第61話 婚礼の義



 ドナウ歴493年9月20日、かねてより予定されていたマリア王女の結婚が執り行われる王都フィルモアはお祭り騒ぎで、至る所で歓声と祝福の声が湧きあがっていた。

 この日ばかりは全ての商人も店を閉め、農夫や職人も仕事にならないと、同じく朝から祝い酒を浴びるように飲み干していた。これらの酒や食べ物は全て王家や貴族からの贈り物であり、平民達は一生に数度しか食す機会の無い貴族の食べ物にタダでありついたのだ。

 勿論その中には仕事をしている者もいる。街の警備に当たっている巡回兵士などがそれに該当し、参加できない事を悔しがったが、婚儀は二日に渡り続く為、一日交替で休みを取る事が許されていたので不満はあっても暴動にまで発展はしなかった。



 それ以外にも国から雇われた大道芸人や吟遊詩人、踊り子に演奏者などがあちらこちらで住民を楽しませている。彼等の大部分は貧民やホランドに国を滅ぼされた難民だった。知識や教養、財産や土地を持たない彼等が生きていくには、こうして芸事を身に付け、その日暮らしでも良いから金を稼ぐ必要があった。中には性別問わず身体を売る者も多く、生活は劣悪ではあったが、それでも彼等は必死に生きているのだ。

 そんな境遇の彼等芸能者に目を付けたのがアラタだった。彼等は食えないと分かれば一か所に留まらず、すぐに別の街に移ってしまう。時には国境を跨いであちらこちらに移動しては仕事をしているので行商人と並んで情報通と言えた。さらにははみ出し者同士の独自の繋がりを持っており、各国に根を張る一種の独立勢力のような存在になっていた。彼等は商人と違って情報の売り買いこそしていないが、相応の見返りさえ用意すれば情報提供にもやぶさかではない。単に顧客が居ないだけなのだ。

 そこに新しくやって来たアラタが目を付け、彼等を密偵として雇用出来ないか真剣に検討していた。地球でも表向き芸能人やスポーツ選手が、実は諜報員として他国で活動している事が珍しくないのだから、ドナウでも可能だろうと結論付けていた。ただし、アラタには全くツテが無い為、芸能者が多い貧民の代表者であるリトに話を持ち掛け、仲介人になってもらった。

 孤児を密偵に仕立て上げるにはまだまだ時間が掛かるし、その間の情報源が商人だけでは心細く、多方面から情報を集めたかったアラタからすれば、あらゆる場所に移動する芸能者は密偵にうってつけで、時には貴族の一晩の伽すら行う眉目麗しい者もおり、うっかり情事の後に重要情報をこぼしてくれれば大きな失態となるのだ。

 ちなみにこの事はアラタと直接の上司のアスマンとカリウスしか知らない、王子のエーリッヒにさえ教えていない機密だった。孤児やホランドに怨みを抱く旧三国出身者、娼婦も重要視しているが、どれも見せ札でしかない。今まで役人や近衛騎士は馴染みの娼婦に口が軽かったが、アラタの教育と諜報部の情報の仕入れ先を知ってから随分口が重くなったものの、旅芸人にまでは徹底しなかったので、そこから情報が漏れてしまい、かなりの人間がアラタに首根っこを押さえられてしまった。

 中には閣僚の身内の不祥事や地方領主の隠し子の事まで芸能者にうっかり話してしまい、アラタを排除しようと画策していた貴族が寝返る事態になった。こうなると互いに敵味方の区別がつかず、足並みも十分揃う事なく表向きは敵対を装っていても裏でアラタに寝返る者も増え、数年後には半数以上がアラタに屈する事になるのだった。



 さて、そのような後ろ暗い事情は祝い事には似合わないので話を戻すが、本日のメインイベントである婚礼の義は当然王城で執り行われる。王族の結婚ともなれば長大な時間が掛かるもので、午前中から始まった儀式が途中で何度か休憩を挟んだものの、一日目の儀式が終わったのが夕暮れ時だった。本来はもう少し短かったらしいが、今回は前代未聞の花嫁二人を同時に娶るという今までにない婚儀だった事もあり、余計に時間が掛かっていた。



 それが終わると今度は祝宴の主役として、各国からの来賓や国内の領主からの挨拶に対応していた。マリアは王族として慣れた様に形式張った挨拶を難なく交わしており、普段のお転婆ぶりが鳴りを潜めて、完全に外向けの顔になっていた。アラタも軍人としての教育が徹底しており、この国に来てからも毎日のように王族や閣僚と顔を付き合わせていた事もあって、無難な対応が出来ていた。三人の中で一番危うかったのがアンナで、貴族とは言え中堅の家柄でしかない彼女には、各国の王の名代としてやって来た人間に気後れしている場面も多かった。特に友好関係の深いユゴスは王族を使者として送り込んでおり、一貴族令嬢のアンナには荷が重い相手となった。

 三人の中で一番話しかけられるのが多かったのがアラタだった。三人の中では一番謎の人物であり、ホランドとの戦争に多大な貢献をした人物だと発表されており、少しでも情報を得たい者が国を問わず張り付いて話しかけていた。特に質問が多かったのが、どこの国の出自かで、アメリカなどと言っても通じないのは分かり切っていた事から煙に巻くために、


「私は星々の海を渡ってこの国に辿り着いたのですよ」


 と、冗談とも戯言ともつかない回答を度々しており、来賓に二の句を告げさせなかった。アラタからすればさして的外れではない事を口にしたのだが、翼竜に乗らなければ空を飛べない文明の住人からすれば、星間航法など御伽話でしかない。からかっているのかと内心憤慨した者もいたが、祝宴の手前もあり、にこやかに冗談の上手いお人だと取り繕うだけだった。後日この話が帰還した祝い客の口から伝わり、アラタに「星辰の旅人」という恥ずかしい通称が付けられ、自業自得とは言え当人の頬をひくつかせる事態になるのは別の話である。

 祝宴が終わっても翌日には引き続いて婚儀が控えており、初夜も持ち越された。マリアは自室、アラタも城の自室だったが、アンナは屋敷に帰らずに、そのまま城の客間を貸し与えられて一夜を過ごした。



 翌日も朝から婚礼用の豪華な食事を三人は摂ると、すぐに婚儀が再開された。

 ここで宗教について少し補足を入れると、ドナウの宗教は父祖信仰や精霊信仰から発展した多神教で、教義や戒律は緩い。特定の神を信仰しなければ罰が下ると言った教義は無く、日々殺人や窃盗、放火などの他者を害する行為をせずに健やかに生きる事を説いている。死後の世界の事は具体的に教えておらず、罪を犯さず生きた者は死後は安らぎを得ると言った、かなり曖昧かつ緩い教えなのだ。その為、宗教を担う神官職の権力は皆無で、財産なども大して有していない。精々が、近隣住民のお布施や賄い、貴族や領主の支援によって成り立っており、権は無くとも尊ばれる者が就くべき職だと認識されている。

 ドナウでは万事この調子なので、どこの町や村でも結婚式や葬式を取り仕切ったり、物好きな神官が田舎の子供に初歩的な数学や文字を教えているので、非常に親しまれていた。

 ただ、神官は大半が字が読めるので経済面で余裕の無い貴族以外の身分が立身出世を目指す場合、神官に弟子入りして雑用をしつつ字を教えてもらう事は意外と多い。あるいはそのまま信仰の道に入り、後継者として神官職に就く者もいる。さらに離婚調停などにも駆り出される事もあり、人々からは困った時には取り敢えず神官に聞くのが習慣になっているのだ。



 勿論今回の婚儀を取り仕切っているのも城勤めの神官、ロート=ゲーリング神官長だった。ミハエルの友人であり、アラタが唯一と言って良い程苦手に感じていた人物が、自身の婚儀を取り仕切るのは精神的疲労を感じていた。だが、変更が利かないのでアラタも粛々と受け入れている。

 女好きの私生活にだらしのない老人でも神官長である以上、婚儀は滞りなく進めており、およそ予定通りに婚儀は終了した。

 アラタにとって数少ない良い事は、婚儀に礼拝堂を使わなかった事だ。神を憎むアラタにとって、神の住処に等しい礼拝堂は居心地の良い場所では無い。その場所がV-3Eに破壊されたまま放置されていたので、今回の婚儀には使用していない。儀式そのものには神への祈りも含まれてはいたが、そこだけ我慢すればどうにかなった。



 ただし、予定通り婚儀が終わっても、自由になれたわけではない。この後は昼食を挟んでから、王都の住民に花嫁を披露するためのパレードが待っているのだ。特製の竜車に載せられた三人が表通りを進むと、ホランドとの戦いの凱旋パレードと同等の見物客が表通りの脇を埋め尽くしており、祝福の言葉や花を投げ寄越した。

 前もって王政府が二人の女性を娶る事を告知していたので驚かれる事は無かったものの、王女と貴族令嬢を一緒に娶るアラタには未婚の男から怨嗟の声が投げつけられていた。それと同時に、外国の平民にも拘らず王女を娶る立志伝中の人物なのだと広まっていた為、立身出世を望む若い男からは、目指すべき目標として畏敬の念も集めていた。

 女性達、特に若い娘は王家の花嫁衣装に包まれた二人をうっとりとした目で羨まし気に眺めており、何時かあんな素敵な衣装を身に纏って結婚式を挙げたいと、周りの娘同士でわいのわいの騒いでいた。



 そんな中で群衆が気になっていたのが、アラタの髪の長さと色、そして髭が無い事だ。ドナウでは男女共に髪を伸ばし、成人した男性は髭を生やす習慣がある。黒髪はドナウでは珍しいものの、南のサピン人やユゴス、レゴス以東の地域ではそこそこ多いので、それほど奇異の目では見られない。髭も男でも薄い者は多少居るので生まれつきなのだと納得出来るが、髪の短さだけは非常に目立っていた。ドナウでも長髪は強制ではないのだが、長年の習慣から髪は切らずに伸ばすものだと教えられているので、わざわざ短髪にする者はかなり少ない。軍人や飲食関係者でさえ一定の長さに伸ばしているのだ。そんな中で一人短髪は非常に目立ち、何か特別な理由で切っているのだと誤解されて、噂が独り歩きした結果、短髪にして髭を剃ればアラタの様に出世できるという都市伝説めいた流言飛語がドナウ中に広まってしまい、栄達を望む男に短髪剃髭が流行するのだった。

 流行とはくだらない理由で広まるものであるが、神官長ロートの言葉通り、自分の真似をし出したドナウの民をアラタは心底複雑そうな目で見ている。まだ救いだったのは、彼等が出世を望む心から始めた事で、アラタを神の使いなどとは思っていない事ぐらいだろう。



 そんな文化の違いはさておき、民衆への花嫁披露は特別トラブルも無く終わり、婚姻の義は終了となった。その後は日が傾いてから前日と同様に城で祝宴が開かれたが、異なっていた部分がある。正式な婚礼の義が終わった事もあり、前日に比べて格式張った宴ではなく、多少だが気安さを感じさせる宴だった事もあり、参加者はそれなりにリラックスしていた。さらに今までの食事はドナウ料理で、外国の祝い客もそれなりに見覚えのある料理だったが、今回は全く見た事も無い料理が数多く並んでいたのだ。これらはアラタが少しずつ自分の知っている料理を城の料理人に教え続けていたもので、地球の国を問わず再現可能な料理が節操無しに、この祝宴に供されていた。城の人間は試験的に作った事もあり、何度か食べた料理だったが、外国からの客人は全く見た事も無い料理ばかりで口にするのを躊躇っていたものの、ドナウ人が当たり前のように食べていたのを見て、勇気を出して一口頬張ってみると、そのどれもが美味で、気後れしていた事など忘れた様に手あたり次第に手を付けていた。

 アメリカ、イタリア、日本、フランス、スペイン、ロシア、トルコ、中国、メキシコ、勿論食材や調味料に香辛料が手に入らず完全な再現は出来なかったが、多種多様な文化の料理は全ての人間に強い衝撃を与え、ドナウの底知れなさを演出するのに一役も二役も買ったこともあり、今後の国家間のより良い友好関係を築く事だろう。

 こうしてドナウ第一王女マリア=クラウス=ブランシュとアラタ=レオーネ、そしてアンナ=ベッカーの結婚式は、様々な人間の思惑を呑み込んで終わるのだった。


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