第76話 甘露



 ドナウ歴494年初頭――――街の全てを白く覆う雪がちらつく日でも王城の一室は熱がこもっている。彼等は全員ドナウの為政者で、毎年年始に今後の国の舵取りを話し合っていた。


「今年も年始の会議を執り行う事ができ嬉しく思う。さて早速だが、第一の議題を発表する」


 カリウスから会議の司会を言い渡された宰相が話を引き継ぎ、今回の会議最初の議題を説明する。



 最初の議題はサピンがホランドに宣戦布告を行う事だった。諜報部からの情報で、一ヵ月前にサピンは布告の使者をホランドに送っており、今この会議中にもホランドの王宮では宣戦布告を受けているかもしれないのだ。まだドナウ本国には情報が届いていないが、既にサピン駐在の外交官は情報を得ており、急いで王都に情報を留める為に連絡員を送っていた。

 サピンからは前もって参戦のお誘いは無かったので、今回は静観の方針を取るつもりだ。元からナパームの販売という、有償の支援をしているので十分と言える。対するホランドには何もしていない。彼等とは不戦協定を結んだだけで、協力的な関係ではない。むしろ直接剣を交えて半年しか経っていないのだ。友好とは言い難い。

 ドナウは静観するつもりだが、ユゴスとレゴスはどうか。特にレゴスはサピンと関係が深いのでサピンから同盟の打診があってもおかしくはない。

 その懸念を否定したのは外務長官のハンスだった。彼の話では、レゴスには特に助力を頼んでいないとの事だ。どうやらドナウが圧勝したのを見て、ホランドを軽視する風潮がサピンに蔓延しているとの事。さらにオレーシャ王女が来襲した時に、迎えに来た使者に探りを入れた所、ホランドに与しないように要請を受けただけで、共同戦線を構築する気は無いとの事だった。



 さらにサピン軍は二つに別れており、二つの集団はどれだけホランドの領地を奪い、敵を倒すかで争うつもりらしい。王の甥であるエウリコ=ロドリー=エレディアは西に進軍し、娘婿のアルフォンソ=ディアスは北に進軍するつもりのようだ。どちらも七千~八千の兵を率いるつもりで、主な相手は征服地に駐留する地方軍になる。ドナウのようにホランド本国軍を相手にしないので、初戦は勝ちを拾えるだろうが、時間が経つにつれ、本国軍が援軍に駆けつければ、十中八九負けるだろうと予想したのは軍司令のオリバーだった。アラタや騎士団長のゲルトも同意見だ。


「軍としては万が一の為に南の国境沿いに軍を配置して、ホランド、サピン両軍が誤ってドナウ領土に侵攻しないように警戒するぐらいです。ついでですから新設した騎竜兵部隊や刷新した装備を試すための演習も行うつもりです」


「対騎兵用の長槍兵と長弓部隊でしたか?レオーネ殿の意見を取り入れた武装を装備しているそうですが、当のレオーネ殿の作っている新兵器は無いのですかな?」


 閣僚の一人が意地の悪そうな笑みを浮かべて、アラタに皮肉を言う。しかしアラタはそんな皮肉には興味が無いのか、


「試作品は一応出来ていますよ。ただ、数を揃えようと思うとまだ時間が掛かります。纏まった数が揃うのは最低でもあと一年は掛かるでしょう。ホランドとサピンの戦いが始まったら、ドナウに構っている暇が無くなるでしょうから、その時に皆様に試作品の披露を行うつもりです」


 アラタの言い分では、ナパームと同様派手なお披露目になるので、出来るだけ隠して置きたいとの話だった。それには他国の戦争はうってつけという訳だ。

 直轄軍は前年から引き続き、街道普請など築城の演習に余念が無いが、ある程度比率を下げて通常の訓練も取り入れている。次の戦ではライネ川の戦いのように、砦に籠って戦う事が無いと予想しており、ある程度柔軟な対応を迫られている。ただ、騎兵相手の野戦築城の優位性は疑う余地が無いので、最近は最小限の手間で効果的な陣地を構築する戦術にシフトしていた。それこそ交戦規定を定めている間の短時間に、陣地構築を済ませられるような簡易砦の建造が軍の士官らで盛んに議論されていた。

 そして通常戦力の歩兵部隊の装備も刷新しており、弓兵はより弓を長大化させて飛距離と威力を高めた長弓を採用し、歩兵は騎兵対策として5メートルの長槍を主兵装に採用して、騎兵の対策にしていた。そのため些か機動性が落ちていたが、騎兵と比較すればその程度の速さの低下など微々たるものであり、間合いを離す事が重要視された。普段の行軍では重い事もあり、輜重隊を拡大して長槍の輸送部隊に充てており、兵の負担はそこまで問題になっていない。

 さらにアラタはオリバーにだけ、さらなる新兵科の概要を教えており、教授されてオリバーは目を丸くして驚いたが、言われてみて何故気が付かなかったのかと、自身の発想の貧弱さを恥じたが、アラタからすれば新しい物は大体そんな物だと言って慰められた。暫くは極秘扱いになるが、いずれホランドと雌雄を決する時には日の目を見る事になるだろう。


「ほほう、それは楽しみですな。ですがナパームは一回こっきりの兵器でしたので随分と贅沢に感じられましたよ。まあ、輸出用に回されているので儲かりますが。そうそう、刷新して使わなくなった装備は今後、どうなさるおつもりで?」


 予算に煩い財務長官らしく、残った武器の使い道を質問してくる。そこにはオリバーでは無くアラタが答えた。


「古い武器は期を見て、旧三国の反乱軍に供給するつもりです。彼等は武器を取り上げられていますから、こちらで供給しなければいけませんので。まあ古い武器の在庫処分程度に考えておいてください。それでも到底足りませんから、現地で指導して簡単な武器は製造するつもりです。弓や槍、楯などは木材があれば質を考慮しなければ大量に作れますので。鏃も鉄は勿体ないので石に毒を塗って使用しますし、槍は包丁でも先端に括り付ければ即席で作れます。可能な限り安く仕上げますよ」


 平気で毒を使用すると口にするアラタに何人かは呆れたが、どうせ死ぬのはドナウ人ではないのだから、どうでもいいかと納得していた。特に日頃から虐げられている三国の人間なら嬉々としてホランド人に毒を用いるだろう。

 軍では毒の使用は慣習として認められていない。幾ら互いに殺し合う仲でも、毒を使うのは卑怯な気がして敬遠されるのだ。それはホランドも同じであり、狩猟や狼の駆除には毒を用いることはあっても、国同士の戦には原則毒を使用しない事が西方の長年の慣例だった。

 アラタは甘いと感じていたが、地球でも毒ガスや細菌兵器の使用が条約や紳士協定によって禁止されていた事実を思い出し、これもその類なのだと思い至り納得した。毒も細菌も大量殺戮には向いているが、相手がそれを使ってきた場合、こちらの被害も桁が跳ね上がるのは目に見えている。それどころか軍相手では無く、万が一市街地に使用されると互いに引けなくなり、和平交渉すら不可能という事態になりかねないのは困るのだ。そういう意味では人間同士の戦争にはやり過ぎは禁物と言えた。

 今回はドナウ軍では無く滅んだ国の住民が使用し、ドナウは関係ないと言い張れるので、気兼ねなく毒を使用出来る。長年に渡る圧政のツケを余す所なくホランドに味わってもらうとしよう。



 現状ドナウが出来る事が少ないこともあり、戦争の対策は程々に済ませる事になった。そしてサピンに駐在中の外交官や武官は、危うくなったらすぐにドナウに戻るよう指令を下す事も忘れなかった。今回はサピンが侵攻する側なので、逆侵攻をかけられるにしても幾ばくかの時間は残されているからか、外務省もやや楽観視していた。だが、いざとなったら逃げられない事も考えておかねばならないので、アラタには多方面からの情報収集を命じられた。


「サピンには私の義理の両親も居ます。むざむざと死なせたりはしませんよ」


 その言葉を聞き、アラタにも人並みに身内を大事にする精神があったのかと、幾人かは顔に出さずに驚いていた。普段から彼がどう思われているのか、良く分かる反応だった。年がら年中、合理的精神で動いている人間への妥当過ぎる対応であった。 



 ここでいったん会議を中断して休憩に入ると、給仕たちが王族や閣僚達の前に見た事の無い物が盛りつけられた小皿を置く。小皿には白い物体が置かれており、その上に刻んだハーブが載せられていた。不思議そうに見ていた面々に向かい、アラタが説明を始める。


「アイスクリームというお菓子です。ヤギの乳と卵と砂糖を混ぜて冷やして固めた物です。皆さま、どうぞ召し上がってください」


 砂糖と聞いて全員の喉がごくりと唾を飲む。まだ王都でも碌に出回っていない新しい甘味が使われていると聞いて、全員が我先にと口にしたかったが、王であるカリウスが口を付けていないので、彼等は食べるわけにはいかなかった。全員が注目していた事に気づいたカリウスは、苦笑しながらアイスクリームを口に入れる。


「―――――うむ、冷たくて美味いな。暖炉の火が熱くて頭が少し火照っていたからか余計に美味い。これはハチミツでは作れないのか?」


「ハチミツですと粘りで均等に固まらないのですよ。今の時期は雪がありますから冷やすのは容易で、作るのは楽でした。夏ですと、神術の使い手に氷を作ってもらわないと、これは作れませんね」


 二人の会話など誰も聞いておらず、全員が夢中になってアイスクリームを頬張っていた。アラタとエーリッヒを除けばこの会議室には四十以上の中年しかいないのだ。実にむさ苦しい髭面の集団が一心不乱にアイスを口にする光景は傍から見て気持ちが悪いが、甘味の少ない西方では仕方が無いのだ。

 ドナウ中から集めたビートモドキから砂糖を作ったが、到底全ての需要を賄い切れるはずが無く、王都でも一部の貴族が口に出来る程度で、まだまだ数は少なかった。王族ならばそれなりに口に出来たものの、その王族ですら毎日食べる事が叶わない以上、幾ら閣僚でも頻繁には食べれない。

 直轄領ではビートモドキの栽培が農務省から言い渡され、農家は家畜のエサとしか思っていないので不審に思ったが、高額で買い取るとのお達しから、よく分からないが育ててみるかと、そこそこに開墾をして育てる者が増えていた。だが、植物なので栽培には時間が掛かる事もあり、現在はごくごく少数の砂糖しか流通していなかった。そんな中で貴重な砂糖を使った菓子が食べれるというのは、大の男でも嬉しいのだ。

 敵国には毒酒を、味方には砂糖を。それがアラタの精神性を端的に表わしていた。

 そういう訳で、髭面の男共は実に美味しそうにアイスクリームを口に運び、髭をベタベタに汚すのだった。この経験から閣僚の中でも髭を剃ろうか迷う者が出るのはまた別の話である。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る