆け抜けて武功を建てる欲求は確かに持ってる。年甲斐が無いと言われようが、彼等も若い頃は己が力による栄達を望み、今日まで苦労を重ねて来た。

 ただ、二人とも既に家督を息子に譲った以上はしゃしゃり出ては恥になるだけ。それを分かっているからこその鬱屈だった。


「―――レオーネも今回の戦で領地を貰うのだろうな。今までの功績もある、それに仮にも王族の父親、反対する者は居ないだろう」


「そうなるでしょう。マリア殿下の伴侶として、オイゲン様の父親として、いつまでも領地無しでは王の面子が損なわれます」


 色々と妨害も行い、今でもアラタを目障りな余所者と思っているが、それでも積み上げた功績までは否定しない。そしてその功績に報いるには地位以外にも領地を持ってくれねば、自分達の王が家臣の功績に報いない狭量な人物だと思われるのは避けたかった。そして功績を上げたアラタが領地を貰わねば、領地を貰うハードルが今後、無駄に上がってしまうのを避けたいという思惑も幾らか影響していた。


「謙虚も度を越せば害悪でしかないのですがね。その辺りもブルーム殿がそれとなく教唆してもらえれば我々もヤキモキせずに済むのですが」


 テオドールも謙虚な人間は嫌いでは無い。余所者なりに自分達の利益や面子に配慮して動くアラタの事もちゃんと評価している。だが、それでも異質な思考を持ち、異なる価値観で動くアラタを同朋とは認めたくない。例えそれを器量が無いと言われても、この年で考えを改められるほどの柔軟さを自分は持ち合わせてはいない。それこそ息子達、あるいは孫達の世代に期待して自分達はひっそりと隠居するべきかもしれないと考えた事もあるが、まだまだ現役だと心の奥底では認めたくなかった。

 人間誰しもいずれは老いて子に未来を託す日が来る。いつかは通る道だと覚悟せねば苦労するのは後に続く息子なのだ。それは分かっているが、それでも己自身が生きた証を残したいという欲が今でも己を駆り立てる。

 ゲルト、ルドルフ、テオドール、彼等はそれぞれ異なる思惑を抱いていても、根底には子を想う親心が存在し、それ故に思い悩み時として対立する。それはアラタも例外ではなかった。


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