第109話 社会科見学



「それでカール殿下も一緒に来たわけですか」


「もしかしてお邪魔でしたか?けど、私も以前からガラスには興味を持っていたんです。実用品だけでなくステンドグラスのような新しい芸術品の材料となるなら、放ってはおきませんよ」


 セシルがアラタにガラス工房の見学を願ってから数日後、アラタを引率役として見学会が催された。最初はセシルともう一人程度だろうと予想していたが、それに反して六人の見学者が居た。

 その原因がカールの存在だ。彼が真っ先にセシルの誘いに乗っており、それに続いて他の学友達も全員参加したのでこの人数になったわけだ。


「いえ、殿下を責めている訳では無いのですよ。単に予想外の人数だったものですから驚いただけです。何人参加しても構いませんから、お気になさらずに。君達も参加した以上は今回の見学で何かしら学ぶ事、良いですね」


「「「「はい分かりました、レオーネ先生」」」」


 セシルとカールを除いた四人も、アラタの言葉に元気よく返事をする。彼等はれっきとした貴族の子息だが、アラタを平民と軽視しておらず、相応の敬意を払っていた。



 一行は職人通りまで来ると、アラタを除く少年達は職人の怒声と金属の加工音を含んだ喧騒に些かの興奮を覚えていた。彼等は貴族であり、自ら工房を訪れる事は滅多に無いからだ。特にカールは城内の鍛冶場と懇意にしている芸術家の工房以外では、こうした工房を見た事が無かったので、百を超える様々な業種の工房に目を輝かせていた。


「今日はこの職人通りのガラス工房を見学させてもらうようお願いしています。一応護衛の騎士達が付いていますが、他の職人達の邪魔にならない様に離れて付いてきていますので、安全面から他の工房に目移りしても一人で勝手に集団から離れてはいけません。分かりましたか?」


 引率者の言葉にセシルを除いた少年達は、おかしな事を言う人だと顔を見合わせる。彼等は貴族であり、職人とは平民でしかない。そんな下々の者に何故自分達が気を遣わねばならないのかと、それなりに深い付き合いのカールでさえ顔に疑問符を付けていた。例外なのはセシルだけで、彼は故郷で農民と大差の無い暮らしをしていた事から、良い意味で階級の差を意識しておらず、単に人の仕事の邪魔をしてはいけないのだと認識していた。

 疑問には思っているようだが取り敢えずこちらの言い分を拒否する気は無いのだと判断したアラタは、予定通り許可を取った工房へと六人を引率した。



 一行がやって来たガラス工房は王都一と評判であり、以前アラタが望遠鏡用の凹凸レンズを試作してもらった工房でもある。今も職人達が準備をしながらそわそわと炉の火加減を念入りに調べていたり、しきりに道具の点検をして、高貴な身分の見学者に備えていた。


「お待ちしておりました皆様。本日はこのようなむさ苦しい場所に王族の方までお越し頂き、我々のような下々の者にまで関心を抱いていただけるなど末代までの誉れでございます」


 一行に跪いて出迎えたのは、白髪が混じった五十を過ぎた如何にも職人といった風体の厳つい顔をした男だった。


「いえいえ、お気になさらずにペーター殿。貴方がた職人の存在は国を支える重要な要素ですから、もっと胸を張って頂きたい。

 皆、こちらにいるのが、この工房の主であるドナウ一のガラス職人と評判のペーター殿です」


 六人の少年達はそれぞれ跪いたままのペーターに声を掛けていく。十代の少年に大の大人がへりくだっているその姿はアラタからすれば奇妙ではあっても、身分制度が強く根付いた西方では珍しくも無い光景だった。

 ただ、学友の一人が挨拶以外にペーター達職人を労う言葉も聞こえてくる。


「この工房で作られた虫眼鏡をおじいさまが『これで書類仕事がはかどる』と大層喜んでいた。これからも私達の為に良い道具を沢山造ってくれ」


 多少上から目線ではあるが、本心から感謝している事を彼等に伝えると、職人達は静かに喜びを噛みしめていた。彼等も自らの仕事に誇りを持って日々、腕を磨いているのだから、人から作品を褒められて嬉しくないはずが無い。



 挨拶を済ませると、早速ペーター自らが弟子達にガラス製造の行程を命じながら説明していく。


「こちらにあるガラスの元を炉で赤くなるまで熱します。十分に熱したガラスは柔らかくなりますので如何様にも形を変える事が出来ます」


 アラタを除く見学者達はガラスを溶かす炉の熱さに顔を顰めて汗を流していたが、普段自分達が目にして、使用しているガラス製品がどのように出来上って行くのかを興味津々といった様子だ。

 炉の上で熱せられた棒状のガラスの塊を焼きごてで取り出すと、塊を鉄の棒の先に付いている粘土の塊に弟子達が数人がかりで赤熱のガラスを巻き付けていた。

 この技法は地球では、巻芯法あるいはコアテクニックと呼ばれる古代メソポタミアやエジプトで使用されていた技法と同じ物である。

 何度も粘土の型に巻き付ける事で形が造られていき、最後は杯の形を形成して冷却の為に灰の中に放り込まれた。


「今のがガラス製の杯を造る行程の一部分です。後はゆっくりと灰の中で冷やしてから粘土を外して表面を磨けば完成します」


 少年達は生まれて初めてガラス製品の製造過程を見て、全員が興奮している。特にセシルは自分が見たかったものを間近で見る事が出来て、両手を固く握りしめていた。


「一つ質問が有るんだが、先程ガラスの元と言っていたが、ここではその元とやらは造っていないのか?」


 学友の一人がペーターの説明にあったガラスの元に疑問を持ち、質問していた。


「はい、この工房で使用しているガラスは全て別の場所から運ばれて来たガラスを加工して造っていますので、一からガラスを造っているわけではありません。ただ、このガラスの元は海辺の砂と何かの灰や塩を混ぜて熱して造られているとだけ彼等から聞いた事が有ります」


 ペーターが申し訳なさそうに詳しく説明できない事を謝罪していたが、知らない以上は仕方が無い。特に職人は生活の糧でもある自分の持つ技術を他者に教えたがらない事が多い。

 ただし、それだとカール達が不満に思う為、アラタは助け舟を出す。


「後は私が補足の説明をさせてもらおう。ガラスを構成している物質は砂や石の中にある珪砂という光る粒がある。これを熱する事でそれが砂から溶け出す。その時に植物灰か私の国ではトロナ石と呼んでいる岩塩の一種の粉末を混ぜて焼く事で、この工房で使われているガラスが出来る。ちなみに色付きのガラスはそこに金属粉を混ぜる事で多種多用な色が出せるんだ」


 少年達はアラタの説明に感心したようで、しきりに頷いていたが、それを同じように聞いていたペーターは、どうして自分達本職の人間より詳しいのだろうかと疑問に思ったが、以前からこの人物がレンズやら色付きを造らせていたので、今更かと考えるのを止めた。

 もっとも当のアラタとてこれらの知識は搭乗機のコンピュータに入っていた物を噛み砕いて語ったに過ぎず、ガラス製造の経験など皆無だったので、あまり偉そうな事は言えないと内心思っていた。


「あの、ペーター殿に質問なのですが、もし何も無い所からガラス工房を領地に構えようと思ったら、どれだけの歳月が掛かるのでしょうか?」


 セシルが少し遠慮がちに質問してくる。いずれはプラニアにドナウのガラス製造のような大きな産業を育てたいと彼は考えていた。今回、工房を見学をしたいと言い出したのも、純粋にガラスに魅せられたのもあるが、その為の情報収集なのだろう。

 ペーターはしばし考え込み、自分の人生とガラス製造の歴史を照らし合わせながら、かなり言い難そうにセシルの質問に答える。


「ガラス工房を造るだけでしたら建設資金と、どこかの工房から職人を引き抜いて、材料などを他所から買えば数年あれば製品自体は造れますが、全てを一から築き上げるとなると百年は掛かるでしょうな。

 私も一人前の職人になるのに二十年の修行が必要でした。それもこの工房と先代を始めとした優れた師が沢山居たからでございます。何も無い所からそれら全てを揃えようと思うと、その数倍の時が掛かると覚えておいてください」


 その言葉にセシルはやや気落ちしたように目を瞑ったが、他の学友から励ましの声を掛けられて持ち直す。


「技術や産業という物は一日二日でどうにかなるものではない。ガラスであれ国の立て直しも、結果を急ぎ過ぎると無用な失敗をするぞ。今は不可能ではないと分かっただけでも良しとしよう」


 アラタからも助言であり警告の言葉を投げかけられて、表情は硬いながらも『はい』とだけ同意した。



 セシルが少し気落ちしてしまったが気を取り直し、今度は凹凸レンズの製造過程を見学する事になった。こちらは先ほどの巻芯法ではなく、円柱状の穴の中に溶かしたガラスを流し込んで型の形状に造る、金属の鋳造と似た作り方だ。

 この作業工程も数人の職人達が一糸乱れぬ機敏な動きをしており、ドナウ一のガラス工房の評判を貶めない腕前を王族を始めとした貴族の子息に見せていた。


「大まかな形を造った後は冷えたガラスをひたすらに磨き粉で磨き上げて形を整えていきます。これは非常に時間が掛かる上に地味な作業ですので、皆様には完成品をお見せいたします」


 ガラス製造の実演が終わり、一行を作業場から応接室へと案内する。ペーターが工房の使用人にお茶をもってこさせるよう命じ、一行にどうぞ座って待っていてくださいと勧める。

 作業場の炉の熱気から解放された少年達は、窓から入ってくる涼しい風に心地よさを感じつつ、先程のガラス製品の行程を楽しそうに話し合っていた。

 応接室はガラス工房らしく、ガラス製の調度品が数多く備えてある。一行の目の前にもガラス製の花瓶やガラスの装飾品が置かれており、セシルがその装飾品を手に取って珍し気に眺めていた。

 使用人が人数分の杯と水差しを持って戻って来て全員に配る。当然その杯も水差しもガラス製だ。幾ら王族が居るとは言え、工房のもてなしでガラスは使えないが、元から造っている場所だからこその芸当なのだろう。

 井戸で良く冷やしたお茶で喉の渇きを癒すと、ペーターがガラス製造の歴史を話し始める。彼が言うには元々ガラス製造の技術はドナウで生まれた物ではなく、かなり昔に流れて来た技術集団がこの地に根付いてから伝わったらしい。


「私が聞いた話ですと、まだこの国がドナウと名乗る前から既に有ったそうです。以来私達ガラス職人は、その技を受け継ぎながらも新しい技法を生み出し続けて今に至る訳です。

 ただ何と言いますか、レオーネ様からご教授頂いた未知の発想には我々職人も驚きを覚えると同時に、私を含め弟子達が職人としての自信を無くしかけましたよ」


「何を仰る、私はあくまで先人達の見つけた知識を貴方方にお教えしてるだけですよ。それに、幾ら知識があった所で、それを実際に形にするのには職人の技能が不可欠です。私にはその技能が無い以上、この国をより良くして行く為には貴方のような優れた人間の助けが必要なのですよ」


 そしてその言葉にペーターは感極まり、これからも全力で協力すると固くアラタの手を握り締めて、これからもこの国に尽くす事を約束した。

 この二人の年長者のやり取りを、少年達はひどく奇妙な物だと感じていた。アラタが平民なのは周知の事実だが、この国の王女を娶るほどの人物なのだ。その傑物が唯の平民の職人に姿勢を低くするなど、義理の弟であるカールにも理解出来ない振る舞いだった。



 この後、幾つかのガラスに関する知識や質問の受け答えを行い、工房の見学会は終わりとなった。

 その工房の帰り、職人通りの入り口に用意していた竜車に乗り込む時に、カールが思い切ってアラタに質問してきた。


「なぜアラタはあの職人に頭を下げるような真似をするのです?そんな事をしなくとも、ただ命令するだけで平民なら動くものでしょう?」


 他の少年達もカールと同様に疑問を持っており、平民だからという理由以外にも何かあるのではと思っていた。


「ああ、あれですか。理由は二つあります。一つは優れた技能を持つ人間には隔てなく敬意を持つからです。それがどんな技能であっても、数十年を掛けて培った技術は軽く見て良い物ではありません」


「それなら私にも理解出来ます。良い作品を造れる職人や芸術家には私も惜しみ無い称賛を贈る事がありますから」


 カールがアラタの言葉に同意する。この少年も芸術を嗜む者として、優れた作品やそれを生み出せる芸術家に身分を問わない憧れを持つ事がある。それには納得し、もう一つの理由を尋ねる。


「二つ目は今後も彼等を扱き使う為の技術ですね。

 彼等の様な職人は、自身の作品やそれを生み出す自分の技術を何よりも尊いと考えています。だからこそ、その技能を褒める事で彼等は気を良くして今以上にこの国の為に働いてくれるでしょう。

 殿下も、そして君達もよく覚えておいて欲しい。人は、上から命じられた所で嫌々にしか働かない。そんな彼等を喜んで働かせるには、権力や暴力では不適切なんだ。先ほど私が行ったように、相手を褒めて自分は心から必要とされていると信じ込ませて、都合の良いように動かすのが、人を使う者の力量でもあると私は思う」


 アラタの清々しいまでの笑顔と正反対に、少年達は目の前の青年を悪党だと認識し始めていた。ただ、この悪党の言い分には共感できる部分も有ると感じていた。彼等も生まれついての人を使う側の人間であり、多くの平民に頭を垂れさせる身分の者であるからこそ、アラタの手法はそれなりに効果的な手段だと理解している。


「ですが、あまり平民に頭を下げると我々貴族が軽く見られるのではないでしょうか?」


 学友の一人が有効性は理解していても、長年の常識から若干の不快感を纏わせつつ、面子が立たないと反論してくるが、それにもアラタは笑みを崩さなかった。


「それを見極めてここぞという時にだけ頭を下げるのが肝要かな。普段から誰にでも頭を下げるのは簡単だけど、それだと下げる頭が安くなる。だから下げるべき人と時を正確に見極めて容易に頭を下げず、面子にも高い値を付けて安く買い叩かれるような真似は避ける事。私からの助言はそれぐらいだな」


 その反論にさえアラタは平然と、必要ならば貴族の誇りを高値で売り払えと言ってくる。これには義理の弟であるカールも呆れてしまう。だが、セシルだけはその言葉を深く心に受け止めて、自分の境遇に照らし合わせていた。


(―――父が戦う前からホランドに降伏したのも、それが貴族の誇りを最も高く買ってくれる時だからなのだろうか。他の滅ぼされた国の貴族や王族は悉く辱めを受けた後に殺されたと聞いた。父の様にいち早く降伏して誇りを売り渡した者は、住み慣れた故郷を追われてもどうにか生き永らえた。そうする事で私も生き延びて、恥辱に耐えながらもこうしてもう一度ホランドと戦える機会を手にする事が出来たと考えれば、先生の言い分も少しは理解出来る。

 先生の言葉は私への教育なのだろうな)


 理解は出来るが、酷く困難な生き方には違いない。何年も恥辱に甘んじて生きるのはどれほど精神を痛めつけるのか、自らの父のやつれた姿がそれを証明していた。だが、それを決して無駄になどしないとセシルは強く心に誓い、第一回見学会は終わりを迎えた。



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