第81話 驕れる者も久しからず



 ドナウ歴494年――――ホランド王国アルニア領にて侵略者であるサピン軍七千と、それを撃退する為に派遣されたホランド本国軍二万が今まさに激突しようとしていた。

 互いの軍の士気は非常に高い。これはホランド地方駐留軍を撃破し続けて勝ちに乗り続けるサピンと、これ以上の失態を重ねたくないホランドの自尊心の高さが否応なく士気を高めた為だ。

 数だけで言えばサピン軍の三倍の数を揃えたホランド軍が圧倒的に有利と言えたが、数日前にこの地を占領して防衛線を構築していたサピン軍にはそれなりに地の利がある。この状況だけを見れば二年前のドナウ対ホランドによる『ライネ川の戦い』に酷似していたが、あくまで攻守と戦力比ぐらいなもので、実際には内情は随分と異なっていた。

 第一にこの地は只の平野である。近くに川が流れているわけでもなく、サピン軍の陣は四方どこからでも攻めかかる事が出来る場所に配置されていること。これは二方を増水した川に接しつつ小高い丘に陣取っていたドナウ軍に比べると攻めやすいと言える。

 第二に構築された野戦築城陣形の出来栄えだ。一年近く街道普請や砦建造によって磨き上げた建築技術に裏打ちされた砦に比べ、程度が低いと言わざるを得ない。一応それなりに幅のある堀と土壁、それに高い防柵によって騎兵突撃を阻む事が出来るようだが、ドナウに比べると見劣りしていた。

 第三に練度の差。元々が各貴族の領地から徴兵された農民兵が主体のサピン軍と、全員が職業軍人であるドナウ直轄軍とはかなり練度に差がある。それはホランド本国軍にも同様で、彼等もまた全員が戦士階級の精鋭なのだ。幾ら殺傷力の高いナパームを用意していても、取り扱う人間が未熟では不安が残る。

 当時ドナウは不退転の覚悟をもって強国ホランドに全力を以て挑み、氷薄の上の勝利をもぎ取ったわけだが、それは他国から見れば圧倒的な勝利にしか見えなかっただろう。当のホランドでさえも何故ドナウに負けたのか本質的な原因が今でも完全に理解出来ていないのだ。ナパームという強力な札と、万全を期して待ち構えていた所にむざむざと飛び込んだ老将軍とそれを制止出来なかった戦の経験の浅い王子こそが敗退の原因だというのがホランドの総意だった。一部は主導権をドナウに握られた事が最大の原因だと訴える者もいない訳では無かったものの、それだけで三万の兵を失うとは俄かには信じがたい事もあり、無視はされないが重要視はされていなかった。それ故、同じようにナパームで武装したサピン兵を侮るホランド兵は皆無だった。

 士気は高くとも連戦連勝で慢心し始める者が出てきた寡兵のサピン軍と、油断を一切排除し十分にナパームの特性を理解した大勢を有するホランド軍、まともに考えればどちらが勝つかは火を見るより明らかだったが、両者共に自らが負けるなどと微塵も考えていないのは、結果を知る後世の者からすれば嘲りすら誘う愚者の所業と言えた。



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 開戦の前には交戦規定の取り決めが慣例になっていたが、両軍の将はそれを不要と判断していた。サピン軍主将エウリコは目の前の軍勢を前座程度にしか考えておらず、ホランド軍司令ユリウスも自国を蹂躙し尽す畜生外道であるサピン人を皆殺しにする気だったので、互いに交渉など埒外でしかなかった。


「ふん、サピンの阿呆共が!あの程度の兵力で一丁前に我々と戦う気でいるとはな。どうやら我々ホランド軍は余程舐められていると見た。その己惚れが高くつく事をこれから貴様等の身にたっぷりと刻み込んでやる!」


 一際体格の良い脚竜に跨り息巻く青年こそ、ホランド王国第二王子にして軍総司令官ユリウスだった。彼は軍団の先頭に立ち、しきりにサピンの悪逆非道振りを喧伝して自軍の士気を高めていた。自らの領土を侵し、駐留軍を嬲りその家族を犯し抜いた外道共に裁きの鉄槌を下す――――その使命にホランド兵全てが雄叫びや鎧を打ち鳴らして応えた。その轟音は戦場に響き渡り、当然サピン側にも聞こえていたが、当のサピン兵には犬の遠吠え程度にしか受け取られなかった。どれだけ吠えた所で負けは揺るがない、そう嘲っていたからだ。


「ほっ、気合は十分のようだが、それだけで勝てると思うなよ。貴様等ホランドの時代はもう終わりだ。これからはサピンの新たな王である、このエウリコこそが西方の覇者となるのだ。貴様等は偉大な王の礎となる事を誇りに思うが良い」


 対して自信満々に自らの名を誇示し、輝かしい未来を夢想する男がサピン軍主将エウリコであり、彼はこの一戦に勝利しホランド本国への足掛かりとする戦略に余念が無かった。彼はホランド兵を鼓舞する演説をしているユリウスを活きの良い獲物としてしか見ておらず、点数の的ぐらいにしか考えていない。それ故、配下には『あの目立つ男の首を取った物には領地を褒美として与える』と即興で約束し、士気を高めるエサとして扱っていた。



 ユリウスの演説が終わりホランド軍は突撃の合図を今か今かと待ち望み、対するサピン軍もいつでも投石器に詰まれたナパームと火矢を打ち出せるよう準備が整うと、脚竜の上のユリウスが力の限り突撃の号令を発した。

 その言葉にホランド軍が呼応し、まずは騎兵隊が二手に分かれてサピンの陣の外縁部に移動し始める。彼等はまずサピンの陣の東西両側に展開して、注意を三方に逸らす戦術を駆使するつもりなのだろう。騎兵一万五千の内、東西に移動した六千ずつと北側に残った三千の騎兵、そして今度は同じく北側で待機していた歩兵が行動を開始した。

 対するサピンは未だ動かない。投石器や矢の射程にホランド軍が入ってこない内は無駄な攻撃を控える腹積もりだ。ドナウと違い、大型の投石器が無いサピンの攻撃の射程は100~150メートルが限界である。それを分かっているので、まだ攻撃は控えていた。ホランドの動きはあらかじめ予想できた事であり、騎兵の大軍を有するホランドがその足の速さを利用して四方から圧力を掛けているのだ。だが、その騎兵も堀と防柵によって阻まれており、近づくのは容易ではない。サピンが警戒しているのは歩兵のいる北側、およそ七千の歩兵と、残された騎兵三千に注視せねばならない。恐らくホランドの戦術は騎兵が二手に分かれて注意を逸らしつつ、歩兵が堀を超えて柵を破壊するのを待っているのだ。その後に堀に簡易の橋を作って、陣に騎兵を引き入れる。騎兵が降りて歩兵になるのも考慮しているので、東西の騎兵にも注意せねばならないが、エウリコの頭の中では本命は北の歩兵だった。

 その予想は外れる事なく、北側の歩兵に動きが見られた。彼等の一部、およそ二千程度の人間が陣に向かって突撃してきたのだ。すぐさま迎撃の為に投石器と弓兵に命じ、ナパームを投射する。投石機によって油を満載した樽が次々に堀の外側に着弾し、数秒遅れて火矢が着弾すると地獄の業火が顕現し、突撃してきた百程の兵が焼かれてしまった。


「ホランドめ、むざむざと兵を死なせるとは口ほどにも無いな。―――北側の兵は矢に注意しろ!さっきのが囮の可能性もある。混乱に乗じて矢が飛んでくるかもしれんぞ!」


「―――まずは一当てと言った所でしょうか?ホランドもナパームの殺傷性は知っているでしょうから、これは出血を覚悟で道をこじ開けるつもりかもしれませんな」


 エウリコとその副官がホランドの戦術の意図を読み取ろうと思案している。数の上では圧倒的に上であるホランドならば、損害を気にする事なく短期決戦を望む事も、長期戦の構えを取ってこちらを根負けさせる事も出来る。今のはこちらの出方を探る為の囮だったのかも知れないと、二人は話し合っていた。

 しかし、その二人の分析はすぐさま中断する事になった。ホランドは損害に構わず、次々と歩兵を繰り出して強引に堀に丸太や木の板を掛けて堀を渡って来た。中には体に火が付いたまま狂ったように土塁を壊す者もおり、陣の最前線に居たサピン兵を恐怖に陥れていた。


「な、なんだあいつら!?死ぬのが怖くないってのかよ!それに、あいつらまともな鎧すら着ていないぞ!持ってるのは木の板や斧だけだ!!なんなんだよあいつらは!!」


 およそ戦場にやって来る身なりには思えず、単なる農民や木こりが仕事に来たと言った方が納得出来る装備で突撃してきたホランド兵に恐れを感じながらも、サピン兵は投石器を動かしナパームを投げ続け、弓兵は矢を射続けていた。

 北側の土塁が幾らか壊れ始め、歩兵が柵に近づいてきてもどうにか冷静に対処していたサピンだったが取りこぼしもあり、柵の一部に取りついた男が斧を振るって柵の縄などを切り始めたが、隙間から槍などを刺して対処していたサピン兵がある事に気づいて混乱していた。彼がたった今殺した相手が、どう見ても12~13歳の少年でしか無かったからだ。幾ら西方でもこの年の子供が戦場に駆り出される事など有り得ない。そして、この少年以外にも柵に取り付いて殺された者の容貌が混乱を助長していた。次に殺された者はどう見ても60を超えた老人だった。それも襤褸を纏った兵士とは言えない老人であり、全員が戦士階級であるホランド兵の一員には見えなかった。



 遠目にサピン兵が騒ぎ立てているのを眺めていた歩兵部隊の指揮官らしき青年が、愉快そうにその様を見て笑みを張り付かせていた。


「くくくっ、サピンの奴ら慌てているな。アルニアの農奴共はちゃんと役目を果たしてくれているらしい」


「そのようですなオレク殿。私も初めは奴らを連れて行くなどとユリウス殿下が申した時は懐疑的でしたが、あのナパームとやらの火を見る限り、殿下の慧眼には頭が下がります。あれにまともに飛び込んでは我らに相応の損害が出ている所でした」


 歩兵部隊を指揮していたのはユリウス王子の腹心であるオレクであり、その副官を務めていたのも古くからユリウス派として付き従っていた若い貴族だった。オレクは愛するユリウスを疑っていた隣の男を殴り飛ばしたいと思っていたが、後から褒め称えた事で思い留まった。

 ユリウスはナパームの詳細を聞き及んでいた事から、ホランドに少なくない損害が出る事を見越して、行軍中の進路上にある農村から男手をかき集めていた。勿論武力を見せつけて否とは言わせなかったが、同時に報酬も提示して逃走の芽を摘む事を忘れなかった。ユリウスはこの戦いに参加した村には今後、五年間の税の免除を約束していたのだ。断ればタダでは済まない事は分かっていても、強制された人間は反発はする。それが命に関わる事なら尚更である。だが、彼は目に見える免税という利益を提示した。このエサに釣られれば無用な反発を抑えられ、ホランド兵の代わりに死ぬ肉の壁が多数手に入るからだ。

 その効果は確かな物で、焼け死ぬ者は多数居たが、堀の一部に橋が掛かり柵にも手が届いていた。そしてサピン兵にも混乱が広がり、攻撃の手が僅かだが弱まっていた。



 サピン軍の兵士の大半は徴兵である。普段は農民や職人といった戦場とは無縁の人間ばかりだ。そんな普通の人間が異常な空間である戦場にいるには精神を意図的に高揚させ、正常な判断力を麻痺させねば、とてもではないが人殺しなど出来るものではない。そんな状態から一気に冷や水を浴びせて興奮を奪ったらどうなるだろうか?全員が戦士であるホランド兵と違い、自分達と同じ農民でしかない者が、武器を持たない着の身着のままの死体になったのを見たら僅かながらも自らの身の上に投影してしまう。

 そうして取り乱す者が出始めると、それが徐々に周囲に伝播して全軍に伝わってしまい、統制を欠く集団へと堕ちていく。今のサピン兵は開戦前に比べ、明らかに士気に揺らぎが起きているのだった。


「はは、ユリウス様は恐ろしい。ホランドにとって大した価値も無い農奴を幾らか使い潰す事で、敵の士気を挫いてしまった。―――歩兵部隊に告げる!もう少ししたら農奴共が柵を壊し始める。弓兵は接近して矢の斉射の準備をしておけ!他の者は火を遮る毛布や木の板の移動の準備だ!水で消えないそうだが、一時的に火を遮って道を作る事は出来る!それが終わったら騎兵隊の突撃だ!全員、気張っていけ!!」


「「「おおっ!!!」」」


 散々に人の家で暴れて、舐め腐った真似をしてくれたサピンを蹂躙出来ると、獣の闘争心を隠しもしないホランド兵が雄叫びを上げ、彼等は指揮官の号令を今か今かと待っていたのだ。



 サピンは彼等を侮っていた。一度大敗を喫したとはいえ、ホランド軍が二十年戦い続けて西方最強国家の礎を築いた集団だということを忘れるべきでは無かった。ドナウが一年準備に費やし、地の利を得た上で秘密兵器を投入しなければ勝てる目の無かった最強軍団を舐めて掛かったツケをサピン人はこれから支払う破目になるのだった。



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