第98話 店じまい



 ホランド軍宿営地でユリウス王子と謁見してからおよそ十日、ドナウ医師団は見立て通り薬をほぼ使い切ったので、明日にでも引き上げる事を決めると、アラタは挨拶の為にユリウスの本陣を訪れていた。


「ユリウス殿下には過分な配慮をしていただき、我ら一同誠に感謝しております。名残惜しいですが、薬が無い以上は医者も役に立たないので、明日の朝にでもこの地を去らせていただきます」


「そうか、薬が無いのでは満足に兵の傷を癒す事も出来まい。お前達の医術は惜しいが、他の行商人から薬は手に入るし、強くは引き止めんよ。金の為とはいえ、今までご苦労だった」


 ユリウスは多少ではあるが、アラタ達が去って行くのを惜しいと感じ、残念そうな顔を見せたが、それを見た腹心のオレクがアラタの事を射殺さんばかりに睨み付けるが、気づかない振りをしてやり過ごしていた。


「酒の代金と兵の治療の対価は出発時に軍の財務官に貰っておけ。それから、私から個人的に褒美をやろう」


 そう言うとユリウスは、一枚の羊皮紙と白い柄の短剣をアラタに投げ寄越す。慌てず右手で剣を、左手に羊皮紙を掴み、先に羊皮紙を観察する。

 ざっと目を通すと、サピンとホランドの旧プラニア領の自由通行許可証らしい。ユリウス直筆の署名が入っており、カドルチーク王家の竜の印璽も入っている。正式に王家が発行した許可証のようだ。

 これは一商人に発行されるような軽い書類では無い。これさえあれば、ホランド軍と出くわしても余計な因縁を付けられる事はほぼ無いと見て良い。


「ありがたき幸せ。――――それから剣は……この柄はサイの角で出来ていますね。王家の印も入っていますが、このような貴重な物を頂いても宜しいのですか?」


 サイは本来西方には居ない。ドナウやホランドからかなり離れた熱帯の土地に生息していると言われており、その角は装飾品や美術品として珍重されていた。ドナウでも僅かだが輸入しており、限られた人間が手に出来る貴重品なのだ。アラタもマリアと結婚した時に贈答品として数点贈られたが、一個の装飾品の値が平民の数年分の給金になるという。ホランドでも価値はそれほど差が無い筈だが、そんな貴重品を一商人に下賜するなど、随分と気に入られたものだと、自分の事ながら呆れてしまう。

 ホランド人の持つ物らしく、余計な装飾は殆ど無いが、却ってそれが角の光沢ある白を際立たせていた。


「お前にとっては貴重品かも知れんが私にとっては数ある中の一振りに過ぎん。遠慮などせず貰っておけ」


 オレクが何故自分を敵視するか良く分かった。口ではああ言っているが、明らかに気に入った人間にしか贈ったりはしないのだろう。男の嫉妬は女より厄介だと、誰かが口にしていたが、あの様子を見ると正鵠を得ていると納得した。


「ははっ、では生涯大切に致します。―――ですが、殿下もお人が悪い。これ程の厚遇を受けてしまったら、殿下にお仕えしたくなってしまいます」


「それでも、私に仕える事は無いのだろう?やれやれ、お前は余程妻にご執心らしいな。まあ、子が産まれるのなら尚更か。もし気が変わったら妻子ごと来い。食うに困らん禄はやろう」


 仕方の無い奴め、と笑いながらユリウスは許していた。こうした気前の良さが軍人には親しまれるのだろう。反対にオレクの機嫌は凄まじく悪くなっていたが。

 愛する主人の再三の勧誘を断っておきながら、これ程に気に入られ、あまつさえ短剣を下賜されるなど、自身をどれだけ不快にさせるのか。そう目が語っていた。


「そのお言葉、胸に刻んでおきます。では、名残惜しいですが私はこれで失礼いたします。それと酒と薬は別の人間に送らせるよう手配しておきます。ドナウに戻ったら私には別の仕事が用意されているはずですので」


 それだけ言うとアラタはユリウスの陣を退出する。その後姿を視線で殺したいほど、深く鋭く睨んでいたオレクだったが、実際に手を出す事を当のユリウスから禁じられており鬱屈していた。

 ユリウスはアラタの事をドナウ軍の士官だと見なしており、その任務をホランド軍の内情を探る偵察行為だと判断していた。なればこそ可能な限り正確な情報を持ち帰ってくれないと困るのだ。ホランドが未だ健在だと知らしめる事で、サピンのような舐め腐った真似をしないよう警告する。それがユリウスの判断だった。サピンの滅亡まで付き合わないのは残念に思ったが、ある程度情報が出そろったのだろう。こちらとしても無理に引き留める理由が無いので、そのまま去らせた。


「いずれドナウと雌雄を決した後は私が拾ってやろう。まあ、それまで生きていたらの話だがな」


 恐らくそれは無いだろうと、ユリウスは感じていた。あれが軍人ならば前線に出ないはずが無い。だとすればホランド軍と戦えば、必ず命を落とす。惜しくはあってもそれだけだ。だが、命の危機にあっても自分に靡かず、己の矜持を曲げないアラタを好ましく思っているのもまた事実。ユリウスは気骨のある強い男が好きだった。

 ユリウスの内心をオレクも分かっているので、主人の命に逆らう事は無い。だが、いつか戦場で見かけたら、主の心を惑わした罪人として必ず自分が殺してやると、静かな殺意を磨き続けた。



       □□□□□□□□□



 翌朝、アラタを始めとしたドナウ人の一行はホランド軍の宿営地を出発した。

 日が登ったのと同時に攻城戦は再開されており、投石器が常時稼働し、サピン王都の城壁を破壊し続けている。一ヵ月以上の攻撃で随分と城壁はくたびれていたが、まだまだ原形は保っていた。その状態を把握し、あと数ヶ月は持つはずだと、アラタは計算して今後のドナウの方針を考えていた。

 一団はサピン内をあらかじめ船で持ち込んだ竜車で移動する。詰めれば全員が乗れるし、酒樽を積んでいた荷車もあるので移動は比較的楽だ。案内役のガートも居るので、宿営地よりは気を張らずに済む。ただ、幾つかの山越えがあるので、そこだけは苦労するとの事だった。

 行程はおよそ一ヵ月。西方地域の南端の海沿いにあるサピン王都からサピン国内を北上し、ホランド領旧プラニアを抜けてドナウ王都へと帰還する予定だ。

 食糧は軍の兵糧を融通してもらい余裕はある。ユリウスが代金と共に用意してくれた物で、ありがたく貰っておいた。代金は金貨で支払われたが、そのどれもがサピンが発行した金貨だった。どうやら行軍進路上の街から略奪した財貨や、布陣してから周囲の集落から奪って来たり、恭順を示した貴族からの貢ぎ物なのだろう。

 金は金なので違いなど無い以上、この金貨は旅に同行した医者が受けとるべき報酬になる。



 約四十日居座った成果はかなりのものになった。騎兵、歩兵を含めて都合二十五人の指揮官と士官を闇に葬っており、さらにこれからも攻城戦が続くので、その数は確実に増える。

 それだけでなく、アブサンがホランド軍全体に認知され、その味が好評となった事で、彼等はまたアブサンを求めるに違いない。現にユリウス王子も愛飲しており、追加の注文も受けているのだ。これならば思った以上に軍の中毒者を増やす事が出来、これからの戦いを優位に運ぶ事が可能になる。


「でも、アラタ様って何で王子様にあんなに気に入られたの?もしかして惚れられた?」


 警戒の為にアラタは外に出ており、お供で一緒に外を歩いていたエリィがとんでもない事を口にして主人を唖然とさせる。確かに西方では同性愛は一定の理解を得られるが、間違ってもアラタは同性愛者ではない。宿営地に連れてこられた少年が強姦されているのを見ているので、どういうものかをエリィも知っているのだろうが、その手の話題は避けたかった。


「やめろ、やめてくれ。多分違うと思いたい。酒を気に入ったのもあるだろうし、純粋に強い戦士に敬意を払っているだけだろう。あるいは俺がドナウの人間だと知って嫌がらせに勧誘したかったのかも知れない。本当にだぞ」


 ただでさえあの副官に嫉妬されて睨まれているのだ。これ以上男同士の痴情のもつれに関わり合いになりたくない。自分で連れて来ておかしな事だが、戦場とは情操教育に凄まじく悪い場所だったと、アラタはエリィを連れて来た事を反省した。



 アラタが珍しく狼狽しているのが面白いらしく、エリィはしばらくこの話題でアラタをからかい、アンナへのプロポーズ以来、久しぶりに力の籠った拳骨をもらい悶絶していた。その様子を見た他の同行者は、二人が主従より仲の良い親子に見えて、呆れていた。アラタが平民なのは周知の事実だが、いい加減王女の伴侶という自覚を持ってもらいたいと、アラタに好意的な貴族は考えている。

 礼法や仕事の有能さ以外にも貴族が貴族として振る舞う事は、この国の制度を肯定する事であり義務と言って良い。王族、貴族、平民はそれぞれ違う生き物だというのに、彼はその垣根が随分と低い。公式の場で序列を乱す事が無いのと、生まれと育ちが異なる以上、幾らかは眼を瞑るつもりだが、例え王女の夫とはいえ本来は許されるべきではないのだ。

 尤も、アラタから言わせれば国王が許したレオーネ家こそ、三つの身分の垣根が取り払われた象徴ではないのかと、日ごろから思っていたので、両者の思想は決して交わる事の無い平行線のままだった。



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