第125話 外交使節団



 ドナウの冬は雪が多く厳しい寒さだが、そろそろ厳しさが緩み、草木の新芽が地面から顔を出し始める三月の中頃。ドナウ北部の港町グランポスの湾港には何台もの竜車が留め置かれていた。どの車も細部にまで手の込んだ装飾を施されており、さらに一部の車両にはブランシュ王家の紋章である鷹の翼が拵えてあるのを見る限り、ただ事ではないのはドナウ国民ならば容易に想像出来た。

 それもそのはず、この竜車の集団はホランドへの外交使節団であり、ドナウ王国の代表として他国に赴くのだ。生半可な装いで他国に足を踏み入れる訳にはいかない。その為、これらの車は全てが王家所有であり、最も格式高い竜車は王族専用だが、今回はアラタの為に用意された物だった。

 この待遇に国内貴族、特に反レオーネ閥の貴族が反発していたが、今回の使節団は正式にカリウス王の名代としてユリウス王子に祝辞を述べるのだ。それがみすぼらしい竜車ではドナウの沽券に関わると、他ならぬカリウスが一喝したので、それ以上の騒ぎ立ては収まっていた。勿論アラタへの反発が弱まる訳では無かったが、外野の煩い声は鳴りを潜めていた。

 湾港には何隻ものガレー船が停泊しており、その船に人足達が次々と荷物を運び入れている。今回ホランドへは民間輸送船と護衛の海軍二隻が同行するので、その物資の数は決して少なくない。祝いの品の中で最も多いのはドナウ産の蒸留酒で、特に最近人気の高いアブサンの上物をあるだけ積んでいた。他にも砂糖やガラス製品も積んでいたが、他国に比べるとその人気は低いと言わざるを得ない。ホランドにとって華美な装飾品や嗜好品などは、軟弱な精神の求める物だと切って捨てており、質実剛健な品ほど好まれる傾向にあり、酒は例外的に好まれるだけだった。


「積み荷は順調に積み込まれていますので、夕刻には諸々の準備は整います。今夜はこの街で一泊して、明朝天気が良ければ出立いたします」


「分かりました、では使節団の者には明日の朝遅れないように通達を。それと明日から暫く街には立ち寄れないので、羽目を外したいなら今の内にしておけと。ただし、もし出港に間に合わなかった場合は構わず置いて行くと言い含めておいて下さい」


 港で荷の積み込みを監督していたアラタと使節団の副団長エドガー=シュターデが今後の行程を確認し合っていた。護衛を含めれば二十人を超える使節団の団長は勿論国王の名代であるアラタだが、実際の雑務を取り仕切るのは外交官であるエドガーの仕事だ。彼はアラタに特に興味が無く、自分の仕事を全うする事に情熱や労力を傾ける仕事重視の人格だった事と、数度ホランドに特使として赴いた経験から副団長に任ぜられていた。そして護衛には近衛騎士団からウォラフを始めとした六人が派遣されている。


「承知しました、ではレオーネ殿はいかがいたします?積み込みにはまだ時間が掛かりますので、ここの監督は他の者に任せても支障はありません。街の宿で休まれますか?」


「そうですね、我々がここに居た所で人足達の仕事の邪魔でしかないか。一人二人監督と伝令に残して我々は宿で待機しておきましょう」


 偉い人間にじっと見られ続けるのは現場からすれば有難迷惑でしかないので、港に数人残してアラタ達は街の宿へと戻って行った。その姿を見送った労働者達はほっと一息ついて、ようやく重圧から解放されたと互いに笑い合っていた。アラタの言う通り、貴族の偉い人に見つめられ続けるのは存外にプレッシャーになっていたらしい。それが外れて漸くのびのびと仕事が出来ると愚痴が所々から聞こえていた。



 宿へと戻った一行は、それぞれ寛ぐ者や街へ散策に出かける者など思い思いの方法で時間を潰している。総責任者のアラタはフラフラ出歩けないので宿で待機していたが、後学の為に連れて来たセシルは護衛のジャックと共に初めて見る港町と貴族の邸宅ほども大きな船には目を丸くするほど驚いていた。セシルにとって海は話に聞いているだけの未知の世界だったこともあり、見る物触れる物全てが新鮮で、歳相応に騒ぎながらあちこちを散策している。

 そしてもう一人アラタが連れて来たのがエリィである。近習扱いのセシルと違って彼女は使用人としての同行だった。現在はアラタの横で給仕を務めている。


「済まないなエリィ、俺が責任者として留まっていないと他の者が困るんだ。出来ればお前にも街を散策させてやりたかったが」


「気を遣わなくても良いですよ。元々今回はアラタ様の使用人として付いて来たんですから、御主人を放って置いて遊びに行くなんて出来ませんよ」


 と言いつつもエリィはお茶を飲みながら開け放たれた窓から北の海を眺めて寛いでいた。まだ冬が明けたばかりの寒い日だが、エリィにとって馴染みの薄い海の景色は飽きる事の無い娯楽なので、部屋の中でも退屈はしなかった。


「そう言えばヴィルヘルムの結婚式が終わってすぐに使節団として王都を離れてたな。自分の事ながら慌ただしい事だ」


「確かに翌日に出発してますから、落ち着きが無いですね。それにしてもヴィルヘルム様も可哀想ですね、新婚早々仕事が山積みで、奥様に構ってあげられないんじゃないでしょうか。きっと今頃書類に埋もれていますよ」


「ご愁傷さまといった所だな。留守の間、上手くクリスが回してくれれば良いんだが難しいだろうよ。けどまあ、ここは仕事と割り切ってもらわねば。俺とてマリアやアンナに会えないのは少し寂しいのだから、義兄弟として辛さは分け合っても文句は出ないだろうよ。何よりオイゲンの顔を見れないのは悲しい」


 割と身勝手な事を口にして義兄弟の新婚生活を邪魔しているアラタだったが、実際には結婚式を見届けるまでホランドへの出立を待っている程度には親族のヴィルヘルムを大事にしている。ただし、大事にしているからこそ酷使しているのも事実だった。

 余談だが団員の中には婚儀に参列していた外交官が入っており、前日に浴びるほど酒を飲んで二日酔いになってしまい、死にそうな顔で竜車に揺られて、度々吐き戻しており、それに乗り物酔いをしやすい者が誘発されて絶賛嘔吐祭りを道中引き起こしてしまい、旅の先行きの悪さを助長していた。


「私もいつかは結婚してオイゲン様みたいな赤ちゃんを産むのかなあ。うーん、未来の自分が想像出来ない」


「それはお前がまだ子供だからだろう。あと何年かしたら好きな男も出来て、結婚したいって自分から言い出すよ。その時は祝福してやる」


「好きな人かあ、けど近くに居る男の子は子供っぽいし、大人の男の人もカッコいい人が居ないしなあ。お城の貴族の人達は結構カッコいい人が居るけど、あたしみたいな平民は相手にしないし」


 エリィにとって同年代の少年は知性や品も無く、魅力を感じない相手だった。では年上の男はと言うと、大して違いは無く、強いて言えば貴族の中にお眼鏡に適う者は居ても、エリィ自身は幼い平民だったので見向きもされない。同じ屋敷に居るセシルなどはそれなりに評価しているのだが、彼が幼馴染のローザを放って子持ちのマリアに熱を上げているのを目の当たりにすると、『無いなー』と呆れていた。

 自分でも何故こうも男性への敷居が高いのか良く分からず、一時は同性の方が好みなのかと自身の性癖を疑ったが、マリアとアンナの情事を知っても何の感慨も沸き立たないので違うと思っている。かと言って男に興味が無いわけでもなく、妄想で男に押し倒されるのを想像して悶々とする事はそこそこあった。


「このままじゃ、選り好みし過ぎて一生独り身になっちゃいそうです。―――あっ!もし良かったらアラタ様が私を貰ってくれませんか?そしたらずっとあたしを傍に置いて、お仕事任せられますよ」


 にひひと笑いながらシナを作って誘惑しようとするが、13歳の少女に色気の欠片も見いだせないアラタには珍妙なポーズにしか見えなかった。何を馬鹿な事を言ってるんだこの娘は、と呆れかえり、どうせあと数年も経てば自分で男を見つけて結婚したいと言い出すだろうと、楽観的に構えていた。


「はいはい、お前が20歳超えても、碌に他の男を好きにならなかったら主人の責任として貰ってやるよ。まあ、そんな未来は来やしないだろうがな」


 西方で20歳過ぎても独り身の女など年増扱いされる上に早々居ないので、その場での単なる口約束か冗談にしか過ぎないのだが、エリィにとってアラタと過ごす日々は心地よい物があり、このまま一生一緒に過ごすのも悪くないと感じている。流石に汚れ仕事をするのは気持ちの良い物ではないが、今のような満ち足りた生活を手放すのを惜しいとも思っていた。

 対してアラタも二年以上共に居た少女には仕事面で随分と助けられており、出来ればずっと手元に置いておきたいとも考えていたが、そうなると今度は彼女自身の幸せを奪う事になってしまうと理解していた為、惜しいと思いつつも好きな男を見つけて家庭を築いてほしいと願っていた。

 この仕事よりも身内の幸せを最優先に考える甘さがアラタの弱点であり強さでもあり、狂気を内包する精神に残された数少ない良心でもあった。

 この親子のような二人の主従関係が今後どう変化していくかは、未来を見通せない人間に知る術は無かった。



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