第110話 嗜好は人それぞれ



 諜報部の執務机で書類と格闘していたアラタがふと窓から空を見ると、随分と空の雲が高くなっていた。


(もう秋になっていたか。月日が経つのは早いなあ)


(何を年寄り臭い事を言っているのですか大尉。貴方はまだ父親になるだけで、孫が出来るような歳ではありませんよ)


 管制人格の鋭い突っ込みに、こいつのAIプログラムを組んだ奴は誰だよと、開発者を罵りたかったが、実際にはアラタ自身とのコミュニケーションによって育てられたに等しいので自業自得でしかないのだが、そんな事は知らぬとばかりに見知らぬ技術者に責任を押し付けていた。

 そんな人と人工物というおかしな主従の漫才は誰にも聞かれておらず、横から別の部下がアラタに話しかけて来た。


「レオーネ部長、リトが定期の面会を希望していますが、許可してよろしいですか?」


「分かった、部屋に入ってもらえ」


 部員にリトを通すように命じると、アラタは書類を切りの良いとこで切り上げて応接用のテーブルに先に着いて待っている。


「お仕事中失礼します。いつものようにこちらで纏めておいた情報を持って参りました」


 二人は簡単な挨拶をすると、前置きを省いてリトが要件を伝える。本来貴族ならここで形式張った挨拶の一つもあるのだが、アラタは自他共に認める平民であり、リトは表向きは単なる貧民故にそれらを省いて本題に入るのが二人の不文律だった。

 アラタが資料に目を通している間、リトは無言で形式上の上司をじっと見据えている。それは手持ち無沙汰だからでもあるが、少しでもこの異質な男の情報を手に入れたいという欲求から来る行為だった。


「――――ご苦労だったリト、いつもながら良い仕事をする。資料によると最近はホランド人が目立ってきたようだな」


「はい、この街にも商人やその護衛として多数のホランド人が入り込んできています。以前からそうした人間が一定数居ましたが、最近は目に見えて増えてきています」


 貧民達や歓楽街に根を張るリトからの情報は正確だ。特に商人や護衛は男所帯なので、毎日の様に酒場や娼館、あるいは街頭娼婦を買って欲を発散している。酒が入れば口が軽くなるし、女を抱いて発散すれば思わず口を開いてしまうのが男の性である。


「資料を見るに、彼等は軍の動きを重点的に調べているようだな。後は俺の事か。だいぶ目立っているのは自覚してるが、今更調べたところで遅い気がするんだが」


「確かに今更遅いですが、何か行動を起こす可能性も捨てきれません。資料にも書いておきましたが、貴方と仲の悪い人物を探しているようですから、身辺には気を付けた方がよろしいかと」


 リトがかつて政治に身を置いていた経験からアラタに警戒を促す。こうした妨害や横槍は権力を持つ者には一生付いて廻る問題であり、どんな小さな事でも放置すれば思わぬところで足を取られる可能性がある以上、軽く扱う事は出来ない。

 一度ガス抜きをしているので最近は少し大人しくなったが、アラタに敵意を抱く貴族がまた暗躍して妨害をしかねない可能性を考慮して対応せねばならない。


「分かった、そちらは俺の方でも対処しておこう。やれやれ、政敵を排除するのに外部の力を頼るなよ」


 おそらく貴族の何人かはホランドから金や女を受け取って情報を売るか、アラタの足を引っ張るだろう。流石に内通して公然と国を裏切るとは思えないが、気に入らない平民を追い落とすだけなら良心の呵責に苛まれる事も無いので、率先して協力する者も出てくるはずだ。


「しかし、この手はホランドらしくないな。彼等は良くも悪くも武断の国の人間だ。こうした搦め手は恥にしかならんだろうに。

 文官よりのバルトロメイ王子の手かな?彼が一番俺を危険視していたから、手段を選ばず排除しに来るか」


「そこまでは分かりません。ですが断片的な情報でもホランド本国でも何かしら動きがあるのは事実です。そちらもこれから調べさせますか?」


「そうしてくれ。まったく、皆働き者だな。付き合うこっちの身にもなって欲しいものだ」


 溜息を付きながら、ドナウとホランド両陣営の人間に対して文句を言うが、諜報部に居る全員から、


(人の事言えた義理じゃないだろうが!あんたが働き過ぎるから、付き合うのが大変なんだよ!)


 と、満場一致で働き過ぎのアラタは心の中で罵倒されていた。有能だが仕事熱心な上司に付き合わされて、休めない部下達の怨嗟の声が音も無く諜報部に響いていた。労働基準法などドナウにも貴族階級にも当然存在しないのだ。



 リトが報告を終えて帰って行くのを見届けると、アラタは引き続き書類を捌いていく。それから昼食を摂りに部屋を出て、いつもの様にエーリッヒやウォラフと食事を摂って戻ってくると、部下であり義理の兄弟になるヴィルヘルムが、いつもと異なり妙にそわそわしながら話しかけてくる。


「あの、レオーネ部長、今夜は何か予定を組まれていますか?」


「いや、今日は特に予定は無いし、どこかの家からも招待は受けていないが…家に来てアンナの顔が見たいのか?」


 嫁いだ妹の顔を見る為に数か月に一回程度だが、ヴィルヘルムはアラタの屋敷に来る事がある。大抵はアンナの方が実家に顔を出す事になるので、回数はそれほど多くないが、アラタは彼の事をシスコンではないかと僅かだが疑っていた。


「あ、いえ、今回は違います。先程父から今晩当家で、私の婚約者とその家族を招いた祝宴を開くので、部長とアンナ、それからマリア殿下も招待したいのです」


 どうも先程からそわそわしていたのは、自身の婚約者を身内に紹介する気恥ずかしさ故の雰囲気の違いが原因だったようだ。


「君の婚約者は確か建務長官のガイスト殿の御息女だったな。そうだな、断るのは失礼だし、お受けしよう。

 エリィ、ちょっと屋敷まで行って今晩ベッカー家の祝宴に招待された事を知らせに行ってくれ」


 すぐ横に居たエリィにお使いを頼むと、彼女は二つ返事で了承して、部屋から出て行った。


「それで、婚約者とはどうなんだ?その様子だとそれほど嫌がってはいないようだが」


「まだ二回ぐらいしか会っていませんが、悪い相手ではないですよ。ただまあ、父親が別の省の長官ですから、色々と難しい所がありますね」


 肩をすくめて、婚約者個人よりもその実家との付き合いの方が難しいと零す。そんな義理の兄弟を慰めるように『俺の方が面倒だから泣き言言うなよ』と、アラタが冗談混じりに励ますと、『貴方は参考になりません』と苦笑で返されてしまい、二人共憮然としていた。



      □□□□□□□□□



 早めに仕事を切り上げたアラタは屋敷へ帰ると、あらかじめ余所行きの準備を整えさせておいた妻達と一緒に竜車に乗り込み、ベッカー邸へと向かった。

 結婚してからはあまり尋ねる事が無く、王族のマリアが居るのでアラタの方が屋敷に招く事が多かったが、今回の主賓はヴィルヘルムの婚約者なので、三人は客人として招かれる事となった。

 屋敷の玄関で多くの使用人に出迎えられて食堂へと案内されると、既に万全の準備を整えていた屋敷の主のゲオルグが歓迎の意を示す。


「お待ちしておりましたアラタ殿、マリア殿下、そして我が娘よ。今宵は精一杯の持て成しを用意しておりますので、どうかお楽しみ頂きたい」


「本日はお招きいただきありがとうございます。義父殿がご壮健で何よりです」


 家長としてアラタが義父のゲオルグに返礼の挨拶を交わし、それに続いてマリアが形式通りの挨拶を、アンナは娘として親しい礼をする。そしてゲオルグの挨拶が終わると、ベッカー家の一同が次々に挨拶をして、主賓の到着を待っていた。

 外務省は近隣の派遣先が一つ減ってしまい、外に送り出す人員が余り気味だ。その為、サピンから戻って来たゲオルグは、暫定的に事務官の席を与えられて、日々書類決裁に追われており、アラタともちょくちょく城で顔を合わせる仲になっていた。最近の悩みはあちこちの貴族から勧誘やアラタやマリアへの口利きをそれとなく頼まれており、それをどうにか角が立たない様に断るのに四苦八苦している。尤もその事は父親としての矜持から、義理とは言え息子のアラタには知らせていない。

 暫く歓談をしながら待っていると玄関の方から扉が開く音が聞こえたので、ガイスト家の面々が到着したのだろう。少し待っていると、四人の男女が食堂へと入ってきた。


「皆様、お待たせして申し訳ない。特に身重のマリア殿下を待たせてしまった事、お許しいただきたい」


 当主のヨアヒムを筆頭に残りの三人も同じく謝罪すると、ゲオルグが待ったを掛けて、遠回しに宴の席に似合わないので不要だと理を入れ、すかさずアラタとマリアも義父を援護したのでその場をすぐに収まった。


「初めてお見せする方々もいらっしゃるので、我が子らの紹介をさせて頂きます。息子のロランと娘のソフィーです」


 ヨアヒムに促され、二人のよく似た顔立ち、同じダークブラウンの髪の兄妹がレオーネ家の三人の前に出て恭しく頭を垂れる。


「初めましてロラン=ガイストです、レオーネ様、マリア殿下、そしてアンナ様。本日はお会いできて光栄です」


「皆様、ご機嫌麗しゅう。ヴィルヘルム様の妻となるソフィーでございます」


 若干王族相手なので緊張していたようだが堂の入った挨拶に、三人は同様の返礼をして、アラタはこれからの付き合いの為に、二人のプロフィールを瞬時に頭に浮かべる。

 息子のロランは今年18歳、建務官僚の父親とは違い、農務省に勤務する将来有望な若手官僚だ。貴族では珍しく現場を好み、ドナウのあちこちに出向いては、農地や堤防の調査を日々の仕事としている。いずれはドナウ中に灌漑設備を張り巡らせて、西方一豊かな農地を造り上げたいと、同僚たちに熱を込めて語っており、アラタの講義には仕事上参加できなかったが、その講義の資料には定期的に目を通していた。現在、近衛騎士団長の姪と婚約している。

 娘のソフィーは現在15歳、こちらは取り立てて大きな噂は聞こえてこない。良くも悪くも一般的な貴族令嬢として周囲に認識されている。素行不良や性格に難は無く、目立つ話と言えば絵を描くのが好きというぐらいだった。ただし、腕前についてはまったく聞こえてこない辺り、お察しである。

 最後に二人の母親が挨拶をして、一同は贅を凝らした料理が零れ落ちるほど載せられたテーブルに着いた。



 祝宴は終始和やかに進むと、自然と話題が結婚するヴィルヘルムとソフィーとなる。まだ顔を付き合わせるのは三回目だったが、二人ともお互いを悪い相手では無いと、好印象を持っているのが幸いだった。


「上司の目から見ると、ヴィルヘルムは有能だから助かっているというのが誇張の無い評価です。仕事に対して気負う部分が時折見えていますが、それで判断を誤る事の無い的確な判断力も有していますし、やる気が有る者は歓迎します」


 アラタが仕事場の上司として義理の兄弟の評価を口にすると、喜んでいいのか恥ずかしいのか、はたまた対抗心を抱いている男に上から目線で品定めされているのに怒っているのか、非常に複雑そうなしかめっ面で話を聞いていた。


「私も諜報部に出向させている部下からヴィルヘルム君の話は幾らか聞いているが、なかなか頭のキレる若者だと聞いていてね。それならば私の娘を嫁がせても良いと、ゲオルグ殿に打診したのだよ。幸い、何の不服も無く私の提案を受け入れてくれたので、胸を撫で下ろす思いだった」


 ヨアヒムが本当に良かったと、にこやかな笑みをゲオルグに向ける。それにゲオルグは、こちらこそ過分な縁談に身を縮める思いです、と同年代の別部署の上司に頭を下げた。

 確かにゲオルグにとって断る理由の無い縁談ではあったが、中堅のベッカー家と閣僚を輩出する領地持ちのガイスト家の力関係を考えれば、半ば強制された結婚とも言えるので、不服が無い訳では無いが、当人同士も上手くいきそうなので、水は差さなかった。


「ソフィーさん、兄様の事よろしくお願いします。兄は人一倍努力家でお仕事にも根を詰め易い人ですから、助けてあげられる人が傍に付いていた方が安心出来ます。どうか、これから兄を助けてあげてください」


 アンナが四歳年下の少女に兄を助けてあげて欲しいと頭を下げる。夫と兄なら迷わず夫を優先させるアンナだったが、ヴィルヘルムの事はちゃんと家族として愛しており、出来れば毎日健やかに過ごしてほしいと願っていた。

 その姿にソフィーは柔らかな笑みをアンナに向けて、力強くも優し気な言葉を掛ける。


「勿論そのつもりですアンナ義姉さま。力の及ぶ限り、夫をお助けするのが妻の役目です。私の母もずっとそうして父を助けてきたのですから、今度は私が夫となる人を助ける番です」


「まあ、ソフィーさんはお若いのに妻としての自覚を持っていて安心します。これなら家の息子を任せても大丈夫ですね」


 ソフィーの言葉にヴィクトリアがニコニコしながら、大事な息子の妻になる少女を褒めた。ソフィーぐらいの年頃の娘はまだまだ遊びたい盛りなので、家の仕事や夫の世話などを億劫に思う者が多いが、目の前の華奢な少女が本心からヴィルヘルムを支えようと意気込んでいるのが分かり、ヴィクトリアは安心した。例え格上の家柄であっても嫁と姑の確執は生まれる物なのだが、今の所は二人の間に比較的友好な雰囲気が形成されている。


(仲が良くて安心するよ。俺の場合は両親どころか親戚すらいないから喧嘩のしようがないし、仲裁の仕方も分からん)


(大尉も二~三十年したら同じ問題で頭を抱えると思いますよ。特に貴方は身内を大事にし過ぎて、将来娘などから煙たがられる性格だと分析します。きっと『お父さんウザいから近づかないで』と娘に言われます)


 ドーラのあまりの失礼な言葉にブチ切れそうになったアラタだったが、人生最大の自制心を以て顔色を微塵も変えずに耐える事に成功した。

 この管制人格の予言が数十年後に現実の物となるとは、アラタも予想すら出来ないのだが、それはかなり先の話になる。



 こうして三家の者達は祝宴を楽しみつつも、家同士の繋がりを形成する事になった。後日、ここに近衛騎士のベルツ家も間接的に加わり、アラタは人と家という葉脈を大きく広げて行く事になる。

 あまり関係の無い話だが、どうしてヴィルヘルムがソフィーの事を気に入っていたのか気になったアラタが、後日屋敷に来た彼に酒を勧めて酔わせて聞き出すと、


「五~六年ぐらい前の妹に雰囲気がよく似ていたからです。あの頃の可愛かったアンナと何となく重なって見えたので、気に入りました」


 と白状し、ただのシスコンかよと、義理の兄弟の知りたくも無い性癖にゲンナリしたが、せめてもの情けとしてその事は墓まで持って行く気で黙っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る