第101話 御輿




 ピルム山地を後にしたアラタ達一行はホランド国旧プラニア領を主要街道を避けつつ北上していた。

 現在のプラニア領の主だった都市はサピン軍の蹂躙によって荒廃していた。そしてその都市の再建と治安維持の為にホランド軍が再駐留しており、無用な面倒事に巻き込まれない為に一行は未開拓地域である北西部を進んでいた。

 道なき道であるが平野部を通っているのでそれほど苦労していないのだが、変化に乏しい平野を数日進む事にエリィは飽き始めてアラタに暇だと漏らしている。


「ホランド兵に会わないのは楽ですけど、こう何も無いと退屈です」


 他の大人達は贅沢な事を漏らすエリィに呆れる。彼等からすれば暇で結構、これ以上厄介事に関わりたいとは思わない。特に殺気立ったホランド兵の相手はアラタが対応しているとはいえ毎回寿命を縮めるような想いだった。


「そう言うな、この辺りを通るのもそれなりに意味があるからな。ホランド兵に会わないようにするのと、もう一つ元プラニア貴族と会うのも目的の一つなんだよ。フィリップ家という貴族で、七年前にホランドとプラニアが戦になった時にいち早くホランドに恭順して生き永らえた家らしい。プラニア王家とも縁戚で、領民の身の安全との引き換えに開拓地に送られる事を受け入れたそうだ。民の為なら汚名や罵声も粛々と受け入れる精神は決して軽んじて良い物じゃない。失礼な物言いは無しだ、そこの所は覚えておくように」


 アラタに釘を刺されたエリィは、ふーんと気の無い返事をしているが、一応理解をしてくれたらしい。まあエリィも城勤めなので貴族への礼を失する事は無いと、釘を刺しつつもアラタはある程度は信用していた。



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 一行はこの後、数時間ほど竜車に揺られ続け、一切舗装されていない平野を進み続けると遠目に集落が見えてきた。その手前には刈り終えたばかりの麦畑が広がっており、畑を分断する中央には石畳のような手の込んだ道では無かったが、きちんと踏み固められて雑草の無い舗装された道が集落へと続いている。

 刈り終えてさっぱりした麦畑では歳のバラバラの子供達が何人も遊んでおり、戦乱とは無縁ののどかな田園風景の日常といった情景で、敵地を彷徨っていた一行の心を癒してくれる。

 その子供の内の一人がこちらに気づいて騒ぎ始めると、子供達の中でも一番年上の少年が、それに少し遅れて同じ年頃の少女がこちらに近づいて来た。


「お前達は何者だ!この先には私達の村しかない。ホランド軍には見えないが、素性の怪しい人間を村に入れさせるわけにはいかないぞ」


 こちらへの第一声は随分と喧嘩腰だったが、12~3歳の少年からすれば部外者への好奇心よりも警戒心が強く出るのは仕方の無い事なのかもしれない。

 見た所少年は開拓地の農村に似合わない利発そうな顔立ちで、金糸の様に照り輝く金髪と他の子供より幾らか上等な身なりが彼の身分の一端を表していた。


「何者かと聞かれたら、答えなければならないな。我々は先日までサピンで仕事をしてきたドナウの商人で、俺はオウルという。今はその帰り道で、この村に立ち寄った。理解してくれたなら、その木剣から手を放してくれるかい?構えてはいないが、手に掛けているのはこちらも気分が良くない」


 少年はアラタの言葉を聞き、少なくともホランド人では無いとある程度警戒心を解いたようだ。少しばつが悪そうに腰に差していた木剣の柄から手を放し、威嚇したことを謝罪した。

 その様子を見て、歳に似合わない利発さだとアラタは目の前の少年を内心高く評価し名前を聞く。


「私はセシル=フィリップ、隣はローザだ。商人というなら物の売り買いは、まず父に許可をもらわなければ出来ないぞ。私の父はこの近隣を治める領主だからな、まずは屋敷まで案内する。取り敢えず代表者だけ一人来てくれ」


 フィリップと言えばアラタが会う予定の貴族。そしてその姓を名乗るのなら、この少年は報告書にもあったフィリップ家の最後の子供なのだろう。そう考えれば、鄙びた農村に似つかわしくない雰囲気を纏った少年にも納得出来る。

 アラタは他の同行者を村の外に待たせて、セシルの後に付いて村へと入って行った。



 セシルと歩いている最中にもアラタは、ただぼんやりと歩いている訳では無く、村の詳細な情報を拾おうと首から上を動かすことなく視線だけは絶え間なく動かし続けている。現在歩いている道の舗装、領民の家屋、家畜の有無に金属製品の数と質。そして領民そのもの。

 こうしてセシルと歩いていると、村人が気さくに彼に話しかけているのを見ると、領主の一族と言っても随分と気安い関係であり、慕われているのが良く分かる。


「君や、君の御父上は慕われているようだな。住民の明るい顔は善政を敷いている証拠だ」


 彼自身も慕われているのだろうが、それ以上に彼の父でありこの土地の領主がきっちりと仕事をしているからだろう。その仕事の成果が彼等の笑顔に顕れている。

 しかし、セシルの表情は硬い。こういう場合、自身の身内を褒められれば何かしら良い感情を浮かべる物だが、彼の心は晴れやかでなかった。


「そう見えるのはホランド人が居ないからだ。どれだけ父上が民を慈しみ、毎日政務をこなしても、収穫を終えた麦や作物を取り立てに来るホランド人が一人でもやって来たら、誰もが暗い顔になる。あいつらが居る限り、私も父も、そして領民達も良い暮らしは決して出来ないんだ」


 セシルにとってアラタの称賛の言葉は不快ではないものの、嬉しさとは無縁だった。この地に住むセシルからすれば、自分達がどれだけ汗水垂らして働いても、ホランド人が居る限り搾取され続けるしかない。そんな悔しい思いを何年も受けている身からすれば、部外者からの純粋な称賛も、斜に構えてしまうのは仕方の無い事だろう。


「貴方達ドナウ人はホランドに勝ったが、ドナウとはそんなにも強いのか?それともホランドは実はそれほど強くないのか?」


「ホランドは強いよ、それもドナウの数倍はな。今回はホランドがドナウが弱いと決めてかかって舐めたから勝てたというのが実情だよ。古い格言のなかに『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』という物がある。ドナウはそれを実践したに過ぎない。

 新兵器であるナパームも相手が知っていたら、その性能も半減する以上、如何に情報を相手に与えない事が肝要なんだ。そしてどれだけ強くても傲慢に振る舞えば痛い目に合うという事を覚えておくといい」


 今のアラタはオウルという一商人に過ぎないので、あまり込み入った話は出来ないのだが、出来れば隣を歩く少年に不義理は働きたくないと、領民に対し真摯な想いを抱く将来有望な少年に幾らか手助けしてやりたいと感じていた。それと同時に今後のドナウにとっても、彼のような民を大事にする為政者は有用であると、打算的な思惑もあった。

 アラタの言葉を幾らか理解出来たセシルは成程と納得するが、同時に一商人が知り得る情報なのかと疑問に思う。以前この地にやって来たドナウ商人は、ホランドとの戦いで圧倒的な勝ちを修めたとしか話さなかった。

 些か不審な点はあるが、自身が勝手に判断するべきではないと疑心を振り払い、判断を父に委ねる事にした。



 セシルに若干の疑惑を持たれていたとは知らないアラタだったが無事に領主の館へと到着した。ただ、館と言ってもそれは他の領民の家屋より大きいというだけで特別手が込んだ造りでも無く、知らない者が見れば領主の屋敷より村長の家に見えただろう。

 そうした印象は表には出さずに中へ入ると、すぐに目当ての人物へと引き合わされる。

 アラタから見た第一印象は疲れた中年男だった。他の領民と違い、一目で貴族とわかる装いをしていたが幾らか草臥れていた。そしてその面構えは生気に溢れているとは言い難く、気丈に振る舞っていても心労による疲れが見え隠れしていた。


「ただいま戻りました父上。隣に居るのはドナウ商人のオウルといいます。この地で商売をしたいとの事で連れてきました」


「お帰りセシル。そして初めましてオウル殿、遠方からよく来てくれた。私がこの地を治めるシャルル=フィリップだ。それで何を扱っているのかね?」


 シャルルは息子を軽く労いアラタに歓迎の意を示す。この近辺は碌に開墾が進んでおらず、街道からもかなり離れているので人の往来も少なく、稀にやって来る商人は歓迎されるのだろう。高圧さも見られず、心から歓迎されているのが読み取れた。

 アラタはまず自分達がサピンからの仕事帰りの医者であり、薬が幾らかある事と消毒用の蒸留酒が残っている事を話すと、シャルルは領民の治療と薬、そして残った蒸留酒を買い取りたいと申し出る。

 それをアラタはすぐに了承し、ついでに代金は不要と口にすると、シャルルとセシルは訝しむ。商人なのに商品の代金を受け取らないなどあからさまにおかしい。


「君は以前やって来たドナウ商人の仲間かね?あの時の商人も援助という形で品物を置いて行ったが、君もドナウ王国に雇われているのか?」


「はい、そうです。以前やって来た商人は本物の商人でしたが、私は別の役職をカリウス陛下から賜っています。ここに訪れたのは、シャルル殿とそのご子息の人となりを拝見するためでして、以前やって来た商人から幾らかは情報を得ていますが、私自身が判断したかった為でもあります」


 アラタの言葉にシャルルは『あの件か』とだけポツリと呟く。セシルは何の事かと父親に問いかけるが、その疑問には答えなかった。どうやら彼はドナウの提案した御輿の事は息子には話していないらしい。


「それで、君から見て私達はどう見えたかね?当てが外れたかな」


 シャルルは冗談めかした物言いをするが、アラタはそれを笑って否定する。むしろ報告書以上の人材だと、飾り気の無い意見を口にすると、息子は兎も角、買いかぶり過ぎだと笑い返された。

 そこはアラタも否定せず、セシルの事を歳に似合わない利発さを持つ将来有望な少年だと称賛すると、当人は気恥ずかしさから目を逸らしてしまった。この辺りはまだまだ子供と言えた。

 一人だけ蚊帳の外に置かれるのは良い気はしないと、彼は息子に、以前ドナウから提案されたホランドとの戦になった場合、占領地の解放の為にフィリップ家を旗印としてドナウに担がれる事を語ると、興奮した面持ちでドナウとの協力を喜んだ。若いセシルからすればこのまま生涯に渡りホランドの傍若無人な振る舞いを受け続けるのは耐え難い屈辱だったからだ。そのホランドを打倒出来るのなら、自分も是非とも働きたいと父親に願い出た。

 それを見たアラタはドナウにとって都合の良い人材がいる事を知りほくそ笑む。特にセシルは扱いやすい少年なのが分かり、手間が掛からない事を喜んだ。


「熱意のある若者は歓迎しますよ。そして次世代のプラニアを担う人材は優秀であればある程、今後友好関係を築きたいドナウにも大きな利となります。どうでしょう、御子息が望むのであればドナウで勉学に励める環境を私がご用意いたしますが?」


 アラタの提案に、すぐにでもドナウに行きたいと、セシルは父に願い出ようとしたがここはグッと堪えた。流石にこれは父の判断が優先される懸案であり、自分が幾ら駄々をこねても覆るような簡単な選択では無いからだ。シャルルは息子の期待を込めた視線には気づいたが、今すぐに決めて良いものかと思案していた。何より息子は自分に残された最後の子供なのだ。出来ればまだ手元に置いて教育しておきたかったが、ドナウからの提案を無碍に断る事は今後を考えると避けたい。

 そして目の前の男が本当に信用に足りる男なのかも、まだ決めかねている。物腰からただの使い走りではないのは凡そ判断出来るが、一時的にとは言え大事な息子の身柄を預けるのには判断材料が足りない。

 シャルルの値踏みと迷いに何となく気づいたアラタは、彼等にならば自分の本来の名と地位を明かしても良いと判断した。何より大事な御輿に不信感を持たれるのは今後の付き合いに影響が出るのは避けたい。

 アラタは二人に自分の本名を名乗り、宰相直下の諜報部の長だと告げると、シャルルはあんぐりと口を開けたまま目を見開き、セシルは憧れの人物が目の前に居る事を、人生最良の日と言って飛び上がって喜んだ。

 この街道も碌に整備されていない開拓地にもアラタの名前は知れ渡っている。自分達の名目上の主人であるホランド軍三万を僅かな犠牲を以て叩きのめした稀代の知恵者であり、王女を娶った平民だという話から一時は西方の話題を一色にした男だったからだ。今まで散々にホランドに苦しめられてきた人間達はこぞってアラタとドナウを称賛した。この村の領民も例外では無く、特にセシルはホランドへの憎しみの反動から非常に強い憧れを抱いていた。

 そんな憧れの人物が自身に目を掛けてくれる事を喜び、父に是非ともドナウへ行かせてほしいと頼み込む。シャルルも息子の将来とドナウとの関係を考えると、留学生として丁重に扱ってもらったほうが大きな得になると冷静に計算し、アラタの提案を受け入れた。人質としての色も含んだ留学になるだろうが、当人が望んで行く事がそれなりに救いだった。


「そうと決まれば宴の準備をさせるとしよう。セシル、お前もこれからの準備と、別れを告げたい者が居るだろうから悔いは残さない様に言葉を交わしておけ。レオーネ殿には領民の治療と物資の受け渡しをお願いしたい。では宴でお会いしましょう」


 そう言うとシャルルは妻らしき妙齢の女性に宴の準備を命じて退席した。恐らく領地の有力者と今後を話し合いのだろう。アラタも連れの医者達に領民の治療を指示する為に館を出て、村の入口へと戻って行った。

 残されたセシルは喜びを噛みしめていたが、同時に住み慣れた土地を離れなければならない寂しさも感じており、特に幼少の頃より一緒に過ごしたローザにどう説明するかで頭を悩ませることになる。尤も、その悩みもすぐに解決する事になるのは当人には与り知らぬ事だった。



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