第133話 何の為に生きるのか



 ホランド王太子ユリウス擁立祝いを無事に済ませたドナウ使節団がカドリアを後にしてから既に12日が経過していた。往路と同様復路は陸路と海路の混合だが、どちらにも大きな問題は無く、現在はドナウ国内の港町グランポスに戻っていた。使節団の団員はようやくドナウに戻って来れたと安堵し、王に

良い報告が出来る事を喜んだ。彼等はドナウ料理に餓えており、早速上手い飯にありつこうと団長のアラタを急かしている。

 アラタも裏向きの成果はあまり得られなかったものの、表向きの成果は十二分に挙げて来たのである程度満足して、護衛、外交官、使用人、身分に関わらず労いを込めて祝杯を挙げると約束した。



 街で一番美味いと評判の食堂の一角を占拠した使節団は、一人の例外も無く一月振りのドナウ料理を腹一杯に堪能して、ホランドの悪口を肴に酒を呷っている。やれ下水道が完備されていないので街全体が臭いだの、風呂が無いだの、綺麗好きなドナウ人にとってホランドは居心地の良い国ではなかったので、多くはせいせいしたと思っているのだろう。エリィも年頃の娘らしく体臭を気にしていたのか、今夜は久しぶりに風呂に入れると喜んでいる。

 アラタも今回の旅が何事も無く済んだ事を喜び、少量だったが珍しく酒を口にしていたが、急にドーラから通信が入る。何事も無いように振る舞いつつも、電脳部位の回線を開いて報告を聞く。


(どうした、何か問題が起きたのか?)


(ドナウ国内での緊急懸案が二つあります。非常に悪い報告と、判断の付かない報告どちらを先に聞きますか?)


 どちらも良い話ではないと分かり、あまり聞きたくないと気落ちしたが、どの道王都に帰還すれば聞く羽目になるだろうと、半ば諦めの境地で気分的に聞きたくない悪い報告を後回しにした。


(ドナウ南部の国境線に駐留する直轄軍の宿営地にホランド騎兵八十騎が襲撃を仕掛けました。ドナウ王都には今朝方報告が届きましたが、信号旗による通信なので詳細な情報が入っていません。観測機器を現地に移動させますか?)


(いや、観測機の変更はしない。俺が王都に戻るのに三日かかるだろうから、今現地の情報を知った所で役に立たん。だが、八十騎だと?そんな少数で千人の駐留する宿営地に襲撃を仕掛けるなど、何の意図があるのだろうな。詳細の分からない内は結論が出せないから、取り敢えず放置しておけ。それで、もう一つの懸案は?)


 ドーラの言う通り判断に困る懸案だが、組織的な動きが見られないのと、距離的に自分には手が出せないので一旦放置するしかないと割り切って、次の悪い報告へと関心を移した。


(本日午前中、ミハエル=ベッカー氏が屋敷で倒れました。原因はくも膜下出血と思われます。意識も取り戻しておらず、手の施しようがありません)


 突然のドーラの報告に、あまりの衝撃からアラタは杯を落とし呆然としていたので、隣に座っていたウォラフが不審に思い声を掛けられたが、まったく耳に入っておらず、しばらく使節団の面々から心配の声が飛び交っていた。



      □□□□□□□□□



 ミハエル危篤の報を受け取ってから三日間、容体の改善も無く刻一刻と死に向かう情報を絶え間無く聞き続けたアラタの心情はかなり乱れており、速く王都へ戻らねばと焦燥感を募らせつつも、表向きは何事も無い様に装っていた。だが、ウォラフやエリィの様に近しい者はアラタの心の乱れを感じ取っており、どうしたのかと尋ねられたが、真相を語れないので苦し紛れにオイゲンの顔を早く見たいとだけ語り、どうにか誤魔化していた。

 常に先手を取って情報をいち早く仕入れていたアラタにとって、知っていても知らない振りをしつつ何事も無いように振る舞うのは以前から経験済みだったが、今回ばかりは弱音を吐きそうで堪らない。

 そしてとうとう王都に着く前にミハエルは死亡し、間に合わなかった事を悔やんだが、誰にも身の内を明かす事は無かった。



 ようやく王都へ戻って来たが、その足でベッカー家の邸宅に赴く訳にはいかず、もどかしいと感じながらも出来る限り早くカリウスへ報告をしに王城へと足を運んだ。

 謁見の間でカリウスに無事に役目を果たした事を伝えると労いの言葉を掛けられたが、傍から見ても相当気落ちした様子でミハエルの死を告げられた。カリウスにとっても長年相談役として世話になっていたこともあり、ミハエルの死は彼の心に重く圧し掛かっているのだろう。

 挨拶もそこそこに切り上げると、そのまま真っすぐにベッカー邸へと足を運ぶ。



 屋敷には多くの貴族が出入りしていた。正式な葬儀は後日行われるが、個人的な弔問客がひっきりに無しに訪ねてきており、ベッカー家の者は一人残らず対応に追われている。

 そんな中やって来たアラタは、他の客と違いすぐさま奥の私室へと通される。ミハエルの眠る寝台にはアンナやヴィクトリアを始めとした多くの一族が立ち尽くしていた。男手が居ないのは葬儀の手配や客人への対応に駆り出されているからだろう。


「ア、アラタ様!お爺様が、お爺様が!!」


「ああ、陛下から直接聞いたよ。残念だ、本当に残念だ」


 アラタの姿を見たアンナが反射的に抱きついて、その胸の中で嗚咽と涙を流す。それに引きずられて部屋に居る女性達も顔を手で覆い、涙を隠していた。

 アンナを抱きながら寝台に近づき、横たわるミハエルの顔をじっと観察する。まるで眠っているかのように穏やかな顔をしているが、血の気の無い様とただの一度も呼吸をしていないのを見れば、もう二度と起き上がることが無いのだと否が応にも理解させられる。


「翁、貴方には世話になった。この国の作法や言葉を覚えるのに随分と助けられたが、俺は貴方にその借りを返せていない。アンナとの子供だって抱かせていないんだぞ。勝手に死ぬなよ」


 死者に対して身勝手な物言いなのは重々承知しているが、それでも一言言わずにはいられない。アラタにとってミハエルはドナウに来てから一番付き合いの長い人物だ。気に喰わない所もあったが、不思議と不快感は無く、気の許せる老人として頼りにしていた。アンナを可愛がり過ぎて敵愾心を持たれていたが、なんだかんだ言いつつも孫娘を任せていたのを思えば、彼もまたアラタを頼りにしていたのは誰の目にも明らかだった。

 目に見えて肩を落とすアラタを気遣い、同席していた中年女性がお茶を出すので飲んで気を落ち着けて欲しいと申し出る。彼女はミハエルの娘の一人で、近衛騎士の家に嫁いでいた。

 その申し出を有り難く受けて、アンナに付き添われて私室を辞した。



 食堂には当主のゲオルグを筆頭にベッカーの一族が何人も集まっており、葬儀の手配や来客への対応、他にも他家への弔文を書き連ねるなど誰もが忙しそうにしている。


「レオーネ部長!いつ戻って来たんです!?」


 最初に気付いたヴィルヘルムが驚いてペンを止め、ゲオルグも葬儀の打ち合わせを一時中断してアラタに詰め寄る。


「戻ったのはつい先程だ。陛下に帰還の報告をしてすぐにこちらに来た。それより義父殿、ミハエル翁の死に目に会えず申し訳ありません」


「いや、長旅で疲れているのにすぐに顔を見せてくれて感謝するよ。葬儀については我々が滞りなく進めておくから、君は少しでも体を休めておいてくれ。

 父の死に目に会えなかったのは残念だが、明日の葬儀には間に合ったのは不幸中の幸いだ。ホランドは遠いから葬儀も間に合わないだろうと諦めていたから本当に良かった」


 遅れて来た謝罪をゲオルグはやんわりと断り、反対に良く間に合ってくれたと感謝を述べる。そんな義父を観察すると、目には隈が出来ており頬も幾らか痩せこけている。父を失った悲しみもあるだろうが、それ以上に葬儀の手配や弔問客への対応で殆ど寝ていないのだろう。葬儀の手伝いを申し出るが、既におおよその準備は整っているので不要と断られた。

 そうなると自身には何もする事が無いと察して茶を一杯馳走になると、明日の葬儀の準備の為にアンナと共に屋敷を後にした。



      □□□□□□□□□



 翌日、ミハエルの葬儀は滞りなく進み、棺に納められた遺体は王都の外にある墓地へと運ばれた。

 葬儀の参列者は思いの外多い。ミハエルの役職が王の相談役なのだから、当然カリウスも参列するし、主だった閣僚や出身の外務省からも粗方参加していた。

 墓穴に棺が納められ、葬儀を執り行う神官であり友人のロート=ゲーリングが祈りを捧げる。


「始祖フィルモよ、今から旅立つミハエル=ベッカーを暖かくお迎えください。彼は善き夫、善き父親、善き友人として生涯を全うしました。彼は御身等父祖に何一つ恥ずかしくない生を送った事は、今この場に集まった人々が証明してくれます。どうか皆様の末席に連なる事をお許しください」


 参列者全てが目を閉じ頭を垂れて胸に手を当てる。この動作は死者が無事に死後の世界へ旅立てるように父祖へ願う儀式だという。勿論アラタも周囲に倣い祈りを捧げる。無神論者どころか神を憎悪するアラタでも周囲に合わせる処世術は心得ているし、こうした儀式が多くの者の心を安寧に繋がるのであれば頭ごなしに否定はしない。

 祈りが終わると、今度は一族の男達が次々に棺に土をかぶせていく。喪主のゲオルグを筆頭に、娘の婿やヴィルヘルムを始めとした孫たち、そしてアラタも義理の孫の一人として土をかぶせ、完全に穴が埋まると、最後に板形の墓石を乗せられ葬儀は終わる。



 一人また一人と墓地から引き上げていくのをアラタはぼんやりと見送っている。一緒に来ていたアンナやマリアは、そんな心あらずといった夫の姿を心配していたが、しばらく一人にして欲しいと頼まれると、後ろ髪引かれる思いだったが言われた通り街へと戻って行った。

 そしてとうとう参列者が居なくなった所で帰ろうかと思い始めたが、片づけで最後まで残っていたロートに呼び止められる。


「何か悩みがあるのなら、私で良ければ相談に乗りますよ」


「そういう訳では…いえ、悩みと言えば悩みでしょうか。死体の残った葬儀に参加するのは初めてなので、色々と考える物がありました。私の参列した葬儀は両親も同僚も、みんな髪の毛一本残らない死ですから、ミハエル翁とどう違うのか。死後の世界にも影響があるのか。あるいは外国人の私がこの国で死んだら、何処へ向かうのかが気になります。マリアやアンナが死んだらこの国の教義では父祖の元に行くのでしょうが、私は私の両親の元へ向かうのか。そんな疑問が幾つも生まれましたよ」


 昔、人は死ねば自然に還ると聞いた事があるが、還る様な死体が無い人間はどうなるのかと尋ねても、誰も答えを用意出来なかった。ライブの養分にされた両親や同僚達は一体どうなったのか、空の棺を土に埋めた所で何が変わるのか、死体の有無は関係があるのか?ミハエルの葬儀を見ていると次々と疑問が湧き、そのどれもに答えが出せず、考え込んでしまった。


「それはまた答えに窮する悩みですね。こう言っては何ですが我々神官も死後の世界は良く分かっていません。何せ人も獣も死ねばそれまでですから、どこまでいっても想像の域を脱しません。

 何となく『こうではないか?』と勝手に想像して人々の安寧を支えるに留まっています。神官長などと偉ぶっても、私などその程度の仕事しか出来ない人間なのですよ。お役に立てず申し訳ない」


「戯言ですのでお構いなく。実を言えば私は死後の世界になど興味が無い。今この瞬間を生きるのが全てだと思っていますので。

 ですが、煙に巻かずに正直に答えて下さったことには感謝を述べておきます」


 死後の事など考えても、どうせ生きてる間は関係無い。なら、自分の思うままに生きて行けばいい。それで死の間際に悔いが残らなければ万々歳だ。


「所で神官長はミハエル翁が幸せだったと思いますか?」


「多くの孫や親族に見守られて70近くになってから旅立てたのです、間違いなく幸せな生涯だったと友として言い切れますよ。それ以上を求めるのは欲張り過ぎです」


 それだけ分かっていれば十分だ。ならば自分はミハエルと同様、多くの子や孫に囲まれて人生を終える事を目標に生きれば良い。

 この時、アラタは生まれて初めて、明確な人生の最終到達点を打ち立てた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る