第69話 新婚旅行



「おー海だ海!久しぶりに見たなー」


 珍しくテンションの高いアラタが海を見ながら目を輝かせていた。そんな普段と違う顔を見た二人の妻は、可愛い所もあるんだなーと、楽しそうに夫を眺めていた。

 三人は王都から離れてノルドアドラという北の港町に視察兼旅行に来ていた。勿論護衛の騎士や使用人は幾人か付いていたが、王女の随伴と考えると少数だった。護衛には近衛騎士が二人付いており、さらにその従士が五人。王女付きの使用人が五人ほどついて来ていた。エリィもアラタが勉強と称して連れてきており、総勢二十人近い集団だったが、これでも王族が旅をするには小規模と言えた。


「アンナは初めて海を見たようですけど、感想はどう?」


「――凄いです。見渡す限り全てが水、こんな景色初めて見ました!でも、変な臭いがします」


 変な臭いというのは磯の潮風のことだろう。慣れない人間には妙な臭いに感じてしまう。アンナもその一人で、海に近づくにつれて竜車の中で顔を顰めていた。マリアは何度か経験があったのか、平気な顔をしていたが、使用人の何人かがアンナと同様に潮風の臭いに違和感を感じていた。


「まあ慣れないと変な臭いに感じるのは仕方ないさ。一日も海辺に居れば慣れるから、今は我慢してくれ。それから街に居る間は代官の館に泊まる手筈が整っていると聞いたが、変更は無いか?」


「はい、以前から王家の方がノルトアドラに逗留する間は代官の館を利用していますから、今回も連絡が入っていますので既に準備は整っていると思います。我々も離れにですが滞在しますのでご安心ください」


 アラタが予定を確認したのは一団のまとめ役をしているラルゴだった。以前からマリアの護衛を担っていて、嫁いでからも引き続き屋敷付の護衛騎士として常駐していた。他にもアラタと旅をしていたユリアンが屋敷に詰めており、さらに今回の旅にはアラタの騎乗訓練を担当したマルクスも護衛として参加していた。


「そこは心配してないさ。貴方方の力は認めている。それにこの街は治安も良いと聞いているし、出番は多分無いだろうよ。交替で休みを取って、街を散策するのも良い」


「お心遣い感謝します。では職務に差し障りの無い程度にさせていただきます」


 アラタとラルゴは仲が良い。以前、マリアが城を抜け出した時に知己を得ており、その後も何かと関わりのある二人はマリアに手間を掛けさせられる事から親近感を抱いていた。さらに最近は結婚してアリアが大人しくなったので胃痛から解放されて、のびのびとした気分で職務に励んでいた。それもこれもお転婆娘を引き取り、躾けてくれたアラタのおかげだとラルゴは感謝しているのだ。


「それじゃあ、代官に挨拶しに行こうか」




 ノルトアドラは一万人を超えるドナウの中でも大きな都市だ。王都に比べれば数分の一の人口だが、国内では指折りの規模と言える。古くから捕鯨解体施設と造船所がある事、人員が揃っており、海軍の一部が駐留している事から、それらの兵士を相手取る商売も盛んなのだ。かつては交易拠点としても栄えていたのだが、近年は複数の港町が湾港を再整備して、より利便性のある港を持つようになったので、商人たちが拠点を移してしまい、人が少なくなったものの、古くから住んでいる職人たちはそのまま残っているので、まだまだ街は栄えていた。

 代官の館は城同様行政施設も兼ねているので都市の中央に置かれている。有事の際には砦としても機能する事から、王都の建物に比べて頑丈に作られているので外観は武骨で、雅さに欠けていても安全面では優れており、王族の逗留先には適していた。

 ドナウの直轄領では代官は一生同じ地域を任されない。地元商人との癒着や既得権の構築を防ぐために、任期は最長でも二十年までと決まっていた。代官の役職は世襲も禁止されており、近い血族に同じ地域の代官を引き継がせる事も出来ない。親子はもちろん、伯父や甥、従兄弟まで法で禁止されており、娘婿や養子をとって引き継がせる事も禁止されていた。

 代官の人事権は宰相に一任されており、毎年各地の代官から心付けが届けられていた。最長まで勤め上げた代官は次の任期も良い場所に行きたがるし、不満を持つ代官は現在の土地から離れたがる。現状維持を望む代官ならそのままを希望するので、特別こだわりを持たない者以外はみな、宰相のご機嫌取りに必死だった。誰だって大都市に勤務したいと思うし、地元商人から接待を受ければ、相当な額が懐に入ってくるのだ。辺境や寒村への赴任は出来る限り避けたいと思うのは人として当然である。




「お待ちしておりました、マリア殿下…とレオーネ殿。王都に比べれば武骨な設えですが、我ら一同精一杯のおもてなしを致します故、これよりこの館は殿下のお屋敷と思い、ご寛ぎ下さいませ。護衛の方々も離れをご用意いたしていますので、どうぞご自由にお使い下さい」


「心遣い大義です、ディーボルト代官。短い間ですがお世話になりますね」


 この街の代官、ヴェライト=ディーボルト代官はこの近辺の地方貴族の出身で、王都の貴族とは関わりが薄い。地方貴族の例に洩れず、平民でありながら王に重用されるアラタを嫌っている。ただ、王女の夫という手前、表立って無礼な態度はとれない。そして、アラタが宰相の直属の部下であるのも広く知られている事から、おかしな態度をとると人事権を握っている宰相にすぐに話が伝わってしまい、首を挿げ替えられるかもしれないので、内心は不愉快に思っていても態度には出さなかった。媚びへつらう気は毛頭無いものの、数日程度ならば失態を犯さない事は難しくない。大都市の代官に任命される以上、この程度の処世術は修めている。


「今回は公式の視察という事になっているが、お忍びの休暇に近い。ノルドアドラは治安の良い都市だと聞いているから、当てにさせてもらいますよ、ディーボルト代官殿」


「――はっ、レオーネ技術顧問殿のご期待に応える為に微力を尽くします」


 腹の中では『平民風情が何を偉そうに』と憤っているが、それを一切顔に出さずに彼は笑顔で答えていた。尤も諜報部の調査書にはアラタへの反発心もしっかり記載されているので、彼の内心など最初から見透かしているが、仕事さえ怠らなければ放置する気でいた。腹の中でどれだけ悪態を吐いても、評価とは仕事内容でするべきだと宰相もアラタも考えているからだ。

 一行は館の使用人に案内されて、それぞれに用意された部屋に向かう。



 三人が案内された客間は、王都の屋敷に比べると古めかしさが目立ったが、王族に用意された部屋としては合格点に達しており、マリアも不満そうにしていない。広さも十分あり、ベッドも五人は寝転べる大きさで、三人が寝てもかなり余裕があった。前もって三人で使用する事を伝えた時は、館の全員が何度も連絡役に確認したが、何度問い合わせても三人だと返答があったので、不審に思いないながらもアンナの部屋は用意しなかった。

 アラタとマリアは夫婦なので一緒の部屋は当然なのだが、側室のアンナまで一緒の部屋で寝起きするというのは普通では有り得ないからだ。正妻と側室が仲が良いというのがまず難しく、どちらが夫の寵愛を強く受けるかで争うものだ。さらに子供がいなければ、先に子供を産んだ方が優位に立てると考え、互いに足を引っ張るのが常識なのだ。一応王女と貴族という身分差があるのだから、嫡子は決まっているものの、個人的感情は無視できるものではない。

 にも拘らず、この二人は非常に仲が良い。それも寝所を共にするほど仲が良いなど、代官を含めて使用人が何度も部屋の確認をするほど信じられなかった。

 だが現実にマリアとアンナは極めて仲が良く、今も旅の疲れが出たのか、案内された客間のベッドで仲良く二人で昼寝をしていた。

 そんな妻達を残し、元気なアラタは街の散策に出かけていた。護衛のラルゴ達は伴を進言したが、妻二人の警護の方を優先してほしいとやんわり断られ、少し躊躇したが、言われた通り二人の警護に就いている。代わりとしてアラタが連れたのがエリィだった。

 遊びに連れて行ってもらえると喜んだエリィだったが、アラタは勉強の為だと言ってたしなめた。


「見知らぬ土地にやって来た時に効率良く情報を得る実地訓練だ。街の建物の把握や、住んでいる人間の生活習慣、流通している食糧などから、何処とどういう交易をしているのか、そういった情報を今から集めるんだ」


「えー、折角知らない街に来たのにー」


 文句を言うエリィにアラタは、ただ何となく過ごすのではなく、注意深く観察したり、街の地形を把握しつつ楽しむなら構わないと、やや難易度の高い要求をしていた。仕事や勉強でも楽しさを含ませた方が覚えが良いのは誰でも共通するからだ。


「うーん、難しいけどやってみるね。もし出来たら何か好きな物買ってくれる?」


「それぐらいなら、勉強を頑張ったご褒美として買ってやるよ。まず手始めに夕食の時間までには街の地図を書けるぐらい建物と地形を覚えるんだぞ」


 その言葉に俄然やる気を出したエリィは、アラタの手を引っ張って街の散歩に繰り出し、街のあちらこちらで貴族の青年の手を引っ張る使用人の少女という非常に珍しい二人組の姿を住民に晒していた。アラタからすれば、きょろきょろとお上りさん丸出しの姿は目立つので好ましくなかったが、その甲斐あって見事エリィは出された課題をこなし、市場で売っていた貝殻のアクセサリーなどを手に入れるのだった。

 その途中で治安の悪い貧民区に入った事でゴロツキ集団に包囲されるというハプニングもあったが、丁度良いとばかりにエリィの神術の練習台にされ、幻を見せられ錯乱した所をアラタに一人ずつ叩きのめされ、全員が苦痛で呻くはめになったが、二人とも大して気にも留めなかった。最近はエリィも随分アラタに染まって来たらしい。

 しかし、その事を夕食時に聞いたマリアとアンナは、自分達を放って置いて二人で満喫していた事に腹を立て、その晩は二人がかりでアラタを搾り取るのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る