第132話 暗殺命令



 盲目の楽士ハヴォムとの邂逅より半日が経過した夕刻。アラタを始めとしたドナウ使節団の面々は、歓待の宴をそれなりに楽しんでいる。

 表向きは祝い客として赴いたドナウだが、実際は敵国への使者と大差が無い事から警戒心を忘れなかったが、宴の前にドミニクから正式にドナウとの友好を結ぶと宣言したことから、内情はどうあれ友好国として付き合っていくと分かり、身の安全が保障され安堵していた。

 アラタも王の名代として友好の証にドミニクの隣に席を用意されて、格別の待遇を以てもてなされていた。他のホランド王族も接待に駆り出され、ウォラフはユリウスが、エドガーはバルトロメイが対応していた。

 ホランドの宴席はドナウや他の国と違い机と椅子は使用しない。以前アラタが戦場でユリウスと食事を共にした時と同様に、床に直接座って車座になって食べるのは一緒だ。この習慣は遊牧民を起源とするホランドが定住しても採用し続けた伝統なのだ。

 そして、その祝宴の背景では一人の楽士がホランド伝統の擦弦楽器を柔らかく滑らかで、それでいて繊細さを失わない艶のある音色に仕立て上げ、聞く者全てを楽しませていた。その見事な腕前に、多くの者がドナウ、ホランド関わらず聞き惚れており、卓越した腕前を感嘆の吐息で褒め称えた。


「ふむ、お主は楽士が気になるのか?」


「ええ、まあ気になるかと聞かれれば気になります。私は音楽には欠片も才がありませんが、そんな素人でもあの楽士の腕が優れた物だと理解出来ますので」


 ハヴォムに視線を向けていたのをドミニクから指摘され、特に異論は無いので肯定する。実際には彼本人に興味があるが、それを口にすると要らぬ誤解を招きそうなので、音楽に興味は無くともその腕前に感嘆したとだけ言葉を濁しておいた。


「ふふっ、客人にそう言ってもらえるとアレも喜ぶだろう。奴は盲だが、その分常人より良い耳と腕を持っておる。ドナウにはアレに比肩する楽士がどれだけ居るだろうな?」


 客人に称賛され上機嫌に杯を空にしたドミニクは、口から酒臭い息を吐いてアラタにも、もっと飲めと催促する。杯の中身はドナウ産のアブサンだ。酒を嗜まないアラタは義理以上に口にする気は無いので、ちょびちょび舐めるように飲んでいた。酔いの回ったドミニクはスローペースのアラタを不満そうに見ていたが、客の酒のペースにケチを付ける訳にはいかず、その分自分で飲んでやると言いたげに、傍に居たきわどい服装の美女に酌をさせている。


「お主は西方の人間ではないから分からんだろうが、儂等ホランド人は他国人からすれば低い文化しか持たぬと思われている。無礼な話よな、形ある物だけが文化と言い張り、彫刻や文学のような芸術を解さない蛮族と我々を見下す。

 もう二十余年前になるが、儂が王座に就いてすぐに隣国のアルニアが我が国を文化の劣る蛮夷の民と蔑んだ。それには儂を始め多くの民が怒り、無礼を働いたアルニア人どもにホランドを侮辱したらどうなるのかを思い知らせてやったわ」


 ドミニクの良く通る声は宴会に参加した者全ての耳へと入り、多くのホランド人は彼の言葉に頷いた。ドナウ人も何人かが彼等に同調しており、相手の面子を潰した者には厳しい姿勢を見せていた。

 アラタには良く分からない価値観だが、歴史を紐解けば似たような理由で戦争にまで発展した事例には事欠かない事もあり、国家間の付き合いも一個人同士の付き合いと大差が無いのかと、多少は理解する。

 以前ミハエルにドミニクの人物像を訪ねた折、誇り高く他国人を下に見る傾向があると口にしていたが、こういう事かと納得する。彼が併合した国の民を下に置くのは自国を侮辱した罰と認識しているのだろう。反面、最初から頭を下げに来たフィリップ家はプラニアを滅ぼして領地を没収しても、領民までは害していない。率先して従う者には情けを見せる鷹揚さは、ホランド人にとって確かに善き王に見えるだろう。尤も併合された国の民には暴君にしか見えないだろうが。


「陛下のお怒りは余所者の私には推し量れない物ですが、カリウス陛下も似たような事を語っていましたので、舐められたら報いを与えるのが王の責務だというのは理解しております」


「ほう、ドナウ王もか。同じ王として興味と親近感が湧くな。

 では酒の肴程度で構わんが、元余所者から見たドナウ王はどのような人物か語ってはくれぬか?ホランド人から見たかの王と違いを比べてみたい」


 また面倒くさい事を言いやがって、とアラタは酔いの回って来たドミニクの無茶に内心毒吐く。あまりカリウスを持ち上げすぎるとドミニクの不興を買うかもしれないし、その逆だと今度は同席しているドナウ人の方がヘソを曲げかねない。ここは当たり障りのない発言に留めておくが賢い選択だろうが、それでは面白くないし益も無い。

 どう発言するか少し悩んだが、ちょっとした事を思いつき話し始める。


「まず、将としての器量はそう高くないかと。ドミニク陛下の様に自ら軍を率いて戦場を駆け巡る様な王ではありません。あの方はどちらかと言えば内政と家臣の差配に長けているので、余程の事が無ければ戦場で采配を振るう気は無いかと。この点は三ヶ国を攻め滅ぼしたドミニク陛下に大きく劣りますね」


 積み上げた実績から事実とは知っていても自分の仕える王、それも義理の父に当たる者を躊躇いもせず劣ると評価したアラタをドナウの騎士や外交官は危うく思う。友人のウォラフでさえ今の発言は今後問題になると止めたかったが、隣のユリウスを放って置いて口を塞ぐわけにはいかないので、成り行きを見守るしか無かった。


「まあ、王の資質を戦だけで判断は出来ないだろうから、そこは何も言うまい。お主の言葉から察するに慎重な性格なのだな」


「普段はそうなのでしょうが、いざという時の果敢な決断力は大したものだと思いますよ。でなければ貴国の併合要求を突っぱねる事も出来ませんし、私のような出自不肖の平民に大きな権限を与える事も、あまつさえ自分の娘を嫁がせようなどとは考えもしないでしょうから。

 そういう意味では、思い切りの良さはドミニク陛下以上だと胸を張って申し上げられます」


 今度はホランドの方からざわつきが出始める。特別ドミニクを貶めるような物言いでは無いが、それでもこの二十数年で領土を数倍に膨らませた偉大な王より度量に優れた男が居ると宣言したようなものだ。兵の中には不遜な態度を取ったアラタに不快感と敵意を抱く者も現れる。

 だが、当のドミニクはその不遜な物言いを不快に感じるどころか、逆に楽しそうにアラタの話を聞いている。


「確かに儂もドナウの王女が平民に嫁いだと聞いた時はドナウ王の正気を疑った。功績を上げれば出自を問わぬと言う者は過去にも居るが、それを自ら実践したドナウ王はお主の言う通り、度量の大きな男らしい。

 儂もかの王と同じ事が出来るかと言われたら難しいだろうな。幾ら功績があってもホランド人以外に娘はやれん。悔しいが器の大きさは儂の負けか」


 表面上は楽しそうにしながらも、自らの負けを認めた事に宴会場の大半の人間は信じられないと自らの耳を疑い沈黙がこの場を支配する。

 この二十年、西方の長い歴史の中でも三つの国を滅ぼし、領土を数倍に広げた比類なき武勇を誇る不世出の王が敵わないと、自ら認めたのだ。表向き悔しさを見せない、あるいは否定すれば度量がさらに小さいと思われるのを嫌った故の可能性もあるが、兎に角自ら負けを認めた事はホランド人、中でも二人の王子にはそんな偉大な父の不甲斐ない姿は到底受け入れ難かった。


「これは是非ともドナウとは末永く友好的な関係を続けねばならんな。場合によっては孫の嫁を貰い受けるか貴国から婿を迎え入れる事も視野に入れて付き合わねばならんな」


「それは何とも、夢のある話ですね。確かにドナウとホランドが手を組めば、恐れる相手は神ぐらいでしょう。我々としても是非とも貴国とは末永く仲良くしていきたいものです」


 話を終えた二人は手に持った杯をぶつけ合い、アブサンを一気に飲み干し声を上げて笑い合う。

 いきなりの同盟発言や婚姻など、極めて重要な話が飛び交うと、急展開に付いて行けない周囲の面々は二人の正気を疑いはしたが、不興を買うのを恐れて遠巻きに様子を伺うだけで声を掛けるのも憚られたが、そんな周囲の空気などお構いなしにアラタとドミニクは身分差など関係ないとばかりに笑い合って、酒を飲み大いに盛り上がった。



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 翌朝、ユリウスへの祝いの言葉を送り届けたアラタ達は故国へ帰還する竜車に乗り込み、ホランド王城を離れる直前だった。色々とアクシデントはあったものの、両者とも始終友好的な姿勢を崩さなかったので祝いの使者としては成功と言って良く、殆どの者は軽い足取りでドナウに帰還できるのを喜んでいたが、付き合いの長いウォラフだけは話の流れに違和感を感じており、アラタに真意を問いただしたかった。

 それを了承したアラタは、自分の竜車にウォラフを招いて車が動き出してから本心を語る。


「うちの陛下への評価は大体本心だが、同盟や婚姻は酒の席での戯言だ。それに俺は何も確約などしていないから、話がお流れになっても文句を言われる筋合いはない」


「確かにドミニク王も随分酔っていたみたいだから戯言でしかないね。何より正式な書面がある訳でもないから強制力だって発生しない。向こうがそれをつついても、酔っ払いの戯言を真に受けるのかと鼻で笑えるか。

 所で話は変わるけど、当初の予定だとユゴスへの侵攻軍の妨害をする計画だったけど、都合が悪くなったのかい?」


「ああ、最初は夜中に軍の兵器保管庫か兵糧を焼き払おうかと思っていたが、予想より監視の目が厳しくてな。要のエリィも警戒されていたようだし、今回は見送りだ。

 特にあんな化け物が近くに居たんじゃ、目立つ真似は出来ない」


 化け物と聞いてウォラフが首を傾げる。アラタは彼にハヴォムの事だと告げると、信じられないと疑うが、後ろを取られてギリギリまで近づかれてようやく気付いたと、中庭での事を話すとゴクリと唾を飲む。


「あの盲目の楽士は暗殺者の類だろうな。しかも目に頼らないからエリィの神術も効果が無い。あんな怪物が傍に居たんじゃ、今回は何も出来んよ。むしろ早めに気付けて幸運だったと思った方が良い。配下の報告だけで判断せず、自分の眼で直接確かめておいて正解だったよ」


 ハヴォムのような手合いを抱えていると仮定すると、今後も諜報部は情報収集程度に留めておかないと要らぬ犠牲が増えるだけ。流石本国は防備が堅いと、併合した領地と同程度にホランド本国を見ていた認識を改めていた。

 これから先、ドナウとホランドが再びぶつかり合えば、きっとあの男が自分達の背後に忍び寄る、そんな予感がアラタの心の奥底に根付いていた。



 王城の主ドミニクとカーレルが王城より離れていく竜車を城のテラスから見下ろしている。そして二人から少し離れた柱の陰には膝を着き、傅いたままのハヴォムが控えている。竜車を見送るドミニクの相貌は険しく、昨夜の祝宴で見せたような陽気な笑顔など微塵も感じさせない威厳と排他性を孕んでいた。


「昨夜は中々面白い見世物でしたな。『末永く友好的な関係を続けねばならん』ですか。向こうはどう思っているのやら」


「ドナウの都合などどうでも良い。あのような酒の席での戯言など真に受ける訳がなかろう。だが、それでもドナウの王の代理人が友好を求めた以上、ユゴスへの肩入れは無いと判断しても良いだろう。

 そちらはある程度捨て置いて構わんが、問題はあの若造だな」


 若造とは勿論アラタの事だ。数年前からのドナウの変貌に大きく関わる異邦人を自らの眼で見て、言葉を交わしたドミニクが抱いた感情は決して友好的な物では無い。それどころか是が非でも排除せねばとより強い意志を感じさせる冷徹さが張り付いていた。


「ハヴォムだったか?お主がカーレルの凶手なのは知っている。そして何人もの邪魔者を人知れず始末しているのもな。直答を許す、第一の凶手としてアラタ=レオーネをどう見る、お主は奴を殺せるか?」


「私のような夜に紛れる薄汚い凶手に直接陛下自らがお声を掛けて頂いた事、生涯の誉れでございます。では忌憚無き意見を申し上げます。

 あの青年は殺せますが、私は生きてホランドには帰れません。腕一本を犠牲にすればあれを殺せますが、そうなれば確実に殺しが人目につくでしょう。私がホランド人なのは向こうも知っておりますので、どれだけ否定しても国同士の問題に発展致します」


「余計な事は言わんで良い。ハヴォム、お前は殺せるか殺せないかだけを判断せよ。後の仕事は我々の領分だ」


 カーレルが配下を叱責するが、怒りは含まれておらず形だけの様に見える。ハヴォムは差出がましい真似をしたと謝罪し、それ以降一切口を開かなかった。


「ごほん、配下が失礼を。ですが、あれの言葉通り、アラタ=レオーネを殺してもホランドの仕業と見なされれば陛下の名に大きな傷がつくのは事実です。何か小細工でも……一旦ハヴォムを外に放出してドナウ人に雇われた事にして殺させましょう。あの男は成り上がり故に内部の敵も相応に多いでしょうから、ドナウ人に泥を被ってもらえばいい」


「良いだろう、許可する。それと明確な期限は無いが、早めに始末をつけよ」


 厄介事の一つが片付きそうだというのにドミニクの心は晴れなかった。元々が武断派の性分であり、何事も正面から問題を解決してきた人選だったこともあり、今回のような裏に手を回して敵を葬るなど、誇り高きホランド王族のする事では無いと、望まない行為に嫌気を感じていた。だが、今の自分は一国を統治する王なのだ。綺麗事だけで国は回せないし、これ以上の失態はカドルチーク王家への不信感をホランドの民に育てかねない。そうなれば遠くない未来、王家と言う楔を失ったホランドは建国の遊牧民の雑多な集団へと成り下がる。そうなっては父祖に申し訳が立たないし、自分の生涯が全て無駄になる。それだけはどうにかして避けたかった。


(そもそもがあの余所者さえ余計な事をしなければ、ドナウなど当の昔に滅ぼしていたものを。まあいい、貴様が何を考えていたのかは知らんが、邪魔をした報いを受けてもらうぞ。そして俺にこれほど不快な思いをさせた事が他の何よりも許せん)


 誇り高い王と称されるドミニクも人の子であり親でもある。最早勝つ為には手段も選んでいられないし、息子を護る為とはいえ教師の一人だったラドミーク=コビルカに全ての責任を押し付けて処刑させた怨みもあり、アラタは心底憎まれ一国の王から明確に敵と認識される事となった。



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