第64話 凸凹主従



 アラタが新妻達と浴場で身体の付き合いをしている頃、ドナウ王都を北上する集団があった。彼等の殆どが、煌びやかな竜車を体格の良い脚竜に曳かせ、その後ろに数多くの武装集団や使用人らしき平民を従えている。それぞれが多種多様な意匠を施した旗を靡かせており、もしその様子を見たアラタならばオリンピックの行進を見ているような気分になっただろう。

 彼等は先日ドナウのマリア王女の婚儀に参加した、各国の祝い客だった。ドナウの王都フィルモアから数日程度北上し、ドナウ有数の港町から船を使って、それぞれの故郷に帰還する行程を執っており、帰り道も一緒だからと、こうして一団を形成していた。

 多くは東の都市国家や小国からの祝い客だったが、その中心に一つだけ規模の違う集団があり、さながら周囲の祝い客が護衛しているかのような錯覚を覚えた。

 青地に鹿の意匠が施された旗はユゴス王家の紋章であり、一団の中心の竜車は他の国の祝い客の乗る竜車に比べて、非常に凝った造りをしていた。西方最古の王朝として恥ずかしくない格式の竜車は、ふんだんに金銀を用いた装飾で彩られており、花や小動物がまるで車の外側に閉じ込められたまま生きているかのような、派手ながらも優美さを兼ね備え、細部にまで手の込んだ熟練の職人による細工が施されて、見事な調和を保っていた。

 王家の古さで言えばドナウも五百年を数え、西方でも古参の部類だがユゴスはそれ以上だ。この竜車一つ見ればユゴス王家の積み上げた年月の重みも理解出来るだろう。

 外面だけでなく、内部にも同様に贅を凝らした装飾が溢れかえり、大人数人が寝そべる事の出来る広い空間を取って、柔らかい敷物を敷き、長時間乗り続ける負担を可能な限り軽減する工夫が施されている。



 そのような王家の旗を立てつつ、超一流の竜車に乗る人間と言えば、必然的に高い身分の者になるのは自明の理。それ故に、同行者は選りすぐりの護衛に守られ、旅路でも多くの使用人を抱えていた。

 そんな竜車の内部で、だらりと寝そべっている30歳を過ぎた男が大きな欠伸をかみ殺して、対面で机に齧りつきながら書類を書き続けている男に茶々を入れる。


「相変わらず働き者だねえ、マティ。こんな竜車の中まで仕事道具を持ち込むなんて私にはとても真似できないよ」


「――――そう思っているのでしたら、私の仕事をもっと減らしてください。ヴァレリア殿下が今以上に精力的に政務をこなして下されば、私は睡眠時間をもっと確保できます」


 マティと呼ばれた中年男は、視線すら向けずに一心不乱に書類に何かを書き続けていた。そんな様子をヴァレリアと呼ばれた男は、どうでも良さそうに眺めている。

 彼の名はヴァレリア=ヴィヴィチ=ペトロフ。ドナウ王国にとって第一の友好国、ユゴス王国の王太子は怠惰な雰囲気を隠そうともせず、自身の秘書官であるマティ=ラザルの諫言を気にもしていなかった。

 マティは今年41歳になるが、同年代に比べて随分と頭髪が寂しい。頭頂部は完全に禿げ上がっており、側面部と後頭部に僅かに毛髪が残っているだけで、竜車の中で無ければきっと太陽の光を照り返し、多くの者の目を細めさせた事だ。さらに本人の談を信じれば、目元にくっきりとした隈の原因は寝不足なのだろう。欠伸をしながらも健康そうなヴァレリアとは対照的だ。


「最低限の仕事はしてるさ。現に私はこうして長旅をしつつ、はるばるドナウまでやって来て、マリア王女の結婚祝いをしているだろう?私の仕事は終わったんだ、なら少しぐらい休んだところでバチは当たらないさ。後はうちの父に報告するだけだから、今は体を休めつつ、その報告を一生懸命考えている最中だよ」


 君は書類で報告を、私は口頭で報告を。そう言ってヴァレリアはマティの苦言をあっさり流してしまった。長年彼に仕えているマティは、どうせ言った所で聞く訳が無いと知っていても、心労から恨み言の一つも言いたくなる。それに、この程度の恨み言で不敬罪に問われる事など無いと、主人の性格は知っているので、一種のストレス発散のようなものなのだ。

 怠惰な癖に口はなかなか回るのだから、その口と同じぐらい体も働かせて欲しいというのが、王太子に仕えるマティ達ユゴス貴族の総意だった。


「もういいです。私はこのままドナウの婚儀の報告書を書きますから、殿下はそのまま陛下への報告を考えていてください」


「その報告だけど、ドナウの何を優先的に報告すべきかなあ。やっぱり例の平民?アラタ=レオーネだったかな、若いけど有能そうで、面白そうな人物だったけど」


「――――確かに、初めて見る類の男ですね。一年ほど前にふらりとやって来たと、城の者は口を揃えていましたが。ただ、奇妙な物に乗って来たとか。婚儀で礼拝堂が使えないのも、その男の乗り物に破壊されたからだそうです。残念ながら見せては貰えなかったのですが」


 二人を含めた祝い客の関心は当然、結婚した当人に向かう。それも、王族が平民に嫁ぐのだ。さらには貴族の側室と同時に婚儀をするなど西方でも前代未聞だ。今回のドナウの結婚は異例尽くしの事ばかりで、必然的にアラタに注目が集まっていた。


「彼、星の海を渡って来たそうだよ。中々詩的な表現をするねえ。使用人に聞いたけど、二日目の夕餉の料理は、彼が城の料理人に教えた料理ばかりだそうだよ。材料が違うから完全に再現していないし、ドナウ人の口に合うように手直しされていたそうだけど、珍しくて美味しかったねえ」


 ヴァレリアはその時の料理の味を思い出したのか、残念そうな顔をした。他国人の自分では一度だけしか味わう事が出来ない境遇を悲観しているのだろう。使用人の中にはわざわざレシピを聞いていた者も居たが、読み書きの出来る使用人などごく少数であり、特に料理に文字など不要と考える者ばかりなので、実際にレシピを聞いたところで、きちんと憶えている者などいるのかも分からない。

 きっとかつての日本海軍の料理人のように、見た事も聞いた事も無いビーフシチューを作らされて、材料が同じだけの肉じゃがが出来てしまうだろう。


「案外、本当に海を渡って来たのかも知れませんね。彼の顔立ちは西方の人間と幾らか異なります。ドナウの西は大洋が広がっていますので、もしかしたらその海の先には、我々の知らない大陸があるのかも知れません。それならば、我々と異なる文化を持った国があった所で驚きは致しません。彼が伝えたというナパームも、その国では当たり前のように使われている兵器なのでしょう」


 ここで二人の解釈に齟齬が生まれていた。ヴァレリアは、アラタが婚儀の酒宴で口にした『星々の海を渡って来た』という言葉を何かしらの詩的表現と捉えており、出身は西方だと見ている。対してマティは星の海と聞いて、西方のさらに西にある大洋を超えてやって来たのではと考えていた。それならば一番西にあるドナウに最初に辿り着いてもおかしくは無い。

 主な移動手段が徒歩や脚竜、船に翼竜程度の未発達な文明では、その程度の想像力が限界なのだろう。これは彼等を責めるべきではない。寧ろ本当に星を渡る術を持っているなどと嘯く者が居たら、それはきっと狂人でしかない。だからこそアラタの発言は、単なる戯言か、詩的表現だと受け止められていた。あるいはマティのように、西の海を渡って来たと解釈する者もいる。


「ホランド兵三万を焼き殺した兵器か。彼の国って殺意高すぎないかなあ。一回の戦で数万を殺すなんて、西方では考えられないよ。彼自身はその事についてどう思っていたのやら。特に怨みの無い国の兵士を大勢焼いて、何とも思わないのかな。直接話した限りだと、仕事だから手を抜かなかったらしいけど。怠惰な私とは大違いだ」


 ははは、と他人事のように軽々しく笑うヴァレリアとは反対に、マティはアラタの発言に恐怖を覚える。三万とは仕事の一言で割り切れる数の兵では無い。

 ドナウ人なら自国を護る為の犠牲と言えるが、アラタ=レオーネ自身はドナウに何の関係の無い男だというのに、同じく何の関係の無いホランド人も大勢殺しているのだ。かと言って彼の祖国に何か利益があるとは思えないし、城の使用人の話では彼は非常に禁欲的で、理知的かつ穏やかな気質だという。

 そんな人間が幾ら敵だとは言え、三万の人間を殺す指揮を執るとは、理解出来ない。これが残虐な気性や、血と争いを何よりも好む人間なら、眉を顰めながらも理解出来ただろうが、単に仕事と割り切れる精神が、酷くおぞましいものに感じられた。あるいは、彼の国では三万人程度、塵芥の価値しかないのだろうか?



 こみ上げて来る言いようのない恐怖を振り払いたいが為に、マティはこの話を切りあげて別の話題を考える。そして、今後のユゴスにも関わる話題があった事を思い出し、ヴァレリアに話を振る。


「所で殿下は、ドナウのエーリッヒ王子がレゴスから花嫁を貰い受ける事をご存知ですか?」


「―――ああ、知ってるよ。妹に先を越されたようだけどね。うちからじゃないのは残念だけど、良い判断なんじゃないかな。ホランドとの共同戦線を張るには、婚姻外交は有効だよ。うちとはこのまま商売で良いお付き合いを続けるから悪くないし。私に娘が居たら嫁がせる事も考えたんだけどね」


 男ばかり三人じゃなー、とそれなりに残念そうな様子だった。マティからすれば男が沢山いれば王家はこれからも安泰と言えたので、そう悪い事でもない。あるいはアラタが居なければ、その内の一人にマリア王女に嫁に来てもらう事も考えていたのだ。まあ長男でもマリアの方が二歳年上なのが引っ掛かるが、王族の政略結婚では年齢差などよくある事なので大した問題では無い。

 不倶戴天のレゴスとドナウが仲良くするのは良い気はしないが、二か国間の争いに調停役が一つ増えるのはそこそこ歓迎したいのもあり、ユゴスの王政府ではドナウとレゴスの結びつきの歓迎は半々といった所か。


「けど、レゴス王家って年頃の娘って居たっけ?仮にも次期国王になる王子に縁戚を送るのは格が落ちるから、最低でも現国王の娘じゃないと釣り合わないよ。あまり年下だと子作りにも支障があるし、まだ残ってる娘居たかなあ」


 確かにヴァレリアの言う通りだ。王族の結婚相手など、生まれた時に決まっている事だって珍しくない。いきなり子供の産める歳の王女が欲しいなどと言われて、そんな都合よくいる事など普通は無い。そういう訳有の娘が居ない訳では無いが、そういうのは訳があるから売れ残っているのであって、他国の王子に嫁がせるような人間ではない。

 大抵は、父親が何かやらかして冷や飯食いだったり、女の方が不貞を働いて出来た子など、飼い殺し決定の不良品扱いだ。それを除けば、王が使用人の平民辺りに手を付けて産ませた娘ぐらいか。


「―――いや、待てよ。確かレゴスには一人居たぞ、条件に合う娘が」


「――ああ!居ましたねえ、あの娘なら血筋もしっかりした上に年頃だ。レゴスはドナウの要望に応えつつ、不良在庫を一つ消費出来る。どちらにも利益がありますね」


 お互いに心当たりがあったのか、その娘を思い出して顔を顰める。この様子では、エーリッヒの結婚相手は相当な難物なのだろう。二人はどうせユゴスに関係ないのだから、精々エーリッヒには苦労してもらうとしよう、と笑い合い友好国の王子が胃痛と頭痛に悩まされる未来に思いを馳せた。

 エーリッヒの未来には苦難が待ち受けていた。


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