第62話 初夜



 マリア王女の祝宴は無事に終わったが、祝いの空気はまだまだ霧散したわけではない。王家や貴族からの祝いの品として大量の酒や料理がこれでもかというほど振る舞われており、街の至る所では夜になっても宴会が続いていた。平民からすれば滅多に食べられないご馳走ばかり並んでおり、食い溜めするように貪り食いつつ、酒を浴びるように飲み続けている。

 そして酒の肴の話題は当然、今日結婚した三人の事だった。


「いやータダ飯タダ酒は最高だぜ。それに花嫁の王女様と貴族のお嬢さんも綺麗だったよなー。俺もあんな娘さんを嫁にしたかったぜ」


「まったくだ。あんな綺麗な奥さんを二人も同時に侍らすなんて、婿様がうらやましいぜ」


 タダ酒を飲んでいた男衆が昼間の披露パレードで手を振っていたマリアとアンナの花嫁姿を思い出し、酒でだらしなくさせた顔をさらに崩しながら、管を巻いていた。今は男だけなので口煩い嫁が居ない事をこれ幸いに思い、普段からの不満をこぼしている。


「しっかし平民が王女と結婚するなんて俺は今でも信じられないぜ。あの婿様は本当に平民なのかね?」


 この国の平民の扱いを考えれば王女が平民に嫁ぐなど、王が狂ったと言われても仕方の無い暴挙だが、アラタの叩き出した戦果が異常なこともあり、貴族に比べれば平民達は今回の結婚に肯定的だった。


「そういえばあの婿様、俺見た事あるぜ。年越しの祭りの時に裏通りの祭りの警備してたんだよ。途中から祭りに入ってたらしいけど、金髪の女を連れてたらしいぜ。その娘に無理矢理連れてこられたって、話をしてた爺さんに零してたとか」


「へー、祭りの時に若い貴族の男女が混じってたのは後で聞いたけど、金髪って事はもしかしてその娘って王女様なんじゃねえのか?」


「うえ、マジかよ。お忍びで逢引までしてたとは恐れ入ったぜ。じゃあ王女様と婿様はお互いに好き合ってたのかよ」


「いや、俺が聞いた話じゃ王女様じゃなくてもう一人の赤毛の娘の方と懇ろだったって話だぜ。城勤めの兵士の話じゃ王女様の結婚は戦の後で決まったとか」


 別の場所では若い娘達が二人の花嫁の衣装の話題で盛り上がっており、自分達もいつかは二人が着ていたような素敵な衣装を身に纏い、良い男と結婚したいと笑い合っていた。さらには野菜の品定めをするかのようにアラタの事を評価し合っている。


「あのお婿さんって凄く頭の良い人らしいわ。貴族のお役人様や近衛騎士様に勉強を教えてるって話よ。この国に来てから言葉や読み書きも三日ぐらいで完璧に覚えちゃったらしいのよ」


「うそだー、そんなに簡単に外国の言葉を覚えられないわよ」


「三日かどうかは知らないけど、すぐに言葉を覚えてお城の書類を調べてたって話はわたしも聞いたわ。他にも剣や弓は使えないそうだけど、騎士団でも勝てる人が少ないぐらい強いらしいわ。お店によく来る従士のお客さんが話してたの」


「変わった人なのね、騎士なら剣が使えて当たり前なのに。その人の国では剣は使わないのかしら?」


 この国では兵士も騎士も帯剣している。槍は戦場で使われる事が多く、人の密集した場所である街中では使いにくいので、街の警備兵は剣を持っている。娘達もそれをよく見ているので、武器と言ったらまず思い浮かべるのが剣なのだ。だからこそアラタが剣を使えない事を知って妙な人間だと判断した。


「あと、私生活はかなり質素な人だってお城に勤めてる友達が話してた。お酒も出されたら飲むぐらいで、自分から飲むことは少ないそうよ。他にも伽をしろとか、折檻を与えられたって話は一度も聞かなかったって。貴族様から色々高価な贈り物を貰ってたみたいだけど、興味が無くて全部物置の肥やしになってるそうよ。むしろ欲が無さ過ぎてお世話に困るって、友達がぼやいてたわ」


「じゃあどうして二人同時に結婚したのかしら?女好きって話は聞かないなら、どっちも好きだけど選べないから両方お嫁さんにしたのな?でもそれだったら王女様は正妻にして、貴族様はお妾さんになるでしょうけど」


「そうよねー。幾ら選べなくても王女様を一番にしないといけないことぐらい私だって分かるのに。外国の平民って話だけど、頭が良い人なら習慣が違ってもそれぐらいすぐに理解出来るわよね」


 一年以上、この街で生活しているのだから目撃情報はそれなりに出回るものだ。黒髪の貴族はドナウではかなり珍しいし、城で働いている使用人の口からも、それなりにアラタの生活スタイルは洩れている。こういった何気ない情報でも、少しずつ集めて行けばその数は膨大な量になり、全体像が見えてくるのだ。ただし、主観交じりの情報は正確ではない。平民たちが話している話題も事実とは異なる部分も多く含んでいる。その不確定な情報を削ぎ落とし、正確な情報を分析するのがアラタの仕事と言えた。



 男衆が何時までも酒を飲んでいると、その集団に近づいてくる小さな集団があった。女性ばかりの集団だったので、恐らく男衆の身内なのだろう。集団に気づいた男が嫌そうな顔をしたので、奥さんがいたのかも知れない。


「ちょっとあんたらいつまで飲んでんだい!今日は祝いだから良いけど、あんたには明日から仕事があるんだからね!程々にしとかないと仕事に差し支えるでしょうが!」


「うるせー!今日ぐらいたらふく飲ませろってんだ!全く、お前みたいな口やかましい嫁より、今日の赤毛のお嬢さんみたいなお淑やかな娘を嫁に貰うんだったぜ」


 赤毛のお嬢さんとはアンナの事だろう。確かに初見では大人しそうな娘に見え、男衆に食って掛かる気の強い中年女性に比べれば、アンナを選びたくなるのは道理だった。


「はん、なに寝言いってんだい!あたしがあんたの尻を蹴とばさないと、あんたはいつまでもぐーたらしてるでしょうが!あの婿様みたいに働き者だったら、あの赤毛のお嫁さんで釣り合うでしょうけど、あんたにはあたしで丁度良いぐらいだよ!」


 夫を尻に敷いた嫁のやり取りに、周りから野次や哄笑が飛び交うと、男はバツが悪そうにそっぽを向いてしまう。


「それにしてもあのお婿様は凛々しくて良い男だったわね。あんたの髭面も見飽きたし、これからはその見苦しい髭を剃って生活したらどうだい?」


「おいおい、髭は一人前の男の証だぜ。何でわざわざ剃るんだよ。他の奴らに舐められるだろうが」


「一丁前に面子を気にするより甲斐性を見せな。あの婿様だって髭が無いのに二人も娶ったんだよ。髭一つで男の価値が決まるわけないでしょうが」


 女性からすれば髭一つにこだわる男の価値観は理解しがたいものがあり、家計を預かる主婦からすればそんなものより日々の生活の方がよっぽど重要なのだ。他の女性陣も肯定しており、甲斐性無しの男の面子など髭と一緒に切ってしまえと、男からすれば暴言を吐いていた。


「うっせいやい!大体、あの婿様だって剃ってるって決まったわけじゃねえだろ!生まれつき髭の薄い男だって居ない訳じゃねえんだ。あの人だって髭を生やしたくても生やせないだけじゃねえのかよ」


 男の言葉に別の女性が反論する。


「それはないわよ。あたしの親戚がお城で使用人やってるけど、あのお婿様って毎日ってぐらい髭を剃ってるらしいのよ。最初は変な人だって思われてたみたいだけど、今日のお姿見てたら髭の無い男の人も結構素敵に見えてきたわ。あんた達のそのむさくるしい顔も髭を剃ればちょっとはマシになるんじゃないの?」


 こうした話が街のあちらこちらで飛び交い、翌日髭を剃った男が街に溢れ、この動きは王都以外の都市にも広がり、保守的な者は眉を顰めるのだった。



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 ドナウでは婚儀を終えた夫婦は祝宴を早々に切り上げて初夜に備える。新郎が酔い潰れてしまっては折角の初夜が台無しになるからだ。王族もその例に洩れず、アラタとマリアは宴を早々に退場させられ身を清めていた。アンナはきちんと空気を読んで、同じように宴から退席して自分の屋敷に戻っていた。ただし、去り際に笑顔でマリアに「痛いですけど頑張って耐えてください」と激励なのか脅しなのか、はたまた経験者の余裕を見せたいだけなのか、一言言って去って行った。

 入浴を終えたアラタがマリアの私室に通されると、既に準備を終えてベッドに腰かけていた寝間着のマリアと目が合う。アラタはそのまま見据えていたが、マリアの方は恥ずかしさから目を逸らしてしまう。

 アラタは何も言わずに隣に腰かけると、ベッドが二人分の重みで軋みを上げる。風呂上がりに香水を付けていたのか、花の香りが鼻孔をくすぐる。こうして互いに密着した状態であれば脈拍から相手の心理状態は手に取るように分かり、マリアが今も緊張しているのが丸わかりなのだ。せめてリラックスさせてやらないとと思い、アラタは話しかける。


「最初に会った時には君と夫婦になるとは考えもしなかった。人生とは妙な物だ」


「それは私だって同じです。貴方が夫になるなんて微塵も思っていませんでした。あの時はこの国を救ってくださる勇者様だと思っていましたが、予想とは随分違う方でしたし」


 ぽつりぽつりと二人が出会った時の事を語り出す。礼拝堂での初対面に、城から抜け出して散歩に付き合わせた事、年越しの祭りで一緒に騒いだ事、そしてホランドとの戦。


「貴方には感謝のしようもありません。私が夢想したような方法でドナウに勝利をもたらしたわけではありませんが、貴方が居なかったらドナウは滅びて、私は慰み物になった後に殺されていました。ありがとう、アラタ」


「どういう想像だったかは知らないが、俺は俺なりに考えて動いた結果だよ。それにまだホランドが滅んだわけじゃないから、その礼はまた今度に取って置いてくれ」


 参考までにマリアが想像していた勇者像を詳しく聞いてみると、アラタは頭痛がしてきた。剣一本で万のホランド兵を千切っては投げ、千切っては投げて、敵の王の首を掲げて戻ってくる人物を想像していたそうだ。どんな怪物だよと、突っ込んだが、ドナウ人からすればアラタも控えめに言って怪物らしい。マリアの指摘に案外そうなのかも、と否定しなかった辺り、地球人類の精神的怪物性の根の深さを自覚しているのだろう。

 互いに笑い合い、だいぶ緊張がほぐれてきたのを見計らってアラタは少し深く切り込りこんでいく。


「俺は君を好ましい女性だとは思うが、まだ君を愛せていない。これから愛せるように歩み寄る気はあるし努力もする」


「私もですよ、貴方の事は好ましいですが、まだ愛しているわけではありません。あ、でも親愛や友愛の情でしたら持ち合わせているつもりですよ。ですから私も愛せるよう努力はします」


 そこまでお互いの心の内をさらけ出すと、お互いに口にしなくても案外仲良くやっていけそうだと、心が一致し、二人は唇を重ね合わせた後、一度離れる。


「じゃあ、これからよろしく頼むよマリア」


「はい、よろしくお願いしますアラタ」


 翌日、マリアは股の痛みと気怠さで午前中はベッドの上に居たままだった。


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