第50話 日陰者の歓喜



 ドナウとの敗戦の責を負い、老将軍ラドミークが処刑された数日後、王都の混乱は収まりつつあった。初めはバルトロメイ王子率いる遠征軍が大損害を被って逃げ帰った事に、ここ数十年無かった負け戦から住民達は大混乱に陥り、直ぐにでもドナウ軍がホランドの王都まで追撃を仕掛けてくると流言飛語があちらこちらで交わされ、食料品や武器を扱う商店に品物を求めて殺到する住民でごった返す光景が、あちらこちらで見られてた。

 しかし、一向にドナウがやって来る気配が無いと見ると、余裕の出来た住民達は徐々に平静さを取り戻した。さらには王宮から、今回の敗戦の原因となったラドミークの首が晒されると、徐々に怒りの矛先がドナウより負けた原因となった老人の首に向かい、石を投げつける民衆が列を成した。

 バルトロメイにも敗戦の責はあったのだが、その陰に隠れてしまい殆ど話題に上らず、半ば忘れ去られてしまった。



 ここまではドミニクやラドミークの思惑通りだったが、それは民衆だけに限った話であり、軍の上層部や貴族らは王太子であったバルトロメイを見限る者も多く、実に半数の配下が彼の下を去ってしまったのだ。


「ふん、始終兄上におべっかを使っていた奴らが、我先にと私の下にやって来るか。まったく、節操の無い事だ。だが、それでも利用価値はある」


 その去った者達が次の寄生先に選んだのが、第二王子のユリウスだった。軍才に溢れる20歳の青年で、その才覚と同じぐらい野心に溢れ、それが理由でドミニク王にやや疎まれていたのだが、ここに来て次期国王であったバルトロメイが失態を犯し、王太子から外されてしまったため、彼の手が王座に届くのではと、期待され始めていた。

 その為、彼の下には連日ひっきりなしに貴族達がすり寄り、大幅に勢力を拡大していた。


「その通りですユリウス様。この千載一遇の好機を逃してはなりません。煮ても焼いても食えない輩ばかりですが、味方には違いありません。何より王とは混濁合わせて呑み込む者でございます」


 ユリウスの近習を務める若い男が追従の意を示す。王という言葉に気を良くしたユリウスは上機嫌に杯の中身を飲み干し、別の召使に酒を注がせる。


「お前の言う通りだオレク。失った三万の兵には哀悼の意を示したいが、これも私が王になる為の尊い犠牲と割り切るとしよう。そもそも兄上も不甲斐ない事だ。ドナウなどという弱小相手に、無様を晒すとは!これでは隣国に我が国が舐められるではないか。やはり王たるものは戦の才に恵まれた者でなければ務まらぬ、そうは思わんか?」


「その通りでございます。王とは強くなければ威厳を保てませぬ。バルトロメイ殿下はユリウス様と違い、軍才に恵まれぬ御方。王には向かない者でございます。それを無理やり王座に据えるなど、このオレク、僅かばかり同情を致しましたが、これでバルトロメイ殿下も肩の荷が下りたのではないでしょうか」


 オレクは口ではバルトロメイを庇っているようにも聞こえるが、実際には他者を虚仮にしており、それがユリウスの笑いを誘っていた。

 ユリウスとオレクの付き合いは非常に長い。彼等は乳兄弟であり念友――――つまりは男色の関係にある―――で、幼い頃より付き合いのある二人は一心同体に近く、互いの事が手に取るように分かる間柄だった。

 オレクにとっても、自らの仕える主の目の上の瘤だったバルトロメイの失態は、我が事の様に祝うべき慶事だ。これでユリウスが次期国王にぐっと近づき、既に王座が目の前にあると言っても良い状況で喜ばないはずが無い。

 近い将来、ユリウスが王となれば自らも相応の地位に据えられる。宰相として辣腕を振るうか、軍の最高責任者としてホランド軍十万を指揮するのだ。これに魂を震わせない男は西方には一人として居ないだろう。そんな誰もが羨む地位に最も近い男が、自分なのだ。

 次期国王ではない第二王子とその右腕という、出世からは遠い立場にあった長年の鬱屈の反動と、己の栄達の道が開けた事による喜びもあり、二人は我が世の春を謳歌していた。


「一年の謹慎を言い渡されたバルトロメイ殿下は放って置くとしまして、これからはユリウス様が軍団の指揮をお執りになるのです。精強たる我がホランド軍を率いればドナウなぞ恐れるに足りません。早く陛下の下知が下らぬものでしょうか」


 その言葉に、ユリウスの機嫌が打って変わって悪くなったのにオレクは直ぐに気づいたが、何故そこで機嫌が悪くなったのか見当もつかなかった。あるいはバルトロメイが死罪で無かった事に腹を立てているのかと思ったが、それなら最初に処分が下った時にもっと悔しがっているはずだ。一体何が主の気に障ったのか、あれこれ思案しても答えには辿り着けなかった。


「―――お前になら話しても良いだろう。今日、ドナウから和平の使者がやって来た。まだ交渉段階で確定していないが、父はそれなりに乗り気だ。このままだと和平が成立する」


「なんですと!そんな事が有り得るのですか!?それでは敗退した我々が賠償金や領土を払う破目になるのですよ!陛下はそれでも構わないと仰っているのですか!?」


 信じられないと、天を仰ぎ絶叫する。そんな乳兄弟を醒めた様子で眺めていたユリウスが、違うと口にすると、落ち着きを取り戻したオレクが改めて問い直す。


「ドナウが提示したのは対等な和平だ。謝罪も領土割譲も賠償金も一切求めなかった。不幸な行き違いによって戦場で命を奪い合ったが、今回の一件では勝者も敗者も無いと言ってきた。それどころか燃えずに残った、犠牲者の所持品だった指輪や武具の一部を届けに来たよ」


 信じられないと、ユリウスの言葉を否定しかかったが、いくら乳兄弟のオレクでも許されない事だと、喉元でぐっと堪えて呑み込む。それほどに西方では有り得ない和平の条件だったのだ。


「まったく、してやられた。そのような配慮を見せつけられたら、誇り高い父の心に触れてしまい、二つ返事で奴らの要求を受け入れてしまう。何より、ドナウの配慮には将軍らも好意的になっている。私は反対したかったが、精々期限付きの休戦協定を提案するのがやっとだったよ」


 彼等を含めてホランドの貴族や将軍らは知らなかったが、ドミニクはそれほどドナウの配慮に心を動かされてはいない。確かに西方の常識では、死者は所持品を全て剥ぎ取られて碌に埋葬もされないが、そもそもドナウが死者を大量に生み出したのだ。戦場の習いとは言え、王であるドミニクにとっては面白くない。

 だが、ドナウと雌雄を決するにはまだ時が必要であると冷静に判断を下し、和平に耳を傾けていた。一年の謹慎処分を受けたバルトロメイを表舞台に引っ張り出すまではドナウとの戦争を避けたかった。

 ドナウと言うか、アラタもまた軍備を整えるに時を欲しており、一刻も早いホランドとの和平を求めていた。それ故、和平交渉のこじれそうな賠償の一切を放棄する事を会議で主張して、遺品を届けるという小細工も弄したのだった。

 両者の思惑が一致した以上、比較的早く和平は成立するだろうが、後はその不戦期間をどれだけ見積もるかが焦点となった。

 恒久的な平和など有るはずもなく、ホランドは敗北の恥辱を雪ぐために、是が非でもドナウを滅ぼしたいと考えているだろうし、ドナウもホランドを大国のままにしていたいとは露ほども思っていない。どちらもこの休戦協定は、次の戦の準備期間であると考えていた。


「陛下がそう仰られるなら和平は決まったような物ですな。口惜しいですが、ドナウとの再戦は数年後に取って置きましょう。なら、今後のやる事が決まりました」


 これを機に軍部を掌握し、全ての兵をユリウスの私兵にしてしまえとオレクは囁く。元々、軍才のあるユリウスは兵士に人気がある。しかし第二王子であり、次期国王では無かったので将来性が無いとして、将軍らはバルトロメイ派が多かったが、ここに来て敗北したバルトロメイから離れて、ユリウスにすり寄って来た者が多くなった。こうなれば軍全てをユリウス旗下に置く事も難しくはない。

 その軍部の影響力を背景に、王太子の地位を手に入れてしまえと、オレクはユリウスに甘く囁きかける。長年の付き合いから、主人の悦ぶツボは分かっているので、乗せるのは容易い。

 流石に武力を以っての簒奪までは考えていないが、ようやく巡って来た千載一遇の好機を無駄にしたくない。

 幾らドミニク王でも国内、それも軍部の意見を跳ね除ける事は難しい。全ての兵士がユリウスに味方し、彼等が玉座をユリウスにと要求すれば、呑まざるを得ない。


「そうだな、お前の言う通りだ。兄上が動けない内にケリをつけておこう。私はこのまま軍や国内の有力者を抱き込みにかかる。お前はドナウ以外で戦端を開けそうな国を見繕っておけ。いくら私が軍に人気があった所で、実績が無ければ説得力に欠ける。国一つを平らげれば、私の方が王に相応しいと全ての者に見せつける事が出来るだろうからな」


「承知しました、早速調べておきましょう。長い雌伏の時間はもう終わりです、これからは貴方がホランドの未来を作っていくのですよユリウス陛下」


 気が早いぞ、とユリウスは窘めるが、その本人がまんざらでも無く、顔をだらしなく崩しているのだから説得力に欠ける。だが、それを指摘する者は周囲には誰もいなかった。



 人間は己の見たい物しか見ようとしない。都合の悪い事は意識しないか、あるいは無意識のうちに目を背けてしまう。何故、強国であるホランドが弱小のドナウに負けたのか。それを正確に理解している者は、ホランドには居なかった。最も被害を被った当のバルトロメイでさえ新兵器であるナパームに注目してしまい、敗北の真の理由とドナウの狙いが読めなかった。

 しかし、時は無情にも万人に等しく流れて行き、ドナウは時を有効に使い、ホランドは無為の時間を過ごす。最早取り戻す事は叶わないのだった。


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