第134話 外交戦



 ミハエルの葬儀の翌日、ドナウの重鎮達は会議室に集まり、頭の痛い懸案の処理に追われていた。


「皆、ミハエルの葬儀が終わったばかりで忙しいが良く集まってくれた。このような非常時に相談役が居ないのは非常に残念だが、我々はいつまでも嘆き悲む立場では無い。各々がこの難局を乗り切るよう尽力してもらいたい」


 カリウスも長年ドナウに尽力してくれたミハエルの死を悔やんでいたが、王の矜持がそれを押し留める。それを察した宰相が言葉を引き継ぎ、会議の議題を説明する。


「皆様も既に耳にしておりますが、最初から説明させて頂きます。

 四日前の夜明けに、我が国の南側国境の直轄軍二千の駐留する宿営地で戦闘行為が確認されました。相手は旧プラニアに派遣されたホランド騎兵八十騎。我が軍の戦闘による死傷者は三十余名、ホランド側は七十名程を討ち取りました。さらに尋問を兼ねた捕虜を数名王城に確保しています」


 ここまでの報告は会議に参加している面々、全員が知っている。そして知りたいのはここからだ。

 宰相の説明を引き継いだのは軍司令オリバー。彼が軍からの報告と捕虜の尋問を担当し、現状で一番情報を持っている。


「まずは何故ホランドがこのような蛮行におよんだのかを説明させて頂きます。非常に簡潔に動機を説明するなら『酔っ払い共が完全武装して喧嘩を売り、我々は被害を被った』これに尽きます」


 オリバーが勤めて冷静になりつつ、今回の騒動の原因が如何に馬鹿馬鹿しいかを溜息交じりに説明していた。そのあまりの短絡さ、無計画さに、多くの者は呆れと共に脱力したかったが、ドナウが被った被害を考えると笑い事では済まない。

 酒を飲んで気の大きくなった馬鹿のしでかした愚行で、こちらの大事な兵が何十人も被害に遭ったのだ。何かしらの制裁をホランドに与えなければ、ドナウの面子に大きな傷がついてしまう。何より不戦協定の無視は国家間の感情にも大きく影響を受けるだろう。


「まず最初に十名程度が酒の席でドナウを快く思わない感情を爆発させ、ならばと武装して襲撃を計画。それに気づいた騎兵部隊長らが連れ戻しに七十騎を引き連れて、直轄軍の宿営地に急行。

 しかし、時既に遅く多くを討ち取られたのを見た他の騎兵が、部隊長の制止を振り切り救出と報復を強行。それを皮切りに乱戦にもつれ込み、こちらも無視出来ない被害を被りました」


 直轄軍の兵が捕虜から聞き出した情報によると、前々から国境沿いで直轄軍が散々にホランド兵を挑発しており、さらにそこにアラタが行商を使ってばら撒いたアブサンによって正常な判断力が衰えていたので、遂にホランド側が挑発に耐えきれずに暴走したとの事だ。

 仕込みはかなり前から行っていたので何時かはこうなると予想していたが、なかなか良いタイミングで暴発してくれたと、ドナウのツキの良さにアラタは内心喜んでいた。


「そんなつまらない理由で我が国の大事な兵を殺すなど許し難い蛮行ですな。末端の暴走行為なのでしょうが、だからと言って何かしらの制裁処置をしなければ、ドナウの面子を損ないます。そうなれば今回のような国境間での武力衝突が頻発し、多くの血が流れるでしょう。ここは断固たる態度でホランドに謝罪を要求致しましょう」


 最年長のルドルフがこのまま捨て置いてよい問題では無いと息巻く。それに感化された他の閣僚も同調してホランドへの制裁を求める声を上げていた。実利面は重要だが、それと同じぐらいに面子も重要なのは彼等の姿勢を見れば、アラタもおのずと理解出来る。

 だが、あまり大きな要求を突き付けると今度はホランド側がへそを曲げて交渉が拗れる可能性もあり、中々さじ加減が難しい。


「デーニッツ長官、気持ちは分かりますが落ち着きましょう。それに今回の一件はホランド本国の耳に届くまでまだ時間が掛かる。ここは結論を急がず、じっくりと腰を落ち着けて議論するべきだ。

 それからツヴァイク司令、ホランド兵についてもう少し詳しい情報が聞きたい。捕虜についてと今後ホランド兵からの再襲撃があるかどうかも知っておきたい」


 まずはこちらが保有している情報の洗い出しを優先させようと、エーリッヒが気勢を上げる閣僚達を落ち着ける。本当はエーリッヒ自身もホランドの蛮行を腹立たしく感じているが、それをグッと堪えて閣僚達の抑え役を演じている。そんな王子の姿を政務面での教師であるルーカスは、内心頼もしくなったと喜んでいた。


「では、まずホランド兵の再襲撃ですが、そちらの心配は一応ありません。騎兵部隊の隊長が思いの外冷静だったので、自らは投降して捕虜となり、生き残りの中で冷静に動けそうな兵を近隣の部隊に説明役として派遣して、これ以上のもめ事を止める様に指示しています。さらに一人には直接王都に向かわせて王に知らせる様に手配しております。

 それと軍には再襲撃を警戒させて宿営地の防備の増強を命令。最寄りの直轄軍二千を増援として南部の国境に向かわせておきました」


「流石ツヴァイク司令、迅速な対応だ。そしてホランドの部隊長も冷静で助かった。向こうも王の命令無しに戦端を開く気が今の所無いのが幸いだね。そしてこちらから揉め事を持ち込まず、再度襲撃があっても冷静に対処出来るように体勢だけは整えておくのが先決だ。

 あとはその部隊長についても捕虜と言っても人質に使えそうだから手荒な真似は控えた方が良さそうだ」


 エーリッヒの指摘を受け、閣僚達は如何にホランドに謝罪と賠償をさせようかと躍起になっていたのを恥じた。ここで一番優先させるべきは二度目の襲撃に対して万全の態勢を整えて備える事で、さらなる犠牲を防ぐのが為政者の仕事だ。

 こうしたエーリッヒの頼もしい姿を隣に座っていたアラタは彼の事を次の王として恥ずかしくない力を身に付けつつあると感心していた。


「でしたら国境線の防備はツヴァイク司令に一任しても問題ありませんね。今後の戦略を考えると司令には随分と負担を掛けてしまいますが、他に適任者が居ない以上は頑張って頂かねばなりません。

 ただこちらにも大きな利点があります。この襲撃でホランドは否が応にも西に目を光らせておく必要が生まれました。ドナウの軍事行動に備える兵と、同じホランド兵がおかしな真似をしない様に監視する兵。既にユゴスに宣戦布告を済ませたホランドにとって、これは大きな負担と不安になります。我々はこの状況を出来る限り長く保つ事を目標にして交渉を可能な限り引き延ばしては如何でしょう?」


 アラタの言う通り、今回の一件はドナウから見ればホランドからの宣戦布告と見なしても可笑しくない。ドナウの出方が分からない間は戦争状態と見なしてホランドは備えねばならず、これはユゴスへの大きな援護になるし、レゴスには不戦協定を破って侵攻する信用のならない国だと判断する材料となる。

 賠償云々の前にこれだけの手札がこちらに入ってきたのだ。是が非でも有効利用する必要がある。

 さらにここでアラタから、先日ホランドへ赴きユリウスへの祝いの他に、ドミニク王から直接友好を結び、交易を持ちたいと言質を貰って来た事が伝えられると、外務長官のハンスが物凄く良い笑顔で礼を言われた。外務からすれば一国の王が友好を望んでいるのに、その舌が乾かぬ間に軍事行動を起こしたのだ。『王が発言を翻す』専制君主国家にとってこれほど大きな失点は無い。仮にそれが末端の暴走だと言い張っても、王が手綱を握れていないのかと糾弾すれば、相手はさぞや反論に窮するだろう。


「では今回の件の有利な材料を洗い出してみます。

 一つ、不戦協定を結んでいるのにも関わらず、国境を越えて襲撃を行った。

 二つ、直轄兵三十余名の死傷者に対し敵騎兵の損害は七十余名。これは明確な我々の軍事的勝利である事。

 三つ、部隊長を捕虜として確保している事。

 四つ、ドミニク王自らが友好を求めたにも関わらず、末端の暴走を招いた責任の追及。

 ここまでがドナウの優位な交渉材料です。さらにこれ以外にもユゴスへの間接的支援を匂わせる事が出来ますな。いやあ、外交官として今後の交渉が楽しみでなりません」


 外務省からすれば殆どホランドの自滅によって大きく功績を稼げるチャンスが巡ってきたのだ。しかも負ける事など有り得ない程の好条件に恵まれている。ハンスはそれが分かっているので、犠牲となった兵士への感情を除けば今すぐに祝杯を挙げたいぐらいに喜んでいた。


「では交渉は外務省に任せるとして、後はホランドに課す賠償をどうするかが問題です。今回はホランドの非がかなり大きいですが、損失事態は軽微ですのであまり大きな要求は難しいかと思います。落とし処としては賠償金か物納が妥当かと思いますが、皆さまはどう思われますか?」


 司会役のルーカスからの提案に、閣僚達はまあ妥当な賠償かと納得する態度を見せている。幾らホランドに責任があると言っても、ドナウが被った被害は少なく、相手も百に満たない兵士の暴走でしかないので領土の割譲などは到底受け付けないだろうと、相手の思考を読んでいる。

 後はそれがどれだけの金額になるかだ。最低でも死んだ兵士の遺族に払う見舞金や怪我をした兵士の治療費か、それと同等の脚竜を何頭かは貰わないとやっていられない。


「反対意見が無いようですので、賠償は金銭としておきます。但し金額はこれから過去の事例をもとに算出するという事で宜しいですね?

 他に何か意見があれば発言を認めますので遠慮はいりません」


 およそ意見が出尽くした事もあり、閣僚やアラタも特に意見がない事から自然と発言は無くなった。それを見計らってカリウスは会議を纏める。


「では今回のホランドの国境襲撃は外交で決着を着けるものとする。現状ドナウはホランドとの開戦を望んでおらず、またユゴスへの間接支援を主眼に、出来る限りの引き延ばし工作をしておくとユゴスにも外交官を使って知らせておくように。レゴスへはホランドが宣戦布告も無しに攻め入ったのを大々的に喧伝し、信用のならない国だと伝えておけ。

 ああ、それから今回の交渉の名目上の責任者はエーリッヒに命ずる。次期国王なら外交でも実績を積んでおかねば恰好がつかんだろう。ハンスは息子を上手く補佐してやってくれ。

 では各人、仕事に取り掛かれ」


 一時はどうなるかと思ったが、上手く外交で捌けばホランドの出血を増やしつつユゴスへ恩を着せられる。後はどれだけ引き延ばせるかが肝だ。今月の初めで併合要求の返答期限が切れており、そのまま宣戦布告の流れに移行しているので、今この瞬間にもホランド軍はユゴスへと進行している。それをユゴスも黙って見て居るわけがなく、国境沿いの関所兼砦に軍を終結させて徹底抗戦の構えを見せていた。兵の差は数倍だが、防衛戦となれば砦に籠ったユゴス側が優位に立てるので、数ヶ月も耐えれば二面戦を嫌って和睦に応じる可能性も生まれてくる。

 そしてあまり相手を追いつめすぎると暴発して交渉を打ち切ってしまうだろうし、温和な対応だと舐められて謝罪や賠償を引き出せない。この匙加減の難しさは軍人でしかないアラタには良く分からないし、わざわざ出しゃばる事でもない。後は外務が上手くやってくれるだろう。

 今回は諜報部が表立って出来る事が限られているのでアラタも比較的余裕がある。ドナウに帰って来てすぐにミハエルの葬儀と今日の会議が続き、碌に休んでいないので二、三日ゆっくりしたかった。


(オイゲンの顔見て癒されたい)


(そこで奥方の名が出ない辺り、すっかり父親ですね)


 23で一端の父親になるなど統合軍にいた頃は想像すらしなかったが、不思議と嬉しさがこみ上げて来る。管制人格の茶々などどうでもいい。


(あと、報告が遅れましたが、昨夜の性交でマリア夫人の二度目の受精を確認しました。また家族が増えますよ)


 また不意打ちかよ、とドーラに悪態を吐いたが、嬉しい事には変わりないのでそれ以上の追及はせず、心の中で喝采を挙げた。



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