第126話 女子会



 ソフィー=ガイスト改めソフィー=ベッカーは新妻である。現在16歳のまだまだ遊びたい盛りの少女だが、夫を持ち家庭を預かる身となった以上は、夫やその家に尽くすのは当然だと両親から教育されているので、不満など漏らす事は無い。

 夫となったヴィルヘルムとは数回会っただけだが、すぐに真面目で優しそうな人だと分かり、結婚には肯定的になれた。夫の実家の人達はみな優しく迎えてくれて、縁談を決めた父には感謝している。

 ただ本音を言えば、夫の実家が領地持ちだったらと思わずにはいられない。自身の家が領地を持っているので、格が釣り合わないと周囲から馬鹿にされるのは、自身にとっても夫やその家族にとっても不本意極まりないのだが、領地など気軽に持てない事ぐらいは女の自分でも理解出来るので、耐えるしかないのが悔しい。

 出来ればこれから夫や義父に頑張ってもらい、小さいながらも領地を持てれば外の喧騒も少しは収まるだろうと、毎日疲れて帰って来る夫を優しく出迎えるのが今自分に出来る仕事だと考えていた。

 と言ってもただ出迎えるだけが貴族の女の仕事では無い。屋敷に籠りっぱなしでは情報に疎いままであり、先んじて貴族間の情報を仕入れておくのが無用な諍いや避ける相手を知る事に繋がると父から教わっている。その為に友人を多く作り、常に噂を集め続けておくのは必要な仕事だと胸を張って言える。

 そう、今の状況は決して己の快楽の為ではない。例え目の前の皿に盛られた焼き菓子から漂う甘い匂いに心を躍らせているのはきっと気のせいだ。例えそれが王都でも殆ど出回らない貴重な砂糖を使ったお菓子を前にしてもだ。


「クレームブリュレという焼き菓子よ。砂糖を使っていて、甘くてとても美味しいの。お代わりもあるから遠慮なく食べてね」


 同じテーブルに就いている女性から声を掛けられて、意識を慌てて声の主へと向ける。今回のお茶会の主催者であるマリア王女が微笑みかける。どうやら自分は差し出された菓子に心を奪われていたように見えていたらしい。それは誤解なのだが、王族相手に生意気な口を聞くなど不祥事も良い所だったので、言われるままに菓子を口に頬張る。


「―――――んんっ!!」


 言葉にならない美味しさとはこの事なのかと、感動すら覚えてしまう。濃厚な卵の味にハチミツとは違った砂糖の甘み、僅かに残る果実の酸味と蒸留酒の香りが程よく混ざり合って舌を楽しませる。

 菓子などおまけでしかないというのに、どうしてこれほど自分の心をかき乱すのか。菓子にそんな事を問うても返事が返ってくるはずも無いが、ソフィーは言わずにはいられなかった。



 菓子を口にしながらだらしなく頬を緩ませるソフィーと同じ顔をしている女性達をマリアとアンナは満足げに見ている。今回のお茶会はレオーネ家が主催しており、ホスト役を務める二人にとって客を楽しませるのは義務でもあるし、純粋に知人や義理の姉妹に楽しんでもらいたいという心遣いでもあった。

 茶会にはソフィー以外にオレーシャとロベルタが、それとアラタと共にホランドへと旅立ったウォラフの妻エヴァが参加しており、ほぼ同年代の身内の集まりに近かった。オイゲンやエヴァの連れて来たトーマスは現在、使用人やクロエ達が面倒を見ており、彼女達と同様に焼き菓子を頬張っているだろう。


「私はレオーネ様が羨ましく思います。このような美味しい菓子を当たり前のように食べられる国とは、まるで御伽話の楽園ではありませんか」


 エヴァがうっとりしながら一口一口を丁寧に味わい、自分達の想像の及ばない極上の美味が溢れていると予想されるアラタの故郷に思いを馳せる。

 ソフィーやオレーシャもそれに同意する仕草をしており、主催の二人はその反応に満足げだ。


「ふふ、お客様に気に入って頂けて嬉しく思います。私達もこのお菓子を始めとして多くの料理を味わう機会に恵まれていますが、少しでも他の方々にもお裾分け出来ればと、日ごろから考えているんです」


「アンナの言う通りね、私達だけ良い思いをしてたらきっと恨まれるもの。アラタも出来れば多くの人に楽しんでもらいたいって日頃から色々な料理を厨房の使用人に教えているのよ。お城に居た時もよく厨房に出入りしていたみたいだし、軍の炊事兵にも同じように教えているとか」


「アラタ殿は楽しみを一人で独占する事の無い人なのですね。早く私とエーリッヒ様の赤ちゃんにも、こんな美味しい物を食べさせてあげたいです」


 妊娠してから六か月程度経過し、お腹が大きくなっていたオレーシャが、自らの下腹部に宿る命を優しい手つきで撫でる。エーリッヒに嫁ぐ前は平気な顔をして竜を乗り回し、弓を射る女傑振りを隠そうともせず、結婚しても日課と称して城内で弓を射るのが度々問題視されていたが、妊娠が発覚するとそれらをぱったりと止めてしまい、軽い散歩程度で運動を済ませていた。こうした変化はマリアにも共通しており、母親として子供を第一に考えていると周囲は胸を撫で下ろしていた。


「けど、あの人甘い物あんまり好きじゃないのよ。子供の頃に気持ちが悪くなるぐらいに山ほど食べさせられたから、もう食べたくないんですって。他にも脂っこい食べ物も好まないし、意外と好き嫌いがあって何だか子供みたいよね」


 クスクスと自分の夫の私生活を女性達に暴露すると、彼女達は意外な事実を知りマリアと同様に笑いを零す。酒を好まないのは有名だが、細かい食の好みまでは中々伝わらないので、こうした身内からの情報は貴重だった。

 西方人からすれば黄金より貴重な砂糖を幼い頃から厭と言うほど食べているというのは少し想像し難いが、出始めの頃よりは手に入りやすくなっている事と、元々製糖技術はアラタが持ち込んだ物なので、彼の故郷では古くから流通しており、それこそ孤児が食べるのを拒否するほど手に入りやすいのだと一応納得していた。



 甘いお菓子に舌鼓を打つ女性達の話題は食べ物から自分達の旦那の話へと移り始める。唯一ロベルタは未婚だが、年頃である事とカールへの想いもあり、話にはそれなりの積極性を見せていた。


「ソフィーは結婚してお兄様とは上手くいってる?貴女もお兄様も真面目だからおかしな事にはなっていないとは思うけど」


「はい、義姉さま。ヴィルヘルム様は私に良くしてくださいますし、ベッカーの家の方々は皆私を温かく迎えてくださいました」


 五日前に結婚したばかりのソフィーは顔を赤らめつつも、義姉に素直に答える。良くしてもらっているというのには、夜の生活も含まれているのだろう。家柄や年齢からソフィーもヴィルヘルムが初めての相手なのは疑う余地が無い。

 ロベルタ以外には身に覚えのある恥らいだったので茶化す事は無いが、彼女達は一様にニヤニヤとソフィーの初々しさを楽しんでいた。


「新婚はアツアツで羨ましいわ。私も結婚した頃は貴女のような熱もあったけど、何年も一緒に過ごすと段々とそれが当たり前になって来て、夫への関心が薄れていくのよ。特に子供が大きくなっていくと、私も夫も興味がそっちに移るの。それはそれで良い事だと思うけど、時々寂しさも感じるわ。

 だから最近はもう一人、作ろうって頑張ってるのよ」


 この中では一番結婚期間の長いエヴァが夫婦間の感情の変化や問題点を幾つか挙げていく。ウォラフとエヴァは仲の良い夫婦だが、それでもすれ違いや喧嘩も経験していた。特にウォラフの仕事が忙しいと寂しさからつい強く当たってしまうのだという。


「エーリッヒ様は私が身籠ってからよく側女と寝ていると聞きます。あの方は次期国王ですし、私自身が側室の母から生まれたので、そういうものだと承知していますが、それでもやっぱり面白くありません。

 皆様の旦那様はどれぐらい側女が控えているのですか?」


 オレーシャはエーリッヒが別の女と寝ているのが気に喰わないと彼女達に漏らす。勿論エーリッヒ本人の立場を考えれば、当然の行為なのだと頭では理解していても、自分の番が見知らぬ女に取られていい気になる女は居ない。例えそれが自分と出会う前からの関係だとしてもだ。

 医療技術の低い西方では、四人に一人が幼少期に命を落とす過酷な環境だ。平民に比べれば貴族は恵まれているものの、大きな差は無い。それ故に女性は出来る限り子を産み、経済状況が許せば男は多くの女性を囲い子を産ませる事が容認されている。特に王族は跡継ぎを絶やさぬ事と婚姻による結び付きを重視するので、子供はどれだけ居ても困ることはない。


「私は結婚以前の夫の事はあまり知りませんが、トーマスが生まれてからは外に女を作っていると聞いた事はありません。周囲に匂いも漂わせていませんが、以前ホランドへ和平交渉に赴いた時に接待を受けたと自己申告してもらいました」


 エヴァは自己申告と言っているが、恐らくは詰問されて喋らざるを得なかったのだと彼女を除いた五人は直感で察した。ただ、エヴァからすれば継続した関係でもなく、夫もそれを引きずっている様子も見当たらなかったので安心していた。

 それも無理なからぬ事で、ホランド人に情が移ったなどと根も葉もない噂を立てられたら、不祥事として他の貴族から足を引っ張られかねないのだ。用心に越した事は無い。


「お兄様はドナウに戻ってからは娼館に出入りしているでしょうが、特別親しい女性は居なかったと思います。外交官として東に赴任していた頃は居たと思いますが、まさかドナウにまで連れて来るとは思えません。ですからお兄様はソフィーだけのものですよ」


 アンナに夫の内情を教えてもらったソフィーはほっと安堵の息を吐く。新婚早々、浮気の可能性が低いと知り、今後も安心して夫に尽くせると分かったのは大きい。

 周囲の女達が次々と夫や身内のシモ事情を暴露し合っていると、気にはなるものの段々と居心地が悪くなってきたロベルタが気まずそうにしていると、それに気づいたマリアがロベルタを安心させようと話しかける。


「カールはまだ側女は居なかったはずよ。父や兄がそろそろ弟に宛がうつもりだったみたいだけど、丁度貴女達がドナウにやって来たの。だから弟はまだ誰とも寝てないわ。ロベルタが最初の相手になるんじゃないかしら?」


「え、いえ、その私はカール様とそうした関係では――――そ、それにあの方より年上ですし、もっと相応しいドナウの女性が傍に居るべきです!」


 ロベルタがしどろもどろしながらカールとの関係を否定しようとするが、それを聞いたマリアやアンナは大きく溜息を吐いて彼女を窘める。


「貴女、妹達の嫁ぎ先は熱心に探しているみたいだけど、貴女自身の嫁ぎ先だって必要でしょう?その点カールならブランシュ王家が手助けしてあげられるから問題は無いわ。それに、アラタも貴女が弟に嫁ぐのに寧ろ賛成しているのよ。二歳程度の歳の差なんて誤差よ誤差」


「そうですよロベルタ。それとも、他に好きな方が居るのですか?それでしたら無理に殿下との仲を薦める事を今後は致しませんが」


 家主の妻達に追及されたロベルタは恥ずかしさのあまり俯いてしまう。自身に混じり気の無い純粋な好意を向けて来るカールに惹かれているのはロベルタ自身も気づいているが、いざ他人から指摘を受けると恥ずかしい物は恥ずかしい。ロベルタにとって祖父の願いと同じぐらい幼い妹達の今後の身の保障は重要なので、自分の幸せなど後回しでも構わないと考えているのに、周りはそれを分かってくれない。だが、同時に友好国でもない余所者の自分をこれほど気に掛けてくれるのは、素直に嬉しくもある。

 そんな複雑な内面をロベルタは隠したかったので、咄嗟に話題を変えようとまだ話題になっていない家主のアラタの事を出して、追及を躱そうとする。


「と、ところで、レオーネ様にはそう言った側女の方はいらっしゃらないのでしょうか?私はまだ数か月程度しか、あの方を知らないのですが」


「そんな相手は居ないわ」


 瞬時にアンナがロベルタの意見を否定する。正妻のマリアよりも早く発言するのは褒められた行為ではないが、マリア自身も発言を否定していないので周囲は気づかない振りをしている。


「あの方は気が多い人ではありません。私とマリア様以外に自分から関係を持とうなどと考えたりいたしません。アラタ様は誰よりも誠実な方です、浮気などするはずがありません」


「アンナの言う通りよ。彼は外で側女を作るような男ではないわ。仮に作るとしたら政治的に仕方なく作るか、でなければ私達に真っ先に打ち明けるわよ。

 そもそもアンナがこの屋敷に居るのも『アンナを日陰の女にしたくない』って押し通したからなのよ。それだけ無茶な事を公然と主張するなら、隠し事なんてあり得ないわ」


 二人はロベルタの言葉に怒っている訳ではない。むしろ、自分達の旦那が如何に大切に思ってくれているのかをドヤ顔で他の者に力説していた。アラタの性格や気質から大凡その通りであり噂通りなのだが、それを直接聞かされた側は口の中に砂糖以外の甘さが込み上げて来ていた。

 そして外野からすれば夫婦の仲が良いのは結構な事だが、アラタの男である以上、万が一外で女を作ったら二人がどんな行動を執るか、夫への信頼が裏返った場合の未来を想像するだけで恐くなる。


「ですがそれでは人が少なくなり、家が保てなくなるのではありませんか?貴族の倣いは家の存続と葉脈を広げる事にあります。少し下世話ですが、出来ればレオーネ様には王家の一門の担い手として多くの子を成し、他家との繋がりを作っておくのが、いずれドナウの一端を担うオイゲン様の為になると夫のウォラフも申しておりました」


 嫡子が生まれ、幸福に包まれるレオーネ家に水を差したく無いものの、ドナウ貴族の端くれとしてエヴァは、マリアに睨まれてでも諫言せねばならなかった。

 嫌われる事も受け入れるつもりだったエヴァだが、当のマリアは特に気にする事なく、心配しなくても良いとあっけらかんとした笑顔を見せる。


「心配してくれるのは嬉しいけど大丈夫よ。だって私が十人くらいあの人の子を産めば問題は解決するでしょう?これからオイゲンの弟や妹をどんどん作ってどんどん産めば、みんな安心するわ」


 最高に良い笑顔で先程以上の惚気を聞かされたアンナ以外の女性陣は軒並み『聞いているこっちが恥ずかしい』と顔を引きつらせていた。

 そして隣のアンナは、自分に出来ない役割をマリアが担うのを申し訳ないと思いつつも、愛する男の子を何人も産めるマリアが心底羨ましいと羨望を抱いていた。



 ―――――同時刻、ガレー船に乗っていたアラタは何度もくしゃみをして、隣に居たウォラフに風邪を引いたのかと心配されていた。



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