第59話 親戚付き合い
ドナウ王国宰相配下、諜報部部長アラタ=レオーネは人生で二度目の緊張を強いられていた。一度目はアンナに結婚を申し込んだ時に、そして二度目の緊張は、将来の義理の両親との初対面だった。
ベッカー家の厨房では料理人や使用人がいつも以上に忙しく動き回り、宴の準備に追われていた。今日の夕食は数年ぶりにサピンから戻って来た、当主ゲオルグ=ベッカーとその妻ヴィクトリアの初めての自宅での食事だったからだ。
娘の結婚の準備の為にサピンから一時帰郷を許され、ゲオルグは婦人共々ドナウの王都に戻っており、外務省長官から一ヵ月の休暇をすぐに言い渡されていた。とは言っても、ゆっくり出来る訳では無く、サピンの情勢の報告書の作成や、結婚の為の準備と挨拶回りが数多くあるので休む暇は無かった。
そう、一か月後には娘のアンナが結婚する。それもマリア王女と同時に同じ人物へと嫁ぐのだ。これから一ヵ月、ベッカー家当主として多くの貴族や閣僚に挨拶をせねばならない。父であるミハエルが自身のいない間に幾らか肩代わりしてもらったが、それでも当主としての義務は果たさねばならない。これから格上である上級貴族らとも付き合いをしていくのは凡庸な身では酷く辛いが、逃げる事は許されない。
その心情に親であるミハエルやリザが気づかないはずが無く、せめて我が家の料理で労ってやりたいと、返ってきた当日に宴を開く事を考えた。同時に都合が良いと、アラタと顔合わせさせる事を提案したのだ。どの道、義理の親子になる以上は、顔合わせする必要もあったので全員が了承したのだが、現在初めて顔を合わせる事になる男二人は緊張していた。
「珍しいわね、息子があんなにガチガチになるなんて」
「そうですね、お父様のあんな姿初めて見ますし、アラタ様もいつもと様子が違います」
最初の自己紹介が終わってから当たり障りのない事を話しているのだが、どうにも二人は余所余所しく、互いの顔を見据えているように見えてその実、目だけが泳いでいた。
アラタは親という存在に接した期間が殆ど無く、どう接するべきなのか距離感が良く分からない。同じ義理の父になるカリウスは、明確に国王という上位者なので、それなりに分かりやすかった。しかし、もう一人の義父になるゲオルグは貴族であっても役職はアラタが上。天外孤独かつ、他人とプライベートな付き合いの経験の殆ど無いアラタには、仕事を抜きにした身内との接し方などまるで分らなかったのだ。
そして義父になるゲオルグも、この異質な青年との距離感を図りかねていた。外国の平民であるにも関わらず、自国の中枢に深く食い込んでおり、王女を娶りつつ自身の義理の息子になる。ゲオルグは貴族だが、生まれで他者を見下す事は好まない。自身も父の働きから些か、やっかみを受けた事が有り、生まれや育ちで人を差別するのには否定的だ。無論、貴族なので平民を区別する考えは根付いているが、目の前の青年が平民とは到底思えなかったし、王の信頼厚い人物を軽く見る気は無い。だからこそ、どう接してよいか分からなかった。
仕事上の付き合いならば役職を理由に上下関係を構築出来た。唯の親族なら年齢と血縁関係で相応の関係が築けた。だが、ここに貴族と平民、そして結婚相手の王族という要素が入りこみ、状況を複雑化させてしまっている。せめて王女との結婚が無ければ、ずっと距離の近い間柄になれたと嘆くのみだ。
「二人ともいい加減他人行儀は止めにせんか。最初から仲良くなれるとは思っておらんが、こうも空々しいと折角の宴が台無しだぞ。身内である以上、もう少し歩み寄れ」
流石にこのおかしな空気を払拭したかった最上位者のミハエルが二人を一喝するが、たった一言でどうにかなるなら、苦労は無い。だが、言ってる事は正論なので、どうにかしたかったのも事実だ。
「済みません父上、どうにも接し方が分からないものでして。アラタ殿も気を悪くしないで欲しい」
「いえ、私こそ他人行儀で申し訳ありません。親族との付き合いはこれが初めてでして、勝手が良く分からないのですよ。義父殿が私にどう接してよいか図りかねているのは理解出来ます。特殊な立ち位置にいるのは私の方ですから」
「でしたら、もっと話されてはいかがですか?私も義理の息子になる人の事はもっと良く知りたいですし。そうだ、アラタさんはアンナのどこが気に入ったのか、まずはそこを話して下さいませんか」
このままでは埒が明かないと思ったヴィクトリアが、話しやすそうな話題を挙げる。話のネタになるアンナは恥ずかしがったが、どうせ何時かは知られてしまうし、父とアラタが仲良くなるのなら構わないか、と納得した。
アラタも情事の後の寝物語でアンナに聞かせた事はあったし、エーリッヒやウォラフにも多少は酒の肴に話したこともあるが、この面々に話すとなると、どうにも話し辛い。気安い関係でも無く、単に同じ家に属する相手に心情を露呈するのは気乗りしないが、これから長く付き合っていく相手である以上、歩み寄る必要があると感じたので、顔には出さず渋々話す事にした。
最初に会った時の心境や結婚を考えた時期、これからの進展などを語ると、当のアンナは赤面し、リザとヴィクトリアはニヤニヤしながらアンナを見ていた。反対に男衆のミハエルは始終面白くなさそうで、ゲオルグは複雑そうな心境だった。
不憫な生まれだからこそ余計に可愛いと感じていたアンナが人並みの幸せを掴めるのは諸手を上げて祝福したが、それでも大事な娘や孫が男に嫁いで行くのはどうにも面白くない。幸いなのはアラタがアンナに惚れ込んでいて、蔑ろにされない事だけは確実だったので、幸せになれると確信できたが、王族を交えた政治闘争に引きずり込まれる可能性だけが心配の種だった。こればかりは当人に責任が無いのは理解していても、自分達にも降りかかる可能性がある以上、楽観視出来ない状況なのだ。
「君が娘を大事に思っているのは分かった。だが、男親として娘を連れて行く男に含む物があるのも事実だ」
「まあ、そうでしょうね。ミハエル翁も同じような感情を抱いていますし、世の父とはそういうモノだと知識ぐらいは持ち合わせています。これが兄なら妹の貞操を軽く投げつけるようですが」
「誰じゃそんな事を言うのは」
ミハエルが呆れたように非道な兄を責めたが、アラタの口からエーリッヒの名前が出ると押し黙り、女性陣はここには居ないエーリッヒを軽蔑した。
「マリア殿下のお転婆には周りも苦労していますから、エーリッヒ殿下の言い分も分からなくはないんです。私も何度か被害に遭いましたから」
この場に居る全員がマリアの落ち着かなさを知っており、窓から城を抜け出すわ、一人で竜に乗って遠乗りに出かけるわ、平民の年越しの祭りに勝手に乱入するなど、アラタがやって来た一年の間だけでもかなりの数に上るのだ。生まれた時から知っているドナウ貴族なら誰もが王女の事を知っていた。
正直アラタはこの落ち着きのない妻を持て余しそうで不安を感じていたが、今更突っ返せないので仕事を与え続けて遊ばせる余裕を無くす方針に舵を切っていた。孤児院の運営もその一環で、名目上の責任者に据えておけば幾らか仕事も割り振れるので、どうせなら役に立ってもらおうという腹積もりだ。
「そのマリア殿下だが、アンナ、お前は殿下と上手くやっていけるのか?勿論そうしてくれないと我々も困るのだが、お前の気持ちはどうなんだ?」
「大丈夫ですお父様。姫様とは身分が違えど、同じ人に嫁ぐ以上、諍いなど起しません。それに、姫様とは気が合いますから」
だから心配しないでくださいと、笑顔を見せて父親を安心させる。そんな娘の顔をまじまじと見つめ、嘘では無いと判断して幾らか安堵する。活発な王女と大人しい娘が上手くやっていけるか外からは心配の種でしかないが、本人が心配するなと言うのなら信じるしかない。
「ゲオルグ、女の事は女に任せなさい。こういうのは男が出しゃばると却ってこじれます。あなたの娘を信じてあげなさい」
「はい、分かりました母上。アンナ、お前の良いと思った通りに行動しなさい。私はお前に何も強要しない。お前が自分で考えて、アラタ殿の助けになってあげなさい」
そこから先は全員が和やかな雰囲気のまま酒宴を楽しむ事が出来た。話の内容はアラタの事が多く、ドナウに来るまではどのように生きてきたのか、どんな故郷だったのかが酒のツマミに供され、ゲオルグとヴィクトリアは西方との違いに驚きをもって応えたのだ。
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