第129話 国家間の友好



 ネウジルの部族と別れたドナウの使節団は、さらに二日間道なき草原をひたすら進み続けて、ようやく目的地であるホランド王都カドリアを目にする事が出来た。

 遠目に見えるカドリアはドナウの王都とは趣が異なる。まず目につくのが高い城壁が無い事だ。一応外壁はあるようだが、ドナウやサピンの王都と比較して、半分程度の高さしかない。攻城兵器への防御を考慮せず、壁を騎兵の侵入への対処程度に考えているのではとアラタは分析していた。元より騎兵重視の軍備を敷いているホランドにとって、籠城戦より野戦に打って出た方が力を発揮しやすい。

 それ故、最初から守りを事を考慮した都市建造をしなかったのだろう。定住したとはいえ常に移動し続ける遊牧民の精神が根底に根付いた都市設計だと言える。


「ふーん、あれがホランドの王都なんですね。大きさはドナウの王都とあんまり変わらないみたいですけど、お城は何だか小さく見えますね」


「移動する集団が築いた城だからな。大仰な城を建てた所でこけおどしにもならんと考えたんだろう。あるいは建てた当時は建築技術が未熟だったかもしれないが、それだけに街を捨てる事に躊躇いも無いかもしれない」


 横に居たエリィが二つの城を比較した感想を漏らし、それをアラタは住んでいる人間の考え方の違いだと語る。

 ホランドを除く国の王城は立て籠もる要塞であると同時に王家の権威を示す形でもある。見る者を威圧して、反抗する意志を挫く事も城の役割だ。『これだけの城を建てられる人間を動員出来るのか?お前達はこの城を本当に落とせるのか?』そう分かりやすく示す形でもあるのだ。



 街へ入るとまず気が付くのが慌ただしい様子の兵士達だ。彼等の多くが荷を満載した荷車を操り、忙しそうに働いている。現在は三月の末、ドミニク王がユゴスに突き付けた併合要求の期限まで一か月に迫ったのが関係しているのだろう。遠征用の兵糧や攻城兵器の搬入、三万人分の天幕を用意するとなると膨大な労力だ。

 そんな中やって来たドナウの使節団を街の兵士は内心では非常に迷惑そうに対応していたが、前もって祝い客を寄越すと連絡してあったので、表立って邪険には扱われていない。

 兵士に案内されると、ほどなく城が見えてくる。間近で見る城はドナウの城に比べると二回りは小さく、街の家屋と同様に石をあまり使わず、木と土壁を中心とした造りだった為か、見る者を威圧するような圧迫感は感じない。アラタは内心では、こちらの方がドナウの城より好みだと感じていた。



 城の中へ通された一行は、それぞれの身分の別室に通される。護衛の騎士達とアラタは別れている。ぞろぞろと謁見の間に入るのは邪魔なので、ドミニク王に直接面会を許可されたのは団長のアラタだけだ。

 戦の準備で何かと忙しいせいか少し待たされたが、ほどなく謁見の間へと通される。部屋に入り、まず目についたのは最奥の玉座に座るホランド王ドミニク。アラタにとって国王を見るのはこれで二人目、カリウスに比べると成程、どちらがより王として相応しい男かと聞かれたら、迷わずドミニクだと答えるだろう。それほどに彼は威厳を纏わせている。

 その隣には、王太子となったユリウス王子が控えている。彼もまた王族の威厳を持ち合わせているが、今この瞬間だけは明らかに狼狽していた。端正な相貌には困惑、動揺、猜疑の色がありありと浮かんでいる。

 さらにそこから少し目を離すと、一度見た顔と不快で厭らしい表情を張り付けた老人と並んでいる。一人はアラタが油断ならない相手と称したバルトロメイ王子、もう一人は報告書にあった宰相カーレル=メテルカだろう。噂通り嗜虐趣味を隠そうともしないらしい。

 玉座から二十歩ほど離れた場所でアラタ達は立ち止まり、膝を着いて首を垂れる。


「ドナウ王名代アラタ=レオーネよ、面を上げよ。―――――ふむ、噂通りの風貌だな。此度は我が息子ユリウスの王太子擁立を祝いに来たと聞いたが、この通り今は何かと慌ただしい。大した持て成しも出来ぬが許されよ」


「はっ、むしろ我々こそ、ユリウス殿下の王太子擁立から間を置いてしまい、礼を失する行為だと謝罪せねばなりません。どうか、お気になさらずに。

 そして、ユリウス殿下にはこの度、王太子へのご就任、誠に喜ばしいことと謹んでお祝い申し上げます。また、不幸な行き違いを超えたドナウとホランドの変わらぬ友好を今、この場で祝いたく思います」


 ドミニクとアラタは格式に則った祝いの挨拶と返礼を交わすが、その所々に牽制を混ぜている。ホランドにとってはユゴス攻めの準備で忙しいんだぞ、と言いたいだろうし、ドナウからすれば仕方ないけど祝いに来てやったぞと、言外に含んでいた。友好的な雰囲気など表面上の物でしかない。

 さらにアラタは祝いの品を用意したと、懐から羊皮紙を取り出し、ユリウスに差し出す。品物自体は既に城の衛兵に渡しているので、ここにあるのは目録だけだ。

 ユリウスはアラタから渡された目録を眺めているものの、あまり興味を抱いていない。彼の関心はそんな紙切れよりも目の前に居るアラタ自身に向いていた。


「――――数々の祝いの品、確かに受け取った。私も我が国とドナウとの変わらぬ友好を喜ばしく思う。

 だが、私は今からレオーネ殿には不躾な質問をせねばならない。それは許してほしい」


 ユリウスの言葉に謁見の間はざわつき始める。相手は一外交官などではなく、正式に国王の名代として祝いに来た客人なのだ。万が一失礼があって失笑を受けるのはホランドの方だ。かと言ってそれを諫めるのはユリウス自身の面子を潰す為、並の者では憚られる。唯一止められるのは国王であるドミニクだが、彼はこの成り行きを内心はどうあれ静観している。


「貴殿とは昨年サピンの地で会っているな」


「はい、その折は存外の扱いに感謝をしております。そして、殿下から賜った短剣は今も肌身離さず身に付けております」


「あの時、レオーネ殿は商人と名乗っていたな。さらにオウルとも。あれは名を偽っていたのか?」


「いいえ、あの時は確かに商人としての職務を全うしていました。金銭の対価として必要な物を用立てる行為は偽りなく商売と言えます。

 オウルという名も、かつて故郷で私はそう呼ばれていました。軍での役職名に近いものですが、まぎれもなく私自身を構成する名の一つと言えます」


 二人の応酬は静かな物だが、周囲に控えている者はそうはいかない。サピン王都攻略のあらましはホランド王都でもよく知られている。その戦で妙なドナウ人の一団が出入りしていたというのも尾鰭が付いて伝わっている。流石にその医者に喧嘩を売って、兵士数十人が殺されたというのは緘口令が敷かれて伝わっていないが、その一団を率いていた男がまさかドナウ王の娘婿だったとは、誰も予想すらしていない。アラタと面識のあるバルトロメイも、その事実には動揺を隠しきれなかった。


「―――確か妻が身重だったと口にしていたな。この国にも男の子が生まれたと噂が伝わっている。私からも祝福の言葉を送らせてほしい。

 だが、貴殿はあの時、東の生まれだと話していた。あれは嘘か?」


「はい、殿下に語った身の上の中で、出自だけは偽りを申しました。殿下を謀った事、今この場を借りて謝罪致します」


 祝いの言葉と口にはしているが、ユリウスの内心は不機嫌そのものであり、目を掛けていた男から欺かれた事に落胆の色を隠せない。ユリウスとて王族である以上、謀略と偽りの中で生涯を過ごし、自らも他者を偽った事が無いとは言わない。何より戦とは騙し騙されるのが常だ。そう考えれば大部分を騙してはいないが本当の事を語っていなかっただけのアラタを、それなりに誠意を見せていると見れなくも無い。だが、それでも不満を感じていた。


「いや、それには及ばん。祝いの言葉を述べに来た客人に無粋な真似は相応しくない。何よりその程度の欺きを根に持つなど私の器量を疑われる。

 さて、過ぎた事は捨て置いて楽しい話をしよう。こうして祝い客を寄越してくれたドナウに何かしら返礼をしたいのだが、レオーネ殿の意見を聞きたい。望みの物を申してみろ」


 ユリウスからの要求に、アラタは顎に手を当てて思案する。今回は自分が使節団の代表なのだから、裁量権をカリウスから貰っているのでどんな要望でも要求するだけなら可能だ。しかし、あまり常識外の要求は失笑を買うだろうし、露骨な個人的利益の追求など持ち合わせていないので、当初の目的通り牽制程度にドナウの不利益にならない要望を伝えるに留めておくかと考えを纏め、ユリウスに具申する。


「ではドナウとホランド、両国の今後の友好を望みます。

 我々ドナウは貴国に対して憎しみを抱いているわけではありません。二年前は止むを得ず戦場にて剣を交えたわけですが、それはあくまで自国を護る意志を貴方方に示しただけの事。私個人の意見を申せば、互いに殺し合わずとも、歩み寄れる余地は残されている、そう愚考致します」


「貴殿の言い分も理解出来る。我々とて貴国が憎いから戦いたいわけではない。戦わずに事が収まるならそれが最良だ。

 だが、仲良くしたいからと言って、すんなり事が運ぶほど国とは単純ではない。ただ言うだけでは子供の戯言と大して変わらぬぞ。そして何より我々が仲良くして何か良い事があるのか?」


 アラタの友好を望む発言に否定的とは言わないまでも、やや懐疑的な感情を洩らしたのはユリウスではなく国王であるドミニクだ。彼からすれば、自身の偉業を阻み、誇るべきホランド兵に死を振りまいた男の言葉を鵜呑みになど出来ない。何か自分達に隠して策を巡らせている可能性も考慮しなければ、一国の王は務まらない。


「陛下の御言葉、ご尤もです。国家間の付き合いとは、互いに有用である事が前提。我々ドナウにとってホランドは自らより強い大国であり、争うより手を取り合った方が軍事的危機を回避出来ます。これがドナウにとっての利でございます。

 そしてそれは、貴国にも一部当てはまる事でもあります。現在の不戦協定を今後も継続しておけば、西に張り付ける負担も軽くなるでしょう。そうなれば東に注力出来るのではないでしょうか?

 そして両国がより友好的となれば、大々的に物品を輸入出来る事にあります。ドナウからは良質な蒸留酒や工芸品が、ホランドからは羊毛の敷物や、外地の穀物や鉱山資源が容易に手に入ります。

 交易国家であるドナウにとってそれは非常に魅力的でございます」


 アラタの提案は特別可笑しな物に聞こえない。ドナウにとってホランドは未だに自国より軍事力に勝る大国である。現在は不戦協定があるので戦う事は無いが、その取り決めも永続的な物ではない。となれば友好を結び、出来るだけ長くこの状況を維持していきたいと考えるのが妥当だ。ホランドにとってもドナウとの国境沿いの軍備を減らせれば、ユゴスへさらなる兵を送り込めるので損は無い。損は無いのだが、アラタの発言はユゴスを見捨てるに等しい方針だった。

 これには謁見の間に居た多くの者が、ドナウの真意を測りかねて却って焦る。そしてすかさず宰相のカーレルがアラタの発言に斬り込んでくる。


「はて、貴国は東のユゴスとレゴスとは友好関係を築いていたと記憶しておりましたが。その発言はドナウの公式な見解と受け止めてもよろしいので?」


「勿論です、宰相殿。貴国がユゴスに無茶な要求を突き付けているのもドナウは知り得ていますが、それについて何ら抗議の声を上げていないのが何よりの証拠です。そもそもが独立国家の外交に部外者の我々が口を挟む方が不作法でしょう?ホランドとユゴスの争いにドナウが首を突っ込むのは筋違いです。これが王族同士の婚姻関係にあるレゴスであれば、親族の危機に我が国も黙っていませんが、良い取引相手でしかないユゴスでは扱いが違います。もっとも、レゴスがこの戦いに首を突っ込むのであれば、親族として止めに入りはしますが」


 この言葉にカーレルを初めとしたホランドの重鎮達も、筋は通る主張かと一定の理解を示す。ホランドでも王家同士の婚姻を最重要視するのは常識であり、ドナウがどちらかを切り捨てるとなれば、レゴスを残す選択は納得出来る。


「私の国の先人達が残した言葉に『国家に真の友人は居ない。あるのは打算だけである』というものがあります。この言葉は為政者にとって万国共通認識だと考えておりますが、ホランドでは相違ありますか?」


「――――いや、貴方の言う通りだ。自国の利益を第一に優先するのは、王族として当然の判断だ。そして、我々ホランドにとってもドナウと手を取り合う事で利益を見出せるのは否定しない。

 だが、これまでのドナウの行動を見るに、本当に我々と友好関係を築けるのか疑わしいものだが。特に国境に軍を張り付かせて、演習を繰り返しているようですが、それはどう説明するのです?」


 アラタの打算に満ち、一切の情念や感情を取り払ったかのような冷徹な言葉に眉を顰めつつも多くの者が共感を持つ中、唯一バルトロメイが疑惑を投げかける。一度痛い目を見た彼からすれば、ドナウで一番警戒しなければならない男の言葉を額縁通り受け入れる事は、自国を存亡の危機に晒す行為と考えている。

 だが、この程度の皮肉など想定の範囲内だったアラタは涼しい顔をして釈明する。


「彼等はサピン軍が貴国の領土から勢い余って、ドナウに侵攻してこないように見張っていた者です。そして現在の任務は、サピンの難民がドナウに入り込んで、治安の悪化を誘発させないように監視するのが任務です。

 我々も彼等難民には手を焼いていますよ。彼等は生きる為に平気で犯罪に手を染めて腹を満たし、夜露を凌ごうと文字通り必死に行動しますので、どうにかして国内に入り込ませない様に今も警戒が必要なのです。下手に追い散らしても、すぐに戻ってくるので、目に見える形で武力をチラつかせていないと、民の安全を保障出来ません。

 ホランドの方々には少々目障りに見えるでしょうが悪しからず。我々もドナウの民の身を預かる以上は手抜きは容認出来ません」


 今の釈明はまったくの嘘ではないが全てでは無いだろう。しかし現にドナウに多数のサピン人が追われて来ているのはホランドも把握しているので、為政者の責務を盾に取られると同じ責任を持つ者として否定し辛い。さらに、そのような難民を作り出したのは他ならぬ貴国だと、言葉にしないが非難めいた目をドミニクらに向けていた。

 それに対し、ホランド人の中には不要なサピン人など見つけたら即殺してしまえば良いと、内心面倒な手段をとるドナウを馬鹿にしていたが、流石にアラタの前では口にはしなかった。

 バルトロメイもドナウの主張は単なる建前でしか無いと見抜いていたが、ドナウ軍が越境したわけでもホランドの領土に攻撃をしたわけでもなく、明確に自国内での演習で済ませている以上、この程度の追及しか出来そうに無かった。


「貴国の主張は理解したが、込み入った話は祝いの席では不適切であるし、即答出来る件案でも無い。

 歓待の用意を整えてあるので、返答をするまで暫しこの城に逗留せよ。なに、祝い客である貴殿らに不自由などさせぬ」


「ははっ、過分なご厚意痛み入ります陛下。それではユリウス殿下も、また後ほど杯を共に酌み交わしましょう」


「相分かった。その時は貴殿の息子の誕生と、両国の今後の新たな友好に乾杯といこうではないか」


 流石に祝いの席で政治的な対立は相応しくないと判断したドミニクが待ったを掛け、謁見を一旦中断する。アラタも最初の掴みは悪くない感触だった事と、後は条件次第で交易を開ける事に満足感を覚えていた。ユリウスも祝い客が友好を結びたいと差し出した手を叩くほど浅慮ではなかったので、素直にアラタの誘いを受け入れた。

 様々な思惑が巡る中、大きな騒動は起こらず、使節団の仕事は一応の成功を収めたと言えるだろう。



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