第136話 焼き加減はヴェルダンで



 ホランドのクロア関攻略戦が始まってから既に十日が経過した。その間戦いの推移は、神の視点から見てホランドがやや優勢と言うべきか。元より攻城戦は野戦と違って損害が明確では無いので判別が難しい物だが、やはり数の上で圧倒するホランドには勢いがあった。

 一般的に防御側の数に比べて攻撃側は三倍の数が必要とされると言われているが、ユゴス側の五千五百をホランドは大きく上回り四万。実に七倍以上の兵力差である。これでは幾らクロア関が堅牢な防壁を有していても、破られるのは時間の問題だ。一応ユゴス側も麦の刈り入れが終われば増援を送る事が出来るのだが、部隊編成と行軍で最低でも二ヵ月は掛かってしまうので、間に合うかどうかは微妙な所である。

 ホランド軍はそうした農業の事情をある程度知っているので、多少時間が掛かるだろうが勝ちは揺るがないと幾らか余裕を見せていた。とは言え、攻撃の手を緩めるような事はせず、毎日の投石機による砲撃は苛烈さを見せつけている。

 一方ユゴス側もホランドの攻撃を良く捌いており、兵の損失は軽微だった。関所は左右を山脈に囲まれて、背後は自国の領土、後ろを取られるような心配は一切無く、正面だけに兵力を投入出来る為、兵の負担は軽い。加えて定期的にナパームを防壁の前に落とし、ホランド側の破城鎚の進路を妨害し続けて一度も壁に取りつかせていなかったので士気の衰えは微塵も無い。



 ただ、一つユゴス側に予想外な点がある。射程距離がホランドの方が僅かに上という所だ。普通、投石器であれ弓矢のような原始的な投射装置は高い場所から撃ち降ろせば、大地から打ち上げるよりも飛距離が伸びる物だが、今回の攻城戦ではホランドの攻撃の手の方が長いのだ。これはホランドが従来の投石器と違う攻城兵器を用意したのが原因だった。

 それに一目で気付いたのはドナウから来た義勇兵だ。それも当然の事で、ホランドがこれ見よがしに運用していたのは、自分達が三年前から運用していたトレブシェットによく似ていた。ただし、ドナウのそれとは違い小型で錘の部分が無く、錘の移動の代わりに人力でアームを引っ張る構造になっている。これは地球では後期型投石機に分類される、カタパルトとトレブシェットの中間的存在であるマンゴネルという攻城兵器に酷似していた。

 ナパームと違って他国の目に触れるような事はしていないので、恐らくドナウ内部で情報が漏れたのだろう。以前、諜報部がホランド人に機密を売り渡した貴族官僚と受け取ったホランド人を捕縛しているので、似たような事をしていた者が居ないとは限らない。あるいは運用していた兵士がうっかり口を滑らせたか、部品製造をしていた鍛冶屋や大工からそれとなく聞き取って、それを元に完成させた可能性もあるだろうが、そんな事は被害を受けたドナウ兵にはどうでも良かった。問題なのはこちらが攻撃出来ない位置から敵が攻撃してくるという事だ。ただ、幸運だったのは数が少なく四基だけで、さらに運用する兵士の練度も低いのか狙いが甘く、自分達ドナウ兵に比べて砲撃回数も少なかった。しかし、それでも攻撃が届く事には変わらないので幾らかの被害は受けている。



 一定の成果が上がった事にユリウスは満足げで、新型兵器を作ったサピン人の技師を今後もそれなりに重用してやろうかと、副官のオレクや将軍達に上機嫌に語っていた。基本的にホランド人は他国人を下に見るが、役に立つなら多少の慈悲を与える程度には度量があるつもりだ。特に戦の役に立つ道具なら大歓迎であり、腕の良い職人は単に農奴や鉱奴として使い潰す事はしなかった。

 さらにあと一月もすれば王都から追加の投石器が、ドナウからはナパームが届けられる手筈となっていたので、ユゴス軍の士気にも少なからず影響が出てくると予測しており、サピン王都よりは早く片が付くだろうと、ユリウスを始めとしたホランド軍は楽観的に構えていた。

 一方、ユゴス側の司令官マカートはというと、特に被害を気にする様子も無く、時間を見つけては兵達に気さくに話しかけて鼓舞したり、自ら防壁の上に立って陣頭指揮を執るなど士気の向上を図っていた。



 十日目の早朝、ホランドの攻撃が始まる前の防壁の上では、マカートとフェルディナンドがホランドの宿営地を見据えながら戦況を話し合っている。親子ほど違う年齢の二人だったが、指揮する部隊の規模が違えど、お互いに国の威信を背負う者としての共感と同じ場所で命を預け合う仲から、互いを戦友のように信頼し合っており、よく行動を共にしていた。


「予想より被害が増えていますね。やはり戦は全てが思い通りに進むわけではありませんね」


「それはそうだろう。向こうも命懸けだろうから、不測の事態は付き物だ。だが、この程度なら誤差の内と言える。

 この十日間でホランドはこちらの戦力や投射能力をほぼ見切っている。だからこちらの範囲外から、あるいは有り余る兵力を絶えず投入してこちらを疲弊させている。敵軍の将は若いが、才と大軍に溺れずに奇をてらわない城攻めのお手本のような戦い方をしているよ」


 フェルディナンドが予想より多い死傷者に嘆息し、それをマカートは年長者らしく宥める。この十日間で死傷者は二百人程度出ており、ドナウからも十人死者が出てしまい、彼等を異国の地で埋葬せねばならない事をフェルディナンドは悔やんでいた。元より戦である以上、犠牲者は当然出てしまうが、好き好んで死人を出したい指揮官など居ない。

 そしてマカートにとって損害より気になるのが敵軍の将の方だ。直接言葉を交わしたのはこの戦が初めてだったが、以前から噂ぐらいは耳にしており、噂通り軍才はあると分析していた。


「最初の数日間はこちらにも新型の投石器があると踏んで慎重に間合いを図っていたようだが、流石に十日も同じ射程を見ていれば、ここらが限界点だと見切るだろうな。そして自分達の方が優位に事を運んでいると思い込めば多少は気が緩むのが人間だ。特に才能はあっても人生経験に乏しい若造に、そのあたりの緩みは気付きにくい」


 若造と言うのは勿論ユリウスの事だ。齢五十に届き、戦歴が三十年を超えるマカートから見れば、どれだけ才能が有っても、士気の高さに隠れた気の緩みを読み取れず、数十年の実戦経験から来る重みのないユリウスは、まだまだ若い半人前扱いだ。


「それ故に我々はドナウから持ち込んだトレブシェットを未だ使用していません。ホランドがこちらに自分達と同じ、いえ本家本元の兵器が無いのだと誤認させて、距離を詰めてくれるまで待っていたわけです。最初から使用していれば、彼等も慎重に動くでしょうし別の策を練る可能性がありましたが、無いと見切ってからここ数日は完全に数と勢いに任せて攻撃していますね」


「まったくだ。この策もだが、ナパームやらあの兵装を考えついた君の所の教官は相当性格が悪いな。私の息子と同じ年とは到底思えん。だが、お陰で我々は最小限の被害でホランドに一泡吹かせられる。

 予定通りなら今日の夕刻前に仕掛けるが、準備は間に合うかね?」


 正確にはアラタの薫陶を受けた直轄軍の士官達がユゴスに派遣されるのを知って、毎日勉強会を開いて編み出した策だが、教官として戦術や知識を教えた以上は無関係とは言えないだろう。

 そのため性悪と言われても事実その通りだったのでフェルディナンドは否定しない。彼はライネ川の戦いの時に、炎に焼かれる数万のホランド兵を見ながら悦に入るアラタの本性を見ていたので、口には出さなくとも腹の中で完全に同意していた。そして、マカートの質問だけに答える。


「問題ありません。持ち込んだトレブシェットは部品を組上げるだけですので、昼前には七基全てが稼働出来ます。それにナパームもありったけ用意してありますので、その後の行動も万全です」


 フェルディナンドの自信満々の回答に、マカートは非常に嬉しそうに笑みを浮かべる。今この瞬間の為に自分達は我慢に我慢を重ねて耐えてきた。それが報われ逆襲出来るとなれば誰だって嬉しくなるし、気分は高揚する。


「では頼んだぞ。この戦い、今日一日で蹴りを付けてやるわ。

 おっと忘れる所だったが、我々も一手間加えさせてもらおう。何、単純な手だから君達の手を煩わせるような事はないだろうし、こちらの損失も無いに等しい手だ」


 自信ありげにマカートは自らの考えを打ち明ける。聞き終わったフェルディナンドは先程のマカートと同様に非常に楽しそうだ。これでさらにホランドが慌てふためく姿を見れると思うと、今から楽しくて笑いが止まらない。この様子では二人ともアラタの性格が悪いと言えないが、それはそれだ。やはり戦争とは人心を荒廃させる悪しき所業なのだろう。

 とはいいつつも、二人は今後の戦いに備えて、ホランドの攻撃が始まる前に今日の打ち合わせを終えて、自らの仕事に取り掛かった。一軍、あるいは一部隊を預かる者として、全力で勝ちに行く姿勢はどの国の軍人も変わりなかった。



      □□□□□□□□□



 その日の午後、ホランド軍は前日と同様、全軍の半数が弓兵と投石器による攻城戦を絶え間無く続けている。当初は投石器以外にも、車輪付きの破城鎚を関門まで移動させようとしたが、ユゴス側が進路上にナパームを多数投げ込み炎上させて妨害した為、一時取り止めて遠距離戦に切り替えていた。

 ひたすら矢か石を投げ込むか、散発的なユゴスの攻撃によって倒れる仲間の救助しかしていないホランド兵は変わり映えのしない攻城戦に慣れて、悪い意味で余裕を見せ始めていた。


「まったく、来る日も来る日も石ばかり投げてるよな。ユゴスの奴等、いい加減降伏すればいいのによお。それか、とっとと門を開けて打って出てくれれば、楽に片がつくんだけどなあ」


 マンゴネルに石を装填しながらホランド兵の一人が悪態を吐く。彼は過去に何度か別の攻城戦に参加しており、その経験から籠城自体が時間稼ぎの悪足掻きとしか思っていない。そんなぐらいなら最初から潔く野戦で死んでくれれば楽なのにと、相手の臆病さに腹を立てていた。


「ぼやくなよ。ユゴスの奴等より俺達の方がずっと強いんだぜ、そんな俺達に正面切って突撃してくるなんてバカのする事。それぐらいの知恵は向こうにだってあるさ。

 ただなあ、お前の言う通り毎日こうやって石をぶつけるのには飽きて来た。ここが他所なら適当に農村でも襲って女を攫って憂さ晴らし出来るんだろうが、国の中じゃあ色々問題があるからなあ」


 一緒に石を装填していたもう一人の兵士が相方の愚痴を宥めつつも、いい加減この変わり映えの無い攻城戦に飽きていたと身の内を話す。彼等がこうして駄弁る余裕を見せていられるのも、ユゴスの攻撃が届かない場所だからだ。

 装填された石を確認した部隊長が部下に指示を下すと、五人の部下が一斉にアームに取りつけられたロープを引っ張る。地に着いたアームは勢い良く跳ねて、先端部に装填された石を吐き出す。慣性と自由落下に任せた人の頭ほどある大きさの石は外壁の上部にぶつかり、壁の破片と共にユゴス兵数名を派手に吹っ飛ばした。

 それを見た部隊長は喝采を挙げ、部下達を褒めた。


「よーし!今のは良い場所に当たったぞ!お前等、今日はいつもより多めに酒の配給を申請してやるから楽しみにしておけよ。それもドナウ産の蒸留酒をだ」


 部隊長の言葉に全員が喜びの声を上げ、数時間後の酒に舌なめずりをする。今回の戦は女の調達が難しいので、兵士の楽しみと言ったら酒ぐらいしかない。それも数に限りがあるので、一日に配給される量は決まっていた。ただ、物資を取り仕切る主計担当と仲が良ければ内緒で量を増やしてくれる事もある。ここの部隊長はその内の一人なのだろう。さらに、ホランドでも人気のあるドナウの蒸留酒だ。俄然やる気も向上し、石を装填する速度も速くなる。



 夕刻まで一時間程度となった時刻。そろそろ攻撃の中断命令が下る頃になり、夜の酒を待ちわびて兵士の士気に緩みが出始めた頃、突如最前線に切れ目の無い炎の壁が生み出された。ただし、攻城兵器部隊のかなり手前だったので実際の被害は殆ど無かった。


「何だあいつら、揃って投げ損なったのかよ。さては毎日石をぶつけられて気が参ってきたな」


 最前線で弓を引いていた兵士の一人が、とうとうユゴスが根を上げ始めたと笑い始め、それに同調した周囲の兵士も彼に倣って笑い合う。

 その笑いを助長するように次々とナパーム樽が投げ込まれて、周囲の炎から引火して燃え広がるが、そのどれもが自分達を無視して手前、あるいは斜めに逸れてしまう。妙な砲撃の軌道に何人かの部隊長は不審に思うが瞬時に答えが出ない。

 そんな見当違いの砲撃が何度か続いた時、一人の部隊長がふと炎の壁の形が、皿のような曲面を成していると気付いた。


「おい、何かおかしいぞ。お前等、今すぐ後方に下がれ。他の奴に何か言われても俺が許したと―――あ?」


 嫌な寒気が背に走った部隊長が部下に後退命令を出そうとするが、遥か頭上を飛び越える七つの飛翔体に彼も彼の部下達も意識を取られてしまう。

 数秒後、クロア関の防壁から二百メートル以上先に次々に着弾し、その内の五つはホランド軍の真後ろに着弾。後の二つは、そこから少し左右に逸れた場所に着弾している。

 さらにその数秒後、今度は百余りの火矢がホランド軍の頭上を悠々と飛び越えて行き、先程の飛翔体の落下地点へと突き刺さる。その瞬間、轟音をあげて前方同様炎の壁を形成する。

 呆気にとられた兵士達は、傍に居た上官にどうすべきか指示を仰ぐが、多くの指揮官は前では無く突然の背後への攻撃に咄嗟の判断が出来ずに、生死を分ける貴重な時間を無駄にしてしまった。

 その間にも次々とナパーム樽は投擲されて、段々と炎の範囲が広がりつつあるのと相対的に、自分達に炎が近づいてくるのに恐怖したホランド兵が、我先にと持ち場を離れて行く。


「っ!!拙い!全員逃げるぞ!投石器を運べ!」


「んなこと言われても炎が迫ってくるんですよ!!そんなもん置いて今すぐ逃げなきゃ焼き殺される!ええっと右と左どっちに逃げれば良いんだよ!」


 大抵の部隊は中央に寄っているので、どちらに逃げるかを咄嗟に選べず、それぞれがバラバラに逃げようとして大混乱になり、兵士同士がぶつかるなりもみ合になって組織だった移動を阻害してしまい、さらに逃げる時間を消費してしまう。

 その混乱を狙い撃つかのように絶え間ない砲撃と火矢はホランド軍を追いつめる。特にトレブシェットは錘の重量を調整すれば投射距離を調整出来るので、左右の壁が段々と延びて、いずれ前後の壁と繋がればホランド軍二万は完全に逃げ場を失い、全て焼き殺されてしまう。それをいち早く察して、さらに両端に居た運の良い兵士は早々に離脱を図ったが、まだ大部分の兵士は取り残されたままになっていた。



 それを防壁の上から多くのユゴス守備兵と一緒になってフェルディナンドとマカートは心底楽しそうに眺めている。


「以前私は似たような状況で虐殺されるホランド兵を眺めて悦に入るレオーネ教官に恐怖を覚えましたが、慣れてくるとこれは耐え難い愉悦ですよ。今まで散々好き勝手に部下を殺した敵兵が恐怖におびえる姿は、どのような美酒の味にも勝る快楽です」


「まったくだ。惜しむらくは全ての敵兵を閉じ込めるのが出来ない事だが、まあ半分の一万ぐらいは焼き殺せそうだから良しとしよう」


 マカートの言う通り端に居た兵士はすぐさま離脱を試みて難を逃れたが、中央付近に居る兵士は距離が遠いのと段々と近づいて来る炎にパニックになり、最早逃げようがない。結果、半数が炎の囲いに取り残されて、焼死体になる未来を選ばせれてしまった。中には負傷を覚悟で炎の壁に飛び込んで逃げようとしたが、その多くは水で消せないナパームの特性によって満足に消火出来ず、結局は命を落とす羽目になる。

 二人とも敵の攻撃によって部下を何人も死なせており、少なからずホランドには腹を立てていたこともあり、彼等が逃げ惑う様を見て少しは死んだ者達も溜飲を下げてくれると、胸のすくような思いだ。そしてこのまま勝利の杯を傾けたい欲求に駆られたが、ここから仕上げの行程に入らねばならぬので、残念ながら勝利に酔いしれるのはもう少し後だと、残った仕事を片付ける為に、それぞれの部下が待機する場所へと歩いて行った。



 ユリウス率いるホランド軍の受難はまだまだ続く。


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