第37話 煉獄の門は開かれた



「しかし、見れば見るほど攻め辛い陣地だな。これほどの野戦築城が可能なほどドナウ軍は建築技術が高かったか?」


 そう呟くのはドナウ軍の砦から500メートルほど離れた場所に陣取ったホランド軍の将軍の一人だ。既に北と東に軍を展開しており、彼の受け持ちは東側の短い外壁の担当だった。彼の名はコンラート=クジェルといい、ドミニクが外征に打って出た20年前から軍に在籍している古参の軍人だ。しかしその20年を超える実務経験と知識を以ってしても、自らが抱く疑問の答えを得る事は出来なかった。

 精強たるホランド軍だが、築城の技術はそこまで高くは無い。攻城兵器を使う以上、西方の中では並程度の知識や経験はあるが、専門とは言い難い。それでも長年の経験から壊す事も作る事もそれなりの水準を満たしている。

 ただし、目の前に鎮座するドナウ軍の砦はその水準を優に超えていると見て間違いない。いや、砦自体は大した事の無い物だが、この陣地が二日の間に構築されたとなると大問題だ。あまりにもドナウ軍の情報とはかけ離れている。

 彼等ホランドの持つドナウ軍の情報には、取り立てて見るべき物は無い。精々、地方貴族らの連合体でしかなかった、かつての三国の寄り合い所帯的な軍勢と違い、主力を担う直轄軍の数の多さと、一本化された指揮系統の簡略さは見るべきものだが、兵の強さ、特に騎兵の数の少なさや質は、精強たるホランド騎兵には比較にならなかった。

 海運を主軸にした造船技術はホランドには無い物だが、それが陸軍に転用されたと言う話は聞かないし、仮に転用されたところでこの異常な速さの築城の答えにはならない。



 出口の見えない思考の迷路に陥ったコンラートだったが、配下から兵の配置が完了したとの報告を受け、強引に思考を戦闘用に切り替える。戦場でボンヤリ物思いに耽るなど命を捨てるようなものだと、己を恥じて気を引き締める。

 東側の戦場は北に比べると狭く、その分兵も少ない。北側の兵の配置も完了しており、いつでも攻撃開始の合図に答える事が出来る。北はバルトロメイ王子が陣取っており、本陣が置かれている事を考えると、東は主翼から外れた場所になる。コンラートは大して気にしなかったが、配下の中にはそれを不満に思う者も少ないが居る。誰しも自らが中心で居たいという欲求は抱えているので、それ自体は否定する気は無いが、抜け駆けはしてくれるなと釘を刺してある。

 野戦でもないし、城攻めは一番乗りを競うものでも無い。何よりまだドナウとの会談は始まっても居ない。これから使者を互いに送り、交戦規定を定めるのが戦場の習いだが、ドナウ側はまだ使者を送る気配はない。互いに出方を伺う事は戦場では珍しくないが、お見合いなどするために一ヵ月も掛けて行軍してきたわけでないので、さっさと取り決めて始まって欲しいと内心悪態を吐いていたが、ドナウ軍が外壁の上に何かの布を掲げたのをきっかけに兵士達がざわめき出す。



 ホランドは草原の民の国で、その兵士も目の良さには自信がある。コンラートもその例に洩れず、目はそれなりに良い方なので、距離はあったがその横断幕に書かれた絵と何かの文字をかろうじて読み取る事が出来た。

 曰く、『貴様らホランドの死体は俺達の糞まみれにして弔う事なく森に捨ててやる。蛆やハエに集られて汚物として朽ち果てろ』と書かれ、隣の絵には巻き糞を乗せられた痩せこけた竜の絵が描かれていた。


「―――――ふざけおって!!これがドナウの開戦の合図だとでもいうつもりか!!奴らには武人の誇りや戦場の作法など無いと見える!」


 コンラートの言葉はその場に居たホランド兵の総意であり、あまりの怒りに全軍で怒号が沸き起こると、一部の歩兵らは命令を待たずして勝手に砦へと進軍していき、それに連れられてあちこちで進軍が始まってしまった。

 北の本陣に居た総司令バルトロメイは、この抜け駆けに憤慨したが、一度始まってしまったものは止める事が難しいと理解していたので、怒りを抑えて、このまま勢いに乗ったほうが良いと判断し、全軍に前進を命じた。

 後年、『ライネ川の戦い』と称される戦いは、ドナウ側に乗せられた形で始まったのだ。



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「わははは!奴ら怒り心頭で向かって来ますな。まあ、気持ちは良く分りますが」


 アラタの横でツヴァイクが腹を抱えて笑っていた。こうも予想通りの動きをしてくれるホランド軍を笑いながらも、同じ事をされたらきっと、ホランドと同じ反応をする自信があるので、彼等にも僅かに同情の念を抱く。

 しかし、それはそれとして伝令役に命じて、最初の攻撃の命を下す事を忘れなかったが。アラタはそんなツヴァイクの横で、無言でホランドを見据えていた。

 正式な軍人ではないアラタに軍人への命令権は存在しない。その為、この砦に居ても指揮を執る事はない。いざ戦いとなれば命令を下すのは軍司令のツヴァイクの仕事であり、その命を実行するのはその下にいる千人長配下の兵士たちなのだ。基本的にオブザーバーとして参加しているので、意見を求められる事はあっても、兵士に命令はしないし、聞く義務も無い。今のアラタはただ、戦況を見守るだけの観戦者に徹していた。


「しかし、頭に血が上っていると言っても、ホランド兵の矢がそろそろここにも飛んでくる。レオーネ殿も早めに屋根の下に入って頂きたい」



 ツヴァイクの言葉通り、ホランドの歩兵が弓兵の援護射撃を受けつつ距離を詰めて来て、最初の逆杭を超えて前進していた。援護射撃をしている弓兵を除く歩兵の殆どが杭を抜くために、無防備を晒しているが、弓を射る兵だけでもドナウの半数を超えており、雨の様な数の矢を防ぐだけで手一杯の状況だ。碌に反撃の出来ないドナウ軍の醜態に気を良くした、ホランド軍はさらに前進を続け、弓兵が、さらに外壁に近づきながら矢を射かけたのを見計らって、砦上部に据えられていた投石器部隊が動き出すと、一斉に油樽を歩兵らに目掛けて投擲した。

 それに一拍子遅れる形で外壁の外で待機していた弓兵部隊も樽の着弾点に向けて火矢を放つ。放物線を描いて100メートル以上先のホランド歩兵の集団に着弾した樽は、不幸にも数人の兵を直撃して首の骨を折って中の油を周囲にぶちまける。初めて嗅ぐ液体の刺激臭に顔を顰め、眼球などの粘膜をやられた兵士がのた打ち回るが、被害はごく少数に留まった為、大部分の兵士は気にせず杭を抜く作業を止めなかったが、ぶちまけられたナパームの中心に火矢が落ちると、その状況は一変する。

 ホランド軍が今まで聞いた事も無い轟音と共に、歩兵集団が次々に吹き飛ばされ、中には10メートル近く垂直に飛ばされた兵士も居り、数秒の滞空時間の後、全身を地面に打ち付けら絶命するか、杭に突き刺さり即死するか、炎に巻かれて苦しみの後に焼け死ぬかの悲惨な最期を遂げていた。



 ホランド軍は恐慌状態に陥り、弓兵もあまりの惨状に援護の手を止めてしまい、どうする事も出来ずに右往左往し出し、本来彼等を落ち着け新たな命令を下す士官らも、予想外の事態に思考を停止していた。

 その期を逃すドナウ軍では無く、今度は小型投石器以外にも外壁内部に固定されていた五基のトレブシェットが満を持して稼働し、砦から300メートル先の、歩兵部隊の後ろに控えていたホランド自慢の騎竜兵部隊に次々と着弾。前方の轟音と巻き上がる黒煙と共に発生した強烈な刺激臭に興奮した脚竜の操作に気を取られていた兵士らは、何が空から降って来たか失念しており、数秒遅れて降って来た火矢に気付く事無く前方の歩兵同様、熱風に薙ぎ倒されてしまった。

 まるで突風に飛ばされる木の葉の様に、人間や竜が宙を舞う異常な光景を目の当たりにしたホランド軍には冷静な判断を下せる者が誰一人としておらず、経験豊富な士官も、老練な将軍も、高貴な血を持つバルトロメイ王子も、この惨状に思考停止して何一つ有効的な命令を下す事なく、ただ同朋たる兵士が焼き尽くされるのを黙って見ているだけだった。

 ただ、虐殺染みた攻撃を繰り返すドナウ軍にも余裕がある訳では無い。目についた集団にナパームを投げ込むが、細かい調整が効かない為、どうしても取り零しが発生してしまう。小型投石器は方位をある程度調整出来るが距離が短く、大型投石器のトレブシェットは固定式なので方角の調整が出来ないが、ある程度の距離は調整が効くという、何とも使い勝手の半端な状況なのだ。元からこの二つの兵器は固定標的に大質量をぶつける兵器なので、細かい着弾調整は苦手としている。今回は四万を超える大軍なので適当に投げ込めば、どこかの集団に当たるのと、極めて揮発性が高く広範囲に轟音を轟かせるナパームの特性あっての範囲攻撃と言える。



 取り敢えずドナウ軍は、ホランドが有効な手立てを思いつかない内に戦の大勢を決する事を選び、全てのナパームを使い切るつもりで、ホランド軍を焼き続けた。



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 余裕があるとは言い難いドナウ軍だったが、焼き尽くされるホランド軍からすれば暢気と罵りたくなるほどに、どこもかしこも阿鼻叫喚の地獄絵図が生み出されていた。

 焼死という物は最も苦しい死に方の一つと言われている。生きたまま全身を炎で焼かれる苦痛は想像を絶する苦痛であり、煙と焼けた空気によって肺を焼かれ呼吸が出来ず、かと言って脳を始めとする体内の主要器官はほぼ無傷で残されるために、死ぬ事すらままならず、ひたすらに痛みに苛まれるのが死ぬまで続くのだ。そんな地獄の苦しみがそこかしこで生まれ、石油由来の強烈な刺激臭と、生きたまま焼かれる人間の不快な臭いから、停止していた思考が再び動き出す頃には、ホランド軍は取り返しのつかない被害が齎されていた。

 その混乱と思考停止から最初に動きを見せたのが、総司令官バルトロメイだった。右往左往する将軍達を冷静にさせ、全体の被害状況を的確に判断すると、彼等に決断を迫る。


「最早この体たらくでは組織だった攻城戦は不可能と判断すべきだ。撤退の準備に取り掛かれ!」


「なっ!!我々栄光あるホランドが尻尾を巻いて逃げるのですか!あの弱小のドナウ相手に背中を見せて、火で追い立てられて無様に逃げ帰れとおっしゃるのですか!」


「そうだ!!貴様らは目の前の光景を見てもなお、戦を続けて勝ちを拾えると本気で思っているのか!歩兵らは堀どころか、その前の土塁すら超えられず、良いように炎に焼かれ続け、逃げまどっている!前後を炎の壁に遮られては逃げ道も無く、彼等はもう助からんのだ!!それどころか進み過ぎた騎兵の三分の一が焼かれているではないか!さらにあの熱風と臭気に恐れ慄いて、騎手を振り落として逃げ出す始末!草原の民の友である竜が、我らを見捨てて逃げているのだぞ!こうなっては戦どころではない。仕切り直すにしても兵は可能な限り助けねばならぬ。まだ火が届かぬ内に、振り落とされた騎手を回収してここから離脱する。貴様らは撤退の指揮を執れ。私は可能な限り軍の統制を保つために前線に向かう」


 尚も言い縋る将軍達を無視して、バルトロメイは近衛兵を連れて混沌とした戦場へ駆けて行った。残された将兵達は已む無しと半ば諦めて撤退の指揮を執り始める者と、竜から振り落とされて動けない者の救援に向かう者とで分担して動き始めた。



 北の本陣が撤退に向けて動き始めたのとは対照的に、東側の将軍らは未だに混沌とした戦場の狂気に当てられて、有効な動きが取れずにいた。次々と投げ込まれるナパーム樽によって焼かれ続ける兵士達は、身を焼かれる炎から少しでも逃れようと、好き勝手に動き回り、余計に混乱を招いていた。

 ある者はその場で転げまわり、どうにか火を消そうと足掻いていたが、とめどなく流れ続ける油とその上で広がり続ける炎によって早々に逃げ場を失い焼け死んだ。

 またある者は、川沿いに居た事が幸いと、炎に包まれたその身を水の流れに任せる選択を取る。しかし、重度の火傷に加えて、金属製の鎧を着たまま泳げるほど水練の達者な者はホランドには皆無で、皆雪解け水で増水した川の流れに呑まれしまい、誰一人として助からなかった。

 仮に鎧を脱いで川に入った所で、流れの急な川を草原の民であるホランド人が泳ぎ切れる保障は無いのだが、それでも火に焼かれる者の心理として、水を本能レベルで求めてしまうのだろう。

 それ以外の者には、勇敢にも活路を前に見出し、進んで炎の壁に突撃して、城攻めを決行する者も現れた。但し、それは勇敢というより無謀と呼ばれる行動でしか無く、土嚢の壁や柵を乗り越えても、幅3メートルの堀を飛び越える事が出来ずに、その場で立ち往生する始末だった。中には飛び越えようとした者もいたが、助走距離も乏しく、軽装とはいえ鎧を着たままで飛び越えられるはずもなく、あえなく堀に落ち、底に敷き詰められた無数の杭に串刺しにされ、ゆっくりと絶命していった。

 幸運にもナパームの範囲から外れた兵士もいたが、直接火に炙られていなくとも、煙に巻かれて呼吸困難に陥り、その場で意識を失って、結局は火に焼かれる兵士や、ナパームの特性である、周囲の酸素を根こそぎ奪い尽して、一時的に酸欠状態になった事に気づかず、知らずに陸で溺れる兵士も数多くいた。



 騎兵の中にはこの地獄絵図に耐えきれず、勝手に離脱する兵や味方の救援に向かう者、炎の壁の隙間を縫って土壁に吶喊する騎兵など完全に統制を失い、各々が生き残るために勝手な動きを始めてしまい、収拾がつかず、徒に犠牲を増やす結果になってしまった。

 そうして半数以上が死亡した戦況になって漸く、北の本陣が撤退を開始したという報がもたらされ、内心ふざけるなと怒鳴り散らしたかったが、ここまで犠牲を出した以上は、已む無しと本陣の将兵らと同じ結論に至り、遅まきながらも撤退準備に取り掛かった。但し、北と違って後方で待機していた騎兵たちに撤退の伝令を送っただけで、自らが救援に向かう事は無かったわけだが、既に手遅れな状況で出来る事は無きに等しいので仕方の無い事だった。



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 撤退を開始したホランド軍を観察していたドナウ軍上層部の面々は、焼き殺されるホランド兵に胸のすくような思いと同時に、哀れみに近い同情を抱いていた。

 ホランドの強欲さや暴虐には不快感しかなかったが、一武人としてその精強さには敬意を払う価値があると、多くの士官らは認識していた。その兵士達が、成す術もなく炎に焼かれるのを見ていると、心にこみ上げて来る物があった。

 これは断じて戦とは言えない。1対4という絶望的な戦力比を覆すには、手段を選んでいられない事は重々承知しているが、それを差し引いてもなおホランド兵が哀れでならない。無論、最初の矢の斉射でドナウ軍にも被害はあったのだが、ホランドの被害に比べれば、誤差の範囲でしかない軽微さだ。

 報告では負傷者は50人程度で、死者も10人を超える事は無いとの事で、これほどの大勝は西方の歴史上、誰も経験した事の無い物なのだ。ホランドの死者は立ち上る黒煙で殆ど確認できないが、少なくとも二万から三万は仕留める事が出来たのではと、ツヴァイクは予想していた。

 万の敵を10人の損失で倒す。歴史的大勝利を収めた司令官として、確実に歴史名を刻むツヴァイクだったが、その心が張れる事は無かった。周囲の士官らも同様に、確実になった勝利に沸き上がる者は皆無で、皆一様に血の気の引く思いで焦げた肉の臭いに顔を顰めながら戦況を見守っていたのだった。



 そんな中、アラタだけは全身を駆け巡る奇妙な充足感を持て余していた。それはライブとの戦いでも感じていた復讐心や定めた敵を殺す充実感に似た感情だったが、僅かばかり違いを感じていた。

 愛した女アンナを抱いた時とはまた違ったもので幸福感は感じなかったが、しかしそれ以上に全身の血潮が沸騰しそうなほどの熱量を生み出されているのを感じ取っていた。

 ドーラにバイタルチェックを申請しても、精神的高揚としか答えは返ってこず、この感情の正体が何なのか分からなかったが、その答えは直ぐに見つかった。

 近くに居た士官の一人が、アラタの顔を見るなり一歩後ずさり、恐る恐る話しかけてきたからだ。


「れ、レオーネ殿はこの惨状を見て笑えるのですか?――私にはとても真似できません」


 その言葉に釣られてアラタに視線が集まり、顔を硬直させる者、同様に後ずさりする者、戦慄を覚える者と、一様に否定的な雰囲気を持っていた。

 アラタは周囲の態度から、自身が知らず知らずの内に笑みを浮かべている事に気づき、両手で確かめるように恐る恐る触れた。確かに彼等の言う通り、口を吊り上げ目を細め、愉悦に顔を歪めていたらしい。


(―――――これは何だ?俺は楽しいのか?人が焼かれる様を見ながら愉悦を感じているのか?笑みとは喜びや楽しさを感じたものが浮かべる表情だ。俺は今楽しんでいるのか――――何故楽しいんだ?人間が炎に焼かれているからか―――違う、人が炎に焼かれた所で大して楽しいとは感じない。では逃げまどう人間を見るのが楽しいのだろうか―――少し違う気がする。何故俺は笑っている)



 愉悦に塗れた笑みのまま自らの顔をしきりに撫でまわすアラタを不気味に思い、見なかった事にする為に、一人がわざとらしくホランド軍の戦況を大声で騒ぎ立て、露骨に注意を逸らしていたが、ツヴァイクだけはそっとアラタに近づき話しかけた。


「何故自分が笑っているのか分からないようだな」


「――はい。このような事は生まれてこの方無かったもので、見当もつきません」


「私見で良ければ、答えを教える事が出来るのだが」


 このまま周囲に不気味がられるのは益も無く、思考の海に溶け込むのも非効率だと思い、頭を下げて教えを乞うことにした。


「君は自らの描いた絵図面通りに事が運び、人が自分の思い通りに動いた事に快感を覚えているんだよ。人が死んだ事が楽しいのではなく、自分の策がはまった事に無情の喜びを得ているのさ。それは一軍の将として必要な気質だ、恥じる事は無い」


 その言葉がストンと心に入り込み、ごく自然に納得してしまった。言われてみれば思い当たる節は地球統合軍時代からあったのだ。相手がライブだったので、復讐心が先立ち、倒した所で自覚出来なかったが、この国に来てから年相応の友人が出来て、価値観の異なる相手と交流し、人並みの恋もした。抑圧された環境から脱し、本来の気質が表に現れ、さらには何の遺恨も絡まない相手との戦いで、ようやく自身の好む物が見えてきたのだ。


「殺戮が楽しくて仕方が無いという狂人では無いと?戦場で自らの才と力を振るうのが楽しくて仕方が無いと仰るのですか」


「私にはそう見えるよ。その欲求は武人なら誰しも大なり小なり持ち合わせているものだ。重ねて言うが、恥じる事は無い。まあ今回は出来過ぎて他の者には刺激が強すぎたようだが」


 一方的な展開も良い事ばかりでは無いな、ツヴァイクはそう呟き、目の前の焦熱地獄を見据える。大部分のホランド兵が焼け死に、騎兵達も徐々に撤退し始めた。ほんの僅かにだが隙間を縫って外壁にまでたどり着いたホランド兵も居たが、結局は攻城兵器も無いので何も出来ずに立ち往生した後、捕らえられた。むしろ彼等は勇敢に突撃してきたと讃えられ、捕虜としては有り得ない程の好待遇で扱われる事となる。ドナウ軍兵士達も、この一方的過ぎた戦いに良心を痛めたのかも知れない。

 しかし自らの気質を完全に理解したアラタからすれば、撤退中のホランド軍などどうでも良く、取り残された兵士も次の策略の手札としか見ておらず、結果の見えた戦場に用は無かった。



 そしてあまりに一方的に勝ってしまったドナウ軍は、誰もがこれは夢ではないかと疑いが晴れず、しきりに近くの者同士で現実なのかと確認し合ったり、頬や耳を引っ張って、夢ではない事を確認し合っていた。それでも完全に撤退した無残なホランド軍の姿は消える事が無いと分かると、徐々に歓声は大きくなり、最後は全員が勝鬨を上げながら、喜びに打ち震えていた。

 本来の戦ならばここで追撃の兵を挙げて落ち武者狩りをするのが鉄則だが、戦場のあちらこちらに昇る黒煙と炎がそれを遮り、屋外とはいえ酸欠状態の周囲には迂闊に近づけない。ライネ川も増水しているので、渡る事は極めて危険で、ここで無理をして溺れるなど馬鹿げていると思い、誰も提案しなかった。

 取り敢えず炎が収まってから死者の埋葬や戦利品の回収をした後に堀を埋める作業を進める事で、上層部の意見は一致していた。それまでは手持ち無沙汰となった兵達が宴会を希望すると、ツヴァイクは二つ返事で了承し、ありったけの酒と美味い物を放出するよう配下に命じた。



 こうしてフィルモ歴493年5月1日、ドナウ王国軍一万二千とホランド王国軍四万五千との間に起こった『ライネ川の戦い』はたった一日で決着が着いた。多くの者の予想を裏切り、ドナウ王国が勝利したこの戦いは、西方地域の人々に驚きの声を以って迎え入れられ、ドナウの台頭とホランドの斜陽を予感させた。

 そしてこの日を境に、併合された旧三国の住民による反乱が激増して、それを武力鎮圧する派遣軍との確執がますます強くなる結果となるのだった。



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