第116話 極寒に芽吹く花



 新年があと三日に迫った日の朝、アラタの屋敷では二日前に生まれたばかりの息子オイゲンと居候も含めた八人でワイワイと喧騒に包まれながら朝食を摂っていた。まだ居候の四人が居なかった時は夫婦三人だったので、小さな丸いテーブルを使って食事をしていたが、一気に人数が増えたので現在は長方形の大テーブルを使用して、全員が同じ時間に同じテーブルで食事をしている。

 喧騒とは言うものの、煩くしているのは主に一番年少のラケルだけであり、それとアラタを除く他の五人は相応に躾を受けていたので、食事中に煩くする事はない。勿論アラタも士官学校で習った基礎とドナウに来てからミハエルに作法を教わっているので問題は無かった。


「ところで君達は年末はどう過ごすつもりだ?王都では年越しの祭りがあちこちで開かれるから、そこに参加しても良いし、屋敷でマリアやオイゲンとゆっくり過ごすならそれでも構わないが」


 ふわふわのオムレツを咀嚼し終えてから最初に答えたのはロベルタだ。彼女はアラタが持ち込んだこのフランス式オムレツが大好物で、毎朝食べなければ気が済まなかった。


「私は、表通りのお祭りに参加するつもりです。あそこは多くのドナウ貴族や大商人などが参加すると聞いていますから、知己を得るためにも、是非参加させて頂きます」


「私も表通りの祭りに参加します。カール殿下は参加しないようですが、他の学友から誘われいますので。…奥方様が屋敷に残るのは非常に残念ですが」


 ロベルタの後からセシルも参加の意志を示す。最後の一言は非常に余計だが、血迷った行為に走っていないのでアラタは聞き逃していた。

 面白い事にセシルはロベルタに同じ屋敷の居候同士という感情しか抱いていない。まだ15歳とは言え、ロベルタの美貌は絶世と言っても誇張ではなく、万人が見惚れる容姿をしている。アラタも最初に対面した時は、これほどの均整の取れた美貌が存在するのかと、人体の神秘に驚いたものだ。勿論心を奪われるような事は無いが、僅かだが心を動かされたのは事実なのだ。

 そんな絶世の美少女が同じ屋敷で寝泊まりしているとなっては多感期の少年には辛いだろうと、それとなく気を配っていたが、肝心のセシルはロベルタに一切恋愛感情や情欲を抱いていなかった。ただ、まったく関心が無いわけでもなく、それなりに会話もするし、お互いが友好関係を築こうと気を配る様子もあった。国を失った二人には似たような立場に立つ共感のほうが優先されるのかも知れないと、アラタは分析している。


「私はまだ出産の疲れもありますし、オイゲンの事もありますから、こちらでラケルとクロエと一緒に過ごします。アンナ、この人の事はお願いね」


 出産と言う大仕事を終えたばかりのマリアは、愛しい息子を揺りかごの中であやしつつ、まだ幼いラケルとクロエを面倒を見る為に屋敷で留守番をするつもりだった。アンナはその言葉に頷き、去年と同様、夫の同伴で表通りの祭りに参加するのを了承する。


「アラタとうさまもアンナかあさまもラケルたちといっしょにいればいいのに。おまつりってそんなにたのしいの?」


「全然楽しくない。本当はオイゲンやラケル達と一緒に屋敷で過ごしたかったけど、仕事だからしょうがないんだ。ラケルもお母様に好き嫌いせずに、何でも食べなさいと言われた事があるだろう?それと同じだよ」


 だからマリア母さんと一緒に留守番しててくれ、とアラタはラケルとクロエに頼むと、クロエは特別不満を顔には出さずに返事をするが、ラケルはあからさまに頬を膨らませて不満げだった。ラケルがアンナの事を母と呼んでいると、今度はマリアも同様に母と呼んで欲しくなったようで、ラケルにかあさまと呼ばせていた。それに引っ張られてアラタも父と呼ばれていた。流石にロベルタやクロエは分別があり、両親の事を考えると軽々しく他人を両親と同じように呼べないのだが、クロエは内心少しだけラケルが羨ましかった。

 仮初とは言え大家族になったレオーネ家の一年は穏やかに終わりを迎えようとしていた。



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 ドナウ歴494年大晦日の夕刻、王都フィルモアの至る所で篝火が用意され、年越しの祭りの準備が着々と進められていた。今年は第一王子エーリッヒの婚姻と、その正室の懐妊が知れ渡った事、さらにはマリアが無事に息子を産んだ事もあり、昨年以上の盛り上がりを見せていた。大国ホランドに打ち勝ち、その数か月後に王女マリアの婚礼が執り行われた余韻に引きずられて、去年の祭りも大きく盛り上がっていたが、今年の祭りはそれ以上の規模になっている。

 今月の初めにサピンが滅び、その報が王都に知れ渡ってから既に半月程経っていたので住民には周知の事実だったが、誰もが楽観的に構えており、祭りにも暗い影は皆無だった。むしろ、仲の悪い国が滅んで清々したと言う者も一定数存在し、哀悼の意を示す者は少数派だ。

 さらには明日は我が身と恐れを抱く者はもっと少数派だった。もしもう一度ホランドが戦いを挑んできても、もう一度軍が返り討ちにしてくれると、碌に情報を持たない平民達は好き勝手な期待を王家や軍に抱いている。兵士も兵士でそんなドナウ国民の歓声に気を良くして、俺達に任せておけと大口を叩くので、さらに国民は熱狂してしまい、王政府は国民の支持を良しとしながら同じぐらいに危惧を抱いていた。古来より民意に逆らって上手く行く為政者など存在しないのは、専制君主国家の王であっても例外は無い。それらの熱狂をどう誘導するかが、王の手腕と言えるだろう。



 所々で王家や軍を称える催しが開かれる中、アラタは側室のアンナと居候のロベルタと共に、表通りの祭りの中を散策していた。一緒に来ていたセシルは既に学友達と合流して遊び回っている。

 表通りの年越し祭りは貴族や裕福な商人が参加する、平民主体の下町の祭りと比べて上品な印象が強い。祝い酒と言ってこれ幸いと浴びるように酒を飲む飲んだ暮れや、人気のない場所で盛る若者も居ない。一応子供向けの仮設遊技場などは備わっているが、多くは歌劇や芝居を見せつつ人との繋がりを確保する社交場としての側面が強く表われている。


「サピンにもこういった年越しのお祭りがあると父から聞いていますけど、ロベルタは楽しめそう?」


「そうですね、国は違いますがお祭りと言うのはどこもそれほど変わりないですね。勿論、違いは幾つかありますから、それを探すだけでも楽しいです。でも、エルドラに比べると少し寒いですね」


 ロベルタは初めて異国で年を越すので、今はもう亡い祖国の思い出を回想しつつ、分かりやすい繕いの奥底にある内心を二人に明かしていた。サピンはドナウより南に位置しており温暖な気候なので雪も殆ど降らない。温かい土地で生涯過ごしていた彼女にとってドナウは寒い土地と言える。ただ、寒いという心情は決して気象状況だけの印象では無い。家族を悉く失い、故郷を追われた彼女の心情こそが極寒の荒野に等しい心の吐露となったのだろう。


「ロベルタ、あまり気を張り過ぎるのも良くないな。先達として助言するが、これから君が相手をするのは手も焼いても食えない交渉の達人達だ。彼等相手に余裕の無さを見抜かれると、簡単に足元を見て安く買い叩かれる。

 そんな状況に陥るなら、今回はただニコニコして笑顔を覚えてもらうだけに留めておいた方が良い」


 アラタがロベルタの心の内を汲んで、助言しつつも気を遣う言葉を掛ける。外見は既に成人とほぼ変わりない年頃のロベルタだが、まだまだ十代の少女なのだ。圧倒的に人生経験が足らず、外面を取り繕っていても所々に荒が目立つ。これでは魑魅魍魎の貴族達相手に良いように丸め込まれてしまうだろう。勿論アラタも傍に居て手助けするつもりだが、交渉の主役はあくまでロベルタだ。あまり出しゃばる事は出来ない。


「レオーネ様の御忠言ありがたく思います。今の私には故国で散った家族や一族の方々の無念や託された願いを背負っているのですから。どんな侮蔑や下劣な視線でも甘んじて受け入れましょう」


 そういう心情を相手に見透かされて足元を見られるのだとアラタは内心思っていたが、それを言って素直に聞くようなら苦労は無い。

 ロベルタが祖父のマウリシオや両親から託された望みはアラタ達も聞き及んでいる。『生きて血を残せ』――――簡単な言葉に聞こえるが、碌に頼るべき大人も知り合いも居ない異国の地で幼い子供を抱えて不自由なく暮らすのは容易ではない。だからこそロベルタは幼い従姉妹が安心して暮らせる貴族の嫁ぎ先を熱望していた。

 これが唯の平民なら、それなりの土地を持つ農民の家に嫁に入るなりすれば食うには困らない。

 だが、ロベルタ達は貴族なのだ。例え国が滅び領地を全て失っても、その誇りだけは捨ててはいけないと頑なに信じていた。それ故に平民のアラタと王女の結婚は全ての国の王侯貴族が狂気の沙汰とまで称したのだ。どれほど困窮し命の危機に晒されても、貴族の最期の拠り所は手放せなかった。


「そこまで言うなら俺が言うべき事は無い。ドナウ貴族の紹介はこちらで受け持つから、君の好きにしてみるといい」


 これ以上は何を言っても無駄だと悟ったアラタは、せめて隣でこの悲痛な覚悟を背負った少女の壁役に徹する事を考えていた。



 この後、三人は表通りをあちこち歩き回り、目についた貴族や近衛騎士にロベルタを紹介しつつ、挨拶回りを繰り返していた。彼女を初めて見た者は誰もがその美貌に呆気に取られ、男は年齢を問わず、その磨き上げられた宝石のような少女を独占したい、あるいは組み強いて穢したいという欲望を掻き立てられた。それと同様に、夫や父親に同伴していた貴族の女性もロベルタの美貌に嫉妬や憎悪の視線を向けて、出来る事ならその美しい顔を壊してやりたいという欲望をひた隠しにしていた。

 その中には義兄弟兼部下のヴィルヘルムが婚約者のソフィーと共に祭りを楽しんでいたが、三人を見かけて挨拶しに来たのは良いものの、ロベルタの容姿に呆けてしまい、隣にいたソフィーから肘鉄を受けてしまうという醜態を晒す一幕もあった。幸い、すぐに我を取り戻し見惚れていた事を隣の少女に謝罪した為、その場は丸く収まったが、実の兄の情けない姿にアンナは小さく溜息を付いてしまった。


(これは拙い。友好的な顔繋ぎどころか、無用な諍いの物にしかならん。生まれ持った容姿なのだから彼女に非は無いのだが、突き抜けた天賦の才がこれほど他者の妬みを買うとは予想外だ)


 万人を魅了する容姿を持った彼女が生まれ故郷のサピンではどのような生活を送っていたのか非常に気になる所だが、今はそれどころではない。屋敷に逗留する前から彼女の美しさは噂に上っていたが、まさかこれほどとは予想だにしていなかった。他者の容姿にさほど興味を持たないアラタでも数瞬言葉を失うのだから、他者にはそれ以上に感情を掻き立てられてしまうのだろう。美しい容姿というのはそれだけで物事を優位に運べる武器になるものだが、行き過ぎれば害悪にしかならない典型と言えた。

 ロベルタが大貴族の一員だったので今まで無事に過ごせていただろうが、これが平民の娘だったら貴族がどのような手段を用いても、愛妾として召し上げられていたと想像に難くない。

 これでは幼い従姉妹の嫁ぎ先を考えるよりも先にロベルタ自身の嫁ぎ先を探しておかないと、彼女を巡って余計な諍いが貴族間で流行しかねないと、アラタはドナウの行く末を危ぶんだ。



 一通り目についた貴族への挨拶を済ませたアラタは、少し休憩を入れようかと考えていた時に、見覚えのある少年とその護衛らしき騎士が歩いていた。向こうはこちらに気付いていなかったので、こちらから先に挨拶をすると、向こうもアラタに気付く。


「何故かここにはいない人物がいるように見えるんですが、どうして城で過ごさないのですか?」


「一体誰の事を言っているんですか?私はよくカール殿下に間違えられますが、たまたま名前が同じで顔も同じだけで、王子ではありませんよ」


 飄々とアラタの追及を受け流したのは、城に居るはずのカールだったが、本人が違うと言うのだから、違うのだろう。例え誰がどう見ても王子であっても、見て見ぬ振りをする情けぐらいはある。

 二年前にマリアが平民の祭りに飛び込んで行ったのに比べれば、まだ大人しいと言えるが、出来れば護衛の都合を考えて動いてもらいたいと、アラタは苦言を呈したかったが、護衛がすぐ側に居たので、あからさまに叱るのは色々と拙いと感じ、軽く溜息を吐いてから余り遅くまで遊ばないように釘を刺すだけに留まった。

 ただ、何となくそのまま帰すのは気に入らなかったので、前もって手に入れていた情報からちょっとした御節介を画策した。


「殿下でないカールにちょっと頼みがあるんだが、俺の連れ合いの一人を休憩を兼ねてそこの歌劇へ連れ立ってほしい。俺にはアンナが居て手一杯でな、歳もそこそこ近いから手を曳いてやって欲しい」


「はあ、確かに女性が二人居るようですね。姉上ではないなら、一体……ってなんでロベルタさんがここにいるんですか!?」


 暗がりだったのでアラタ以外の二人の顔がよく見えず、一人は名前を聞いて納得していたが、もう一人は完全に予想外の女性だった事から取り乱していた。さらにアラタには暗がりでもはっきりとカールの顔が次第に紅潮していくのが見えていた。


「夜分に御機嫌よう、殿下ではないカール様。ここにはレオーネ様に連れてきて頂いたんです。それから、私のような身寄りの無い女に王族の方が敬称は不要です。ああ、そういえば今の貴方は王子ではないのですから、このままで構いませんね」


 クスりと口元に指を当てて微笑を隠す仕草一つとってもカールには刺激的であり、ただただ頷くばかりだった。

 ロベルタとカールは面識がある。何度か城で顔を合わせており、その度にカールは顔を紅くしていたので、周りやロベルタ自身にもカールの心はバレバレだった。

 そしてそれを黙っているのも大人の情けだが、手助けしてやりたいと御節介を焼く事も時にはあるので、アラタは即興で二人に劇を見てこいと勧めた。

 護衛に付いて来ていた騎士は事の成り行きに口出しできないとすぐさま気付き、カールにそっと耳打ちして離れて控えている事を伝えた。その折に一言、『頑張ってください』と激励を受けていた。


「え、えっとそれじゃあ、暗いですから手を曳かせてもらいます」


「はい、よろしくお願いしますカール様。それではレオーネ様、アンナ様、行って参ります」


 ロベルタはカールに手を差し出すと、彼女の三歳年下の少年は恥ずかしそうにしながらも、壊れ物を扱うように繊細な力で小麦色の肌の手を取って、空いている席へと歩いて行った。

 残されたアラタとアンナも、そのまま帰る訳にはいかないので、少年達とは少し離れた席に座りながら劇を鑑賞する事にした。


「あのお二人ですが、上手く行くでしょうか?」


「それは今日だけの話かい?それともこれから未来についての話?」


 歌劇を見ながらアンナは、カールとロベルタの事を話題にする。劇は今年結婚したエーリッヒとオレーシャを題材にした恋愛劇で、未来の夫を一目見ようと単身異国までやって来た行動力を前面に押し出して、あちこちに王子を連れ回す珍道中として仕立て上げられている。二人とも脚本の為に性格などは原形を留めていない状態だったので、本来の二人を知っているアラタとアンナでもそこそこ楽しめる様になっていた。


「勿論未来の話です。殿下もそろそろ女性に興味を持つ年頃でしょうし、ロベルタへの反応を見れば殿下が彼女に恋心を抱いているのは分かります。ロベルタも殿下の事は嫌いでは無さそうですし、出来れば応援してあげたいんです」


「まあ、言ってる事は理解出来るさ。今日のロベルタへのあの粘着質な視線や、嫉妬や憎悪に比べたらカール殿下の初々しい恥じらいの籠った視線は心地良い物だろう。

 俺からすれば、幼い従姉妹よりもまずロベルタ自身の嫁ぎ先をとっとと決めてもらった方が色々と面倒が少なくて良い。それも相手がカール殿下なら政治的にも個人的心情でも申し分無いよ。今日の貴族達の彼女へ向ける視線を思えば、王家があの娘の庇護者になった方が血を見ずに済む」


 アンナは側室だったが、実際は恋愛結婚をしたような物なので、極めて困難であっても自分達の様に好きな相手同士で結ばれて欲しいと思っているし、アラタは今後のドナウの立ち回りを考えると、サピン王家の血をドナウ王家が取り込んだ方が極めて都合が良いと考えている。そして身寄りの無い絶世の美少女の行く末を考えると、その庇護者が強ければ強い程安心出来ると思っていた。


「もう!貴方はいつも政治を絡めて考えるんですね!貴方が情の深い人なのも知っていますが、たまには政治から離れて過ごして下さい」


 プリプリと怒ってアラタの頬を抓る。アンナとて貴族の生まれなので政治の重要性は少しだけ分かるが、こうしたお祭りの時ぐらいは煩わしい責務から離れてゆったりと過ごしてほしいと、夫に不満を漏らす。

 妻の言い分の分からなくはないが、王族のような公人にプライベートなど有って無きが如しと考えているアラタには、義弟のカールの未来を軽く扱う事は出来ないし、一刻でも面倒を見た少女の未来も真剣に考えているのだから、政治と切り離せない。


「分かった分かった。君の言う通りにするから、これ以上人の顔を抓るのは止めてくれ。ただ、二人がそれでよくても、外野がどうするかが分からないのだから、あまり騒ぎ立てるのは良くないよ。それは覚えておいてくれ」


 尤もこの国の人間がロベルタの抱えている手札を知ったら、どうにでもなりそうなのだが、当人がまだ伏せているのでアラタは黙っていた。



 この後、劇は滞りなく終わり、祭りも下火になりつつあったので、合流した二人にそろそろ屋敷に帰る事を告げると、カールは残念そうにしていたが、無断で城を抜け出した事を考えると、素直に戻るしかないと諦める。


「あ、あの、ロベルタ。また機会があれば私に付き合ってもらえますか?」


 おずおずとカールは、これからも付き合いを続けて欲しいとロベルタに申し出ると、彼女も満更ではない雰囲気をしている。ただ、少しだけ寂しさや明確な隔意も混ざったような複雑な感情も抱えている。


「―――私のような余所者で良ければ構いません。ですが、貴方にはもっと――――」


「おっと、二人ともそろそろ帰る時間だぞ。君達はまだまだ若いんだから、これからも会う機会は沢山ある。今すぐに決断をする必要性は全く無いから、今日はここまでだ。

 それからカール、この事は君の父にも耳に入れておくから、勝手に城を抜け出した事もちゃんと報告して叱られておくように」


 アラタが遠回しなロベルタの謝絶を妨害しつつ、まだ次があるから結論を急ぐなと、二人の仲を拗れさせない様にフォローを入れて、カールが城を抜け出した事にしっかり釘を刺しておく。

 その場は取り敢えず収まったのでカールは護衛と城へ帰って行き、残りの三人もそれぞれ帰宅する。



 帰り道にアンナがロベルタに、カールについての印象を訪ねていた。女性にとっての色恋沙汰は上質なお菓子のようなものなのだろう。


「そうですね、最初の印象は私の顔を見て顔を紅くしていたのが可愛いと思っていました。同じ年頃の弟や従兄弟の子も、佳人を見て同じようにしていましたから、殿下を彼等と少し重ねてしまいます」


 今は居ない家族の事を思い出したのか声が沈み、顔が伏せがちになる。二人がどうにかして話題を変えた方が良いかもと、口を開こうとしたが、『けど』とロベルタが続きの言葉を口にする。


「けど、私の手を曳く殿下の手がとても暖かく感じました。あのような暖かさで包み込んでもらえるなら、きっとその人は幸せでしょう」


 ロベルタがドナウにやって来て初めて作り笑いでは無い、心からの微笑みを見せていた。故郷も家族も失い、ささくれ立った極寒の不毛の土地のような彼女の心に、小さな花の芽が芽吹いた瞬間だった。

 そしてこの花の萌芽を枯らさぬよう、大人であるアラタが手を尽くす必要が生まれた瞬間でもあったが、本人にとってはやり甲斐のある仕事なので、不満には思わなかった。


(本人達が納得して幸せになれればそれでいいか。ドナウにとっても実益は大きいし、リトやセシルのような例もあるのだから、上層部を説き伏せるのも、そこまで難しくは無いだろう)


 軍人とは何の関係も無い仕事が年々増えて行く事に多少の疑問も持ちつつも、アラタは新年に向けて希望に胸を膨らませる。誰に話しかける訳でもないが、自然と願いが口から零れていた。


「無事にオイゲンが大きくなりますように」


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