第102話 少年は故郷を離れる



 フィリップ家の屋敷を後にしたアラタは村の入り口で待たせていた一行に、今夜はここで一泊する事と同行者が増える事を説明する。そして領民への治療と残っていた蒸留酒を譲る事を伝えると、特に反対することなくそれぞれ自分の仕事に取り掛かる。



 一行が村の中央の広場に陣取り、天幕を張って仮設診察所を建てると、すぐに領民がやって来て治療を願い出て来た。こうした街道から外れた土地では碌に薬も手に入らず、自生している薬草などを使って治すのが関の山だ。一人二人は医者も居るだろうが、一国の王都で医者を務める者に比べれば腕は比較しない方が良い。

 患者に領主との取り決めで代金の類は不要と伝えるが、多くの患者が強引に謝礼だと言って野菜などを置いていくので、診察所の脇には時間が経てば経つほど野菜や果物の類が積まれていき、小山が出来てしまった。仕方が無いのでアラタが帰路に必要な分だけ残して宴の準備をしている女性達に渡しに行った。その中には館で見かけたシャルルの奥方らしい婦人もおり雑談に興じる。


「セシルの事、よろしくお願い致します。あの子は上の息子二人に先立たれた私達に残された最後の子供なのです。私達に出来る事ならば何でもおっしゃってください、可能な限りご期待に沿うよう力を尽くしますので」


 シャルルの妻であり、セシルの母であるロレーヌがアラタに何度も頭を下げる。恐らくは家柄も相応に高い地位の貴族だったのだろうが、何年にも渡る慣れない開拓地の生活で随分とやつれてしまっている。特に手の荒れ具合は酷いもので、周囲にいる農婦の女性らと大して変わらない肌をしていた。この村では領主の妻と言えども重労働から逃れる事が出来ないのだろう。


「お気持ちだけで十分です。私としても前途有望な少年の成長の手助けが出来るのは喜ぶべき事柄ですので。ドナウに居る間は王政府が責任を持って御子息を預からせて頂きますので、どうか御心配しないで頂きたい。私も力の及ぶ限り彼を手助け致しますので」


 その言葉を聞いたロレーヌは周囲の目を気にする事なく目に涙を浮かべてアラタの手を取って何度も感謝の言葉を口にした。ただ、失礼ながらアラタはその手の感触を、王都の屋敷に残してきたマリアとアンナの手とは随分違うと、無意識に比べていた。

 ロレーヌ以外にも多くの領民がこぞってセシルの事をお願いすると頭を下げてきて困りはしたが、これだけ慕われているのが分かっただけでも収穫だったと悪い気はしなかった。



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 アラタ達が領民の診察を終える頃には既に日が傾き始めており、宴の会場には多くの参加者が集まっていた。こうした辺境の地では娯楽らしい娯楽も無いので、楽しめる機会があるのなら可能な限り参加したいという欲が透けて見えた。何より普段口に出来ないご馳走や酒が口に出来る機会を逃すはずが無い。特にホランドに支配されている土地では税の取り立てが厳しく、食糧を酒にしては住民が飢えてしまうので、酒は誰もが滅多に口に出来ない。それは領主であるシャルルも同様であり、むしろ彼こそが率先して食事を切り詰めている筆頭だった。望めば贅沢を出来る身の上であっても民の事を第一に考えて生きる、その姿こそ領民の誰もが慕い敬う領主の姿だった。

 そしてその貴重な酒を提供してくれた主賓である旅の一行に感謝の意を述べていた。中には若い娘や未亡人らしき女性に言い寄られてだらしなく顔を綻ばせる者も何人かおり、彼等はきっと久しぶりに女を抱いて眠るつもりだろう。若いアラタには真っ先にそういう娘が何人も寄って来ていたが、奥さんがいるから駄目だと言うと、残念そうな顔をしながら他の男に切り替えていた。こうした倫理観の薄さは田舎では珍しくなく、閉鎖的な辺境に外の血を入れる正当な行為として認められていた。



 宴の開始を宣言したシャルルはまずアラタ達一行に領民達を治療した事について礼を述べ、この宴の酒は彼等からの提供であることを大々的に伝えると、多くの民から感謝の言葉が投げかけられる。

 そしてセシルをドナウへと送り出す事を伝えると、多くの者が残念そうな声を挙げる。特にその声は子供の声が目立ち、行かないで欲しいと泣く子供もちらほら見えた。近しい人間には既に伝えていたのかも知れないが、全てでは無かったのか、あるいは否定したかったのか、アラタ達には判断は付かなかった。



 兎も角も宴は始まり、家畜の肉を香草で焼いた料理やハチミツ入りのパンなどが山盛りでアラタ達の目の前に置かれ、精一杯のもてなしを受けていた。

 それ以外にも手製の楽器を使って音楽を奏でる者や、その音を背景に踊りだす者も多く、素朴ながらもみな懸命に楽しもうとしていた。

 エリィも久しぶりに同年代の子供と触れ合う機会が出来たので、村の子供達と一緒になって楽しそうに踊りに興じている。彼女には無理をさせている自覚があったので、こうした場での精神的リフレッシュは正直有り難かった。今更ながらにまだ12歳の少女を戦場に連れ込んで殺人の片棒を担がせるた事は時期尚早だったと自身の判断を誤りだと感じていた。尤も、能力に関しては掛け値無しで信頼していたこともあり、今後も必要ならば手伝わせる気は有るわけだが。

 そうした宴をぼんやりと眺めていたアラタの隣に座っていたシャルルが話しかけてくる。主催者の隣に座らせるというのが最大のもてなしの証であるのはどこの国でも変わらない。


「このような拙いもてなししか出来ませんが、連れの方々が楽しんでいただけたようでホッとしました。何分、我々も餓えずにいるのがやっとなものですから、食事も酒も満足に用意出来ないので、不興を買わぬか内心気が気では無かったのです」


「いえ、お気遣い感謝しています。今までドナウの人間にとっては敵地も同然でしたので、ようやく一息吐ける場所を提供して頂いた事は我々こそ感謝せねばなりません。話は変わりますが、御子息は領民の様子を見るに慕われているようですね。どうにも引き離すのが躊躇われます」


「いえいえ、このような田舎に居続けるよりも、外で存分に力を身に付ける方が将来の息子の為になりますのでお気遣いなく。親としては寂しさが無いとは言いませんが、ドナウで多くの人と関わる事が血と肉になると思えば涙も飲めます」


 シャルルにとっても大事な息子を人質に出すのは心苦しいが、ここでドナウの要求を断れば自分達の未来は無いと、断腸の思いで送り出す事を決めたのだ。それにドナウには息子を虐げるような意図はなく、逆に高度な教育を受ける事が出来る環境を用意してもらえ、尚且つ多くの王族や貴族と縁を結べるかもしれないのだ。自分達が寂しい思いをする以外に息子にとっての不利益など無いに等しいと言える。この提案をはね除ける理由など有るはずが無かった。


「プラニアにとって息子が唯一の希望なのです。命惜しさに戦わずにホランドに下った恥知らずの私では他の土地の民草は付いてきてくれませんが、あの子は違う。王家の血を引き、未来のあるセシルならきっとプラニアを立て直してくれます。その為ならば私はどのような汚名も蔑みも受ける覚悟です」


 勝てぬと判断し血を残す事を最優先にしてホランドに尻尾を振って生き延びた自分が、今度はドナウに尻尾を振って生き残る変節漢でしかないのは誰よりも自分が知っているが、七年前のホランドとの戦で主君や二人の息子を筆頭に親族を悉く失った恨み以上に、生き残ってしまったという罪悪感に苛まれた歳月を無駄にしない為にも、シャルルは差し出せる物は全て差し出すつもりだった。その全ては自らの民と息子の未来の為なのだ。


「――――シャルル殿のような高潔な方だからこそ我々は協力を惜しまない事を心の片隅に覚えていてください。貴方が己を卑下していては、恥かしさで国民に顔向け出来ぬ貴族でこの世は溢れてしまいます。尤もそのような者は厚顔無恥を地で行くので、己の所業を大して気にも留めぬでしょうが」


 シャルルの心の慟哭を受け止めたアラタは多少なりとも慰めの言葉を掛けようとしたが、どちらかといえば自身が抱えるドナウ貴族への不満を露呈してしまい、シャルルに凝視されてしまう。慌てて咳払いをしてその場を取り繕おうとしたが既に遅く、逆に彼に貴族というのはそういう生き物だと諭されてしまった。



 敵地の中の移動から来る心労から本音を零してしまったという失態もあったが、アラタとシャルルは程々に話をして親交を深めていると、一人の中年が二人に近づいて来る。先にシャルルがそれに気づき、手招きした所を見るとよく知る人物なのだろう。


「待っていたぞジャック。レオーネ殿にも紹介致しましょう、この男はジャック=エーカーと言いまして、当家に代々仕える貴族の一人であり私の腹心でもあります。この度、セシルの世話役の一人としてドナウに向かわせるつもりです。ドナウでは不要でしょうが、護衛としても有用です」


「ジャック=エーカーです、お噂はかねがね伺っておりますレオーネ殿。若への実務は全て私が請け負いますのでご安心ください」


 歳の頃を五十は超え、西方ではそろそろ老境に差し掛かろうとするジャックだったが、その肉体は衰えを見せておらず、その身に纏う雰囲気から実戦経験豊富な古強者なのが読み取れた。シャルルの言葉通り、現役の兵士としてもやっていけそうな屈強な肉体を顕わにしていた。

 アラタとしても、曲がりなりにも外国の一貴族の子息が伴も付けずにやって来れば要らぬ嘲笑を受ける事になったので、この提案は渡りに船と言えた。


「こちらこそよろしくお願いしますエーカー殿。ところで一人と仰いましたが、まだ同行者がいるのですか?」


「ええ、もう一人雑用としてセシルと同じ年のローザという娘を付けるつもりです。私にとっては身分が違えど、娘の様に思っている子ですから、厚かましいとは思いますがどうか気に掛けてあげて頂きたい」


 アラタもその少女の名には聞き覚えがあった事からすぐに顔が思い出せた。昼間、セシルと一緒に居た少女と同一だろう。シャルルの言葉からセシルの幼馴染として長く付き合いがあるのが読み取れた。恐らく二人が離れ離れになるのを忍びないと思った親心から雑用として同行させるのだろう。使用人一人ぐらいなら大した負担もない事もあり、提案を快く受け入れた。



 翌日、辛い別れを済ませたと思ったセシルに当のローザが同行すると知って、憮然とした様子で黙っていた父に別れを告げる一幕があったが、アラタの仲裁で事無きを得たのだった。



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