第51話 義理の両親(仮)



 ドナウ王国軍がホランド軍を叩きのめし、一ヵ月以上経った頃、西方地域の南西部に位置するサピン王国はその話題で持ちきりだった。

 ドナウがホランドに宣戦布告した当初は、勝てない戦を仕掛けたドナウを憐れんだが、いざ戦ってみれば予想を見事にひっくり返したドナウを称賛する声が街のあちらこちらで聞こえていた。本来は商売敵であるドナウの事を快く思っていないのだが、毎年ひしひしと感じるホランドの併合圧力の不快感に比べれば、ずっとマシな物なのだろう。

 何より最近では久しぶりの明るい話題なのだ。その為、街の酒場では杯を高らかに掲げながらドナウの名を口にして、祝杯を挙げる酔っ払いが毎日後を絶たなかった。

 そんなサピン国内でドナウの勝利を最も喜んでいたのが、当のドナウ人の外交官達だった。彼等からすれば、外国に赴任している間に自国が滅ぼされるのではないかと戦々恐々した毎日を送っていた為、勝利の報を伝えに来た同じ外務省の役人に何度も問いただして、それが事実だと知ると安堵から涙を流す者までいたぐらいだ。

 ドナウの外交官にとってサピンは居心地の良い場所ではない。直接戦火を交えたホランドに比べれば、かなりマシではあるのだが、潜在的な敵国である以上、肩身は狭い。そんな居心地の悪い他国で、自国の称賛を毎日聞く事が出来た彼等は、今までの苦労が随分と報われる思いであり、ホランドに勝利した軍を褒め称えたサピン人と同様、連日祝杯を挙げたのだった。

 さらには情報収集も兼ねたサピン王家主催の祝宴にも招かれ、少しでも情報を引き出そうと躍起になっていた対立する二つの派閥の人間から接待攻めに合っており、サピンへ赴任して以来最高の待遇を受けていた。



 そんな我が世の春を謳歌していた駐在サピン外交官の一人であるゲオルグ=ベッカーは、一通の手紙を何度も読み返しながら、しきりに目元を抑えて、自分の眼が正常なのか疑っていた。

 差出人はゲオルグの父であるミハエルであり、見慣れた綴りの文章をもう五回は確認して、自身の眼や思考能力が正常である事を確認して、大きく溜息をついた。


「そのような溜息などついて、お義父さまの手紙には何か良くない事でも書かれていましたか?」


 ゲオルグの態度を不審に思った中年女性が話しかけるが、視線は手紙に固定したまま億劫に返事だけ返していた。


「良いか悪いかと聞かれたら良い知らせになる。と言うよりめでたい知らせだろうな。ヴィクトリア、お前からすれば最高の知らせになる――――アンナが結婚するそうだ」


 結婚と言う言葉に、座っていた椅子を勢いよく弾き飛ばしながら立ち上がって歓喜の声を挙げたのは、アンナの母であるヴィクトリアだった。四十前のふくよかな肉体に、娘と同様の鮮やかな赤い髪を結い上げている。顔立ちはそれなりに整っているものの、大勢の男の気を引くほどではない。特に最近は、皺が増えた事を気にしており、どうにかならないかと、毎日鏡の前で自分相手に睨めっこをしている。

 夫の言葉を聞き、皺が目立ち始めた顔が喜びに溢れる。故郷に残してきた愛娘が人並みの幸せを掴めるとなれば喜ばない親は居ない。


「お相手は以前、手紙に書いてあったレオーネという方でしょうか?私たちは会ったことはありませんが、アンナを選んだ方ですから、きっと素敵な男性なのでしょうね」


 気難しそうな表情の夫とは違い、ヴィクトリアは我が事の様に喜びを露わにし、結婚は何時なのか、どんな花嫁衣装を用意すればいいのか、などと一人で盛り上がっていた。

 そんな妻を醒めた目で見ていたゲオルグが咳払いをしたのに気づいて、夢心地の世界から引き戻されたヴィクトリアが夫の表情を不審に思う。


「一人で盛り上がってしまってごめんなさい。でも、あなたは嬉しそうに見えませんが、何か困る事でもあるのですか?確かに手紙には外国人だと書かれていましたが、そこまで気になさらなくても良いではないですか。聞けば、王家の信も厚く顧問役を勤めているとか。いわば王家が身分を保証して頂けるのですから、生まれなど大してお気になさらないでくださいまし」


 アンナからの手紙で、アラタの事は幾らか知っていたヴィクトリアは、夫が未来の義理の息子が外国人の平民の出なのを気にしているのだと予想して仲裁に入った。身分差のある結婚というのは色々と難しいものだが、ベッカーの家自体歴史も浅く、領地も持っていない貴族なので、そこまで凝り固まる必要は無いのだ。

 貴族の中にも多少の身分差に拘らず、有能な平民を一族に取り込む者は少数ではあるが居る。特に近衛騎士や軍士官にまでなった平民は人気があり、取り込みは熱心に行われている。

 それを考えれば平民ではあっても、有能で王家に近しい者が身内になるのは歓迎すべき事ではないのかと、ヴィクトリアは思っていた。勿論、ゲオルグも妻の言う事は尤もだと内心思っていたが、今回はそんな程度の低い問題ではないのだ。


「私とて、身分の事は大した事とは思っていない。身体の弱いアンナが人並みの幸せを手に入れてくれるなら祝福もしよう。だが、今回は相手が悪い。王の信が厚いと言うのも考え物だ」


 酷い苦虫を噛みしめる様に、手紙に書いてあった事を丁寧に説明すると、先ほどの夢心地の表情から一転して、困惑した表情へと変わり果ててしまった。


「そんなっ!あの子がいきなり側室だなんて!陛下も陛下です!そのような無体な事をなさるなど」


「陛下の命を跳ね除けるなど出来はしない。これは政治の絡んだ話だ。だが、それ以上に困るのは、ベッカー家が王家と大きな繋がりを持ってしまった事だ。大した後ろ盾の無い当家が、いきなり王家と縁戚になってしまったのだ。他の大貴族から相当やっかみを受けるだろう。これから先、私や息子のヴィルヘルムが上手くやっていけるか、不安を感じずにはいられん。私は父と違って凡庸な男だ、だからアンナの結婚は祝福したいが、先を考えると素直に喜べん」


 ゲオルグは自身を凡庸と称するが、貴族として外交官として不足な男ではない。自らを冷静に評価し、先を見据える事の出来る男だ。周りをよく見ており、気配りも出来る。年長者という事もあるが、駐在サピンの外交官のまとめ役も務めており、決して無能でもない。しかし、何の後ろ盾も無い領地すらない中堅貴族では、嫉妬や既得権益を脅かしかねない相手と見なされ、大領主や閣僚達から排除される未来を思い描いてしまい、恐怖を感じてしまった。

 勿論娘の事は深く愛している。あの年頃なら他家に嫁いで幸せに暮らしているはずだが、身体が弱く世継ぎが産めるか分からない以上、夫になる男が他の女と子を成す所を黙って見ているしかない。そのような辛い思いはさせたくなかった為、何も言わず好きな事をさせてやりたかった。

 だからこそ娘に好きな男が出来た事を喜んだ。子の産めない女に価値など無いと、見向きもされない娘と懇意にする男に感謝もした。それが他国の平民だったのには酷く驚いたが、娘が幸せならそれでも良かった。

 その結末が、王女との婚姻と同時に側室に入るなど、誰に予想できるだろうか。今回の一件、誰も悪い人間は居ない。それが余計に行き場の無い怒りを持て余してしまうのだ。


「アンナの身体もだが、人生とは本当にままならんものだ」


 ゲオルグの呟きを聞く者は側にいる長年連れ添った妻しか居なかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る