第73話 アンナの嫉妬




 レゴス王国の第三王女が単身突然やって来たと報告を受けた宰相のアスマンは、一瞬耳を疑い再度アラタに聞き返したものの、全く同じ報告を聞いた事から、胃にキリキリとした痛みを感じつつも、対策を講じねばならなかった。まずは外務省に事実確認の使者をレゴスに送らせる手配を整え、同国に赴任経験のある外交官にオレーシャの容姿を確認させ、本人かどうかの確認をさせた。さらにオレーシャが書置きを残してきた事から、すぐにでもレゴスから謝罪の使者がやって来る事を予測して、城の人間に通達する手はずを整え、カリウスとエーリッヒにも事の次第を説明しなければならなかった。この説明は当事者のアラタが担当するのだが、本人だと分かった場合には今後の対応もどうすべきかも考えねばならなかった。幸いにもアラタが引き留めたおかげで大事にならなかったものの、いつまでもそのままには出来ない。当然、オレーシャにはレゴスにお引き取り願うのだが、その間の処遇をどうすべきかが問題だった。

 話を聞いてすっ飛んできた外務長官のハンスと共に二人は、カリウスとエーリッヒに面会を希望した。



 幾つかの案を考えつつ早急にカリウスに事の次第を知らせると、アスマンと同様胃痛を訴えたが、先に対応策を一緒に考えてほしいと無視された。長年仕えた相手故の気心の知れた部分があり、何気にアスマンは王の扱いに雑な所があった。

 エーリッヒは説明を受けてすぐに絶望したような表情を張り付け、マリア以上のじゃじゃ馬が嫁にやって来た事に、神を呪う言葉を吐いていた。

 エーリッヒに関してはどうしようもないものの、オレーシャに対する処遇はそのまま話し合いが続けられた。不幸中の幸いな事に彼女が脱走した日付と現在の日付を計算して、あと数日もすればレゴスから謝罪の使者がやって来るだろうと予測し、オレーシャにはそのまま帰ってもらう事は全員一致した。

 問題はその間の数日をどうするかだった。一応身分を示す王家の印の入った指輪は携帯していたものの、正式な来訪ではないのでそのまま城に受け入れるのは抵抗がある。かと言ってあまり無体な扱いをすれば後の禍根を残す事になりかねない。今の所アラタの屋敷に泊まってもらっているので、客人に対する礼は尽くしていると主張は出来る。義理の妹と縁を結んでいると主張できなくも無いからだ。

 問題はエーリッヒに会わせる事が出来るかだ。本人はその為にはるばるレゴスから来たと言っているし、今後を考えると無碍にも出来ない。すさまじく厄介な人間が懐に飛び込んできたので全員が突き合わせた頭を痛めたが、放置も出来ないのだ。

 長々とした協議の結果、レゴスの使者が来るまではアラタの屋敷預かりとなり、確認が出来た後にエーリッヒと対面させ、1~2日程度一緒に過ごしてもらい帰ってもらう事になった。その結果、事実確認の使者は取り止めとなり、カリウスがレゴス王家に対して親書という名の抗議文を、迎えに来たレゴスの人間に託す事に変更された。どれだけ破天荒でも一応王女の言葉を疑うのは失礼に当たるからだ。



 どうにか対応を纏めた五人は精神的な疲れを隠せなかったが、このまま休むわけにはいかず、諸々の手配の為に散って行った。

 アラタに求められたのはオレーシャを宥めて、数日間屋敷に釘付けにする事だった。軟禁は行過ぎなので簡単な外出は許可されていたが、危険な行為は絶対にさせるなと厳命されており、遠乗りなどはさせるつもりはなかった。屋敷にはマリアやアンナが居るので話し相手には困らないだろうし、幾つか娯楽用品の試作品を作ってあったので暇つぶしにはなるだろう。後は本人のエーリッヒに会いたいという感情がどこまで抑えられるかが肝と言えた。

 諜報部の執務室でオレーシャの取り決めをしたためた手紙をエリィに届けさせ、アラタは通常の業務に精を出した。



 ドーラから情報を逐一送らせていたが、体面上あまり放って置く訳にもいかないので、通常業務や講義を早めに切り上げて帰宅したアラタが最初に見たものは、表の庭で女三人が仲良く戯れている光景だった。互いの身体を寄せあったり、腕を胸に押し付けたり、後ろから抱きついており、見る人が見れば垂涎物の光景が生み出されていた。


「あら、アラタ様。おかえりなさい。今日は早かったですね」


「ああ、ただいまアンナ。客人をあまり放って置くと外聞が悪くてね。暫くは早めに帰ることにしたよ」


 最初に気づいたアンナが駆け寄りアラタを労い、残りの二人もそれに続いて挨拶をする。エリィからの手紙で状況を把握している三人は数日間の滞在を有意義に過ごす気でいた。庭で戯れていたのもその一環だった。


「お二人は強いであります。私の方が力が強いのに、どこか身体を掴まれると痛くて動けないであります」


 三人はただイチャイチャしていたわけではない。アラタや屋敷に常駐している近衛騎士から幾らか素手での格闘技術を教わっていたので、その技術をオレーシャにも指南していたのだ。特にアラタの教えた地球軍式の格闘術は合理性を突き詰めた技術であり、ひ弱なアンナでも大の男を屈服させられる程完成度が高かった。

 オレーシャは父の従兄弟から武芸を教わっていたが、主に弓と騎乗技術を教わり、護身程度の剣術は修めていたぐらいで、素手は専門外だった。その為、密着された状態では力の弱いアンナにも関節を極められて良いように遊ばれて、無力化されている。


「人体構造と力学を追求した技術ですから、力の無い人間でも有効なんですよ。人間の体は自由に動かせる範囲が決まっていますから、それを熟知すれば難しい技術じゃありません」


 肘や手首を曲げる所を見せつつ、可動範囲の限界を理論的に説明すると、しきりに感心していた。職業軍人なら格闘技も修めているのである程度感覚として知っているのだが、オレーシャは王女なのであくまで護身用に修めただけで、それほど深い部分は教わっていなかったのだろう。特に剣のような長い刃物であれば、間合いの外から攻撃できるので比較的危険はない。わざわざ素手で戦う必要など無いのだ。


「でもやっぱり弓を引くか竜に乗りたいであります。レゴスにいた時はよく狼や猪を狩っていたであります」


 想像以上にアグレッシブな少女に、レゴスの人間は苦労していたんだろうと、碌に顔も知らないレゴスの人間に同情した。彼女の話では、自分は騎乗しながら弓を引ける数少ない人間だそうだ。騎乗技術に優れるホランドにも滅多にいない特殊技能者だったことに驚き、きっと彼女の父親であるレゴス王は、女でなく男に生まれていればと、何度も嘆いたのは想像に難しくない。

 脚竜は地球の馬と違いバランスの悪い騎乗動物だ。主な理由は二本脚による走行なので、四本足の馬に比べると非常に揺れるからだ。その為、弓の照準がつけ辛く、余程才能のある人間でも無ければ実用性に欠けるのだ。当然モンゴル騎兵のような退き撃ちのような高度な技術は持ち合わせておらず、騎兵の武器と言えば槍を抱えての突撃が主流だった。尤も、ホランドなら万を超える騎兵を用意しての突撃だったので、西方では敵なしの軍事力と言えた。


「西方の騎乗動物が二本脚の竜で良かったですよ。退き撃ちが出来る動物を扱っていたら、何をやってもホランドには勝てなかった」


 アラタの独白は誇張ではない。現に騎兵に勝てるようになったのは地球では20世紀に内燃機関の発達によって自動車が普及し、機動力と火力が確保出来てからなのだ。そのどちらもが欠けていた西方では打つ手が無いし、数に劣っているなら尚更である。

 その言葉に興味を持ったオレーシャが地球の騎兵の話を聞きたがったが、既に日が傾いていたこともあり、夕食時にでも話すと言ってお預けにした。少し残念そうにしていたオレーシャだったが納得して、屋敷に入っていった。

 二人の様子を見ていたアンナが、随分と仲が良いですねと不機嫌そうに言ってきたが、アラタも親戚になるのだから仲が悪いより良い方がずっと良いだろう?とホランドやサピン王族が仲違いしている事を引き合いに出して、身内の中の悪さなど害にしかならないと真面目に返すと、アラタがオレーシャの事を女として見ているのだと思い違いをしていたと心情を露呈した。

 二人の妻、特にアンナは独占欲が強く、アラタに依存しがちだ。この様子ではマリアの事は受け入れられても、これ以上側室を受け入れる気は完全に無いと見ていた。アラタも自発的に増やす気は無いものの、これには困った。

 もう二人以外に妻を娶ったりしないからと、アンナを抱きしめて落ち着かせてから三人は屋敷へ戻った。



 アラタは約束通り、夕食の後にオレーシャに地球の騎兵の話をする事になり、オレーシャは待ちかねたとばかりに、早く話してほしいとせがんでいた。

 前置きとして、この西方で使用している脚竜と違って、馬と言う四足の鹿に似た動物を騎乗に用いている事を教えておく。その時点でもオレーシャは感心したような声を上げる。

 家畜化されて運搬、農耕、軍用へと利用され、道具の発達によって練度の低い人間でもある程度扱えるようになると軍で組織化され、偵察用や伝令用から弓を持たせた軽騎兵へと変遷した事を話すと驚いていた。馬は脚竜と比べて四足なので揺れにくく、騎射が可能だと告げると納得した。

 ヌミディア騎兵、パルティア騎兵、スキタイ、匈奴、アッシリア。数多くの国や地域で騎兵が現れ、戦場で猛威を振るったものの、数が少なかった事から戦場の主役にはなれなかった。時代が下るにつれ、騎兵は重武装化し、全身鎧を身に纏い大槍で集団突撃をする、ホランド騎兵によく似た重装騎兵が流行り出すと、その華やかさからいつしか戦場の花形として扱われるが、それ故にさらに数が減る一方だと語たり、何故なのかアラタは三人に問うと、すぐに答えが返って来たのがアンナだった。


「お金が掛かりすぎのが原因なのですね。鎧も武器も馬も数を揃えようとすると相応にお金が掛かります」


 王女二人は国政に関わっている訳では無いので税収や予算といった概念には疎い。頻繁に外に出歩いているので貨幣制度は理解しているだろうが、街の買い物と軍団の維持費とでは何万倍も額に差が出るので、すぐには思いつかなかった。

 反対にアンナは新設する孤児院の実質的な責任者に就いており、維持費や人件費などの予算に触れる機会があったので簡単に思い至ったのだろう。汚い話だが、世の中どこまででも金の問題は付いてまわるものだ。

 その為に騎兵の組織だった運用は一時途絶えるのだが、今度は別の土地から騎兵の大軍団によって世界が席巻されていく。


「モンゴル帝国と呼ばれた遊牧民の軍団は大地がある場所ならどこまでも駆けて行き、あらゆるモノを略奪し、殺し尽し、都市を焼き払い、征服していった。彼等は二十万の騎兵を従え、世界の陸地の四分の一を領土とし、最盛期には一億人を支配していた。征服された土地の人間は彼等を悪魔と恐れ、数百年以上語り継いでいった」


 人口一億と聞き、三人は開いた口が塞がらなかった。ドナウの総人口は二百万人、レゴスも似たようなものだ。西方最大の大国であるホランドでさえ一千万人が限界なのだ。アラタの話を聞き、自分達の知る世界がどれだけ狭いのかを嫌でも認識させれられた。

 その後は技術の進歩によって歩兵の装備が向上し、遠距離兵装の長大化と高威力化が進み、騎兵の価値が下がった事から衰退し、縮小されていったと説明する。本当は火薬兵器の開発によって、竜騎兵という火力と機動性を両立された兵科が生まれるのだが、今は火薬が機密の為、三人に話すわけにはいかず、嘘を混ぜた話をしていた。

 こうして騎兵の歴史を話していると夜も更けてきた為、解散となった。オレーシャは非常に満足して上機嫌に客間に引き込んだが、あまり構って貰えなかった二人は不機嫌だ。特にアンナは頭では分かっていても、心の整理がなかなか付けられず、思いつめた様子でアラタを見ていたのだった。



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