第117話 勝負の時



 新しい年を迎えたドナウでは十日前後休むのが通例となっている。その間は平民も貴族も休みを取って、ゆっくりと過ごすものだ。勿論城や貴族の屋敷で働く使用人の様に、その間に働く人間は一定数必要だが、基本的に城での元日の祝賀会以外は大きな行事は執り行わない事になっているので交替で休んでいた。他にも治安維持の兵士や近衛騎士もそれらに該当するので、完全に仕事がなくなる訳では無い。



 ただ、今年は少々事情が異なる年始となっていた。

 ドナウ歴495年1月5日、王都フィルモアではちょっとしたお祭りが開かれていた。年末の年越し祭りのように出店などは開かれていないが、多くの住民がそわそわしており、お祭りと何ら変わりのない雰囲気を醸し出している。

 今回の祭りの主催場は街の外であり、現在休耕地となっている麦畑に巨大な楕円形の柵が二重に設置されており、地球人類が見れば競技場だとすぐに分かっただろう。その外側の柵を囲むように多くの人々が立ち並んでいたり、そこから離れた場所では多くの出店が立ち並び、子供相手に大道芸を披露する芸人などもいる。人の集まる場所があれば自然とやって来て商売をするのが商人という生き物だった。

 競技場の大半は雪が軽く積もった野ざらしの吹きっ晒しの草原でしかないが、ある一角だけは階段状に木製の長椅子が数多く備え付けられており、多くの貴族が席を埋めていた。そしてその最上段には風避けの天幕が張られて、如何にも貴人用の特等席と言わんばかりの上質の席が三つ設けられており、そこには国王カリウスとエーリッヒ夫妻が踏ん反り返っていた。


「ははは、今日は晴れて良かったですなレオーネ殿。先日まで雪が降っていたので雪の中で観戦せねばならぬと覚悟していたが、今日は暖かく、まさにレース日和だ」


 隣の席には法務長官のジークムントが座り、上機嫌でレースの開催を今か今かと待ちわびていた。普段の彼は法の番人として厳格が形になったかのような生き様をしていたが、こと賭け事に関してはその限りではなく、余程楽しみなのか手をしきりに擦り合わせていたり、身体を小刻みに振るわせて落ち着かない様子だった。

 アラタにとっては博打は大して興味の無いものだが、ジークムントから他の貴族の趣味に合わせる事で友好関係を広めるのも一つの手段だと教えられたので、まずは手始めに彼に付き合う事にした。


「仰る通りです。やはりこういった催し物は晴れの日に限ります。しかし、人伝に前回のレースの盛況ぶりは耳にしていましたが、今回は前回の倍近い参加者や観客が居るようですね」


「そのようだな、参加者も前回に比べて数倍の応募があったらしく、予選でかなり振り落としたと聞く。それでも数が多かったので決勝進出を決める前座試合を行うように予定を変更したと、運営を任されたゲーリング神官長が言っていたよ。

 まあ、私として試合が増えればそれだけ賭けの楽しみも増えるから構わないのだがね」


 ジークムントは暢気に賭けの機会が増えたのを喜んでいるが、レースの運営を任された現場の人間は大変だろうと、アラタは彼等の苦労を心の中で労う。自分が一番苦手だと感じているロート=ゲーリングが総責任者だが、実際に大会運営をしているのは彼の部下である神官達なのだから、彼等にまで苦労しろとは言わない。

 アラタは関知していないが、このレースの責任者を決めるのに一悶着有ったようだ。カリウスから公平性を求められた事で、参加者の多い直轄軍や近衛騎士の人間は身贔屓と言われるのを嫌って断っており、開催地が王都の隣という事もあり地方領主では不適切、ならば宰相との声があったが、仕事が多いので手が回らないと怨み言を言われては、幾らカリウスでも無理強いは出来ない。

 結局はすったもんだして最後に神官長のロートが引き受けて丸く収まったという訳だ。まさかレース結果に不服だと言って高齢の神官長に食って掛かる者がいないだろうと、年功と権威を利用した回避方法も盛り込んでいるらしい。博打というものはそれだけ人間の本性を見せやすい遊びと言えるし、それでなくとも王家が開催する大会で活躍すれば立身出世も望めることから、国中の腕自慢が参加したがった。現に前回の優勝者である直轄軍の騎兵は、若い平民ながら昇格して少数部隊の隊長を任されたと聞く。出世の為なら多少汚い手を使っても結果を出したいと思うのが人間だと、皆分かっていた。


「私はほどほどに楽しませて頂きますよ。それにレース自体は賭けをしなくとも観戦するだけでも楽しめますから、子供にも受けは良いでしょう。

 前の方の席に丁度楽しんでいる二人がいますよ」


「ふむ、カール殿下とあれはサピンの娘か。どうやら殿下はあの娘の美貌にぞっこんらしいな。殿下もそろそろ側女を持つ年頃なら無理もない、あれほどの器量はドナウでも片手で足りんわ」


 アラタの視線の先には最前列に座って、レースの開始を楽しそうに待っている若い二人の男女の姿が見える。カールとロベルタは寒空の下で、周囲の目を気にする事なく肩を寄せ合っていた。周囲の貴族はレースよりそちらの方が気になっているようで、直視はしなくとも、時折様子を伺っていた。

 今回レオーネ家でレースを観戦するのはアラタとロベルタ、それと別の場所でエリィとその友達が、セシルとローザも平民に混ざって祭りを満喫していた。後の面子は出産を終えたマリアに付いて屋敷でオイゲンの面倒を見ている。


「本音を言えばロベルタの相手がカール殿下でホッとしています。あの娘の容姿はドナウに要らぬ騒動を起こしそうでしたので。それがカール殿下のお気に入りとなれば、幾らかは手を出そうという輩も減るでしょう。ただ、今度は殿下に近づこうとする者からすれば歯噛みしたい状況でしょうが」


「それはそうだろう。既に次の王位はエーリッヒ殿下に決定しているが、カール殿下とて王子だ。色々と美味しい思いをしたい者が近づいてくるのは必然だ。エーリッヒ殿下の側女とて、そうして引き合わされたのだから、傍から見れば君があの娘を殿下の元に送り込んだと思うだろうよ」


 また妬まれるな、とジークムントが鼻を鳴らして笑う。実際はカールがロベルタを見初めたのは、アラタの屋敷に来る前なのだが、詳細を知らない者からすれば、アラタがロベルタを使ってカールを骨抜きにしているようにしか見えないのだろう。

 尤も、元から王女を妻に迎えて子供まで作っているのだから、今更第二王子に固執する理由が無い以上、見当違いの妬みでしか無かった。


「私はロベルタの親戚でも何でもないのですが。ただまあ、そんな弁明した所で嫉妬に狂う者は聞き入れないでしょうね。

 ―――ブルーム殿が博打に熱を入れる理由が良く分かります。時々でも楽しい事をやっていないと、人間関係で嫌になりますよ。人付き合いが増えると利点も増える分、しがらみも同じぐらい増えますね」


「ははは、君も段々分かってきたようだな。

 人間と言うのは誰もが我欲を満たそうと生きている、その為なら折角先人達が作り上げた法を蔑ろにしても微塵も気にせず、あまつさえ自己を正当化しようと必死に他者を貶める。私は長年そんな輩を嫌と言うほど見てきて付き合いもした。賭け事はそんな私の職務を一時でも忘れさせてくれる数少ない娯楽なのだよ。

 おっと、もうすぐ最初の試合が始まるぞ。前評判では東のシンドラー領の私兵が速かったと聞いたが、どうなるやら」


 楽しい時間につまらない話は御免だと言わんばかりにレースに目を向けて、競技場に入って来た最初に走る十人の騎手と脚竜を品定めし始めた。

 前座のレースは四回あり、十騎が競技場を二週走って上位三名が決勝に出場する。その選ばれた十二人が決勝で競技場を五周走り、ドナウで一番の走者と竜を決めるのだ。

 その為、賭けも五回可能で、掛け金は一口銀貨一枚、一般的な平民の日当が銀貨1~2枚を考えれば決して安くは無いが、既にかなりの額が掛け金として集まっている。この掛け金を、当てた者が分け合うのだが、その前に大会運営費や勝者への賞金が割引かれているので、王家は全く金を出さずにドナウ国民を楽しませつつ、支持を得る事が出来た。

 アラタも少額だが付き合いで賭けをしている。ただし脚竜の良し悪しは分からないので、軍や騎士の知り合いが出場していれば、彼等に義理分で買っていた。


「まあ、賭けが当たらなくとも今日はレースを楽しませてもらいますよ」


 勝とうが負けようが大した出費や面子が掛かっていないアラタを始めとした観客からすれば、お祭りは楽しむべきだった。ただし、横にいるジークムントが目を血走らせていたのは怖かったが。



 数時間後、予定通り四度の前座試合は終了し、一旦昼の休憩を挟んでから決勝戦は行われる。賭けの方はアラタは四回とも一人分を一口だけ買っており、三回目のレースで勝者を当てていた。隣のジークムントも一回目と四回目の勝者を当てており、上機嫌で勝因を周りに吹聴していた。また、アラタは銀貨一枚分の掛け金だったが、彼はその二十倍の金貨一枚分を一度のレースで賭けており、今日一日だけで平民の年収分を博打で稼いだ事になる。

 ちなみに二回目の出場者の中に、アラタもよく知るマルクスが参加しており、彼は惜しくも二位だったので、アラタは賭けを外してしまったが、決勝には参加出来る事を喜んだ。

 時間潰しと賭けの配当を得る為に一旦席を辞して、出店を覗きに行ったアラタは見慣れた顔が居るのに気付く。


「お、エリィか。みんなも楽しんでいるか?」


「あ、アラタ様。脚竜レースって楽しいですね。柵のすぐ内側を何頭もの脚竜が駆け抜けて行くのは、すごい迫力でしたよ」


 エリィを始めとして、五人ほどの子供達がアラタに挨拶をする。彼等は皆、城の使用人で年齢も多少バラつきがあったが、全員が楽しそうにしており、祭りを満喫していた。それぞれ手には果物や肉を串に刺した食べ物を持っている。


「楽しんでいるのは構わないが、お前達は賭けには参加してはいけないぞ。あんなものは儲けようと思うと際限なく金が溶けていくから、幾ら金があってもする物じゃないからな」


 一応子供は賭博を禁止されているので大丈夫だと思うが、何事も例外は付き物なので、大人として忠告だけはしておく必要があった。


「大丈夫ですよ、アラタ様。私達は賭け事より、美味しい物の方が気になりますから。それに皆お小遣いは銀貨一枚以下ですから、そもそも掛けに参加できません。ほら、このラントのハチミツ漬けなんて凄く美味しいんですよ」


 エリィがアラタに見せた物は、ラントという桃に似た食感の果物を切り分けてハチミツに漬け込んだオヤツだ。ハチミツを使っているので少々値が張るが、たまの贅沢まで小言を言うほどアラタは口喧しくはない。他の子供達も羊肉の串焼きや、小麦を練った団子に魚醤を塗って焼いた物を食べていた。

 ここに居る子供達はエリィ以外は全員見習いなので給金は貰っていない。今回のようなお祭りでは彼等は親から小遣いを貰って買い食いをしており、給金を貰っているエリィを羨ましがったが、そのエリィは給金の殆どをアラタに預かってもらって、まったく使っていないと知ると、なら自分達と大して変わりがないのかと笑い合った。


「それなら心配する必要は無かったな。じゃあ、みんな気を付けて楽しむんだぞ」


 それだけ忠告するとアラタは別の出店を見る為にその場から離れた。残された子供達は高圧的な態度が微塵も無く、ただ自分達を心配する風変りな青年を不思議な生き物の様に見ていた。



 エリィ達と別れて配当を換金したアラタが適当に出店を見て回っていると、銀製品を取り扱う露天商の密集地帯に見た顔が有ったので声をかけると、彼は装いを正す。


「ヨハンか、今は休みだからそう畏まらなくてもいいぞ。装飾品を見て――――ふむ、お邪魔だったかな?」


「い、いえそんな事はありませんよ!ええっと、隣にいるのはアルマといいまして、その―――」


 アラタの視線がしどろもどろになっているヨハンの隣に居た女性に固定される。亜麻色の髪の、そばかすの目立つ16~7歳の平民の女性は、アラタを見てヨハンと同様に即座に畏まる。


「ご、ご機嫌麗しくレオーネ様。わ、私はお城で働いている使用人のアルマと申します。ヨハンさんとはその…良くしてもらっています!」


 アルマは人目を碌に気にする事なく、大声でヨハンとの仲を申告する。ただ、周りには彼等以外にも多くの恋人らしき若者達が商品を見ていたので、さほど目立ってはいなかった。

 ヨハンが言うには四回目のレースで一着を当てたので、その配当金で何か装飾品を買ってあげようとしたそうだ。


「そうか、ヨハンも良い相手が居るみたいだな。もう18~9なんだから西方では当たり前か、じゃあ俺はお邪魔みたいだし、他所に行こう。―――所で店主、今は真っ当に商売しているのかね?」


「ひえっ!その~あの時は誠に申し訳なく思っておりまして、まさか高名なレオーネ様とは露知らず。勿論今は誠実な商売を心掛けて、日々商いをしておりますので、何卒穏便に」


 ペコペコとアラタに向かって露天の店主が頭を下げる。よく見ると二年以上前にアラタがマリアと街を散歩をした時に、混ぜ物の銀製品を純銀と偽って売りつけようとした商人だった。本人は阿漕な商売は止めたと言っているが、それを頭ごなしに信じるほどアラタはお人好しではない。だが、過去の失敗を公然とあげつらうほど性根が腐ってもいなかったので、横に居た二人に幾つかの商品の値段を聞いてみる。取り扱っていた品は以前と同様に鉄の混じった銀だったが、今度は相場の値段とそこまで差異は無かったので、真面目に商売をしている判断し、過去の事は水に流す事にした。


「昔はどうあれ今は真面目に商売しているのなら俺は何も言わん。あんたから買った品は今も妻はよく身に付けているしな」


「私のような店を持たない木っ端の商人には勿体ないお言葉でございます!今後もそのお言葉を励みにさせて頂きます!

 ああ、そこのお二人はレオーネ様のお知り合いですね。お値段は勉強させて頂きますよ」


 揉み手でニコニコしながらヨハンとアルマに幾つかの商品を勧めていた。これなら詐欺に遭う心配も無いと判断し、二人の邪魔をしない様、その場を離れた。

 ただし、去り際にアラタはヨハンに耳打ちして、


「もし店主が態度を変えてぼったくろうとしたら、遠慮なく大声で叫べ。『この男は昔王女マリアを騙して混ぜ物の銀を純銀と偽ろうとした』とな。じゃ、頑張れよ」


 保険として過去の悪事を教え、ヨハンの肩を叩いて激励した。レースの決勝はまだだったが、彼にとっては今が勝負時と言えた。


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