第138話 実在しない怪物



 ホランド軍宿営地への夜襲から数時間後、夜明けを確認した司令官マカートと義勇軍指揮官フェルディナンドは、昨夜の戦果の大きさに感極まった様子で祝杯を挙げていた。元々夜を徹しての攻撃ではないのだが、ホランド軍が完全に撤退して当面の危機が去った事と、非常事態に備えて寝ずの番をしていた為、精神がかなり高揚して寝付けない事もあり、出身国も身分も関係なしに兵士達は朝から酒を浴びるように飲んでいた。


「ははは、まさかたった五千五百でホランド四万を打ち払うとはな。これは二年前にドナウ軍一万がホランド軍四万五千を撃退したのに匹敵するほどの大戦果だ。その大勝利に私の名前が刻まれるとは、いやあ当家の末代まで語り継がれる逸話になるだろう。貴官らドナウの精鋭の助力には感謝してもし切れないな」


 人生最良の日だとマカートは上機嫌で隣に座っているフェルディナンドに酌をしていた。自身の父親と同じぐらいの年齢かつ家格も上の相手に酌をさせるのは酷く気の引ける行為だが、今日だけは特別だと言って聞かないマカートに折れた形で酌をさせている。

 マカートの言葉通り、十倍近い大軍相手に大した犠牲者も出さずに圧勝した戦いは、確実にユゴスの歴史に爛々と刻まれるのは間違いない。それも西方で最初の翼竜による組織的爆撃というオマケも付いている。


「いえいえ、我々だけでなく、閣下の考案した甲竜による蹂躙も優れた戦術だと感服致します。しかも竜にナパームを掛けて燃やした上で突撃させるとは、あれでホランドはさらに混迷を助長させて被害を拡大させていましたよ」


 フェルディナンドも褒められっぱなしは座りが悪いので、マカートの策も同じぐらいに優れていたと持ち上げる。その言葉にさらに気を良くしたマカートが周囲に居た兵士達に、感謝と規定以上の報酬を約束すると、傭兵の多かった守備兵らは気前の良い上官を褒め称えて即興の歌を作って歌い始める。

 今回の戦で傭兵達も多く犠牲者を出したが、彼等はそれを恨んだりしない。むしろこれほど早く戦に決着を着けて、被害も予想よりかなり少なかったのだ。さらには何だかんだで報酬を削る雇用主の多い中、逆に割増しで金を払ってくれるとなれば、これほど良い雇い主は中々巡り合えない。それ故、また戦があれば喜んで参加させてもらうと、傭兵達はしきりにマカートを称賛している。


「しかし、翼竜にナパームの入った樽を持たせて敵陣に投下するとはな。単純な手段だが迎え撃つ手段の無い相手には、極めて有効な手段と言える。しかも夜間ともなれば、相手は何をされているのかさえ把握出来ない。

 翼竜を偵察にしか用いなかった、私を含めたユゴスの誰も考えつかなかった発想だが、これも例の教官殿の知恵なのかね?」


「ええ、ホランドとの戦が終わってから教唆されました。最初は何故気付かなかったのか我々自身も不思議に思っていましたが、レオーネ教官が言うには、過去にもきっと検討ぐらいはされていたと分析していました。ですが空から落とすにしても、石程度ではそこまで有用と思われていないからだとか。獣油もナパーム程盛大に燃えませんし、効率が悪いのでしょう」


 地球でも航空機が開発された当初は、殆どが空からの偵察程度しか使われておらず、精々空から煉瓦を落としたり、パイロットが拳銃を敵の航空機に撃つぐらいしか攻撃手段を確保出来なかった経緯を考えれば、火薬兵器すらない西方の技術力では、翼竜が偵察しかこなせないのは仕方の無い事だった。


「うちの教官の故郷では、かなり昔から空からの攻撃は熱心に研究されていたそうですよ。それこそ今回のようなナパーム樽を夜間に何千何万と敵の首都に無差別に投下して、跡形も無く焼き払うような使われ方もあったとか。大抵の生き物の死角は頭上と足元、それと真後ろにありますので、そこからの攻撃は極めて有効だそうです」


 何万のナパーム樽と聞いたマカートは血の気が引くような悪寒に襲われて酔いが醒めてしまった。彼の言う通り、数百メートル上空から攻撃されては、とてもではないが対処方法など考えつかない。精々同じ翼竜兵に妨害をさせるのが手一杯だし、今回のように夜間飛行などされたら、見つける事すら困難極まりない。さらに翼竜は飛行速度こそ脚竜と大差無いが、翼竜の方が行動範囲が圧倒的に広い事を考えると、フェルディナンドの言う通り翼竜による頭上からの攻撃は現状防ぎようのない最高の攻撃手段だった。そして同時に自分達にも防ぎようのない、とんでもない戦術、否、戦略攻撃ではないかと一軍人として内心で恐れおののいた。

 幾ら友好国とは言え、どこまでいっても両者は他国でしかない。同じ国でないなら何かのきっかけで仲違いして争う未来が無いとは言い切れないのだ。その心境を何となく察したフェルディナンドは彼を安心させようと、この義勇兵派遣にあった王政府でのやり取りの一部を打ち明ける。


「ですから今回、翼竜部隊を外に出すのはかなり反対意見がありましたが、陛下の御声で貴国に派遣するのを許したそうです。それもドナウがユゴスに変わらぬ友好を示したいから最大限の援助をするのだとツヴァイク司令より聞いております。貴国が我が国と敵対するつもりが無い限り、我々は貴方方を害するつもりは無いと今ここでドナウを代表して宣言いたします。これは私個人の思いではありません、カリウス陛下の御心です」


「う、うむ、そうだな。こうして貴官を派遣してくれているのだから、貴国やドナウ王の心を疑っては非礼にあたる。ただまあ、一人の将としては常に対抗手段も講じておかねば不安に駆られるのは仕方の無い事だと思ってくれ。

 いやはや、我が国は頼もしい味方が居て本当に良かった」


 折角援軍を出してくれたドナウの不興を買うのは拙いと思ったマカートは素直に詫びて味方である事を殊更に喜ぶ素振りを見せる。それをフェルディナンドは、同じ軍人として危惧するのは正しいと感じている。今はホランドの脅威があるので歩調を合わせられるが、そう遠くない未来にホランドが滅んだ時、西方の勢力図が書き換えられるのは間違いない。その時、ドナウ、ユゴス、レゴスの力関係は確実に変動する。そうなればまた新たな争乱の種が生まれ、育まれるのは過去の歴史を振り返れば用意し想像出来る。

 出来る事ならお互いに上手く付き合っていきたいと、多くの者は争いを望んでいなかった。特に、こうして国が違えど美味い酒を飲み交わしていれば、大抵の争いなどどうでも良くなると、この場に居た全員の心は一致していた。


「そういえばドナウの教官殿は酒を飲まないと噂で聞きましたが本当ですか?あと髭も生やさないとか」


 関所の守備兵の一人が酒の肴に、西方中の噂の男が本当に子供みたいな容姿や好みなのかを知りたがる。西方で髭を生やさず酒も飲まないなど、女子供のような男だと馬鹿にされるので、成人すれば殆どの男は髭を生やしている。フェルディナンドも金の顎髭を蓄えており、多くの貴族は定期的に整えるなど手を入れて身嗜みには気を遣っていた。


「髭を生やさないのは本当だ。毎日剃っているらしい。以前酒の席で理由を聞いたら『生やす理由が無い、単に邪魔だからだ』と話していたよ。このあたりは異国の価値観だから、我々もよく分からなかった。

 あと酒は特に弱くもないし、自分から飲むことは無いが勧められれば断らずに飲む人だな。ただ、故郷では戦に支障が出るから、可能な限り飲まなかったと聞いているよ」


「良く分からない人だな。邪魔なんて言うが、毎日剃る方が手間が掛かって仕方が無いだろうに。それに酒も泥酔するまで飲んだらそりゃあ困るだろうが、少しぐらいなら気晴らしにも恐れを紛らわせるのにも使えるんだが。本当に変わった習慣だな」


 多くの兵士がアラタの奇妙な価値観に首を捻る。今この瞬間にも酒を飲んでいる者からすれば、こんな上手い飲み物を飲まないなど、人生の大半を損しているように思えてならない。それに兵士達もなんだかんだ言って死ぬのは怖いので、戦の前に少し酒を入れておかなければ、恐怖で思うように動けない事は多かった。だからこそ戦場では酒は欠かす事の出来ない重要物資として古来より尊ばれてきたわけだ。


「教官は二年間軍に居て、その内、戦闘経験は二百回を超えていると言っていたよ。拠点攻略戦や追撃戦、特に敵襲からの迎撃戦と偵察任務からの遭遇戦が一番多かったそうだ。敵の数が多すぎて倒しても倒しても減らないと嘆いていたよ。それこそ寝ている時、食事をしている時、用を足している時でさえ敵襲があり、戦いに事欠かなかったそうだ。酒を飲まないのは、いつでも戦えるように備えていた習慣らしい。それ以外の時間は訓練しているか、勉強しているか、書類作成ぐらいだとか。正直言って普通じゃないな」


 フェルディナンドの最後の呟きがどれほど西方の戦の常識から逸脱しているのかは、周りの傭兵やマカートが目を丸くして驚いている様子を見れば疑う余地は無い。この反応を見たフェルディナンドやドナウ兵は、まあ当然の反応だろうなと驚きもしなかった。

 西方では一度開戦すれば大軍同士がぶつかり合うのが基本だ。今回のように籠城戦にもつれ込む事も多いが、それらは全て纏まった軍勢のぶつかり合い。その為、戦いの回数はそこまで多くなるわけではない。東に行けば小国が多いので、相応に小競り合いも多く、その都度傭兵は戦うが、年に十度もあれば多いと言われる。それに比べてアラタの戦績は文字通り桁が違う回数だ。正直言ってアラタが大げさに吹いているとしか思えないが、数年生徒として接していたフェルディナンドは彼が虚勢を張る人間でない事を知っているので、恐らく本当にそれだけ戦っていると思っていた。


「それに、同じ年に軍に入った同期の士官も二年経った頃には前線組は二人に一人が死んでいた、死んでいない自分は運が良いのか悪いのか分からないと自嘲混じりに笑っていたのが、私は見ていて恐ろしかったよ。

 彼は自分の人生を当たり前のように受け止め、最前線の軍人なら誰もが同じように戦っていたと、何ら特別な物だと思っていないんだ」


「狂っている、正気じゃない」


 傭兵の一人がぽつりと呟く。その言葉は周りの兵士達全ての心を代弁していた。それはアラタ個人への感想だけでなく、地球文明への偽らざる感情だった。二年間と言う短期間で二百回も命を危険に晒す行為を平然と受け止めているのも正気ではないが、それで生き残っているのも普通では無い。そして、ユゴス人には地球外生命体など慮外の存在だった事もあり、同じ人間同士でそれほどに戦を繰り返し続けて兵士を消耗しながらも、戦いを止めない国そのものの狂気を彼等は恐れていた。

 ドナウ王が伊達や酔狂で平民に王女を嫁がせた訳では無いのはよく分かったが、その平民は只の人では無く、人の皮を被った怪物でしかなかったと、同じように成り上がりを目指す若い傭兵は泡沫の夢から覚めるような気分になっていた。


『ふらりとドナウに流れて来た青年が王の信を得て大国ホランドを打ち払う策を授け、その功績を以って美しい王女と貴族の娘を妻にする』


 そんな英雄譚に心を躍らせた若者が星の数ほど現れるのが現在の西方だ。彼等は皆、何の後ろ盾も無い平民だったが、一端の野心を持ち、いつかはアラタのように手柄を立てて、偉くなって貴族の娘を妻にしたいと夢見ている。その足掛かりとして傭兵を選ぶ者や、商人として財を成そうとする者、学問を志す者など、実に様々な手段を使い、大きなうねりを作り出そうとしていた。

 だが、フェルディナンドの言葉はそんな甘美な若者の夢を打ち砕くには十分な破壊力を持っている。平民が王族と結婚するという不可能を実現させた青年も、元は只の平民だったかもしれないが、現在に至るまでの過程で化物に変貌しているが故に不可能を退けただけだった。自分達も彼と同じ化物にならなければ成り上がれない、非現実的な現実を突き付けられて、夢から醒めるような思いだった。


(まあそういう反応を返すだろうよ。我々だって彼や彼の国が置かれている状況を知って同じ思いになったからな。

 敵地同然の海を一年間無補給で彷徨い続けながら、四六時中戦い続けているなど狂気の沙汰だ。常在戦場などと言うのは簡単だが、実際に一年も続けたら常人なら間違いなく狂うだろう。いや、彼はとうに狂っているんだろうな。それと同時に理性も兼ね備えているんだろうが、むしろその方がおぞましくもある)


「狂っているのは否定しないが、それでも相当な人格者だからあまり悪く言うのは無しにしてくれ」


 妙な事を言うとマカートは首を捻る。これだけ悪意に満ちた策を考え、万を超える敵兵を焼き殺して愉悦を感じる男が人格者とは、矛盾した評価ではないのか。

 それにフェルディナンドやドナウ兵は、アラタの日常生活や使用人などへの振る舞い、他にも私費で他国人の孤児やサピン難民の受け入れを行っていると話すと多くのユゴス人が、慈悲深いという言葉を通り越して、実在を疑い始めた。


「そんな人間、婆様が寝物語に話してくれた御伽話でしか聞いた事が無い」


 一人の傭兵の疑心に満ちた独白が、アラタの存在の希少さを物語っている。一応フェルディナンド達が自分で見聞きした事ばかりだと言っても、容易には信じてもらえなかった。と言っても、普段接しているドナウ人だからこそアラタの存在を認めているだけで、きっとアラタが他の国に流れ着いて、そこで大成して自分達がユゴス兵のように聞き手に回ったら、間違いなく彼等と同じ反応を返すだろうと、確信を持って言えた。それほどアラタは西方の常識から外れた存在だったから。



 そして、その非常識な存在が仕込んだ劇薬が、今この瞬間にもホランド本国でじわじわと染み込んでいるのは、アラタ自身の居るドナウのごく一部の人間しか知らされていなかった。

 この時すでにホランドにさらなる災厄が降り掛かっていた。


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