第152話 怠け者と働き者



 現存する西方最古の国ユゴス王国の王太子ヴァレリアは自国民から怠け者の二つ名を欲しいままにするほどに怠惰で有名だ。日がな一日城の中庭で昼寝をしていたり、政務を放り出して街に出歩き、酒を飲みながら露店の串焼きを一人で齧っている所をたびたび目撃されている。

 マリアやオレーシャも似たようなところがあるが、次期国王が伴も連れずに好き勝手に出歩くのは前代未聞である。城の人間は苦々しく思っているものの、街の人間からすれば何十年も見慣れた光景だった事もあって、既に日常のような光景となっていた。それを見てもユゴス王都の民は自国の未来を不安に思うことは無い。ユゴスは西方最古の国であり統治システムは非常に強固だ。言い方は悪くなるが、王の資質に欠けようがそれを補佐する家臣団がしっかりしていれば早々国政が滞る事は無いと経験で知っている。ヴァレリアが政務をさぼっているのを知っていても、家臣達が代わりに仕事をしていると分かっているので、何も心配などしていないのだ。ヴァレリア本人も怠け者なだけで暴君でも暗君でもないのだから、人畜無害な話を聞いてくれる未来の王様程度に思っていれば民草は安心して日々の仕事に精を出せた。



 民からも怠惰と見られていたヴァレリアは、現在とある初老の男と対面で居心地が悪そうに座っている。居心地が悪いというより、叱られるのを嫌がる子供のようにバツが悪そうに顔を背けていた。


「余の顔を真っすぐ見れないのは、己の心にやましい所がある証拠だぞ。何か身に覚えがあるのではないのかヴァレリアよ」


「ははは、そのような事は何一つとして有りませんよ父上。このヴァレリア、一瞬たりともユゴスの王子として恥ずべき行いなどしてはおりません。民の生きた声を聴くのも王の務めと考えていますので」


 内心を見透かされていると分かっていても、何ら恥じる事など無いと開き直って堂々とする様を見た初老の男は、自身が息子の教育を誤ったと、顔に出さなかったが悔いていた。今年で55歳になる現ユゴス王サハールは、こんな調子で息子に王位を譲ってユゴスは大丈夫なのかと毎日心配で夜も眠れなかった。

 だが、息子の言い分にも一理あると王は考える。民にそっぽを向かれれば、王でものほほんと玉座に座ってなど居られない。その為に民が何を考えているか、自ら知ろうとする姿勢を否定する気は無い。こういう要所要所を抑えて賢しく立ち回る所は、王にしては腰が軽いが認めねばならない。


「――まあいい、お前が万事が万事そのような調子なのは今に始まった事では無い。前置きは抜いて本題に入る。

 一年以内にお前に王位を譲る。今までのらりくらり躱してきたが、今度は拒否は許さん。そしていい加減、フラフラ街を出歩くのは止めよ」


「―――非常に残念ですが、そろそろ年貢の納め時という訳ですか。まあ、父上ももう歳ですからね。来年という事は、それまでにホランドと決着を着けつつ、レゴスと長期の和平を結ぶ算段が付いたわけですか。ドナウからの援軍も帰ってしまったとなると、いよいよ彼の国が本格的に参戦する。そうなると援軍の対価はホランドの征服地の大半を占有しても文句を言うな、ですか?」


「そうなるな。だが、その見返りとして我が国とレゴスとの仲裁役を率先して引き受けるのであれば、もうレゴスへの軍事予算に頭を悩まされずに済む。あれが無かったらもっと内政に金を使えたというのに。先人を貶める気は無いが、何故もっと早く和睦せなんだのか」


 腹立たし気に今まで軍事費として散財した額を思い浮かべて、自分達の祖先の折り合いの無さを罵倒する。数百年間で失われた祖国の富を考えれば、今回の戦で使った額など、山に比した石ころ程度の大きさでしかない。後はその和平がどれだけの時間、長続きするかがサハールは気がかりだった。


「その為に私を王位に据える事で明確に新時代に移行した事を内外に知らしめて、レゴスへの旧来の意識の改めを促す。レゴスとの和解は父上の長年の悲願でしたからね。私はそれを引き継いで出来る限りレゴスと争わないように貴族達や民を抑えると」


 何でもないようにヴァレリアが王位の譲渡を受け入れつつ、その真意を的確に当ててくる。王位の譲渡を夕餉の料理の話のように軽く扱うのには頭の痛む思いだったが、自分の腹の内を正確に把握し、自身の立場と仕事をしっかりと理解しているのは及第点をあげてもいいとサハールは思っていた。


「では、増える仕事はまた配下に放り投げておきますね。いやー王になったら仕事は増えますが、その分扱き使える人員が増えるから今以上に楽――――おっと、気を引き締めて政務に励まなければなりませんね」


 隠そうとしていても本音がダダ漏れになっているのを見てサハールは胃が痛くなるが、息子が何人もの有能な配下を見つけてきては実際に成果を出させているのを知っているので、あまり強い事は言えなかった。息子の秘書官を務めているマティ=ラザルもその一人であり、元は下級貴族でしかないマティが王子の秘書を務めているのも、ヴァレリア本人の意向によるものだ。当初はそれに反対する者や妬む者も多かったが、実際の仕事量と末路を知れば誰もが口を噤んで見て見ぬ振りをしていた。誰だって栄達の対価に髪の毛を根こそぎ奪われ、十歳も老け込むのは躊躇する。


「お前が分かっているならそれでよい。余がこれから形式を整えておくから、後はそれを壊す事なく次代に滞りなく受け渡す事がお前の役目だ」


 息子は自分から何か新しい事をする意欲に欠ける男だが、今ある物をそのままの形で維持していくのは得意だとサハールは理解している。なら今の内に明確な仕事を与えておけば最低限祖国を衰えさせはしないと一定の信頼はしていた。後は孫がどれだけ力と意欲があるかを残された時間を使って見定めるのが自分の仕事だと思っていた。

 アラタがヴァレリアの勤務態度の詳細を知れば、きっとこう評価したに違いない。


「彼は『有能な怠け者』と『無能な怠け者』の中間に位置する人間だ。人を扱き使う王の資質はあるが、やる気が無さ過ぎる」




      □□□□□□□□□



 同時刻、やる気に欠けるユゴス次期国王とは正反対に、窮地に立たされたホランドの次期国王であるバルトロメイは、自室で一心不乱に書類を捌いていた。

 ドナウとの国境から戻って既に五日が経過しているが、その間捌いても捌いても書類の山は減ることが無かった。弟の葬儀は既に終わっていたものの、私室に引きこもって出てこない父親の代わりにしなければならない仕事が山積みだった。特に軍部の再建は急務であり、各併合地から引き抜いた兵力を出来る限り組織化し直して体裁を整えねばならない。今の所ユゴスは反撃に転じる様子は無いが、いつ本土に雪崩れ込んでくるか分からない以上、楽観的に構えている時間は一秒たりとも残っていない。

 その為、文字通り寝る間を惜しんで政務にあたっているが、手が足りな過ぎて思うように進んでいなかった。これは王が使い物にならない以上に文官が少なすぎるのが問題だった。ホランド人の官僚はドナウの五分の一程度しかいない。軍官僚でさえ総数では互角でも、比率で言えば数分の一だった。軍事に偏重し、杜撰な統治をしていても、今までならそれほど問題は無かったが、立て続けに戦に敗北し、次々と厄介事が山積みになって行けば処理能力が容量を超えるのは目に見えていた。だからと言って武官とは違い、急に文官が生えてくるはずが無く、どうにか少数の文官を酷使する事で体裁を保っているが、それにも限度がある。


(くそっ!これが百年しか歴史の無い我が国の限界か。幾ら隣国に張り合って暦を四百年と嘯いたところで統治の経験と積み重ねの少ないホランド人では誤魔化しきれない)


 バルトロメイは心の中で悪態を吐くものの、それで仕事が減る事は無い。戦死者への弔文、兵の補充先の指示、指揮官の人事、新しい武具の手配、訓練計画。軍の再建でさえこれだけの仕事があるのだ。これに加えて内政もあり、ユゴスへの対処も手付かず。さらには本土の南部に度々出没する武装集団への対応もあるし、それを逃れて来た部族への慰撫も毎日のように積み重なっている。宰相のカーレルが自国の面子を損なってでも自身を急遽呼び戻したのが良く分かる。

 バルトロメイが王都に戻って来て最初にカーレルの顔を見て、骸骨が喋っていると彼を見間違えたのは記憶に新しい。たった数ヶ月自分が王都を留守にして仕事を任せていた間に、政務に追われて見違えるほど痩せこけてしまっていたのだ。



 丁度その骸骨が政務室に入って来たが、顔を上げずにそのまま政務を続けている。それを気にせずカーレルは話しかける。


「殿下、せめて食事だけでも口を付けてください。貴方が倒れたら私がまた書類に埋もれる羽目になるのですよ。いい加減この老骨を労わって頂きたい」


「あー骸骨かと思ったら宰相だったか。何でもいいから仕事の山を減らしたくてね」


 一旦書類を手から放して部屋の隅の机に置かれていた食事を手に取るバルトロメイ。骸骨扱いされた事は不快だったが、言う事を聞いて食事をする意思を見せると、軽く溜息を吐いて持って来た書類の束を執務机に置く。

 新しい書類を嫌そうに眺めながら、バルトロメイはパンを齧る。内容は大体見当が付いている。


「また国内の部族が襲われて慈悲を求めて王都にやって来ています。今度はレゴスの国境付近だそうです。これで三十件は超えましたな」


「もう怒る気すら起きないよ。それで、略奪にあった部族から報復の為の部隊を差し向けて欲しいと嘆願されたのかい?」


 最早日常となった略奪騒ぎに、二人は何の感情も湧かず、ただ疲れからくる溜息しか出てこない。この数ヶ月幾度となくホランドの部族が襲われ、略奪の憂き目にあっているが、討伐の軍勢を差し向けても既に時遅く、神出鬼没の集団を討伐するには至っていない。かと言って今は軍の再建が急務であり、国内の治安維持に割く余裕は今のホランドには無い。しかし、財産や家畜を奪われた部族は屈辱を与えた集団への報復を毎日のように陳情している。今は彼等を自分達王家が施しを与えて大人しくさせているが、それもいつまで持つのか分からない。


「仰る通りです。一部兵士もそれに同調し始めています。兵士の方は単にユゴスとの負け戦の屈辱の鬱憤を晴らしたいのでしょうが。私の方で押さえつけていますが、そろそろ限界が近いです。殿下がドナウに大幅に譲歩したのと合わせて、現王家に不信感を抱きつつあります」


「好き勝手言える奴らが羨ましいよ。私達がどれだけこの国の事を考えて身を削っているのか理解できないから考え無しの行動をするんだ。―――それで、父の方は相変わらずか?」


「相変わらずです。今も私室に引きこもって酒浸りになって、時々ユリウス殿下の名を口にして、謝罪しつづけています。正直、長年仕える家臣としてはあれほど弱い姿の陛下は見たくありませんでした」


 どうにか再起させたいと愚痴をこぼす。三十年以上仕えて来たカーレルにとって、今のドミニクの抜け殻のような姿は見るに堪えない醜態なのだ。かといってすぐさま見捨てたりしないのは、それなりに忠誠心を抱いているからに違いない。あるいは立ち直ってくれさえすれば、今のホランドの苦境を立て直してくれると期待しているからでもある。だからこそカーレルは骸骨と皮肉られても構わず、バルトロメイも恥辱に耐えてでも職務を全うしていた。全てはホランドの為、ひいては主君の為、自分に出来る事をするだけ。それが二人の偽りの無い心だった。


「それはそれとしてまとまった睡眠が取れるようになって宰相も血色が少し良くなったみたいだから、私の仕事の比重をもう少し貴方に分けてあげたいんだが。私もいい加減、仮眠だけでなく熟睡したいんだ」


「ははは、60過ぎた老骨をこれ以上扱き使ったら冗談抜きで翌朝、冷たくなっていますよ。お願いですからここは殿下が踏ん張って頂きたい。では失礼します」


 笑って退出するカーレルを怨みの混じった視線で見送ったバルトロメイは、書類の牢獄から一体何時抜け出せるのかと嘆きつつも、残りのパンを口に放り込んで政務を再開した。そして王都に戻って来てから一度も熟睡していない事を思い出し、全てを投げ捨てて泥のように眠りたい誘惑に駆られたが、あと一歩のところで踏み止まり、父が早く立ち直ってくれるのを願いつつ、書類の山を少しずつ崩して行った。



 もしユゴスとホランド、両国の王子の状況を互いに知る事が出来たのなら、どのように思うのか。そんな益も無いもしもが後年囁かれる事になるのを当時の人間は知る由も無かった。


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