第58話 人心掌握術



 移住者を砦跡に移送してから十日ほど経った日の夜半、アラタは臨時で設えた執務室で書類の作成に励んでいた。識字率の低いドナウでも人や物資を動かすには書類が必要なのだ。食糧、農耕器具、作物の苗、酒造設備、さらには新しい事業を起こす運用資金、それらを手配するには膨大な申請書類を作らなければならない。

 幾ら王族と婚姻を結んでも無茶を通せば反発はある。その反発を抑える為には形式を無視するわけにはいかない。

 この手の書類作成は将校出身のアラタにとっては馴染みのある物だ。手書きの紙面は滅多に無かったが、物資要請や休暇申請など、どんな事でも書類が必要な軍集団の将校なら必須技能と言っていい。最初は羊皮紙の書き心地の悪さに面食らったものだが、一年を過ぎれば慣れたもので、今では官僚と大差無い速度で書類を仕上げる事が出来るようになっていた。

 現在、この砦跡の集落で読み書きと計算が出来る者はごく少数だ。その少数の人間を鍛えて文官に仕立てなければならないが、どうにも時間が足りず、こうして負担がアラタに集まっていた。


(教育の偉大さが良く分かる。当たり前のように思っていたが、誰でも読み書きが出来る地球というのは凄い世界だったんだな)


 先人達が築き上げてきた歴史の偉大さに頭が下がる思いだったが、現状ではアラタの役に立たない事には変わりなく、以前に財務官僚に税収の雑さを指摘した折、反発された理由を身を以って知る事になり、溜息が出てしまった。


(教育を受けた人間が少なすぎて領民を管理しきれない。確かにこれでは一人一人から税を徴収していたら幾ら時間があっても到底仕事が終わらない)


 軽い絶望感を感じたアラタだった。それでも自分の仕事を投げ出さずに、書類の山を築いていると、特徴的な姿の来客が執務室にやって来た。


「こんな遅くまで仕事してたのかよ。若いがあまり根を詰めると身体を壊すぜレオーネさんよお」


「読み書き出来る人間が少ないんだ。出来る人間がやらないと、集落の人間が路頭に迷う。ジャスティ村長、貴方も同じ理由で仕事をしてるんじゃないのか?」


 隻腕のジャスティが、残された左腕で酒瓶を掴み、脇には書類を抱えて執務室に入って来たが、それを一瞥もせず書類を黙々と捌き続ける。リトも似たような態度をとっていたので慣れているのか、アラタの態度を気に留めずに、机に酒瓶と書類を置くと「ちょっと飲もうか」と誘いを掛ける。



 アラタもジャスティの誘いを断らず、キリが良い所でペンを止めると、執務机から移動してもう一つのテーブルの椅子に差し向かいでジャスティと座った。

 アラタが酒を嗜まないのは知っているが、出された酒は断らない事も知っているので、ジャスティは構わず酒瓶を目の前に差し出す。そして差し出された瓶を手に取り、果実酒を一口含む。


「明日、王都に帰るんだってな。他の連中が寂しがってたぜ」


「他の仕事を抱えている以上、ここに長居出来なくてね。まだまだ教える事は多いが、戻らざる負えない。貴方が読み書きが出来て本当に良かった。当面、こちらの心配をせずに王都で悪だくみが出来るのでね」


 その軽口に酒を噴き出しそうになったが、勿体ないので我慢して呑み込む。普段は生真面目な雰囲気を崩さず、取っ付きにくい印象があるのだが、時折軽口を叩くので不意打ちされてしまう。


「前から思ってたが、あんた性格悪いって言われないか?貧民街のろくでなしよりよっぽど性質が悪い」


「生まれつきの性分でね。そういう貴方は実は貴族の生まれじゃないのか?読み書きに不自由しない所を見ると、どこぞの誰かの様に身分を隠しているように思えるんだが」


 暗にリトの事を挙げているが、それをジャスティは鼻で笑い飛ばし、首を左右に振って否定の意を示す。


「どこかの誰かの事は知らないが、俺は生まれも育ちも農民さあ。姉を手籠めにしようとしたクソ貴族の代官をぶっ殺して、手下に腕を切られて、故郷から逃げ続けて三十年。あちこち流れに流れて辿り着いたのが、あのろくでなし共の掃き溜めさ。読み書きはリトの仕事を手伝ってたら覚えたんだよ。間違ってもいけすかねえ貴族の生まれだなんて言わんでくれ」


 貴族だと言われて、本気で嫌そうにしたジャスティに謝罪しつつ、仕事の引継ぎを兼ねた情報交換を始める。

 砦の住居は空きが目立つが使用に支障はない事、畑の開墾は順調だが作物の苗入れにはまだ時間が掛かる事、酒の仕込みは順調だが製品になるには時間が掛かる事などが話に挙がる。まだまだ集落としては動き始めたばかりであり、何もかもが初めての事を考えると、それなりに順調と言えた。

 順調すぎて問題が表面化しない事も問題なのだが、率先して問題が起きるのは御免被るので、痛し痒しな現状と言えた。これはアラタとジャスティの統制が上手く執れているのが主な要因だが、今後もそうなるとは限らないのだ。


「ただ、今の所は問題無いんだが、女っ気が少ないのが目立つんだよ。身体で稼げる女に比べると男の方が食い詰め者になりやすいのは分かるがよ、いつまでも男衆を独り身にはさせたくないぜ」


「貴方だって独り身じゃないか。だが、言ってる事は理解出来る。集団を維持する為には番が必要なのは万国共通だ」


 老若男女様々な年齢層と男女が混じった移住者だったが、やはり女性の数が少ないのは否めない。

 アラタの父の故国の建国神話でも語られていたが、男所帯の嫁取りは死活問題と言える。集団を維持する上でも女の存在は重要だし、護る者が居たほうが男に責任感が生まれて、軽はずみな行動を控えてくれる。解決するには難しい問題だが、放置も出来ない以上、手を打たねばならない。

 四十を超えて独り身のジャスティからすれば、アラタの言葉は痛い所を突くものだ。本人に所帯を持つ気が無くても村長という体面を考えると放置も出来ない。


「俺の事は置いといてくれと言いたいが、村長が独り身じゃ恰好がつかないわな。そっちの方は任せたよ、どうにか冴えた手を考えてくれ」


「貴方の奥方を含めて、難しいが何とかしよう。それから書類を書いてて気づいたんだが、この村の名前がまだ決まっていなかった。何か希望する名前があるなら聞くが。いっそジャスティ村にでもするか?」


 いつまでも砦跡の村では書類にも不備が残るので、正式に村の名前を決めておきたかった。ちなみにドナウの王都は始祖フィルモの名前から取られて、フィルモアと名付けられ、ホランドの王都はカドルチーク王家からカドリアと付けられた。


「止してくれ!大した名前が思い浮かばないから、あんたが付けてくれて良いぜ。俺よりずっと教養のある人なら可笑しな名前にはならんだろうよ」


 互いに面倒なので命名権の押し付け合いを演じていたが、時間の無駄だと直ぐに悟ると、数秒程度アラタが考え込むと、この村らしい名前が見つかった。


「じゃあ、ソルペトラにするが良いか?」


「良いんじゃないか。ところで由来とかあるのか?」


「森で作ってる物の名前。本来は岩塩を意味する言葉だが、形状が似てるから通り名として使われてる。村長の許しが降りたのなら、早速書類に記載しておこう」


 それ以降は適当に無駄話をしつつ、今後の村の打ち合わせをしてなし崩しの酒盛りはお開きになったが、アラタは引き続き書類に取り掛かり、執務室は深夜まで照明の灯りが消える事が無かった。



 翌朝アラタが王都に帰還する用意をしていると、それを知った移住者達が総出で見送りに集まっており、それが彼の人望を端的に示していた。今後も数ヶ月おきに書類の監査や、技術指導に訪れる事は伝えてあるのだが、そんな事はお構いなしに住民達はこの半月余り自分達の為に奔走してくれたアラタを見送る為に集まっていた。

 後ろから感謝の声援が聞こえてきたが、それ以外は何事も無く出発したアラタと護衛に残った軍の兵士の一行は、暫く無言で足を進めた。

 その後、ソルぺトラが見えなくなってから若い兵士の一人がアラタに話しかけてきた。


「随分と慕われていましたね。確かに親身になって話を聞いてくれたり一緒になって糞まみれになるような人が上に居れば、貧民共は熱狂的に支持するでしょうが、そこまでする必要があったんですか?」


 ずっと疑問に思っていた事を、アラタに尋ねてくる。兵士の言う通り、ただの貧民の集団にそこまでしてやる必要は無い。それも王女と婚約している地位の人間がするなど、この国では有り得ない行為なのだ。

 だがアラタは必要な事だと言って、兵士の疑問を否定する。


「今回の移住で一番困るのは、金を積まれて集めた物資や、あそこで作られた製品を勝手に売り飛ばされる背信行為だ。国内でも問題は大きいが、それ以上に外国に情報を渡したくない。これから先、色々と必要になる物をあそこで作る事になる以上、五百人の忠誠心は是が非でも手に入れたかった。その為なら、糞だろうが腐った肉だろうが厭わんよ」


 アラタがしれっと口にしたが、そんな事を公言するのは貴方ぐらいですよと、呆れられた。ホランドとの戦いに参加している直轄軍の兵士はアラタの事を幾らか知っているので、色んな意味で常識外の存在であるこの男に呆れはしたが嫌いでは無かった。

 兵士の心情からすれば、自分達と同じように命の危険を共にし、同じ物を食べて露天で眠る、苦楽を共に過ごす上官は滅多に居ない。大抵の士官は貴族出身で威張り散らして、美味い物を食べつつ、平民の兵士を見下しているのだ。そんな上官しか見た事が無い中でアラタのような常識外の人間が居たら嫌でも目立つ。

 今回の貧民への対応が知られたら、また話題をさらって行くだろうと簡単に予想できたが、面子が命と同じぐらい大事な貴族からしたらどう見えるのやら。一兵士にはまったく予想が付かなかった。

 別の兵士からも、面子とか考えたりしないのかと、少々不躾な質問をされたが、どうでもよさそうに、


「不要とは言わん。面子が無いと不用意に喧嘩を売られる事もある。だがそれは、結果を出してから考えるものだ。結果も出ていないのに面子や恰好を気にするのは愚か者のする事だ。軍人に限った話ではないが、犬畜生と言われようが勝つことが第一だ。面子なんぞその後で考えれば良い」


 以前、アラタに絡んできた貴族を思い出し、時には余計な面倒を回避するにも面子があったほうが良い事を学習したアラタは、最低限相手が喧嘩を売ってこないよう、威圧する必要性も感じていたが、結果を出していればそんな物は勝手に付いて来ると思い、放置していた。

 終始この調子だったが、却って主張の一貫さが兵士に人気になり「こんな人が上官に居れば」などと嘆かれる結果になったのだ。


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