第99話 神座



 ホランド軍から離れて半月が経とうとしていた頃、アラタ達一行は今、山越えに四苦八苦していた。この辺りはピルム山地と呼ばれ、古来からプラニアとの国境として役立っていた土地である。つまりこの山を越えれば、そこから先はホランドの領地になる。

 赤焼けた岩と土に染められて、まばらな木が生えている禿山を、一行は懸命に坂を上り続けている。ここに来て暢気に竜車に乗っている者はおらず、竜に負担を掛けない様、全員が外に出て歩いていた。

 殆どの者が、慣れない山道で息を切らしながら、麓で拾った木の枝を杖のように使って、ヒイヒイ言いながらも懸命に歩みを止めなかった。そんな一同の中で顔色一つ変えず、むしろ楽し気に歩いている男が一人いた。


「はあはあ、レオーネ殿は随分余裕がありますな。私など、もうこの場で寝転がって休みたいぐらいですよ。流石は軍人です」


 ぜいぜいと肩で息をしていた中年の男が、平気な面をしているアラタに話しかける。彼はゴットバルト=リーガーといい、学務省の人間で医療技術を修めていたので、今回の旅にルドルフからの上司命令で半ば無理矢理同行させられていた。腕は良いが、この様子では体力はあまり無いらしい。


「リーガー殿は苦しいそうだな。俺は騎士のような鍛錬はしていないが、普段から鍛えているからね。それに故郷にいた頃にも鍛錬の為にこうして山を登っていたよ。あの時は山の厳しさが楽しかったな」


 懐かしいなあ、と昔を思い出しているのか、顔を綻ばせていたが、息も絶え絶えなゴットバルトからすれば山に登って何が楽しいのかさっぱり分からなかった。

 他の者もアラタの話が聞こえていたのだろう。こんな苦しい思いを率先して行うなど、理解不能な思考をしていると、アラタを異質な生き物のように捉えていた。


「はあはあ、けど身体を鍛えるのは分かるけど、どうして山なの?他にも鍛える方法ってあるでしょ?」


 エリィもなぜこんな苦しい真似を自分からするのか、さっぱり理解出来ずアラタに尋ねる。


「平地で身体を動かすより鍛える効率が良いからかな。それと俺の場合は単なる鍛錬だけど、山に登る文化は世界中にあるからさ。高い山と言うのは人知の及ばない神の住処、あるいは神その物と太古から考えられていて、その山の頂に登れば、神に会える、あるいは神の力を身に宿す事が出来ると考えられてきた。だから数千年前から、信仰厚い神官や修行者の試練の場として畏怖の対象とされてきたんだ。他にも世俗から最も遠い場所と考えられていたから、死者の魂と会える場所なんて考えもある」


 人間と言うものは本能的に大きな存在に恐れを抱く精神構造をしている。その為、古来より山に限らず大岩や巨木、あるいは大河に神を見出し、崇拝の対象としてきた。一同の反応を見るに、ドナウには精霊信仰が根付いているが、どうやら山は信仰の対象ではないのかもしれない。もしかしたら山の少ないドナウでは根付かなかったか。

 アラタも信仰深い人間とは言い難い。それどころかこの世で最も憎悪すべき対象と見ている。

 26世紀の地球はライブとの闘争によって、文化が停滞しており、宗教もかなり衰退していた。祈った所で、ライブとの戦いに役に立つと思えないと、大多数の人間が信仰を捨て去ってしまっていた。今ではどの宗教も細々とした活動や、クリスマスのような商業目的のイベントにだけ存在する、過去の文化へと成り下がっていた。

 アメリカ育ちのアラタも、クリスマスやハロウィンはケーキを食べていたが、聖書など碌に読んだ事も無く、部屋の片隅に置かれて埃を被っているだけの置物でしか無かった。



 そんなアラタの山への信仰を聞いた一行は、そういうものかと軽い反応だったが、その中で一人だけ微かに興味を持った者もいた。普段なら、そんな反応を返すと思えない人物であり、失礼だがアラタも少し驚いた。


「お前の国でも山というのは神座と思われているのか」


「その口ぶりだと、サピンにも山岳信仰があるらしいなガート」


 普段は碌に喋らず相槌や頷く程度のコミュニケーションしかしないガートがアラタ達の会話に入ってくる。この数ヶ月、殆どの人間と仕事以外に会話らしい会話もせず、かなり浮いていた彼女が自分から話に入って来た事は、同じ女としてよく一緒に行動していたエリィを除いて、アラタですら驚きに値した。そのエリィもホランドの宿営地でガートが振りまいた殺戮を目の当たりにして、数日は言葉を掛けるのすら躊躇っていたが、どうにか元のように話しかけられるようになっていた。


「サピンは元々山を掘って金属を手に入れ、道具を作る国だった。だから山を神と崇めて恐れ奉った。そしてこの山の頂から少し離れた場所に、神の祭壇と呼ばれる場所があると、昔この辺りに住んでいた村人から聞いた。私が知っているのはそれぐらいだ」


 言いたい事を言ったガートはそれっきり口を閉ざしたが、アラタはその神座というのに興味が湧いた。地球の宗教のように戒律を守らせる為や自然現象を説明する為に定義付けられた神ではない、この星特有の神術と呼ばれる不可思議な現象と関わりのある神とはいったいどのような存在なのか、あるいはまったくの無関係なのかを検証するのに役立つ情報を得られるかもしれないと考え、少しでも調査をしたいと考えていた。もしかすれば自身をこの星に放り込んだ元凶の正体を幾らか掴めるかもしれないのだ。調べる価値はある。

 一行はドナウへの帰還を目的としているので長々と調査に時間は掛けられないが、現在は既に昼を過ぎており、このまま行くと山頂に着く頃には日が傾いている。夜の山道は危険な事から、どの道今日は山頂付近で野営しなければならないので、その時間を使って一人で調査しようと決めた。



 一行は予定通り、日暮れ前に山頂付近に着き、台地になった場所で野営する準備に取り掛かる。一行は貧民と貴族の集まりだったが、今回の旅では身分に関係なく、各々が決められた役割を粛々と務めていた。最初は貴族も雑用に難色を示したが、アラタが率先して動いているのを見て、自分達が動かないのは拙いと感じて、アラタや他の者に教えられながら、煮炊きや天幕の設営を覚えていた。

 今一行が居る大地はおよそ標高1000メートル程度の高地だが、西方地域の南部は特に温かい事と、現在は夏なので防寒着も不要だ。ピルム山地は所々に2000メートル級の峰が有るが、古くからその間の比較的低い場所を道として利用しており、海運が発達した現在でも個人単位の行商人が活発に交易路として利用しているのだが、一行とすれ違ったり同行するような旅人は皆無だった。

 現在サピン国内は戦争中であり、人の移動は困難極まり、国内のあちらこちらでホランド騎兵が猛威を振るっており、略奪焼き討ち凌辱が日常化していた。アラタ達もここに来るまでの道中、何度も騎兵部隊に囲まれたが、ユリウスが土産としてくれた通行許可証を見せると、驚きながらも手を出す事を控えた。中には偽物だと因縁を付けてきた者も居たが、そういう時はアラタに下賜された短剣を見せ、


「我々はユリウス殿下から仕事を命じられた。その仕事を貴方方は邪魔するのか?それはユリウス殿下への反逆行為と受け取って宜しいか?」


 そこまで啖呵を切ったらホランド士官も引き下がる他ない。ユリウス王子が直々に短剣を持たせたという事は、目の前の商人が相当気に入られていると察して、不用意に手を出せばどんな処分が下るか分からない。自国を負かしたドナウ人は気に入らなかったが、考え無しに殺すのは不味すぎる相手と判断し、彼等をそのまま通した。

 関係の無い話だが、その事が気に入らなかった士官は、その鬱憤をサピンの村々を必要以上に襲う事で解消し、憎悪を育む事になる。尤も、元から襲う気満々だったので大して関係無かったが。

 ドナウ側もホランドの感情は熟知しているので、わざわざホランド領のプラニアは通らない。そのプラニアもサピンの占領に遭い、かなり蹂躙されており、その再建の目途が立っていなことから人の移動は碌に無い。

 よって、アラタ達は今までホランド人しか見ていなかった。



 他の一行が野営の準備をしている間、アラタは辺りの警戒に従事していた。禿山なのでこちらは丸見えだが、同時に相手も丸見えなので比較的警護は楽だ。だが狼や猪が居ないとは限らないので、念の為に辺りの見回りは怠っていない――――――というポーズを示していた。


(ドーラ、周囲に大型生物の反応は?)


(―――――近隣に大型生物の反応なし。人間も貴方達だけです)


 アラタの搭乗機であるV-3Eの観測機器を使って周囲の警戒をしていたので視認する必要も無い。地上におけるV-3Eの観測範囲はドナウの国内程度であり、サピン国内まではドーラの通信も届かない。その為、機体に搭載されていた小型情報端末を一つアラタに随伴させて、中継も兼ねた観測手段として活用していた。

 小型端末は六基搭載されており、数か月程度なら無補給で稼働できる程度の耐久性と持久性を持っていた。現在も一行に悟らせない様、かなり離れた場所に待機させている。この数ヶ月、こうしてアラタに張り付いて観測を続けており、情報収集に不可欠な存在になっていた。

 ただ、機体に接続しておけば補修用のナノマシンがある程度は整備してくれるので、余程の事が無ければ破損する事も無いが、年単位の稼働など想定外の範囲なので過信は出来ない事もあり、気軽に使う気は無かった。


(現状は問題無しか。それで、神の祭壇というのは見つかったか?)


(―――――はい、それらしい環状列石が野営地から1km程度離れた山峰の麓にあります。簡単な観測ですが、何かしらの力場が発生しているように見受けられます)


 地球にも石を円状に設置した遺跡は多い。多くは墓地や祭事の場として神聖、あるいは穢れを封じ込める考えから設置されたものだ。サピン人も同様に考えつき、神の住処としたのかもしれない。それは地球とこの星の人間が同じ起源を持つ生命なので、精神も似通ったと考えれば納得するが、それ以上に気になったのがドーラの『力場』という言葉だ。

 二年間の観測によってドナウ内のほぼ全ての情報は得られたが、神術に関してだけは未だに謎が多かった。何人ものサンプルを調べた結果、術の行使時に詳細不明の力場が発生している事は突き止めたものの、その力場の正体が分からないままだった。現在もドナウ内で調査し続けてはいるが、その答えが判明する事は今の所無いと見ている。



 V-3Eには人類が獲得した膨大な知識が納まっている。そして観測手段も備わっているものの、自らが思考し、回答を作る事は出来ない。あくまでも道具であり、自らが新たな答えを導き出すようには出来ていない。備わった知識の中で回答を用意する――――人ではない道具の限界だった。

 となれば考えるのはアラタだが、残念ながら彼は学者ではない。どれだけ知識を備えた有能な人間でも、向き不向きがある。アラタには学者のように法則を見つけ出す事も、新学説を唱える事は出来ないのだ。


(俺が見た所で何か分かるとは思えんが、食事を摂ったら一応見ておく。お前は引き続き、観測を続けておいてくれ)


 了解です、と観測機経由で一拍子遅れた返事が返って来たアラタは、淡い期待を胸に野営地に戻ることにした。もしかしたら、なぜ自分がこの星にやって来たのか、答えが分かるかもしれないのだ。あるいは本当に神が居るのなら、是非とも聞いてみたいものだ。


『なぜ人間をこうも脆弱な存在に作りやがった』――――アラタはありったけの憎悪を込めて問いかけたかった。



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