第118話 老人の欲望、若人の狂気



 ヨハン達と別れたアラタは腹ごしらえの為に食べ物を扱う出店を物色していた。冬の吹きっ晒しだったが、食い物屋の並ぶそこだけは調理の熱で、汗をかくほどに暑かった。

 出店の料理は多種多様で、焼いた肉を取り扱う店やパンを出す店以外にも、熱いスープを飲ませてくれる店もあり、寒さの厳しい季節だったことから大盛況だ。勿論酒を取り扱う店もある。

 中には見慣れた餃子のような点心を取り扱っていたり、フライドポテトやピザを提供する店もあった。一年前から軍経由で広まった料理で、元はアラタが軍の炊事班に教えた料理でもある。ただし、微妙に形や使われている材料に差異がある所を見ると、店主がアレンジを加えたのか、単に正確に調理法が伝わっていないのか判断が付かなかったが、喜んで食べている客の顔を見るに、どちらでも良いかと、細かい事は気にしないことにした。

 アラタはその内の一つの店で、焼いた腸詰をパンに挟んだホットドッグのような料理を一つ買って歩きながら齧っていた。こうした出店は主に平民が利用する食べ物屋であって、貴族は殆ど利用していない。にも拘らず貴族の恰好をしたアラタが、安物の料理を齧りながら歩いている様は非常に目立っていたが、王都の人間なら短髪黒髪の貴族というだけで、すぐにアラタだと分かって、マリアとの子供が生まれた事を祝福する言葉があちこちから聞こえてきたので、その声に適度に手を振って応えていた。



 こうしてドナウ国民を眺めていると、外国の戦乱とは無縁の平和を実感出来るが、その平和も一体いつまで保てるかが気がかりだった。既にサピンの滅亡は多くのドナウ人が知る所であり、この王都にもかなりの数のサピンからの難民が逃げてきている。それだけならば、かつてホランドに滅ぼされた三つの国の民が戦火や迫害を逃れてドナウ全土にやって来ているので今更だが、決して放置していい問題でも無い。

 人間とは生きる為ならどのような汚い手段や犯罪にも手に染めるもので、それこそ数百の難民の一団が辺境の小さな村を殺し尽して、そのまま住民として居座ってしまう事も過去にはあった。それは極端な例だが、空腹に耐えかねて食べ物を盗むなどの軽犯罪などは日常的に行っており、治安悪化の一因となっていた。

 立地条件からサピンからドナウへ来るには現ホランドのプラニア領を通る陸路と、船を使用する海路しかない。現在サピンは要所をホランド軍に抑えられており、都市部を避けて街道から外れた辺境を通ればドナウに来る事は可能だが、食糧の問題から辿り着く前に餓死するケースが殆どで、着の身着のままでは自殺行為に等しかった。それでも一抹の望みをかけて続々とドナウを目指すサピン人が難民となってドナウに入り込んでおり、王政府は治安の悪化を懸念していた。

 一応、警戒の為に国境線や海岸線に直轄軍が張り付いて演習を行っているので、纏まった集団がやって来たら保護してほしいと、アラタはオリバーに頼んでいるが、彼は難色を示していた。西方では人道主義など欠片も存在せず、他国人など助ける義務など微塵も無いのだから、オリバーの反応は当然だった。

 と言ってもアラタも特別人道に厚い訳では無く、難民の中にもドナウで有効活用できそうな人材がいる可能性を指摘して利を説いているだけだ。サピンはドナウより冶金技術や鉱山開発に優れており、西方一と言われている。難民の中にはそうした技術を持った人間が居ないとは限らず、より優れた技術や知識を取り込める可能性があるなら、粗雑に扱うより優遇したほうがドナウにとって利になると説明すると、多少はアラタの言い分を認めてくれた。そしてどの道、治安維持は軍の仕事なので、下手に追い散らしてバラバラに国内に入り込まれて、生きる為に犯罪を犯されるよりは、一纏めにして監視したほうが労力が少ないと判断した事も無関係ではないだろう。最悪、使い道の無い人間でも、どこかの未開拓地域に最低限の農具や食糧を渡して、まとめて放り込んで開拓事業に従事させてすり潰してしまえば良いかと、割り切っていた。

 軍もホランドに滅ぼされた国からやって来た難民の相手をした経験があり、形振り構わず生きる為に文字通り何でもやった難民を知っていたので、出来る限り労の少ない手段で治安維持に勤めたいとは日頃から思っていた。

 アラタも独断での頼みではなく、前もって宰相やエーリッヒに同じ話を持って行っており、難民の為の臨時予算の許可も貰っていた。実はオリバーが納得してくれたのは、この臨時予算の存在が大きい。誰だって身銭を切って見ず知らずの他人を助けるのは抵抗があるが、国が相応の予算を用意してくれるのなら、仕事の一環と割り切って言われた通り働くだけだ。

 さらに足りない分は自腹を切って私費で賄われており、財産管理を任されていた家令のアルベルトは、息子と大して歳の変わらない若い主人が突き付けた必要経費の書かれた書類を前に、金額と非常識な行為でしばらく呆然としていたが、拒否は出来なかった。

 こうした施しは、外国人であるのを除けばドナウ貴族にとって珍しい物ではないし、伴侶であるマリアが責任者となった外国人用孤児院の運営の延長と思えば、多少苦しいが納得出来ない事も無いのだ。これもまた未来への布石の一つであり、成果が芽を出すのは数年後の事である。



 アラタがドナウの平和を尊いと感じつつ、サピン人の悲哀を他人事と思わず打てる手を打っておく事を考えながら歩いていると、後ろから名前を呼ばれたので振り返ると、あまり出会いたくなかった人物の顔だったので、仕事用の作り笑いを浮かべても、少しぎこちなかった。


「これはゲーリング神官長殿、大任ご苦労様です。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」


 失礼にならない程度の挨拶をして、アラタにとって唯一と言っていい苦手な人物と別れたかったが、相手の老人はそれを知ってか知らずかその場に引き留めた。


「いえいえ、今回私はあくまで名前だけの責任者です。仕事は全て部下に任せていますので、置物と変わりありませんよ」


 優秀な者が多いので楽が出来ます、と朗らかに笑うロートはどこにでも居そうな好々爺然としており、相手の警戒心を下げる容貌だったが、アラタは該当しなかった。

 ロート=ゲーリング神官長――――ドナウの宗教の頂点に立つ老人であり、義理の祖父であるミハエルの四十年来の友人。そして齢65を過ぎた高齢でも女好きを公言してやまない好色爺だ。そして今回の竜レースの総責任者でもある。


「ここで会ったのも何かの縁です、私の所でお茶でも飲んでいきませんか?以前から貴方とは少しゆっくり話をしておきたいと思っていましたので」


「―――神官長殿のお誘いとあらば断る訳には参りませんね。ただ、私も人を待たせていますのであまり長居は出来ない事はご了承ください」


 心情的には出来れば遠慮したいのだが、拒否するにはこの老人は地位が高く、また正当な理由も無い以上、やむを得ないと思い、ロートに同行することにした。



 アラタが連れてこられたのは貴族の特設席からちょうど反対にあるレース運営本部の一角だった。本部とは名ばかりの簡素な机と椅子が置かれているだけの、機能性を重視した造りになっている。一応布を壁代わりに設けているので風は凌げるが、防寒性は無いに等しかった。どの道今回のレースの間だけ使用するのだから、凝っても仕方が無いと割り切っているのだろう。

 本部は思ったよりも人が少ない。恐らく決勝戦の準備に追われており、最低限の人員だけ残して、手の空いている者は全て出払っているのだろう。そして、その中に何故かアラタも見知った顔があり、向こうも顔を見て何故いるのか不思議そうにしていた。


「なんじゃ、おぬしもここに来たのか?そういえばこのレースはおぬしの発案だったと耳にしたが、何ぞ仕事でもあるのか?」


「私は何も関わっていないよ。ゲーリング殿のお酌を断る理由が無かっただけだ。ミハエル翁こそ、大会運営に参加しているとは聞いていませんが」


 アンナの実の祖父であり、アラタにとっては義理の祖父でもあるミハエルが、湯気を立てているお茶を飲みつつ、二人を出迎えた。国王の相談役を務めるミハエルが王家主催のレースに顔を出さないのは色々と都合が悪いのだが、老体には吹きっ晒しの屋外は堪えるので、ここに厄介になっているのだという。

 立ち話も何なので、アラタとロートはミハエルの隣に座り、残っていた使用人にお茶を淹れてもらうと、まずミハエルが話を切り出す。


「おぬし、博打が好きじゃったのか?城におった頃はそういった話は聞いてはおらんのだが」


「今回はブルーム殿に誘われたので付き合っただけですよ。賭け自体はしたが、四回とも知り合いに一口買っただけで、儲けようとは考えていませんよ。まあ、レース自体は楽しかったですが」


「ははは、それは何よりです。レオーネ殿は昨年のレースには参加出来なかったようですが、今回は楽しんで頂けたようですね。

 大会責任者といっても、成り手が居なかったのでお鉢が回ってきたような物ですが、やってみると中々面白い物です。ただまあ、実際の運営は全て部下の神官達が担っているので、こうして私は暢気にお茶を啜れるわけです」


 それに、乗るなら竜より女の方が好みです、と好色丸出しの感想を口にしてアラタを呆れさせ、友人のミハエルは仕方の無い奴だ、と苦笑していた。

 二人の老人は孫と似たような年齢のアラタを挟み、世間話に興じている。平均寿命の短い西方で65歳を超えて生きているのは幸運な部類であり、お互いによく生きたと、互いの人生を振り返りつつ、若いアラタに教訓とも説教ともつかないような話を向ける。


「おぬしはこの国に骨を埋めるつもりだろうが、故郷の事はもう良いのか?儂らの歳ぐらいになると、後は生まれ故郷に埋められて、安らかに眠る事が最も幸福だと考えるものだが、孤児とは言え望郷の念に駆られる事はあるだろうに」


「無いとは言いませんが、無いに等しいですね。元より待っている人間も殆ど居ませんし、遺書も書いている以上、覚悟を決めて戦場に赴いていました。仮に今から帰ろうとしたら、マリアやオイゲン、そしてアンナを置いて行くという事ですよ。そんなこと出来ませんし、貴方達もそれは困るでしょう?」


 身内であり付き合いの長いミハエルに疑われているのが気に喰わなかったので少々棘のある言い方になってしまったが、アラタの偽りの無い本心だった。生まれたばかりの息子を捨ててまで帰る程、地球に愛着など有る訳が無い。あるいは怨敵であるライブがまだ健在であったなら、迷いもしただろう。しかし、アラタの中ではもう終わった事なのだ。だからこそ、新しい人生を歩もうと踏ん切りを付けて今まで生きてきたというのに。


「まあまあ、レオーネ殿も落ち着いて。ミハエルも悪気は無いのですよ。ただ、我々老人はもう先が無いので、色々と不安にもなるのですよ。特に、この国の行く末は未だに予断を許さない。もし貴方がこの国を去ってしまえば、最悪ホランドに滅ぼされる未来も無いとは言い切れないのです。そうだろうミハエル?」


 ミハエルとアラタの不穏な空気を散らそうと、ロートが仲裁に入る。普段のアラタならこれほど感情的にはならないが、相手がミハエルだったので、少し素が出てしまった。相変わらず身内には甘く、歳相応の対応になってしまうのを改めないと、と思っても上手く行かない。


「とにかく、ホランドを滅ぼしてもこの国を離れる事は無いので心配は無用です。後は若い者に任せてお二人はそろそろ隠居生活を満喫してはどうでしょうか?」


 皮肉を言うつもりは無いが、二人の年齢を考えればもう仕事をせずに、毎日悠々と過ごしてもどこからも文句を言われるような事は無いのだが、心外とばかりに二人は『まだまだ若い者には負けん』と息巻いていた。こういう偏屈な老人が何時までも現役のつもりで居座っているから、いつまでたっても世代交代が出来ないのではと、内心思っていたが、要らぬ諍いは求めていないので黙っていた。


「それにしても相変わらずホランドには容赦が無いのう。おぬしは西方の人間でもないのだから、ホランドに怨みなど無いというのに」


「仕事だから手を抜かないだけです。元よりホランドもドナウの存在を許さない以上は、どちらかが滅ぼされるまで遣り合うしかないでしょう?後顧の憂いを断つには根こそぎ焼き払う方が余計な面倒が残らない分、次の世代の為にもなる。

 俺はマリアやアンナがよってたかって凌辱されて、父親の顔も分からない子供を産ませたくないから、相手を舐めて掛からないし、例えホランド人を絶滅させる事になっても構わない。それだけです」


 一切の感情が抜け落ち、冬の寒さとは異なる、聞く者の心を凍えさせるような口調で、アラタは敵対国家の全存在を否定した。そして、自らの妻達に振り掛かる災厄を絶対に認めないと、確固たる意志を以ってこの国の未来を憂う老人達に宣言する。

 ミハエルにとってこの青年との付き合いはそれなりに長いものだが、時々恐ろしさを感じる事がある。ドナウ人でないのだから、生い立ちから来る違いは当然あると分かっていても、自分達と価値観が違い過ぎる。強い者と戦うと喜びを感じると、以前口にしていたのは知っているが、それでも一国を淡々と滅ぼすと口に出来る精神は異常としか言えない。ホランド王ドミニクの様に、領土的野心から攻め滅ぼすなら、納得はしないものの理解は出来るが、彼にはそのような野心は微塵も感じられない。為政者としての義務感や責務も無いのに、ただ妻子の為に数百万の人間の生き死にを抱え込める精神は狂気と言う他なかった。

 ロートはこの青年が己の死を特別恐れていないのではと感じ取っていた。日常的に死と隣り合わせの生活を送り続けて、死への恐怖が失われていると見立てている。そして、彼が真に恐れているのは、自らの家族や近しい相手が己の死を悼み、嘆き悲しむ事ではないか、ロートにはそう思えてならなかった。彼にとっては神もホランドも等しく無価値であり、精々が潰すとすっきりする害虫程度の認識でしかないのかも知れないと推測していた。

 二人は自分達の三分の一しか生きていない若者が一体どのような人生を送れば、このような狂気染みた価値観を有する人格が形成されるのか。彼の故郷だという地球への興味は尽きなかった。



 その後、幾らか世間話を続けて、ミハエルが死ぬ前にはヴィルヘルムとソフィーの子供が抱きたいと、中々に欲張った願いを口にしている。彼等の結婚式は冬が終わったら執り行われる予定なので、最短ならあと一年程度待っていれば叶うのだが、そこでアンナの子供を抱きたいと言わないのは、孫娘の身体に気を使っているからだろう。紆余曲折あって側室に収まったアンナの事を残念に思う心はあるようだが、今の所アラタやマリアと仲良くしているので好きにさせてやりたかった。

 他家に嫁いだ娘の産んだ子の子供、つまりは外の曾孫がいるのに、まだ幸せを求める老人を見て、アラタは人間の欲には果てが無いのだなあと、決勝レースが始まるまでの間、老い先短い老人の強欲さを実感するのだった。



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