第103話 反撃の狼煙



 ホランド軍が血を流していたサピン王国から遥か遠方の地、ホランド王都カドリア内の王城の一室では三人の男達が膝を突き合わせていた。

 一人はホランド王ドミニク、一人はその息子であるバルトロメイ、最後の一人は宰相カーレル=メテルカだ。


「さてはて、バルトロメイ殿下の思し召しにより参上致しましたが、何か良い話なのでしょうな?私個人には殿下に含む物はありませんが色々と周りの目という物がありますので」


 宰相とは言え、王子に対して慇懃無礼な物言いにドミニクは僅かに眉を顰めたが、当のバルトロメイが大して気にしていない事に気づいて何も言わなかった。

 元よりカーレルの性格の悪さは広く知れ渡っており、当然同席する二人はその事を知っているので、この程度の皮肉は不敬罪にもならない。


「ははは、忙しい所済まないね宰相。父上も時間を作って頂いて感謝します。さて、無駄話はこのくらいにして本題に入りましょう。

 私はサピンとの戦いが終わったらすぐさまユゴスに攻め入る事を提案します」


 二人は何の脈絡も無く、いきなり他国を攻撃する事を提案したバルトロメイがトチ狂ったのかと思い絶句した。その様子から、まあ当然の反応だと大して気にしなかったバルトロメイが順を追って説明に入る。


「まず、現在の我々の最大の敵はドナウです。これは全てのホランドの民が知る所にあります。そのドナウも我々を最大の敵と認識しているのはお二人もご存知でしょう。それは現在のドナウ直轄軍が物凄い速さで軍備を再編している事からも分かります。特にドナウ兵が新たに扱う長槍と長弓はホランド騎竜兵に対抗する為の新兵装です。あのナパームと同じく、より遠距離から兵を攻撃するのに特化した装備が誰に向かうのかは少し考えればわかります」


 バルトロメイはここで一旦言葉を切って二人の反応を見ると、予想通り二人はその言葉に特に反対する様子は無い。この程度の情報は既に二人の耳に入っており、バルトロメイの言葉に真新しさは無い。ドナウにとってもこの程度の情報は与えても構わない、あるいは本命である火薬兵器の存在を覆い隠す為に、わざと目につくように見せている餌でしかなく、これ見よがしに演習を重ねていた。


「―――話を続けます。ドナウとの再戦が不可避である以上、我々に残された時間は不戦協定の有効な二年となります。その時間をただ無為に過ごすのは如何にも惜しいと思うのですよ。故にドナウにとって味方となる国を一つでも減らしておきたいと私は考えています」


「それがユゴスだと?確かにドナウとユゴスは友好関係にある。どちらも我々ホランドを危険視しているなら、挟み撃ちをしないとは言い切れんな。だが、その場合はレゴスでも良いのではないのか?寧ろレゴスの王女とドナウの王子が婚姻関係にある以上、同盟関係に発展する可能性が強いのはレゴスではないのか?」


 ドミニクが息子の提案に異議を唱える。彼もまたドナウとの再戦は避けられないと予想しているし、その戦いの前に一つでも自身に敵対しかねない国家を排除しておくのに否は無く、息子と違うのはその相手だ。ドミニクにとっては王家の婚姻関係による軍事的同盟の方がより現実的に感じられた。

 父の言葉をバルトロメイはその可能性は十分にあると肯定する。てっきりそれを否定するのかと思っていたドミニクは、息子の考えに興味を抱いた。


「父上の懸念は私も想定しています。そしてだからこそ、私はまずユゴスを排除しておきたいのです。仮に我々がレゴスを攻めた時にドナウが婚姻を理由に協定を破ってでも援軍をレゴスに派遣する可能性を捨て切れません。そうなっては我々は意図せぬ二面戦を強いられてしまいます。

 反対にユゴスであれば、ドナウもそこまで義理立てする理由はありません。商売上友好的な付き合いはしていますが、あくまでそれだけです。我々との協定を破ってまで戦う道を選ぶ可能性は幾らか低いと言えます。となればユゴスに味方する国家は東側の小国や都市国家ぐらいでしょうが、援軍は小規模な物でしょう。よしんば連合を組んで兵を送っても、寄り合い所帯の軍など脅威にはならないはずです」


 二人は無言でバルトロメイの主張を吟味するが、彼の言葉に大きな穴は無い。西方の国は大なり小なりホランドの軍事力を恐れているのは常識だ。サピンはそれを忘れて思い上がり、現在亡国の憂き目にあっているので除外するが、特に隣接するドナウ、ユゴス、レゴスは今でも警戒し続けている。この三国が徒党を組んで攻めかかる可能性は十分にあるのだ。その三枚の札を一枚でも減らしておくのに越した事は無いし、出来れば一枚ずつ減らしておきたいのも事実。幾ら西方最強国家とは言え、複数国を同時に相手にするのは厳しい。そういう意味では札の一枚になりそうだったサピンが早々に脱落しそうなのはホランドにとっては僥倖である。

 これがドナウであれば少ない兵力をどう使うかで頭を悩ませるのだが、未だ六万を超える兵力を持つホランドにとってはさほど悩まずに済む問題だ。各地に治安維持用の兵力を振り分ける必要はあるが、それでも他国の軍の倍の兵力を派遣出来るのだ。これは非常に強力な武器である。大軍に用兵など必要無いのだ。

 場合によってはレゴスを攻める事が呼び水となってドナウが参戦し、その隙にユゴスが手薄になった領地に攻め入る可能性もある。ユゴスとレゴスが手を組む可能性は皆無だが、空き家を襲わない保証はどこにも無いのだ。ならば比較的ドナウが手を出しにくいユゴスを今の内に下した方が、来るべきドナウとの再戦に優位に働くとバルトロメイは考えている。

 経済的な繋がりよりも王家の婚姻を重視する判断は西方ではごくごく当たり前の価値観であり、その判断に残りの二人は口を挟む事は無い。経済という実利以上に血縁や婚姻は面子に関わる要素であり、さらには国家間協定を破る可能性すら秘めた繋がりだった。それを軽く見る事は大国であるホランドでも出来なかった。


「ではいっその事、レゴスも一枚噛ませるのはどうでしょう?長年ユゴスと敵対関係にあるレゴスと共同で、かの国を攻めるとしましょう。二国の力が拮抗している以上、ホランドが加担した方が勝つのは明白。不倶戴天の敵を労せず滅ぼせるのならば乗ってきます」


 ここで今まで黙ってバルトロメイの案を聞いていただけだったカーレルが補強案を提示してきた。確かにユゴスとレゴスは長年争い合って互いを憎悪している。現在は休戦中だが、決して和平を結んでいる訳では無く、些細なきっかけさえあればまた戦いを再開するのは西方の常識だった。

 一年前の自国とドナウとの戦いでは、ユゴスが国境付近まで軍を動かしたのをレゴスが静観していたのが気になっているが、二国が組んで自分達を殴りに来ない所を見ると、前もってドナウからの情報提供があったか、単に警戒だけして動かなかったのだと判断している。


「いきなりそんな話を持って行ってもレゴスが受け入れるのか?奴らとて馬鹿ではあるまい。仮にユゴスを滅ぼし、ドナウと決着を着ければ次は自分達だと奴らも理解しているだろう。幾ら長年の仇敵とはいえ、そう簡単に我々の誘いに乗ってくるとは思えんな」


 ドミニクがカーレルの言葉に疑問符を付ける。自国が如何に強大であるかを最も良く知るドミニクだからこそ、例え憎い相手でも戦力になりそうならば、手を組む事は無くとも負担を押し付ける可能性を考慮していた。


「勿論それは想定しています。何も戦う前から手を組むわけではありません。まずは我々がユゴスと戦い、半分程度兵力を削った所でレゴスにユゴス攻めを持ち掛ければ良いのです。そうすれば弱ったユゴスを目の前にして我慢出来るほど、レゴスは我慢強くは無いでしょう。そしてレゴスがユゴスに手を出している間にドナウと一対一で決着を着け、その後に我々は滅んだユゴスの半分から三分の一程度を貰い受ければ上々と言えます。

 サピンの攻略は順調ですし、準備に今から半年頂ければレゴスを説き伏せて御覧に入れましょう」


 自信を滲ませるカーレルを、二人はこれでもう少し性格が良ければと、有能さと反比例した性根の悪さを嘆く。既に六十近い高齢でありながら一向に衰える様子を見せない嗜虐趣味に辟易しながらも、二人はカーレルの力量を信用していた。彼が出来ると言ったのならば出来るのだ。



 およそ基本方針が固まり、何時ユゴスに宣戦布告するかを取り決める事になったが、主力となる兵力がまだサピンに居る以上は彼等が返ってこないと動きようが無いので、大勢が決してからでも遅くなく、現状は物資の備蓄を始めるだけに留まった。

 その中でドミニクは一つ気になっていた事があり、バルトロメイにその事を尋ねた。


「兵はサピンから戻って来たのを使えばよいが、司令官は誰にする?バルトロメイ、お前か?」


「いえ、ドナウに負けた私では兵の士気が下がる可能性がありますので、引き続きユリウスに統率させるつもりです。私に対する気遣いは無用にお願いします父上」


 ドミニクは息子の言葉に反論したかったが、明確な理由が思いつかずに言葉に詰まる。

 確かに軍部のバルトロメイに対する評価はかなり低い。ホランドは結果を出せぬ者には優しくなく、例え王族といえども無能の烙印を押された者は冷遇されても文句を言えない。失態を犯したバルトロメイが今こうして国政に携われるのは、身代わりとなって死んだ老将軍コビルカの命と、当人の過去の地道な文官としての功績の積み上げによって免れているに過ぎず、武人としての評価は依然として無いも同然だった。

 そのような男に率いられるのは精強なホランド兵にとって屈辱に近く、無用な反発を招く可能性は有り得ることだ。


「父上は私を王に据えたいとお思いですが、私はそれを望みません。この際本音を申せば、サピンを滅ぼして実績を作ったユリウスを王に据えるのも已む無しと考えています。強引に私が王座に座れば多くの者はそれに反発し、最悪国が割れ、ユゴスとレゴスの様に互いに喰らい合う未来しか残りません。そのような事態になるぐらいなら、早々に弟を王座に据えてください」


 バルトロメイからの申し出にドミニクは無言だった。王として国を存続させる義務がある以上、息子の提案はいちいち理に適っており、反対する理由が無いのだ。だからこそ心の中では葛藤が渦巻き、答えを出せない。

 それを見かねたカーレルが咳払いをして注意を逸らし、そしてドミニクの代わりに話し始める。


「確かにバルトロメイ殿下の言う通り、多くの貴族や兵士達は度々ユリウス殿下を次の王にと口にしていますな。それを無視して陛下の一存でバルトロメイ殿下を王にするとなると、下手をすればユリウス殿下を担ぎ上げての内乱に発展する可能性も有り得ますな。宰相である私としても、それは看破出来ません。貴族や民からの人気や功績からユリウス殿下を次の王にするのに不満はありませんが、一つ懸念が無いわけではありません」


 カーレルが何が言いたいのか二人はすぐに思い至る。ドミニクにとって、ユリウスの性格は王に向かないと常々感じていたが、それに加え、根本的に王にしてはいけない理由をホランド王城に住む者ならば誰もが知っているからだ。


「ユリウス殿下には子が居ない。家臣である我々にとってもそれは大きな悩みの種です。単に彼が若いだけで、いずれは男児を授かるというのであれば何の心配などいりませんが、その何と言いますか、ユリウス殿下の……」


「カーレル、みなまで言うな。あれの性癖は身内である我々の方がよく知っている。あの馬鹿者が王族としての一番大事な責務を果たせないからこそ儂はアレを王に据えたくないのだ。儂やバルトロメイとて男色の経験が無い訳では無い。だが、それでも王族として子を成す義務を放棄してまで耽る物では無かろうに。

 幾ら実績があろうとも、次の者に玉座を明け渡す義務を放棄した男に王冠は譲れんぞ」


 ドミニクはそれだけは譲らぬと強い意志を以って二人を牽制する。彼からすれば実の息子が王族の責務を放棄して男に走るのを認める気にはなれない。如何に王として相応しい才があろうとも、次代に血と王座を伝えられぬ男に、この世で最も重い責務を任せる気にはなれなかった。

 一応ユリウスも女を抱けない訳では無く、かつては何度か側女に伽をさせていた。しかし、ここ数年は伽をするのは決まって男であり、特に副官のオレクを毎晩の様に寝所に連れ込んでいる事は城では周知の事実だった。これでは子が出来るはずが無く、ドミニクは一層低い評価をせざるを得なかった。

 西方では同性愛はある程度認められた文化だが、それは子を成した者が行う趣味の範疇でしかない。まず第一に優先すべきは子を成す事なのだ。それ故に子を成せない石女には価値が無いと思われ、同様に男色に耽る男の地位も相応に低いものとして扱われた。それでも男には男尊女卑の価値観から一定の権利は認められたものの、これが王族となれば話は違う。王族の存在価値とは血を残す事と、国を治める事なのだ。その片方が出来ないとなれば王として認められない。

 ドミニクからすれば、どれだけユリウスが功績を挙げようとも、後継者を作れない以上は王にしたくなかった。それはバルトロメイもカーレルも知っている。


「では私の息子のヴィクトルをユリウスの養子にして、弟が王になると同時に息子を王太子に任命するよう取引を持ち掛けましょう。そうすれば私の血が王として残りますし、弟も煩わしい後継者問題に頭を悩ませる必要も無くなります。

 私にとって真に優先すべきはホランドの存続であり繁栄です。王位はそこまで固執する物でもありませんし、余計な火種を抱えたままドナウと戦ったら、最悪内乱によって我が国は滅びます。私はそれを望みません。

 父上、どうか御決断を」


 バルトロメイの強い決意を感じたドミニクは、これ以上自分が何を言っても息子の意志を変えれそうにないと、諦観にも似た悲しさが心に渦巻いていたが、それと同時に、真に国を想う息子の存在に救われたような気がした。

 世の中ままならんと呟き、溜息を付きながらも息子の意見を採用したドミニクは、そこまで息子を警戒させるドナウに思いを巡らす。

 そもそもがドナウに負けた事が苦悩の発端なのだ。ほんの数年前まで弱小でしか無かったドナウがこれほど手強い相手に成長するなど、誰が予想出来たか。


「お前が以前話していたレオーネとかいう男はそれほどに危険なのか?」


 何気なく零れた父の言葉にバルトロメイは何の躊躇いも無く頷き、自身の考えを口にする。


「はい、あの男はこの世で誰よりも異質な存在です。彼から垂れ流される知識の一端は既に我々が四万近い犠牲を以って知る所ですが、このまま放置すればその数はさらに増え続けるでしょう。下手に放置すればホランドは完全に滅ぼされるかもしれません。

 今思えばあの時の戦で、私を含め軍を全滅させてでもあの男を殺しておくべきだったと、忸怩たる思いを抱いています」


 恐怖すら滲ませ、アラタの危険性を訴えるバルトロメイをドミニクは大げさだとも臆病とも思わない。唐突にドナウに現れ、西方で誰も見た事も聞いた事も無い道具や兵器、食物を造り続ける異邦人の話は数多く耳にしている。直接見たわけでも話しをした事も無かったが、どれほど危険で異質な人物なのかは、ナパームによって全兵力の四割を失ったドミニクにも嫌と言うほど理解出来た。


「済んだ事を気に病んだところで益など有りませんよ。それよりこれからどうやってその男を殺すかを考えましょう。

 聞けばその男は余所者の上に成り上がりで敵も多いとか。陛下はあまり好まれませんが、私が暗殺も視野に入れて搦め手を使って排除するよう算段を練ります」


 カーレルも負け戦を機にアラタに興味を持ち、様々な手段を使って調べており、バルトロメイと同様に危険視してはいた。ただ、他国の事であり自分が大して手を出せない事から半ば放置していたのだが、もうそのような事を言っている段階では無いと認識を改めて、どうにかして排除する方向に切り替えるつもりだった。それこそ暗殺者を送り込むなり、ドナウ内のアラタを快く思わない貴族に金や女を使って懐柔し、足を引っ張らせる妨害工作も辞さない。

 ドミニクは武人としてそのような後ろ暗い手段は恥ずべきものだと吐き捨てたかったが、これ以上一国を担う王として兵達の犠牲を容認するわけにはいかなかった事からカーレルの進言をそのまま受け入れて、『好きにしろ』と許可を出した。



 この日、アラタ=レオーネという男はホランドにとって最大の敵として認識される事になったが、当の本人からすれば動きが鈍いとしか思われていなかった。それでもアラタは決してホランドを侮ったりはしないのだが。



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