第74話 面倒な夫婦



 レゴス王国第三王女オレーシャが王都にやって来て三日目、そろそろレゴスから謝罪の使者がやって来るのではと、王城の人間が予想していた所、午前中にやって来た使者が王に面会を希望していると、諜報部の執務室で仕事をしていたアラタに連絡があった。目的の詳細はまだ聞いていないが、考えられる目的は一つしか無かったので、すぐに屋敷に使いを送ってオレーシャを城に呼び寄せた。

 名目上は客人だったので、王女であるマリアと連れ立ってやって来たオレーシャの姿を見たレゴスの使者は、勤めて無表情を取り繕っていた。彼はきっと内心ではハラワタが煮えくり返っていた事だろう。それをどうにか表に出さないようにするには、笑顔よりも表情そのものを作らない事を選択したようだ。引き合わせた謁見の間の人間は、オレーシャを除いて全員が使者の心情を見透かしていたが、誰もその事には触れなかった。きっとドナウの人間も彼と同じ立場だったなら、同じ気持ちになっただろう。


「―――オレーシャ殿下、よくぞ御無事でおられました。皆がどれほど御身を心配なさった事か。カリウス陛下、殿下を今まで遇して頂き、感謝の言葉もございませぬ。幾ら婚約者に一目会いたいと思われましても、まさか単身外国に向かうなど、誰にも予想できませなんだ。ですが、この不始末、申し開きのしようもございませぬ」


 深々と頭を下げた使者がどうにも気の毒に思えたドナウの面々だったが、国の問題故にけじめだけは着けねばならない。


「――まあ、使者殿の言い分はもっともだ。だが、オレーシャ王女は余の義理の娘になる者ゆえ厳罰を望まぬ。そちらの国の法にまで口出しはせぬが、出来れば穏便に済ませてもらいたいものだ。我が息子の顔を一目見たいが為に、はるばるドナウまでやって来たと思えば可愛い女心ではないか」


「はは、そう仰っていただけただけでも、急ぎ追いかけた甲斐がございました」


 カリウスの言葉で僅かながら気が和らいだ使者だったが、さらにカリウスの口から『だが』という言葉が出たので、心臓がどきりと跳ね打ち、顔が反射的に上を向く。


「余からの親書をアレクサンドル殿に届けてくれ。ごくごく私的な親書ゆえ、処分してくれて構わんが、返答は出してもらいたい。如何かな?」


「はは!必ずお届けし、返書を頂いてきます!」


 使者は歯噛みしたい気持ちを抑え、使用人から親書を渡される。大げさに叱責も苦言を呈さない代わりに何かしらの要求を呑ませるつもりらしい。親書を処分して構わないという事は、公式な取引ではないという事であり、この一件を表沙汰にしない代償として、何か欲しい物があると思った方が良い。はねっ返りの王女一人の為に随分と高い借りが出来た事に内心激高したかったが、最大限の自制心を以て、彼は耐え抜いた。


「さて、こうしてお目に掛かるのは初めてだったなオレーシャ王女よ。余がそなたの義理の父となるカリウス=オットー=ブランシュだ」


「初めましてカリウス陛下、ご機嫌麗しゅう。アレクサンドル=ユリアーノ=グリエフが三女、オレーシャ=プラトー=グリエフでございます。この度の数々の御無礼、まことに申し訳なく思います。そしてマリア殿下に受けた温情に感極まっております」


「ふふ、そう畏まる必要は無い。マリアはそなたの義理の妹になるのだ。今から仲良くするのは悪い事ではない。マリアよ、オレーシャ王女の世話、良くやってくれた」


「そのようなお言葉は不要にございます。私としても短い間でしたが楽しい時間でした」


 恭しく父であるカリウスに首を垂れるマリアは、どこからどう見ても風格を持つ王女にしか見えなかった。普段のお転婆ぶりは鳴りを潜め、外向きの仮面を取り繕っているのだろう。まあ、言ってる事は本心なのだが。そしてオレーシャの癖のあるドナウ語も矯正されていた。恐らくマリアが挨拶の時だけは発音をどうにかするように必死で仕込んだのだろう。おかげで癖が無くなっていた。


「うむ、仲良き事は良い事だ。さて、オレーシャ王女よ、幾分待たせたが、我が息子であり、そなたの夫となるエーリッヒと会っておくが良い。今宵は城に部屋も用意してあるし、ささやかながら宴の準備もさせている。使者殿も泊まって行かれよ」


 使者側からすれば、王女共々いきなり押しかけて来たのに、手厚い歓迎をしてくれるドナウには頭が下がる思いだが、今後一体どういう形で取り立てられるのかを考えると怖くて仕方が無かった。幾ら王族同士が結婚するとは言え、国が違う以上は絶対に対価を要求されるはずだからだ。陰鬱な気分だったが、使者である自分にはどうしようもないのが分かっていたので、素直に厚意を受け入れておいた。



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 執務室で謁見の間の様子を盗み見していたアラタが、終わったかとポツリと呟くと、近くで仕事をしていたヴィルヘルムが聞き返したので、慌てずに取り繕う。


「レゴスから来た使者の謁見だよ。もうそろそろ終わる事かなという意味だ」


「ああ、そう言う事ですか。オレーシャ王女も無茶をします。マリア殿下だって幾ら何でも一人で外国にまで行きませんよ。一外交官からすると、今回のレゴスの失態は相当大きいですよ。家に暫くは頭上がりませんね」


 ヴィルヘルムは外交官らしい感覚でレゴスの失態を喜ぶ。彼の中でもこの後、どれだけレゴスに有利な取引を持ち込めるかを考えており、非常に嬉しそうだった。


「まったくだ。おかげでうちのアンナの機嫌が悪くてな。俺がオレーシャ殿下と親しくしてると、ものすごい嫌がるんだよ。俺からすれば親戚になる相手だから、色々と世話を焼いているだけなんだが、どうも色目を使っていると思われている。今も二人で手一杯だってのに、これ以上人を抱え込めるかよ。アンナって昔から嫉妬深かったのか?」


 兄としてずっとアンナの事を見ていたヴィルヘルムに堪らず打ち明けると、昔を思い出しながら少し戸惑いつつ答える。


「私達家族の前では一度も見せていないですね。むしろそんな妹、初めて知りました。アレは心に色々と溜め込む癖はあったのは知ってますが、もしかしたら長年溜まっていた物が溢れているのかも知れません。あいつは生まれの不自由さから色々と諦めて生きていましたから、本当は欲しくても手に入らない物が、いざ手に入ったから、絶対に手放したくないと思ったんでしょう。そしてそれが貴方だった。私はそう思います」


 長年溜め込んだ末にようやく手に入った物なら是が非でも手放す気は無い。マリアの時も似たような状況だったが、今回は明確にエーリッヒの婚約者だと決まっていたのに、客として気を遣っているだけのオレーシャに嫉妬しているのだ。こうなるとアラタに不用意に近づく女は、全て敵と見なされている可能性すら考えられる。傍から見るととんでもない地雷女であった。

 流石にマリアの事は認めているし、それ以外で一番近い女はエリィだったが、彼女は子供であり、アラタからすれば庇護する対象だと思われているので除外出来た。だが、それ以外となると彼女は許しはしないだろう。是が非でも排除に動こうとするはずだ。


「何というか、俺に似合いの妻かもな。面倒くささは俺の方がずっと上だけど」


 自嘲交じりの苦笑いをするアラタを見て、諜報部員は全員その言葉に同意した。この男、味方にはかなり甘いが敵対者にはまるで容赦がない。敵なのだから当たり前だが、この男は一切の手段を選ばず殺しにかかるのだ。諜報部という後ろ暗い仕事を平気で取り纏め、いくつもの策略を巡らし罠に嵌めて絡める。強大なホランドも、この男に良いように絡め捕られて負けを喫した。敵対する相手からすれば面子も作法もお構いなしに殺しに掛かってくるので凄まじく面倒な手合いと言えた。


「ただまあ、今の所は対処療法しかないよな。子供が生まれたら少しは落ち着いてくれると良いんだが。まだ産むには体力が足りないだろうし」


 あと1~2年は駄目だろうなあ、そうぼやくアラタだった。ヴィルヘルムは半信半疑だったが、最近の妹の身体の調子を見る限りその場しのぎの嘘でも無いと思っていた。長年病気がちだった妹が最近は殆ど体調を崩さず、健康的に生活していると知って、義理の兄弟のお陰なのだと素直に感謝していた。何をどうしたかは分からないが、きっと何とかしたのだろうと根拠は無いがそう思えた。

 出来れば早く伯父さんと呼んでもらえる日が来ればいいと、ヴィルヘルムは愚にも付かない事を考えつつ、書類を処理し続けた。



       □□□□□□□□□



 夕刻―――――王城ではオレーシャ王女を歓迎する宴が開かれていたが、そこにアラタの姿は無く、マリアだけが出席していた。実は体調不良と言い張り、仮病を使って欠席したのだ。マリアにはエリィに言伝を任せて出席してもらった。埋め合わせは今度必ずすると伝えたので大丈夫だと思うが、要求される物の大きさが不安だった。

 そして仮病を使ったアラタが何をしているかと言えば、


「―――良かったんですか?オレーシャ殿下の事放って置いて」


 正妻をそっちのけでアンナと一緒に風呂に入っていた。屋敷の風呂は十人が余裕で入れる浴槽があり、アラタはアンナを後ろから抱きかかえる形で湯船に浸かっていた。


「君の方が大事だからだ。――――俺がオレーシャ殿下から目が離せなかったのは、彼女が小さい子のように危ういと感じていたからだ。後先考えずに、あちこち動き回って、いつの間にか川で溺れ死んでいたり、狼に食い殺されていたり、車に曳き殺されていたりしないか気が気じゃなかった。孤児院にいた頃、似たような子の面倒を見ていたから、どうにも気にしていないと何かしでかすんじゃないかと思っていたんだ」


 だから、女として見ていたわけじゃないからな。そう言って、アンナの首筋にキスをする。くすぐったそうに身をよじったが、腕で掴んで離さなかった。

 私とあまり歳は変わりませんよと笑っていたが、単身ドナウにまでやって来た事を考えればアラタの危惧は的外れと言えなかった。だが、自分がオレーシャに嫉妬していたのは事実だ。それを夫は気に留めてくれて、今もこうして公務を放って相手をしてくれている。身勝手な自分を受け止めてくれた夫に申し訳ないと思いつつ、それが何より嬉しかった。しかも正妻であり王女であるマリアを放っておいてだ。

 こんな身勝手な事をしでかした自分はオレーシャを笑えない。そう考えると、どうにも自分が嫌になって涙が溢れてしまった。


「―――こんな面倒な女でごめんなさい。私、あなたの足手まといにしかなっていない。本当にごめんなさい」


 泣き出したアンナを、アラタは何も言わずに強く抱きしめた。そうして抱かれていたが、落ち着いたらしく、もう大丈夫だと言ってアラタに向き直った。


「夫婦なんだから、もっと本心を話してくれて良いんだぞ。ノルトアドラの砂浜の時のように、俺も本音が出る時があるんだしな」


「はい、これからはそうします。―――マリア様には申し訳ない事をしました。アラタ様も一緒に謝ってくれますか?」


 二つ返事で了承すると、自然と二人は唇を重ねる。その後は浴場からアンナの艶めかしい声が屋敷の使用人の耳に入り、またかよと呆れるのだった。



 後日、アラタはマリアからの要求により一日脚竜の遠出に付き合うのだった。仕事と正妻を放って置いてそれだけで済んだのだから、マリアは十分優しいと言えた。


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