第57話 移住者



 貧民街の代表リトに人集めの依頼を出してから約半年、予定通り五百人が集まると、ライネ川の戦いで使用した砦跡へと向かう集団が王都の外に並べられた。募集を掛けたのが貧民街だったので、集まった人間は老若男女全てが一様に薄汚れており、乞食や難民と言った態を露わにしていた。

 そんな集団の中には毛色の違う人間が幾人か混ざっており、その内の一人が五百人の貧民に向かい合い、壇上で彼等を見据えていた。

 簡素だが上等な貴族服を身に纏い、露出した顔立ちにも垢や汚れは一切見られない、ドナウでは少々珍しい短い黒髪が目を引く二十を過ぎた青年、アラタ=レオーネだった。


「皆、良く集まってくれた。知ってる者もいるだろうが、俺が君達の責任者を務めるアラタ=レオーネだ。君達はこれから東の国境沿いにある砦跡に移住してもらう。道中は軍の兵士が護衛に当たり、食事も支給する。荷物のある者は輜重隊の荷車を用意してあるので利用してくれ。王国が雇った以上、君達の生活や身の安全は我々が保証するので何の心配もいらない。旅の行程は五日程を予定しているが、途中で体調を悪くしたなら遠慮無く申し出てくれ、可能な限り対処しよう。ではこれより出発の準備に取り掛かる」




 短い演説が終わると、移住者は最寄りの荷車に手荷物を乗せ、先導役の兵士の指示に従い歩き始める。彼等の顔には様々な感情が露わになっており、期待や希望を見せる者も多いが、同じぐらいに不安を隠さない者も多い。貧民街に居ては明日も知れぬ身から、一旗挙げるために移住を決意したが、いざとなると住み慣れた場所を離れる不安感が生まれるのだろう。と言っても、今更辞める訳にはいかないので、不安そうな顔をしながらも新天地へと歩き始めるのだった。

 移住者を統括するアラタの隣には軍の兵士以外にも、小奇麗な装いの者が少数いる。貧民の代表である禿頭のリトや隻腕のジャスティだ。二人は貧民街の代表者として、彼等を見届けに来ており、ジャスティはそのまま移住者のまとめ役を務める事になる。

 書類上はアラタが代官だが、四六時中砦にいるわけにはいかないので、誰かが代理を務める事になる。実は貧民の代表を誰にするかで一悶着あったようで、多くの者がまとめ役に名乗り出ていた。五百人の集団と言えばちょっとした村と同じ規模なのだ。その代表になればそれなりに羽振りも良くなるし、力も手に入る。それを魅力と感じる者はそこそこ多いのだ。

 今回の募集には、その地位を狙って募集に応じた者もいる位で、ライバルとなりそうな人間を力尽くで排除に走った者も少なくない。その争いが激化したために死人も出てしまい、街の代表だったリトが一存でジャスティにまとめ役を委任する形で決着を付けた。

 ジャスティ本人は面倒くさそうにしていたが、リトからの頼みであった事と、移住者が「ジャスティなら」と納得したので、不承不承ながら引き受けたのだった。


「では移住者の統率はお願いするよジャスティ村長。要望があるなら遠慮無しに俺に言ってくれ、可能な限り力になる」


「おいおい、よしてくれよ。俺みたいな無頼もんが村長なんて、背筋がかゆくならぁ。どうせなら親分とかにしてくれよ」


 苦笑しながら軽口を叩くが、義侠心に熱い彼ならば雑多な貧民達を上手く統率してくれるだろうと、リトはジャスティを頼りにしていたし、アラタは貧民達に慕われている様子を見て、問題無いと判断した。


「ジャスティ、貴方なら立派に村長が務まるよ。これからは顔を合わせる事も少なくなるけど、達者で暮らしてくれ」


 リトとジャスティは抱き合い、互いの身を案じる。数度しか会っていないアラタには分からないが、二人の間には切る事の出来ない強い絆があるのだろう。



 別れを済ませたジャスティが、竜車に乗り込み東へと進むのをリトは見守り続けた。その後ろに影のように控えていた女性がリトの隣に立ち話しかける。


「あれで良かったのか、ジャスティはお前の片腕だろう」


「良いんだよ。信頼してるから王国との橋渡し役を頼んだんだ。一番困るのは王国への背信行為、金で転ぶような者にその役をやらせる事は出来ない。アラタ=レオーネが王家と深い繋がりを得た以上、私も生きる道を決めた」


 影のようなとは的外れな比喩ではない。女は褐色の肌に黒い髪、ドナウではアラタ以上に見かけない容姿で人目を引く、獣と揶揄される武の求道者ガートだった。

 付き合いの長い者でも滅多に口を開かない事で有名だったが、今は珍しくリトと会話をしていた。ただし、男女の仲のような甘い雰囲気は皆無だったが。


「お前がどんな道を選んでも私は従ってやる。命の借りは命で返す、それが私の道だ」


「君は頑固だな。命に値が付けられないのだから命で返すのは間違いじゃないけど、それじゃ何年先まで私の側にいるつもりだい?」


 表情を変えないガートと違い、苦笑いをしつつ暗にそこまでする必要は無いと否定の意を示すが、当のガートは頑として受け入れなかった。このやり取りも何度目かなと、リトは内心楽しんでいた。


「あくまで私の予想だけど、あと三年もすれば借りは返せるさ。それまでは引き続き頼むよ」


 その答えにガートは何故と聞かない。詳しい事も分からない。だが、リトが三年と口にしたのならばきっとそうなのだと、疑念の入り込む余地も無く無条件で信じていた。

 二人は自らの住居である貧民街へと戻る。どうしようもなく臭くて日陰でジメジメとして、無法者の暴力が蔓延する唾棄すべき場所ではあったが、それでも二人にとっては我が家なのだ。そして、そんな碌でも無い場所でも必死で生きている人間が大勢いる以上、リトは代表として彼等を護らねばならなかった。そして、かつての家も同様に護りたいと心の奥底で思っていた。

 国を追われ、身一つで流れ着いたリトだったが、その身に王の血が流れる限り、宿命から逃れる事は出来ないのだ。



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 王都を出立した移住者の一行は、五日の旅路を無事に終えて、国境沿いの砦跡に到着した。途中で立ち寄った集落からは胡散臭そうに集団を見られたものの、去年調査の為に訪れていたアラタの顔を覚えていた者がいた事と、王国軍が護衛と引率を務めていたので比較的落ち着いて対応してくれた。これが移住者だけだったら、山賊の集団にでも間違われて、余計な諍いの元になっていただろう。

 軍の人間は村の中で寝る事が出来たが、五百人もの人間を受け入れる家屋は無く、村の外で夜を過ごしていた。そこにはアラタも姿もあり、兵士達が村の中で寝る事を勧めていたが、アラタは聞き入れず移住者達と共に外で寝起きしていた。尤も、簡単な天幕は用意していたので完全な露天では無かったが、それでも表向き貴族のアラタが乞食同然の移住者達と同じ場所で寝泊まりする事は衝撃的だった。

 アラタの素性をある程度知っている軍の人間でさえ、流石に村の中で泊まるだろうと思っていたのだ。移住者達からすれば、雲の上に住む貴人が自分達と同じ場所で寝泊まりすることに恐れおののいた。しかしアラタは「暫く指導と監督する為に寝食を共にするんだ、今の内に慣れておけ」とだけ告げて居座り続けた。

 どう見ても貴族のアラタが、社会の最底辺である自分達と同じ扱いを受け入れたとなれば、移住者達はどうするだろう。

 答えはアラタに好意的になる、だ。彼等からすれば決して手の届かない位置に居る存在が、進んで降りてきて同じ場所で寝て、同じ食べ物を口にして、熱心に身の上を聞いてくれているのだ。それは生涯最大の衝撃だったに違いない。

 出発の時に要望があれば聞くと言っていたが、それを信じた者は誰もいなかった。力こそが全ての貧民街で、他者の言葉を無条件に信じる者など、長生きできない。それでもこの移住に参加したのは、このまま貧民街で朽ちるよりは一抹の望みを掛けて新天地で新たな生活をしたかったのだ。どうせ貴族の言葉など上っ面でしかないと斜に構えていた者の中にも、自分達の身を本気で案じて動き続けるアラタの姿勢を見て心を動かされた者もおり、却ってそういう者ほどアラタに好意的になっていた。

 こうして五日間の旅路の間にすっかり移住者達はアラタに心を許しており、まとめ役だったジャスティもアラタの事を、単なる策略が得意な男ではないと、考えを改めていた。



 砦に到着した翌日から移住者達は精力的に働いており、開墾を始める者、酒造りの仕込みを行う者、鍛冶に大工仕事、皆忙しそうに自分の仕事を請け負っていた。その中で一番人数が多かったのが、砦から離れた森の管理だった。元々この為に人員の募集をしていたのだから内容も勿論把握していたが、実物を見た者の何人かが口元を抑えて蹲ってしまった。

 ライネ川の戦いから三ヶ月が経過したという事は、ホランド兵士の亡骸も同じ時間が経過しているのだから立派な腐乱死体が出来上っている。それも糞便に塗れて蛆に集られ、半分崩れ落ちている腐った肉と骨が露出した死体が千人分もあるのだ。普段、死体の埋葬や汚物処理を専門に行う職の人間でも精神的負担はかなりの物になる。特に腐敗臭が強烈で、あらかじめ布で口や鼻を覆っていても防ぎ切れず、嘔吐する者が続出した。


(当然こうなるか。俺でも結構精神的にキツイからな)


 アラタも態度に出していないが、精神を削られる光景だったが、責任者が無様な姿を見せるわけにはいかないと痩せ我慢しつつ、平気な人間に自らスコップを持って作業の説明を始める。

 作業員は指導するアラタに続き、腐乱死体や糞便の混ざった土を満遍なくかき回しつつ、小山を作っていく。ある程度纏まった山が出来れば簡単な雨避けの屋根を立てて、次々と小山を形成していった。

 集落の代官であるアラタが、自ら率先して作業をこなして、糞便に塗れる姿を見た作業員たちは、感動にも似た感情を抱き、以後アラタに心酔するようになる。


「これで暫くは放置するが、山にした土は定期的にかき回す必要がある。臭いし、重労働だが皆、よろしく頼むぞ」


「「「はいっ!!任せてくださいレオーネ様!!」」」


 汚物に塗れた者同士の連帯感は非常に強く、彼等は口々にアラタの事を称え、アラタもまた彼等に報酬という形で苦労を労う事になる。彼等、貧民にとってアラタは得難い上位者であると同時に、自らの境遇や心境を理解してくれる仲間の様に感じていた。

 ただし、これらアラタの行動は全て計算尽くで、貧民達の人心を掌握する為のパフォーマンスだった。金で機密を売り渡す危険性を憂慮していたアラタは彼等の信用を得る為に寝食を共にし、悩みや話を聞いてやり、同じ作業をこなして汚物にも塗れた。こうして苦労を共にした仲間である事を彼等の心に植え付ける事で、背信行為を抑制しようとしたのだ。さらにはこの話が同じ王都の貧民達の間に広まれば、アラタは信用できる人間と認識される。個人の武力に、王家と親族になって得た政治力と財力、社会的弱者の理解者になってくれると思わせる人徳――――信用出来る人間と判断するには十分な判断材料だ。

 全ては不用意に機密を漏らさせないよう人心を掌握しつつ、工作員の確保と育成を用意にする為の行動なのだ。さらに、それとは別に伴侶となるマリアとアンナの慈善活動と合わさる事で、貧民を中心に民衆に大きく支持されるのだった。


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