第63話 新居へ引っ越し



 王族の結婚という一大イベントの翌朝であっても当然、太陽は何事も無く登る。祝い客としてやって来た各国の名代も、役目を終えた以上は、この地を去る。彼等は朝早く出立し、急いでドナウとの関係を本国の王達と協議せねばならない。

 アンナの両親も数日後には元の赴任先であるサピンへと戻る事が決まっている。今回は娘の結婚式という事で一時的に帰国したのであって、息子のヴィルヘルムと違い、異動の辞令は下っていない。アンナもベッカーの屋敷を出て新居へと引っ越すので、屋敷にはミハエルとリザ、そしてヴィルヘルムが住む事になる。



 アンナの新居とは勿論アラタとの住居で、元は王家が所有していた屋敷をカリウスが結婚祝いとしてアラタに下賜した物だ。表通りで一番大きな屋敷で、王女であるマリアが住むにも不足は無い格式と大きさを有している。さらに結婚が決まってすぐに改装工事をしており、一番目を引いたのが壁一面に塗られたセメントの白さだった。建務省の官僚への講義でセメントの利用法を教えた事から、試験的に導入された建築技術で、日の光を照り返す外観の美しさは王都一だと近隣住民が噂しており、別名「白の館」と称賛していた。

 調度品も王家に相応しい品が数多く揃っており、格式の高さを窺わせるものだった。中にはアラタが貴族から贈られたが、倉庫の肥やしになっていた品も混ざっている。城で与えられた仮の部屋に飾る気は無かったが、流石に自分の屋敷を持った以上は送った貴族の面子の手前、使わない訳にはいかないからだ。元の屋敷が王家の持ち物である以上、全体の調和を壊す半端な調度品は置けないが、中には一級品も混ざっていたので、教養のある使用人に判断を丸投げして使う事となった。



 これ程格式の高い屋敷ともなると維持費や、使用人の給金だけでもかなりの出費になるが、アラタにとってはそこまで苦しい訳では無い。

 領地持ちの貴族なら領民から税を取り立てればそれで済む。しかし領地の無い貴族の収入源は官僚や代官のような職務への禄高で全てを賄う必要がある。無論それだけでは賄いきれない事が多いので、副業や一族の人間がそれぞれ働いて金を稼いでいる。

 働くと言っても平民と同じように畑を耕すわけでは無く、家庭教師や代筆、医療や街道整備の監督といった読み書きや数学、教養の必要な仕事に携わる事で糧を得ていた。中には近衛騎士を引退した後、平民に剣術を教える元騎士もおり、その弟子の中でも才能に恵まれた者は師の仲介で従士に取り立てられる事もあり、成り上がりたい若者が門を叩くのが日常的な風景となっていた。

 王家技術顧問に就いてから一年以上経過しており、その間支払われた禄高が積もりに積もってかなりの額になっていた。何せ指導したのが貴族や近衛騎士に軍の士官ばかりなのだ。平民や下級貴族の子女に字を教えるのとは比較にならない程高額の禄高が支払われている。さらには如何に王家顧問役の仕事でも、個人への謝礼まで行わないのは貴族の礼に反するので、講義の度に金貨や贈り物が届けられた。

 さらに城に住んでいる間は衣食住全て王家が面倒を見ているので全く使用せず、金の掛かる趣味や娯楽を持たないので大して減らない。時折エリィやヨハンに労いの為に小遣いを与えたり、頼みを聞いてくれた官僚へ酒や金を届けるぐらいなので、そこまで出費は嵩まない。与える物の多さはアラタの方がずっと多く、そうした理由もあって領地が無くとも収入に困らないので男の面目を保つ事が出来た。



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 結婚式の翌日、昼まで寝室で寝ていたマリアもようやく起き出して身支度を整えて新居へ移る準備をしていた。アラタとアンナは既に屋敷に向かっており、マリアが最後だった。

 竜車に揺られて数分で屋敷が見えてくる。城のすぐ近くに建てられているので一度も中に入った事は無いが、日の光を跳ね返す白の壁が輝いて見え、マリアは目を細める。使用人達が「白の館」と呼んでいた理由が良く分かり、ここがこれからの住居だと思うと、不思議と笑みが零れた。

 事前にマリアが到着する事が伝わっていたので、表玄関には大勢の使用人が出迎えに整列して、その一番奥にアラタとアンナが待ち構えていた。


「遅くなってしまって申し訳ありません。これからは王女としてではなく貴方の妻として精一杯頑張ります。アンナも仲良くしましょう」


「勿論です姫様、一緒にアラタ様を支えていきましょう。―――ところで昨夜はどうでした?アラタ様は優しくしてくださいましたか?」


 白昼堂々使用人の前で爆弾発言をかましたアンナのせいで場が凍り付き、マリアはうつむき赤面しながら恥ずかしそうにしていた。


「そ、そんなことこの場で言えるわけないでしょう!―――あ、後で話しますから」


 無視しても良かったのに律儀に返す奥方二人を微笑ましそうに見ていたアラタだったが、いつまでも玄関に突っ立っているわけにはいかないので、屋敷に入る事を勧めた。

 荷物の運搬のような雑事は使用人に任せて屋敷へ入り居間でくつろぐ。まだ日は高いので夕食には時間があり、三人はこれからの事を話しながらお茶を楽しんでいた。いや、お茶を楽しんでいたのはアラタだけで、奥方二人はおしゃべりを楽しんでいた。正確にはアンナが昨日の情事の事を根掘り葉掘り詳しくマリアに尋ねていて、黙秘しても良いのに律儀に答えていた。どうやら情事の話になると一日の長からかアンナに分があるらしい。


「王族として知識はありましたが、いざその――行為に及ぶととても恥ずかしくて……」


「私も最初はそうでした。でも恥ずかしさ以上に包まれるような優しさや力強さに安らぎを覚えるんですよ。でも安心しました。姫様の様子でしたらアラタ様には優しくしてもらったみたいですね。私の時は日の落ちる前から真夜中までずっと離してもらえなくて、姫様の事心配してたんです」


 あうう、と擦れ声で頷き、アラタに助けを求めようとしたが、昨日の行為を思い出したのか、すぐに目を背けてしまう。どうやらマリアの方がアンナに比べ純情なようだ。王女と貴族、正室と側室という関係でも、現状アンナがすっかり主導権を握ってしまったらしい。


「アンナ、程々にしてやれ。仲の良さは好ましく思うが、度を超すと周りが煩いんだ。降嫁しても王女に変わりはないんだぞ」


「―――申し訳ありません、少し遊びすぎました。決して初夜の先を越された事を怒っている訳では無いんです。アラタ様が他の女性に身体を許した事が許せない訳ではありませんのでご安心くださいませ姫様」


 笑顔で怒ってないと言ってもそんなものは誰も信じない。むしろ凄みが出ていて怖い。元々独占欲の強いアンナがマリアの事を道理では認めていても、やはり感情的には面白くないのだろう。


「ひいい!アラタ、貴方の妻なのですから何とかしてください!」


「――今夜ちゃんと躾けておくから今は耐えてくれ」


(政治的理由とは言え、昔の王様はよく複数の女性と関係を持てたな。俺は二人でも手一杯だぞ)


(結婚早々、家庭内不和は避けたほうがよろしいですよ。夫としてちゃんと受け止めましょう)


(ふん、余計なお世話だ。お前に言われなくてもそうする。それから後でお前を引き取りに行くから待ってろよ)


(ようやくですか。五百日以上放って置かれたので忘れていると思いましたよ)


(お前は俺の道具だからな。引っ越しするなら一緒に持って行くだろう?今までその必要が無かっただけだ)


 脳内で短いやり取りを終えると、二人の妻には城に忘れ物を取りに行くと伝え、ご馳走を作って待っていてくれと言い残し、城へと出かけた。



 引っ越し早々顔を見せに来たアラタに、もう居辛くなったのかと軽口を投げかけるカリウスに、礼拝堂に忘れ物を取りに来たと口にすると、ああっ、と合点がいった顔をして、人を用意すると口にしたがアラタは丁重に断った。


「人も無いのにどうやってあの大きさの物を――――アレ、自力で動くのか?」


「はい、ですから周辺から人を遠ざけてもらえるだけで構いません。まあ、目立ちますが一生あのままなのも困りますから、一度だけ騒ぎになるのはご容赦ください」


「分かった。余は遠くから見物させてもらおう」


 使用人や近衛騎士に礼拝堂付近の人払いを命じた。

 アラタが礼拝堂に着く頃には人の気配も無くなっていたが、中庭に面した礼拝堂の反対側には騎士やら貴族が野次馬根性から見物していた。

 ドーラに周辺を観測させていたが周囲には誰もいないので、これ以上人が集まる前にさっさと動かしてしまう事にした。

 コクピットに入ると、一年以上放置していても何も変わりが無かった事に僅かばかり嬉しさが込み上げる。一時は自分の棺桶だと認識していたのだから愛着はそれなりにあるし、シートの感触が自身はドライバーなのだと教えてくれる。

 安堵感に浸りつつも、時間を無駄にしたくないアラタはドーラに命じてジェネレーターを始動させる。最低限だが、慣性制御システムを起動させるなら事足りる。

 重力から解き放たれたV-3Eが礼拝堂の床から僅かばかり浮き上がると、ゆっくりと柵に隠された壁穴を通って中庭に出る。途中でさらにぶつかって壁が壊れてしまったが、どの道修繕が必要なので勘弁してもらおう。

 動き出したV-3Eを見た野次馬共の悲鳴があちこちから聞こえていたが、どうでも良かったので放置しつつ垂直上昇した後、方向転換して新たな屋敷へと微速前進させた。

 城の人間は大騒ぎだったが、街の人間は何事も無いように過ごしている。この国では空を見上げるような者は皆無で、鳥や翼竜でも無ければ空を飛べないのだから、昼間の空を見ても何も見えないのだ。随分と久しぶりの空は気持ちの良い物で、このまま遊覧飛行を楽しみたかったが、帰りを待つ人がいる以上、長居は出来ない。惜しみつつ、ほんの十秒程度のフライトを終わらせて屋敷の庭に新しく建てられた倉庫に機体を押し込み、愛すべきわが家へ足を踏み入れた。


「あら、もう帰って来たんですか?忘れ物はありました?」


「まだ夕食の準備が整っていませんよ。もう少し時間が掛かると思っていたのですが」


「ああ、ちゃんと取ってきたし、俺は帰って来たよ」


 忘れ物を取りに行っただけなのに、不思議な言い回しをした夫に二人の愛すべき妻達は互いに顔を見合わせ首を傾げる。


「夕食になったら詳しく話すよ。それまで風呂にでも入るかい?仲良く三人で」


 屋敷にある十人は楽に入れる浴槽の風呂なら三人ぐらい余裕だろう。マリアは恥ずかしそうに頷き、アンナは勿論です、と非常に乗り気でアラタに抱きつき、腕を引っ張って風呂場へと歩き出す。


(この好き者が)


 ドーラの吐き捨てるような台詞は完全に無視されたのだった。


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