第77話 アラタへの危惧



 新年を迎え、しばらく経った雪のちらつく寒い日に、アラタは荷物を抱えて城の軍司令オリバー=ツヴァイクの執務室に来ていた。


「やあ、レオーネ殿。折り入って話があると聞いているが、今度は一体どんな有意義な話を聞かせてくれるのかね?そうそう、例の新装備は順調に兵達も順応しているよ。長槍は重いが、騎竜兵の突撃を防ぐにはあれだけ長い方が兵の恐怖心も和らぐだろうね。長弓は多少梃子摺っているようだが、あと一年もすればどうにか部隊規模での運用も可能になるだろう」


 オリバーは上機嫌にアラタに問いかける。二人の関係は閣僚の中では、宰相のルーカスに次いで深い。元より軍人であったアラタには、同じ軍人であるオリバーが一番気安い相手に思え、ホランドとの戦いからずっと歩調を合わせてくれた彼に敬意を持っている。


「それは何よりです。兵士達も次々新しい事を覚えねばならないのですから、申し訳なく思っていると伝えておいてください。戦術や装備の更新は軍の常ですが、実動員の訓練の負担は軽く見て良い問題ではないですから。

 それで、話というよりは頼みを聞いてもらいたいというのが本音です。私の考えている新兵器はまだ数が揃っていませんが、そろそろ他の方々に試作品だけでもお見せしないと、遊んでいると思われますから、来月にでもお披露目をと考えています。ですから、準備の為に軍司令から兵を貸して頂きたいのです」


 アラタが遊んでいるなどとは、オリバーは欠片も思っていない。いや、王政府の中で誰も彼を怠け者と思う者は居ない。多くの官僚、士官、近衛騎士に技術を指導し、村一つとは言え代官の業務をマメに行い、諜報を一手に引き受ける、ドナウでも指折りの多忙さの青年は怠けとは対極の人間だと多くの者は評価していた。

 最近は王女と結婚したことで多方面からやっかみや嫉妬を集めてしまい、水面下で敵対行動を取る者も多いが、オリバーは一貫して彼の味方だった。初めは自分にもそれとなくアラタと敵対するよう話を持ち掛ける者が居たが、全く取り合わない事が知れ渡ると、すぐにその手の話は持ち込まれなくなった。

 当然である。軍こそがアラタ=レオーネの恩恵に最も多くあずかる組織なのだ。彼の知恵、そして未知の知識のお陰でホランドとの戦いは殆ど犠牲者を出す事なく終結したのだ。その功績は計り知れないし、多くの兵士が死なずに済んだ事を感謝している。

 噂では閣僚の中にもアラタに隔意を持つ者も居ると聞く。王家に得体のしれない異物が混じり込む生理的嫌悪感がオリバーとて無い訳では無いが、国家安寧の為には致し方ない事だと割り切った。一族の中にもアラタへの忌諱感を持つ者は居るが、軍の名門故に大部分は合理的判断が出来る者達だ。彼等は勝利をもたらすアラタを、戦神のように見ている。


「レオーネ殿の頼みとあれば嫌とは言わんよ。詳しい説明はしてもらうが、人員は貸し出そう」


 快くアラタの頼みを聞いてくれるオリバーに頭を下げて感謝を述べつつ、早速持ち込んだサンプルを使い説明に入る。



 人払いされた執務室に何度か衝撃音が走り、別室で待機していた従卒が部屋に入ろうとしたが、あらかじめアラタに大きな音がするが心配は無いと説明を受けていたのを思い出し、仕方なくそのまま待機していた。

 衝撃音のした執務室では、オリバーが冷や汗を流していたが、アラタが持ち込んだサンプルを興味深そうに見つつ考え事をしていた。


「――――なるほど、それがレオーネ殿が密かに作らせていた物か。街の職人が作っている物と組み合わせれば、ナパームとも違う面白い物が出来そうだ。火を使うとなればナパームを取り扱っていた工兵部隊から人員を出した方が良さそうだな。今後の指導役の事も考えて十人程度見繕っておこう」


 アラタが見せたサンプルの性質と、街の職人に注文していた物の組み合わせで何が出来るかをオリバーは正確に理解する。その優れた理解力に惜しみない称賛を贈りつつ、アラタは人員を用意すると確約してくれたオリバーに礼を述べる。


「お願いします、私一人では運用が難しいので。それから今回も可能な限り情報を絞っておきたいので、訓練やお披露目は王都から離れた人気の無い土地が好ましいですね。使い方によってはナパームより範囲が広いので、領民が巻き込まれないように配慮する必要があります」


 ふむと、考え込んだオリバーは机から王都周辺の地図を出して、街から竜車で数時間掛かる森の周辺が適切かと判断する。他に必要な物を聞くと、アラタは標的として高い石壁が欲しいと注文を付けたので、それも用意しておくことを約束した。



 取り敢えず大雑把な打ち合わせを終えた二人は、締め出していた従卒に飲み物を持って来させて一息つく。オリバーは冷えで身体が縮むと言って果実酒を温めさせた物を注文し、酒を飲まないアラタも珍しく同じ物を注文していた。


「無理をして私に付き合わなくてもいいのだよ。君が酒を嗜まないのは、周知の事実だ。酒に付き合わないからと言って私は気を損ねたりはしないよ」


 笑って済ませようとしたオリバーだったが、アラタは単に飲みたいからだと答える。ドナウの果実酒は葡萄を使うワインとは大分味が違うものの、冬に温めて呑む行為は地球と同じだ。少年期にアラタも冬に何度か飲んだ事があったのを思い出して、懐かしさから頼んでいた。

 従卒が持って来た果実酒で乾杯し、一口飲んでその温かさに息を吐く。単に温めただけでなく、香料を僅かに入れて味を変えているのだろう。ホットワインと同じく、熱を加えるとアルコールが飛んでしまうので、ハチミツや香草を入れて味を補強していた。

 いつもはお茶だが、たまにはこうして昔に帰りながら、ホットアルコールを飲むのも悪くないと感じていた。


「なあレオーネ殿、以前から聞きたいと思っていた事が有ったんだが」


 酒を飲みつつ、オリバーは話を振ってくる。仕事に一区切りついた以上は後は酒の席の話だ。それほど畏まる必要は無い。


「君はホランドを倒した後はどうするつもりかね?まだ油断は出来ないし、かなり気が早いとは私も思っているが、君の中ではもうホランドを滅ぼすのは確定事項なんだろう?」


「―――まあ、そうですね。ホランドを残した所で、何時かはドナウに復讐戦を仕掛けるのは目に見えています。となれば、綺麗さっぱり滅ぼしてしまった方が後腐れ無いのは事実です。そうなったら今度はホランドが統治していた旧三国の面倒を我々が見る必要がありますから、仕事には困りません。私としてはこのままホランドを滅ぼして、その領地の大半をドナウに併合して、内政に努めるべきだと思います」


 アラタの言に間違いはない。ホランドを滅ぼした所でがら空きになった土地の占有権を巡って周辺国は動き出す。ドナウの執れる方針は、取り敢えず確保出来る土地を確保した後、国境線を定めてホランドの圧政によって荒れ果てた土地の再建と開発を推し進める必要がある。それにはおそらく数十年はかかると見ている。

 それにはアラタも駆り出されるだろう。まだホランドが健在な以上、どれだけの領地がドナウに転がり込むかは分からないが、最低でも国土は倍に膨れ上がると見ている。そうなれば諜報部も入ってくる情報量から、猫の手も借りたくなるほどに忙しくなるだろう。


「君はそれで満足かね?君の本質は相手を捻じ伏せる事に愉悦を感じる。そんな男が平和な世に満足出来るかな?」


「――――私は戦争狂いではありませんよ。それに弱い者苛めも好みません。敵が居ないのであればそれまでです」


 人を狂犬みたいに言わないでほしいと、顔を顰めて抗議する。格上や驕り高ぶる相手の顔を絶望と恐怖に震え上がらせるのを好むのは確かだが、見境無しの狂犬扱いされるのは心外だ。

 何より自身には野心など欠片も無いのだ。敵も居ないのであれば必要以上に戦火を拡大する理由は無い。


「私は覇道を歩む気はありませんよ。あるいはカリウス陛下やエーリッヒ殿下がそれを望むのでしたら付き合いますが、私自身は覇者の資質に欠けます。まさか、ツヴァイク司令は更なる戦いを望んでいるので?」


「そういう動きは軍にもある。私自身は程々で止めておきたいんだが、あれほどホランドに勝った余韻が未だに抜けていない様でね。特に君がいれば敵など無いと、勢い付く兵士は相当多い。他国の平民でありながら王女の伴侶となったのなら、同じ平民出の自分でも成り上がれると、盛り上がっているんだ」


 確かに軍以外にもドナウ全土でそう言ったうねりがあるのは知っている。だが、気持ちだけでどうにかなるほど現実は甘くないのだが、それでも多くの若者に夢を魅せる漢がアラタなのだ。

 正直勘弁してもらいたい。そんな物を自分は望まないし、自分は元は単なる一軍人だ。今でこそ多くの責務を背負っているが、必要だから担っているに過ぎない。必要だからどんな畜生外道と思われても悪辣な手段を執っているだけなのだ。そう多くの人間の命を背負えるほど、自分は大きくない。

 そうオリバーに理解を求めるが、熱に浮かされる若者にはそんな言葉は届かないと、無情にも言われてしまい、憮然とする。


「何も知らない、責任の無い若者とはそう言うものさ。勝手に他人に期待して、勝手に幻滅する。私にも覚えのある事さ。―――察するに君には無さそうだね」


「そうですね、私の人生は戦うだけの人生だったので、他人に何かを期待した事など――――いや、妻に優しさを求めたぐらいですね。私にとってアンナとの結婚が唯一と言っていい、誰かに何かを望んだ事でした。人に求められた事はあれど、人に求めた事は妻以外にない」


「なるほど、だからこそ人は君に期待をするんだろうね。兵の中には君を戦神だと思っている者もいる」


 神と聞き、アラタは怒りを感じるが、好色爺(ロート)の時や砂浜のように取り乱す事は無い。あの後、神の話を聞いても感情を抑える術を磨き上げて来た。まだ甘さはあるが、以前よりはマシだ。

 ――――かみ、カミ、神。どうして人は神を求める?人を助けもしない、それどころか嬉々として人類に責め苦を与える存在を崇めるなど、理解不能だ。だからこそ地球人類は神を捨て、自らの生存権を勝ち取る為に百年を超える闘争に身を投じて、多くの犠牲を払いながらも、未来を勝ち取ったのだ。

 そんな一地球人からすれば、西方の神への信仰は神術という摩訶不思議な力によって保障されているのだと思う。随分と緩やかな規律は、血脈による継承すら出来ないので、利権構造を構築出来ないからだ。最初から神術など無い地球の宗教なら、知識だけ継承させれば世襲もそう難しくない。元より特別な資質など必要無いからだ。子に継承できない説明のつかない神術の存在が、却って権力保持や利権構造の妨げになるのだから、そこだけは面白いと思う。


「人の世は人が動かして行くものです。私は決して神になどならない。そして私は軍が武力を背景にした身勝手な要求を認めない。軍は為政者の道具であるべきです」


 それだけ言うとアラタはぬるくなった果実酒を飲み干し、また打ち合わせに来ると言って退室した。



 残されたオリバーは内心では怒っているアラタの様子を見て、あの様子なら神輿に担ぎ上げられて、王家を簒奪しないだろうと、ある意味安堵していた。あるいはアラタが王家の縁戚として増長し、権力を握る事も無い。

 愉悦の為に戦いを望む事も無く、自身が采配を振るいたいが為に権力を手に入れる気が無いのなら王家は安泰だ。

 オリバーはアラタを試していたのだ。そして自分の考えが単なる杞憂だと納得出来たので気分が良く、二杯目を従卒に持ってこさせて一人で祝杯を挙げた。


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