第108話 休みの使い方



 ドナウに帰還して既に一ヵ月が経過した頃には溜めに溜めた仕事も大部分を消化し終えて、ようやく一息着く事が出来た。私生活でも三ヶ月以上マリアとアンナを放って置いた引け目から、忙しい合間を縫って出来る限り一緒に居る様に心を砕いていたので、現在は二人ともいつも通りに過ごしている。特にアラタの不在中はマリアは妊娠していたので時折情緒不安定になっていた事もあり、その分を取り戻すかのように甘えさせていた。そのため二人は屋敷に居る間は四六時中べったりとしており、若干アンナを放置気味にしてしまい、彼女をむくれさせてしまう事もあった。



 そうした日常に回帰を見せたレオーネ家だったが、以前と違うのはプラニアからの留学生のセシルと二人の従者を預かっている事だ。既に一ヵ月が経過しており、三人は大分ドナウに馴染んでいた。

 年配者のジャックはかつて故国が存在していた頃に一度ドナウに来ていた事があり、幾らか様変わりしていたのに困惑したようだが、すぐに慣れていた。

 残りの若い二人のセシルとローザは、物心ついた頃には既にホランドによって辺境に追いやられており、一国の王都の見る物全てが新鮮で物珍しさから毎日が勉強に等しかった。

 セシルは毎日ドナウ貴族としての礼法や語学勉強を、ローザも同じくドナウ語の勉強の他に使用人として炊事洗濯裁縫といった基本的な技能を働きながら学んでいた。

 そのセシルは現在礼法の勉強の一環としてアラタとその妻達と共に夕食を食べていた。西方では国ごとに食事のスタイルもかなり違っており、ドナウ様式とプラニア様式も違いはそれなりに多い。セシルもプラニア様式の貴族の礼法は修めているものの、ドナウ式に慣れる為にこうして度々屋敷の主人達と食事を共にしていた。


「セシルもローザも、そろそろ家に来てから一か月経つが、ドナウには慣れたかい?」


「はい、初めは故郷と全然違っていて毎日戸惑いましたが、最近は落ち着いてきました。それにカール殿下や他の学友ともそれなりに打ち解ける事が出来ました」


「私も最初は驚いてばかりでしたけど、このお屋敷の人達に良くしていただけますから、これからも頑張れそうです」


 二人は後見人の言葉に偽りの無い言葉で答える。環境が激変して覚える事も山ほどある二人だったが、そうした苦労だけでなく、辺境とは違う刺激に満ちたドナウの王都は、まだ若い二人には甘美な味に思えるのだろう。


「私からも弟をお願いするわ。貴方はカールと性格とか全然違うけど、仲良くしてあげてね」


「は、はい!奥方様のご期待に沿えるよう全力を尽くします!どうかご安心くだ――――ちょ、痛い!!」


 マリアから弟のカールを頼まれたセシルが顔を赤らめつつ鼻息を荒くして承諾していたが、その途中で悲鳴交じりの痛みを周囲に訴えていた。


「セシル様、マリア様はアラタ様の奥方様なのですから、そんないやらしい目で見つめては失礼に当たります。まったく、どうして男の子って綺麗な年上の女性に弱いんだか」


 給仕としてセシルの後ろに控えていたローザは、彼の背後から首を力任せに抓って警告していた。彼女からすればずっと一緒に過ごしてきたセシルが他の女、それも身籠っている人妻にデレデレしてるのが気に喰わないのだろう。

 セシルも自分が人妻のマリアに目を奪われている事を自覚していたので、ローザに食って掛かる事は無かったが、内心は『覚えていろよ』と近い内に仇討ちをするのを決めていた。


「あらあら駄目ですよローザ。幾ら他の女性に目移りしていても暴力を振るうのは女性として恥ずべき行為です。特にセシルは貴女の主人なのですから、幾ら幼なじみでもやって良い事と悪い事があります」


 幼い男女の微笑ましくも険悪な空気を読んで同席していたアンナが仲裁に入り、ローザの嫉妬から来る折檻を窘めた。そんなセシルの様子をアラタは、尻に敷かれていると内心笑っていたが、当の自分も仕事にかまけていると、妻二人に『もっと構え』と言われて頬を抓られているのだから似たようなものである。


「俺に経験は無いが、セシルぐらいの年頃なら綺麗な女性に目を奪われるのは仕方の無いらしいから、ローザも多めに見てやれ」


「はい、皆さまがそう仰るなら我慢します。けどやっぱり面白くありません」


 そう言ってプイっと顔を背ける仕草に愛らしさを感じされるが、他の貴族の当主にそんな事をしたら即刻殴られるだろう。それを許しているのもレオーネ家の家風故だ。

 そんな身分をあまり気にする事の無い一家と世話になっている留学生は、騒がしくしながらも仲良く夕餉を続けた。



 食事を終えて一息つく面々は、お茶を楽しんでいた。ただしそこにはローザは不在で、彼女は他の使用人と同様別の場所で食事を執っていた。少々可哀想ではあるが、彼女はセシルの従者として付いてきているので、区別を受ける必要がある。ただ時折セシルと一緒に食べる事もあるので、その時は故郷での生活と同様に幼馴染として振る舞っていた。


「所でセシルはここ一ヵ月殆どを勉強や武芸の鍛錬に費やしていたが、たまには息抜きに遊びに行っても良いんだぞ。何か希望があれば可能な限り叶えるが」


 王都に来てから一ヵ月碌に休まず勉強に励んでおり、そろそろ気疲れが溜まってると見たアラタが年長者として勧めると、セシルが遠慮がちに今まで気になっていた事が有ると申し出る。


「ずっとこの街に来てから気になっていたんですが、ガラス製品がどのように造られているのかが気になっていました。私の故郷ではガラス製品は一つも無かったので、こんな素晴らしい物がこの世にあるなんて初めて知ったんです。

 一応ガラス工房で職人が造っていると聞いていましたが、それを造っている所を実際に見てみたいんです」


 少々熱の籠った視線をアラタに向けながら、セシルはガラス製品の美しさを熱弁していた。元々プラニア王家に連なるセシルの家ならガラス製品の一つや二つぐらいは所有していても可笑しくは無いのだが、話を聞くに父のシャルルが全て売り払って開拓資金に代えてしまい、記憶には無いらしい。それどころか金になりそうな貴金属や宝石の類も全て売ってしまっていたので、それらを見たのはドナウに来てから初めてだそうだ。ただ、例外的に残っているのが王家から下賜され、代々伝わっていた金細工の宝剣一振りだけとの事。

 古くからドナウのガラス製品は他国からも非常に評価が高く、主力の輸出品の一つでもあるので当然王都の職人通りには数多くのガラス工房が軒を連ねており、他国の貴族や王族はドナウ製のガラス製品を所有する事がステータスだった。


「それだと遊びと言うより社会勉強になりそうだが、君がそれを希望するなら認めよう。俺の方からガラス工房への許可を取り付けておく。ああ、それから学友が一緒に見たいというなら誘っておくのも良いかもしれないな。

 他にもガラス以外に興味があるなら、今後同じように遠慮なく俺に言ってくれ。可能な限り希望は叶えよう」


「は、はい!ありがとうございますアラタ先生!」


 喜びを隠すことなく握り拳を作りながら、セシルは勢いよく頭を下げてアラタに感謝の意を示す。そんな可愛らしい保護対象の仕草が、自身が過ごした孤児院の後輩達の姿と重なり、


(あいつら今は平和に暮らしているのかなあ)


 と、自らが命を賭けて護り抜いた地球と、そこに住む人達への懐郷精神に駆られていた。


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