第79話 孤児院



 サピン軍がホランド領を蹂躙している傍ら、ドナウ王都は平穏そのものだった。万が一の備えとして国の南の国境沿いに軍を配置しているものの、あくまで備えであり、勢い余ってサピン軍がドナウ領土に侵入する事は無いと見ていた。対岸の火事であり、頼りになる直轄軍が備えてくれているという安心感が日常を維持していた。



 そんな日常の象徴と言える子供達の騒がしい声がアラタの心を和ませている。彼は今、マリアやアンナと共に下町の孤児院で孤児達の遊び相手をしていた。


「ほら、縄を回すぞー。ちゃんと飛ぶんだぞー。―――――さあ、どんどん中に入れよー。ほーれ、いいぞー。その調子だ」


 比較的歳上の孤児と一緒に縄の両端を握り、長い縄をぐるぐると回し続ける。そのタイミングを見計らって子供達は、次々縄の中へと入って、飛んでいた。アラタは子供達に大縄跳びを教えていたのだ。

 こうした男女や年齢を問わない遊びは孤児達に人気があり、縄跳び以外にもかくれんぼや鬼ごっこを子供達は休み時間に楽しんでいた。



 ここはアラタの提言により創設した外国人用の孤児院だ。一月前から稼働しており、アラタは時折様子を見に来ていた。子供達は全員が貧民街で暮らしていて、ゴミ漁りや汚物処理、中には体を売って金を稼いでいた子もそれなりの数が居たが、この孤児院に来てからは労働から解放されていた。

 当初は警戒して武器を向けてきた子供もいたが、アラタや他の大人が実力行使で捻じ伏せ、恐怖を植え付けた為、比較的従順になり、満足のいく食事や寝床を提供されたこともあり、大人しくしていた。元は幼い身で大人に頼らず生きてきたこともあり、敵愾心や反発心を持っていたが、アラタという恐怖と、アンナを始めとした世話をする大人からの愛情によって少しずつ切り崩されていた。


「こらー止めなさい!どうして私の裾を引っ張るの!?駄目だって言ってるでしょう!幾ら子供でも、アラタ様以外に肌を見せたりはしませんよ!」


 何故か子供、それも小さな男の子に服の裾を引っ張られて生足を晒そうとしているアンナが、必死に子供の手を払い除けて、肌を晒すのを防いでいた。

 子供からすれば性的な目でアンナを見ているのではなく、単にアンナが恥ずかしそうにするのが楽しいのだろう。纏わりつく子供に暴力は振るえないので、優しく子供の手を裾から放させようとしているが、複数の子供に囲まれてスカートをめくり上げられ、生足と下着をさらしてしまった。傍から見ていると襲われているように見えるが、子供からすれば単なる遊びの範疇でしかないのだ。



 アラタが子供達に遊びを教え、アンナが男の子の玩具にされている間、残ったマリアはと言えば、


「お城って結構窮屈なのよ。どこに行くにも誰か付いて来るし、気軽に城の外に出歩く事も出来ないの。確かにあなた達みたいに食べ物や寝る所の心配は一度も無いけど、ずっと息苦しかったわ」


 主に女の子から、お城はどんな場所だと聞かれて、それに答えていた。子供達は王族を一度も見た事が無いので、多くの孤児はマリアに対して興味津々だった。最初は珍しがって、髪や身体を引っ張る事もあったが、痛いから止めてとマリアが言えば、すぐに止めた。


「じゃあお姫様は今、楽しい?」


 女の子の一人が無邪気にマリアに問いかける。マリアが結婚して城から出て、新しい家に引っ越したのを孤児たちは知っている。


「んーそうねえ、城に居た時も色々な人が居て楽しかったけど、今の方がずっと楽しいわね。旦那様やアンナもいるから楽しいし、幸せよ。あなた達とこうして話すのも楽しいわ。お城に居たままじゃ、きっと出来ない事ばかりよ」


 笑顔を見せつつ、質問した子の頭を優しき撫でると、他の子供達は『ずるいー!!』と言って、マリアに頭を撫でろと催促していた。その様子を困った顔をしながらも、マリアは順番に孤児達の頭を撫でていた。

 そこには王族と孤児という身分の差はあれど、肌の触れ合いを通じて確かな交流が生まれていた。



 この孤児院はアラタが推奨した、外国人の孤児向けの施設だった。アラタはそこに視察に来て、子供達と戯れている。勿論毎日来る事は無く、いつもは雇った大人が孤児達の面倒を見ている。

 世話役として雇われた大人は、元は貧民街に居た外国人が多かった。彼等は殆どがホランドに滅ぼされた三国の出身者であり、圧政を避けてドナウに居着いていたが、アラタの方針によってそれぞれの国の習慣や言葉を教える事も兼ねて雇われていた。それは子供だけに限定されず、職員の中にもホランドへの諜報活動の為に訓練を受けている者もいた。この孤児院が出来る前から諜報部は、行商人に扮した元住民を使って反乱の扇動を行っていた。武器や食糧の支援もその一環で、かつての故郷の人間ということもあり商人達は圧政に苦しむ住民に受け入れられ、水面下でドナウの勢力下に入る準備を整えていた。



 行商人の中には元貴族と接触出来た者もおり、開拓地で喘いでいた貴族はドナウの申し出を二つ返事で受け入れ、神輿として担がれる事を了承した。どの道独力ではホランドを倒せるはずが無く、かつての優雅な生活を取り戻すためなら、傀儡だろうが何だろうが構わなかったのだろう。尤も、そういう人間を最初から見繕っていたのだから、きっちり仕事をしたわけだ。アラタは彼等の様な人間を旗印に住民を扇動、さらにドナウ直轄軍を中核に据える事で、即席の軍団を作り上げるつもりだった。



 この孤児院の子供達はその後に必要になるとアラタは考えていた。ホランドを滅ぼすか、それに近い状態にまで衰退させるつもりでいるアラタにとって、ホランドが征服した旧三国の領地の統治は必要不可欠だ。ドナウとて無償で戦争を繰り広げる気は無い。ドナウ王家も貴族も領土欲も相応にあるし、戦争によって切り取った領地は勝者が面倒を見なければ、そこに住む住民が路頭に迷ってしまう。

 その為の統治に同じ国の民族の血を引く、この孤児院の子供達はきっと統治に役に立つと考え、様々な教育を施し、諜報員以外にも役人や商人としてやっていけるように面倒を見なければならなかった。以前、アンナやマリアに話したように彼等が自分の力で生きていけるよう取り計らうと言ったのも嘘ではない。前提としてドナウの利になる生き方をしてもらうが、どのように利になるかは本人の選択に任せるつもりでいた。但し恩と利益によって縛る事は忘れなかったが。



 こうして自ら遊び相手になっているのもその一環だ。上から命令するだけでは人は付いて来ない。特に子供や教育を受けていない者は目に見える形で訴えかけねば、行動に移してはくれないのだ。勿論それだけではなく、孤児となった身の上に自身の過去を重ね、不憫に感じる心情も多少はある。孤児院時代にもこうしてよく年下の子の面倒は見ていたし、士官学校の長期休暇には施設に顔を出して、遊び相手にもなってあげていた。何だかんだ言っても子供には甘いのだ。

 アンナも子供は好きなので、施設の運営の合間に子供達に勉強や教養を教えており、アラタとは違ってすぐに何人かの子供は懐いていた。懐いている子供に男の子が多いのは、まあ仕方のないことだが。今もベタベタと男の子に纏わり付かれて、尻を触られていた。

 ただし、勉強に関してはかなり厳しく教えているので、その時だけはアラタ以上に、子供達から恐れられていた。教育係には祖母のリザも時折来ており、主に礼儀作法について子供達に教授している。アンナが屋敷から出てしまったので、空いた時間の手慰みに教師役を引き受けてくれた。



 王女であるマリアもちょくちょく顔出して、孤児の遊び相手をしていた。お付きの使用人からは、そんなことをする必要は無いと言外に咎めていたが、本人がやりたがっていたので、口出しが出来なかった。

 子供からは王女と言うだけで物珍しがられて、あちこち引っ張りだこになっていて、遊び相手には十分だった。子供達に群がられて最初はあたふたしたものの、生来のお転婆ぶりからすぐにリーダーシップをとって子供達の心を掴むことが出来、視察と称して子供と戯れているのだった。



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 たっぷり子供を遊ばせた後は、教室で勉強をさせる。この施設に来てからある程度慣れさせた後は、例外無く椅子に座らせて、机の上の練習用の粘土板を使わせた。最初は全員を椅子に座らせる事も難しかったが、数日前からどうにか長時間座って勉強させることが出来るようになったらしい。

 三人は今回見学しているだけだ。アラタもマリアも教鞭を直接執る事は無い。唯一アンナが何度か教師を務めたが、今は当番ではないので見ているだけだ。

 それ以外の教育役は公募して雇った人間で、アラタが直接面談して人格や能力に問題無い人間だけを採用している。特に他国人であり貧民の孤児に対して暴力的な態度を取る人間は、絶対に採用しなかった。

 この国の教育には少しでも出来が悪ければ平手打ちや鞭打ちなど当たり前だったが、アラタからすれば効率が悪いと判断しており、孤児相手でも根気よく物を教えられる人間性を重視して採用していた。孤児達に必要なのは何年も勉強に付き合ってやれる我慢強い人間だからだ。



 西方の常識では子供の立派な労働力に数えられ、孤児院の子供も労働に駆り出される話はあったものの、アラタが待ったを掛けていた。そんな時間があるなら少しでも読み書きや教養、武芸に複数国の習慣や言語を覚えさせたかったからだ。それでも一般教養として炊事洗濯掃除はある程度仕込む気でいたが、四六時中やらせる気は無い。あくまで共同生活での集団的な行動に馴染ませるのが主目的であった。



 困難や苦労は多かったものの、最初のスタートとしては悪くない。アラタは笑顔で走り回る子供達を見て、これからのドナウに希望を持つ事が出来た。


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