第128話 価値観の相違



 ネウジルの厚意に甘える形で使節団は野営することにした。と言っても使節団は二十人を超えており、彼等とほぼ同数だったのでテントには入れず、野宿に変わりはない。ただ、今夜は彼等の牧羊犬が狼の警戒をしてくれるので、護衛の騎士や従士は寝ずの番をしなくて済んだのを喜んでいた。

 ホランドの遊牧民は最小の一家族から多ければ数十を超える家族による集団によって部族を構成する。その家族も血縁関係がある人間ばかりのケースもあれば、まったく関係の無い家族が寄り集まって作られる事もある。家畜の羊や山羊も最低百頭から多ければ数千頭を保有する大集団として草を求めて移動する事もあり、定住する他の国の国民には理解の及ばない生活を営んでいた。

 アラタ達が厄介になるネウジルの部族は、族長のズビニを頂点とした血縁による小集団であり、外から嫁に来た女性を除けば全員血のつながりがある。中には集団を維持する為に外の血を取り入れようと旅人に娘を一晩提供して子を成す事も珍しくないが、今回は年頃の女性は一人も居なかったので、残念ながら使節団はお預けを喰らっていた。

 と言ってもアラタ達は存外歓迎されており、今も家畜を何頭か解体して宴会様の肉を用意していた。そこで少し気になったのが、彼等が小麦粉を薄く焼いたパンを作っている事だ。ホランド人は農耕を殆どしないので、穀物は滅多に手に入らないのだが、彼等は小麦粉の扱いに手慣れていた。アラタがそれとなく調理している中年の女性に聞いてみると、


「あたしが子供の頃には殆ど食べた事なかったけど、ここ二十年ぐらい前から時々王様がくれるんだよ。他所を攻め落として、そこで手に入れて来るから、褒美にもらうのさ。あたしはそんなに好きじゃないけど、あんたらドナウ人はよく食べるんだろ?旅人への気配りってやつさ」


 女性の説明を聞いて納得した。この小麦粉は攻め滅ぼした三国から税として集めた食糧なのだ。それをホランド王家は褒美や給料として国民に配っているのだろう。普段は遊牧民は口にしないだろうが、こうした外国から来た旅人への食事に使うということか。これを聞いたらセシルは不愉快に思うだろうが、ここは素直に気を遣ってもらっていると感謝しておいた。

 天幕の準備を手早く終えた団員たちは、それぞれが寛いだり脚竜の世話をしている。アラタも旅の初日に手伝おうとしたのだが、周りから『頼むから何もしないでくれと』とお願いされたので、名目上の監督役に徹していた。どうやら最上位の役職に雑用などさせたら外聞が非常に悪いらしい。学の無い者なら率先して動けば信頼を得られる事もあるのだろうが、ある程度地位を気にする者ならどっしと構えていて欲しいのだろう。

 そんなわけで若干暇を持て余していると、一緒に付いて来たジャックが話しかけて来た。


「ジャック殿もセシルのお守りから外れて暇を持て余しているようですね」


「否定はしませんよ。若は今、貴方からの課題に四苦八苦していますから、私がしゃしゃり出ては却って為になりません。

 それにしてもホランド人と仲良くしろとは、中々難しい事をおっしゃる。プラニア人にとってホランドとは不倶戴天の敵でしかないというのに、正反対の事をしろとは」


「唯の一国民ならそれで構わないだろうが、彼はこれからのプラニアを背負う人材だ。となれば国益より感情を優先させて動く事は絶対にしてはならない。どれだけ不愉快な相手でも笑顔で接する技術を磨かなければ困るのはセシル自身だ。

 それに、これから我々はその怨敵の居城へと足を踏み入れるのだから、今日彼等ホランド人と出会ったのは幸運だろう?何せ予行演習が出来るのだから」


 アラタの言葉にジャックは仰る通りです、と全面的に同意する。アラタがセシルを連れて来たのも、敵の真の姿を見せる事と、その敵と相対して感情的にならず、冷静さを失わない理性を養わせるのが目的だからだ。多感期の少年には中々難しい話だが、セシルの置かれている状況を鑑みれば必須技能なので、反対意見は無かった。

 そして当事者であるセシルは、若干の隔意を抱きながらも表向きは友好的に振る舞い、年の近い少年達に積極的に近づいていた。



 日が傾く時刻には宴会の準備は整い、それぞれが車座になって良く焼けた羊肉を齧りつつ酒で喉を潤していた。


「いやー、何度飲んでもドナウの酒は美味いのう。儂等の作る乳酒よりずっと飲み応えのある酒じゃ」


 アラタの隣に居た族長のズビニが、心底美味そうにドナウ産の果実酒を飲んでいる。彼等が普段飲んでいる乳酒のアルコール度数はおよそ1~2%程度で、その数倍の度数をもつ果実酒は彼の言う通り、強くて味も良い。他の部族の男達もみな美味そうに酒をグビグビと流し込みつつ、それに負けじと団員達も酒を煽っていた。


「お前達ドナウ人は酒を造るのが上手いな。俺達ホランド人は乳酒を愛し、乳酒を友とするが、この酒はそれよりずっと美味い。俺達は今の生活に不満がある訳じゃないが、この酒を毎日飲めるのは素直に羨ましく思う」


 ズビニの隣で同じように果実酒の入った椀を煽るミールが、賛辞を述べつつも若干面白くなさそうにしている。彼等にとって先祖代々から引き継いで来た家畜を従えた放浪生活を今更辞める気はないが、他国から入ってくる輸入品に惹かれるのも否定しない。

 彼等の賛辞に酒がそれほど好きでもないアラタは当たり障りのない礼を言ってお茶を濁し、その代わりに焼けたばかりの羊肉を齧って美味いとだけ零す。


「そうじゃろう、そうじゃろう。お前さんの食べとる肉は儂等の財産じゃからの。草原の民は生まれた時からヤギや羊の肉を喰らい、乳酒を飲み、大地を駆けて、老いて大地へと還って行く。今まで父祖たちがそうしてきたように、儂等もそうあるべきじゃ。まっ、時々酒はこっちも飲みたくなるがのう」


 そう笑いながらズビニは果実酒を飲み干す。

 他の男達もかなり酒が入ってきたようで、ネウジルの男の一人が上着を脱いで従士の一人を手招きする。どうやら彼と戦いたいらしい。お互いに裸になった男達は、互いの肉体を掴み合い力比べに興じている。


「俺達にとって強さは厳しい大地を生き抜く武器だからな。草原の民の男なら誰でも幼い頃から鍛えている。竜から降りても俺達は強いぞ」


「知ってますよ。ただまあ、我々もそう弱くはありません。今、組んでいる男は王を護る強者です。例え無手でも無様な戦いはしませんよ」


 ミールの言う通りホランド人は幼少期から身体を鍛える。そうでなければ寒く厳しい放浪生活には耐えられない。その積み上げられた強さが西方随一の精強さを誇るホランド兵の下地だった。

 だがそれはドナウの騎士やその従士にも言える事だ。彼等も多くは生まれた時から戦う事を命じられ、休むことなく己を鍛え続けた男達だ。肉体的頑強さはホランド人と何ら変わりがない。

 互いに力の限りを尽くし相手に土を着けようとするが、最終的に相手を投げ飛ばしたのは従士の方だった。ネウジルの方からは落胆の声が聞こえるが、投げられた男は嘆くよりも先に勝者を称え、また従士も敗者に手を差し伸べ、称賛の声を送る。

 それに触発された男達は次々に力比べを申し込み、宴会はちょっとした相撲大会へと早変わりしていた。その中にセシルも混じって同年代の少年と組んでいる。

 そんな若者たちの力比べをズビニは勝ち負けに関わらず楽しそうに眺めながら酒を飲んでいる。


「お前さんたちは強いの、儂等草原の民は強いもんが大好きじゃし、強い王に従うのが喜びじゃ。だから今の王のドミニクに従うのも文句は無い。そしてドナウ人がホランド人を戦場で殺しても、それはお前さんたちが強かっただけで恨んだりはせんよ」


「そう言う事だ。戦場での命のやり取りをいつまでも引きずるのは好かん。だが、負けっぱなしも気に喰わんから、いずれもう一度戦って倒させて貰うぞ」


 ズビニもミールも数年前にドナウに負けて自国の兵士数万が殺されても怨み言一つ漏らさず、いずれ殺し合いをしようと物騒な物言いだったが、そこに憎しみは含まれていない。


「儂等は最近戦に参加しておらんから個人的な怨みがドナウにある訳じゃない。

 サピンやプラニアの時には弟や息子が死んどるが、だからと言って、そいつらを恨んどるわけじゃない。殺してるなら殺されもする、そうじゃろう?」


 随分と達観した死生観だと、アラタは二人と今まで出会ったホランド人とを比較して、あるいは彼等の方が遊牧民本来の死生観ではないかと思い始める。

 アラタがサピンの地で出会ったホランド兵は大なり小なりドナウへの敵愾心を持っており、エリィを強姦しようとした兵を殺したアラタやガートの命を何度も狙って来た。そこには雪辱を晴らすと同時に怨みを晴らそうという感情も混じっていた。

 仲間を殺されたのだから憎むという感情は当然なのかもしれないが、ネウジルの面々を見ているとドナウ人を恨んでいる様子は欠片もない。当事者でないのだからそれまでと言う事かもしれないが、どうも違うように見える。


「不思議に思っているな。まあ仲間や身内を殺されたら相手を憎むのは当然だが、戦の中での命のやり取りにまで怨みを持ち込んではならんと、俺達は父祖から教わってきた。

 最近じゃ街に住む奴らはそれを忘れているらしいが、俺達はずっと覚えている。だからお前がどれだけホランドの同胞を殺しても、それが戦場なら怨む気は無い」


 つまり同じホランド人であっても草原に居続ける部族と、放浪を辞めて街に定住した者達とは価値観の相違が生まれているという事か。この価値観の違いを煽り立てればホランド内の不和を誘発させられるのではと一瞬考えたが、それには強い王であるドミニクが邪魔になると考え、現状彼を排除する手段が乏しい事から効果が薄いと判断せざるを得ない。それに加えてユリウス王太子が居るなら王位の継承は滞りなく行われる以上、ドミニクだけを排除してもホランドは簡単に揺るぎはしないだろう。両方が決定的な失態を犯し、王族が頼りにならないとホランドの部族がそっぽを向かねば、この国は割れてくれない。

 早々上手く行かないのは分かっているが、現地の人間の声が聞けただけでも収穫はあったと言える。



 アラタが酒を酌み交わしつつどうやってこの国を荒そうかと考えていると、隣の二人から歓声が上がる。


「あの少年かなり強いの、うちの小僧達じゃ相手にならんわ」


 ズビニがセシルを指さして、その強さを褒めている。先ほどから彼は同じ年頃の少年達三人と相撲をしているが、三人とも簡単に投げられている。投げられた三人は悔しそうにしていたが、反対にセシルはホランド人を良い様に負かして非常に嬉しそうだ。勝利の味に酔っていると見える。


「変わった投げ方をする子だな。ドナウにはあんな投げ方があるのか?」


「いえ、あれは俺が教えた戦い方です。まだ基礎しか教えていませんが、同程度の体格相手には十分過ぎるようですね。一応手加減して、関節を極めていないし頭を叩き付けていないので怪我はさせていないでしょう」


 出会ってから半年間、暇を見てはセシルに地球統合軍式の格闘術を教え、それなりの形になっている。ミールの変わった投げ方というのは腕だけを絡め取って投げる技の事だ。

 護衛の騎士達やネウジルの男達は相手と組んでから帯や胴を掴んで力で投げているが、それと比較すれば腕を搦めて体重移動を重視するセシルの投げ方はかなり毛色が違って見える。

 手加減してあれか、と二人は感心するが、同時に身内の子供達の不甲斐なさを残念にも思っていた。

 アラタもセシルが言いつけを守って殺し技を使わなかったのは、まあ褒めてやって良いと思ったが、勝ちに酔いしれているのはマイナスだと評価している。祖国の敵であるホランド人を負かして良い気分なのは理解出来るが、行き過ぎると増長しかねないので、彼の父から教育を任された者の義務として後で釘の一つは刺しておこうと決めた。



 使節団一行のホランド人との接触は友好的で実のあるものだったが、アラタにとっては課題の残る結果とも言えた。



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