第80話 炎の時代が始まる



 ドナウの冬はそれなりに厳しい。特に北側は氷河が流れ込む事から分かるように寒さが厳しい時期がある。外で一夜を過ごす事は不可能とは言わないが、決してお勧めは出来ないだろう。内陸部では雪こそあまり降らないが、毎日氷点下になりそこに住む生き物全てに試練を課していた。

 人間も例外ではない。他の獣のように毛皮を纏っているわけではない人間が、この厳しい時期を乗り越えるには火によって暖を取るか、衣服を纏い寒さを凌ぐほかない。防寒具には羊毛以外には狼や猪、あるいは鹿の毛皮が使われていた。他にも兎や狐といった小型の動物は婦人用に需要があり、特に白兎の毛皮が好まれていた。

 尤も防寒用の毛皮を所持できるのは富裕層や貴族、それか自前で狩りが出来る猟師のような職業の平民ぐらいで、高価な物には違いなく、平民は比較的安い羊毛製の服を纏い、寒さに凍えながら一冬を過ごさねばならなかった。



 その高価な毛皮をふんだんに使用した一団が、王都からかなり離れた場所で寒空の下、白い息を吐きながらも何かの作業を見守っていた。彼等は全員がこの国の首脳部だった。本来ならば貴族及び王族である彼等がこんな時期に揃って王都から離れる事は無いのだが、今回はアラタが新兵器のデモンストレーションを行いたいと、少々無理を言って全員を連れて来た。

 以前もナパームのお披露目の為に首脳部を王都の外に連れて来たが、前回と違い今回はかなり王都から離れていた。これはナパーム以上に今回の兵器を人の目に晒す事を嫌ったのが主な理由で、可能な限りひた隠しにしておきたいとアラタは考えていた。ただし、それでもこの国の閣僚や王族には見せておかねば、いらぬ諍いの元になる事と、さらなる予算の増額を頼みにくい事もあり、今回も全員に披露することにした。

 閣僚の中には長時間の移動と寒さで不機嫌な顔をしている者もいたが、それ以上にこれからアラタが見せる新兵器が気になっている事もあり、文句が出る事は無かった。


「―――――皆さま、お待たせして申し訳ありません。ようやく準備が整いましたので、目標となる森の手前に用意した石壁をご覧ください。今回の標的の一つがあの石壁になります」


 今回アラタが用意した標的は二つ。城壁を模した石の壁と、騎兵を模した人形の一団。壁はおよそ100メートルほど離れた森の手前に、人形は少しずれた方向の50メートル程度先に置かれていた。そのどちらも直轄軍の兵士が用意した物で、ナパームの時と違い、今回のデモの護衛も軍が担当していた。

 その軍の兵士が忙しそうに動き回り、ある物体を操作していた。それは1メートルに満たない長さの青銅製の筒だった。両脇に同じく青銅で補強された車輪が取り付けられており、荷車に載せられた鐘のような印象だったが、鐘に比べると随分と細長く、肉厚な印象を見る物に与えていた。

 兵士の一人はその筒から離れた場所に火の点いた長い棒を持って待機しており、アラタは彼に向かって筒に火を付けるよう命じた。

 兵士は命令に従い、筒の上部に空いた小さな穴にゆっくりと火を近づけると――――『ドオオン!!』と轟音が鳴り響き、辺りに白煙をまき散らす。目標になっていた石壁は強烈な力によって破壊されたらしく、ガラガラと音を立てて半壊しており、さらに後ろに生い茂っていた森の木々を一部なぎ倒していた。

 その轟音と光景に驚きを隠せなかった閣僚達や、音と白煙の臭いに興奮していた移動用の脚竜に構う事なく、アラタは兵士達に二度目の使用を命じる。


「砲の位置を元に戻せ!今度は騎兵用の仮想目標だ。弾は散弾を使用する、弾込めの前に砲内を掃除しておけ!」


 命令に幾らかぎこちなさを見せながらも、きびきびと自身の役割をこなそうと動く兵士達。命令通り、布を丸めた物を先端に取り付けた棒を筒の中に入れて、何かをかき出した後に小さな金属の玉を多数放り込みつつ、別の兵士が黒い粉を上部の穴に流し込んでいた。

 筒の穴は地面と水平に保たれており、その先には目標らしき騎兵の等身大の模型が数十騎置かれていた。次はあれが目標になるようだ。兵士から準備が整ったと報告を受けたアラタが発射を命じると、先程と同様に兵士の一人が火の点いた棒を筒の上部に接触させると、先程と同様に『ドオオン!』と轟音を響かせて、筒が後退しつつ白煙が周囲に発生した。

 白煙が冷風によって取り除かれると、そこには異常な光景が生まれていた。一枚の石壁とは違い、騎兵の標的は数十騎がある程度密集して置かれているが、それらの過半数以上が薙ぎ倒されるか、半壊した状態で残っているだけだった。一部は布地に火が付いて木製の標的を燃やしていたが、そんな事は誰も気に留めない。



 ホランド軍に致命的な損害を与えたナパームとは違った新たな兵器の登場に、興奮した様子を隠せない一行を尻目にしつつ、アラタは兵士等に称賛の言葉を投げかける。国王の見ている前で無様な姿を晒す事なく、己の責務を果たしたのだと口にし、彼等を労った。


「今のが火薬を用いた兵器『火砲』です。最初の一発は遠距離から城壁を破壊するのに適した砲弾を、二発目は近距離用に範囲攻撃を行う弾を使用しています。詳しい説明はこの寒空では適さないので、城へ戻ってから行いますので、皆さまは一足先に城へお戻りください。私はここの片づけを指揮しておきます」


 新たな兵器への興奮は冷める物ではないが、確かにこの寒い中で長々と説明を受ける気分にはなれない事もあり、全員がその言葉に従い、竜車に乗って城へと帰還した。アラタは言葉通り後始末の命令を下し、自身も使用した砲弾の捜索に出向いた。

 幸い森の木々が薙ぎ倒されているのを追跡するだけで砲弾は見つかり、大した時間は掛からなかった。兵士達も石壁を崩した後は集めた標的に火を付けたのを確認すると、火砲を布で覆ってから引き上げた。



       □□□□□□□□□



 数時間かけて城へと戻った一団は会議室でアラタが戻ってくるのを待ちながら、先刻お披露目のあった火砲について話し合っていた。半数以上の閣僚は新たな兵器のインパクトに興奮した様子だったものの、残りはナパームの殺傷性と性能とで比較して、物足りなさを感じていた。確かにナパームに比べれば大型の攻城兵器も必要ないが、それだけのようにも見えた。燃え盛る炎も無く轟音による恐怖心を煽る効果も今一つのように感じられて、新たに導入する意義が薄いように感じたものだが、レオーネが積極的に導入しようと動いているのならば、見た目以上の価値があるのかも知れないと、軽視はしなかった。



 数十分程遅れて会議室に入って来たアラタが待たせた事を謝罪し、早速火砲についての説明を始める。


「先程お見せした火砲は、火薬と呼ばれる薬品を燃焼させ、その燃焼時に発生する熱と圧力により金属弾を射出する兵器です。材料には木炭、硫黄、そして硝石を一定の割合で混ぜた物で、その内の硝石は家畜小屋の土を精製して採集した物です。ですが大量に採れないので、今後はソルペトラの村で死体と糞便から採集する予定です」

    ・・・・・

「その…しょうせきと言う物は他の手段では手に入らないのかね?どうにも死体や糞便からしか調達出来ないとなると、良い気はしないのだが」


 学務長官のルドルフがアラタに苦言を呈する。知識欲の貪欲な御仁だが、流石に死体や汚物からしか採れない材料を触るのはあまり好まないらしい。特にこれから学務省の人間が火薬製造を担当するのは、ある程度予測出来ており、省内でも不評になるのが目に見えていたので他に手に入らないのかと質問してきたが、


「残念ですが自然界では採集可能な環境が限られていまして、詳しい調査をしていないので断定は出来ませんが、恐らくドナウでは手に入らないかと。自然界では洞窟などで蝙蝠や鼠の排泄物が数千年かけて堆積しなければ纏まった量が採集できないのですよ」


「そんな貴重な材料を使わなければならない兵器など必要無いのではないのかね?現状でもナパームがあれば攻撃力は足りているだろうし、軍でも新しい装備が順次配備されていると聞く。レオーネ殿はどういった意図があってその火薬とやらを普及させたいのかね?」


 財務長官のテオドールがそんな疑問を投げかけてきた。彼からすれば金の掛かりそうな兵器は、財政圧迫の原因となるので敬遠したかったし、ナパームに比べれば殺傷力は劣るように見える。そして、ドナウ国内から入手可能な石油から分溜出来るナパームのほうが数を揃えやすい。それは事実であるが、生まれて初めて火薬を見た人間では、その可能性に気付くのは無理なのだろう。


「仰る通り、先程のお披露目ではナパームに比べれば兵器としての価値を全てお見せするには足りないのも事実です。ですが火薬兵器にはナパームに無い利点が二つあります。まず一つ目ですが、従来の攻城兵器に比べ圧倒的に射程が長い事が挙げられます。今回は命中させる事を重視した為、100メートル程度の距離しかお見せしていませんが、固定目標や前回のホランドのような密集した軍団への攻撃でしたら、あの大きさの砲ならば1000メートルは余裕で届きます」


 余りの飛距離に詳細を知っていたツヴァイク軍司令以外は絶句してしまう。大型のトレブシェットでさえ300メートルが限界なのだ。その三倍以上の飛距離をあのような1メートルに満たない筒が生み出すとは信じられなかった。この西方で1000メートルの飛翔体など御伽話の領域でしかないのだ。

 確かにそれほどの距離から一方的に攻撃を加える事が出来るのならば、火砲の価値は極めて大きいと言える。人間の武器の歴史とは、より遠くから相手を一方的に打ち据える事から発達したのだから。

 俄かには信じがたい話ではあるが、アラタがこの場で偽る必要性も無く、常にドナウ人の想像すら出来ないモノを見せ続けた男への疑心を既に放棄していた一同は、いちいち気にならなくなっていた。


「第二に、ナパームはあれが完成品であり、あれ以上の性能向上は現時点では困難ですが、この火薬兵器はここが出発点なのです。つまり、これから幾らでも発展性が見込める兵器です。私の国では既に火薬が実用化されてから千年以上経過していますが、未だに武器としてある程度の地位を保っています。参考までにこれをご覧ください」


 そう言ってアラタは懐から黒光りする掌サイズの物体を取り出し、一同の前に置く。今まで見た事の無い造形の品を見た面々が説明を求めてきた。


「銃という武器で私の国では護身用あるいは自決用に軍から配布された物です。これも火薬の力を利用して金属片を射出して対象を破壊するもので、非常に物騒な物言いをしますが、これ一丁あれば私ならばここに居る方々を全員殺す事も可能です」


 アラタの物騒な台詞に思わずぶるりと体を震わせ、何人かは質の悪い冗談を口にしたアラタを嗜めた。その口ぶりから、実際に試す気は毛頭無いと分かっていても、目の前にある未知の武器への恐怖心が揺らぐ訳では無い。特に、先刻の火砲の破壊力を実際に見ている事から、まるで大きさの違う道具であっても恐れは消えなかった。

 この銃はアラタが持ち込んだ数少ない所持品の一つで、地球軍で制式採用され陸海宇宙全ての軍人に与えられている。9mm弾を1マガジン15発装填されており、発言通りこの会議室にいる閣僚と王族、それに護衛の近衛騎士の半数を殺す事が出来る計算になる。勿論一人一発で仕留める必要があるが、この国の未熟な医療技術なら胴体部か頭部のどこかに当たれば死に至らしめるのは難しくないのだ。


「この銃のように個人携帯可能な大きさから、先程のような火砲の大きさ以上の兵器にも作る事が出来るのが火薬兵器の長所です。それに今はまだ薄い城壁を破壊する程度の性能ですが、火薬の性能を向上させ続ければ、それこそ数十km離れた場所から一撃で都市を破壊し尽す兵器にもいずれは届くでしょう。そんな未来を見たいと思いませんか?」


 その言葉に全員の肌がぞわりと粟立つ。この男の言葉通りなら火薬兵器は世の常識を変え、武力を以てドナウを西域の覇者へと押し上げるかも知れない。ホランドを叩きのめし、その地位を簒奪して、この西方どころか大陸すべてを呑み込む。会議室にいる者の中にはそんな抗い難い未来さえ幻視し始めたのだった。

 ただし、アラタからすればドナウが覇者になる必要は無い。単に後腐れ無いようにホランドを滅ぼし切ってしまえばそれで構わなかった。道具は提供するが、それを使って野心を満たすかは専制国家の最高決定者である、王に委ねる気でいた。

 今こうして、会議室の面々を焚き付けているのは、単に必要なので配備する予算が欲しかったからだ。自身が代官を務める村の住民が臭い思いをしながら作った硝石や危険な火薬調合に、少しでも高い値を付けて苦労に報いる為に、こうして閣僚達をその気にさせているだけなのだ。

 それにまんまと乗せられて、彼等は反対することなく火薬兵器の配備を認める事となった。



 余談だが後年閣僚の一人の回顧録ではアラタの事が建国記の勇者の再来どころか御伽話の神か悪魔のように書かれていたが、本人のしでかした事を考えれば当然と言えた。


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