第36話 目前に迫る戦端



 フィルモ歴およびホランド歴五月一日、ドナウ王国からの宣戦布告を受けたホランド軍が騎竜兵三万と軽装歩兵一万五千の大軍勢を両国の国境沿いに進軍させた。

 これを迎え撃つドナウ王国軍は僅か一万。この時点で勝敗は決したようなもので、ホランド側は誰一人として自国の勝利を疑っていない。ただし、疑ってはいないのだが、敗北してもらいたいと願っている者もホランドには数多くいる。

 大部分はかつてホランドに併合された国の国民で、現在は奴隷身分として虐げられて、家畜以下の扱いを受ける者。彼等の怨嗟の声は留まる事を知らず、この二十年で取り返しのつかないレベルの憎悪を育んできた。その憎悪を武力によって今まで押さえつけてきたが、それが未来永劫続くなど有り得ない事で、実の所先延ばしにしか過ぎないと、気づいている者は少ない。

 今はまだ誰も理不尽な暴力に抗って、それを跳ね除けた者は居ないが、盛者必衰の理はホランドにも当てはまる。いずれ彼等も歴史上の強者と同様、衰え滅び去る運命にある。彼等の中からも驕れる者を打ち倒す者がきっと現れるだろう。



 もう一つは、近しい者。自らが栄光を掴むために、近しい者が敗れる事を期待しているのだ。この戦いの中でその思いが最も強いと言えるのが、ユリウス=カトル=カドルチークだ。ホランド王ドミニクの次男であり、ドナウ侵攻軍の総司令官バルトロメイ王子の弟に当たる、才気溢れる青年だ。そしてその才気と比例して身に高い野心を宿す王子だ。既にバルトロメイが王太子として、次代のホランド王になると公的に発表されているのにも拘らず、半ば公然と自らを王にすべく表裏に動き続けている。

 ここで王太子の兄が失態を犯せば、嬉々として王の器量にあらずと騒ぎ立てると誰もが予想するほど、彼はあからさまに王位を欲していた。その隠しもしない野心が、却って王に危険と判断され、次代の王への道が遠のいた事を理解せず、戦の才能に劣る兄が王になる事に常に不満を述べていた。流石に公然とドナウに敗北しろなどと、短慮な事は口にしなかったが、内心では負けてくれと願っていた。

 あるいは兄の座る総司令官の席に自分が座り、ドナウを下した功績を手にしたかったのかもしれない。王の魂胆は透けて見えている。軍才の凡庸な兄に手柄を立てさせ、その手柄を期に王位を譲る気なのだ。長子という立場と、国を一つ滅ぼした実績を以って王位に就けば国内で反対する者は現時点よりさらに減る事になる。既に兄には正妻との間に子が居り、不慮が無ければそのまま王位継承は滞りなく続けられていくだろう。

 そうなれば自分の支持者はさらに減る事になり、これから一生飼い殺しの目に遭う。これで安易に地方に流してもらえば、その土地の軍の有力者を手なずけて、独自の軍勢を構築できるが、父や兄がそれを見逃すはずもなく、膝元に置かれて態の良い監視を付けられて、一軍人として生涯を終える事になる。

 そんな家畜の様な一生は御免被るが、現時点では打つ手がない。こうなっては最早、兄が致命的な失態を犯してくれるのを祈る他ないのだが、相手は弱小国でしかないドナウだ。これでは順当に勝利してしまい、兄との差は開く一方だ。一応、海路での兵員輸送による王都強襲作戦を警戒して、兵の半数は本国に残しているが、防衛戦では大した武勲になるものではない。

 せめて配役が逆であればと、愚にもつかない仮定を考えるが、所詮はたらればの話だ。自国が負ける事を神に祈るのは愚かな事だが、自らが王座に就かなければ意味が無いと切って捨てるあたりが、ユリウス=カトル=カドルチークの器の限界なのかもしれない。



 さて、下馬評ではホランドの価値は揺るがないのだが、当のホランド軍は実は混迷の中にある。彼等は偵察兵によって四日前にドナウ軍の姿を確認している。ライネ川をイカダで下って、小高い丘に大量の物資を水揚げしているのを確認した偵察兵が、これを翌日に本体に連絡、俄かに騒ぎ出す兵らを落ち着け、将軍達は笑い飛ばす。


「たった数日で構築した陣地など、攻城兵器が無くとも簡単に崩してやるわ!やはりドナウは戦下手だな、最初から念入りに砦でも築いていれば、もう少し苦戦したのだろうが」


 間違った認識ではない。陣地や砦は、建造した時間に比例して強固な防御力を生み出す物だ。たかが数日で構築した防衛線など数の力で押し潰せる。それが軍事の常識なのだ。

 将軍達や士官らもしきりにドナウの無能さを嘲笑しているが、例外的にバルトロメイ王子を含む少数の人間は思案顔で、ドナウの手の内を読もうとしている。

 しかしながら情報が足りず、誰もが確信を得られない為、進軍しつつ引き続き続報を待つ事で、実質的に棚上げする形となった。

 歴史にifは存在しないが、もしもがあればきっとバルトロメイ王子はこの時の棚上げという判断を下さず、遮二無二行軍速度を上げて、ドナウ軍の陣地構築を妨害するか、期日を待たずに蹂躙しただろう。



 次の報告が入って来たのは、翌日の明朝だった。この時の報告は、ドナウ軍が総出で穴を掘って、材木で防壁を作っているという程度の報告で、それほど気を引くものでも無かった。

 いささか陣地の作成規模が大きく、手際が良いと言う程度で、手持ちの攻城兵器で十分対処できる規模の陣地だと、偵察兵は報告していたからだ。

 この報告には、最後まで疑念を孕んでいたバルトロメイ王子も、自らの杞憂だったと将軍らに笑って謝罪していた。しかし、その笑顔が引き攣り楽観的な雰囲気が消し飛ぶのには、大した時間は掛からなった。



 約束の期日を前日に迎えたホランド軍は、当初は楽観的な構えを崩さず、敵を一蹴してそのまま勢いを駆って、王都を攻めとそうと景気付けに早い時間から宴の前祝いに興じていたが、最後の急報がもたらされると、幾人かは杯を取り落とし、報をもたらした偵察兵に詰め寄る。


「敵ドナウ軍は、わずか二日で陣地を構築し終わり、万全の状態で我らを待ち受けております。その野戦陣地も、今まで見た事ないほどに大規模です。堀を深く広く作り、柵を立て、土嚢を積み上げ、杭を突き出し騎兵の突撃を防ぐのは一目瞭然です。さらには城壁の上部には投石器と見られる機械が多く配置され、大軍相手に特化しています。奴らの築城は、あまりにも早すぎます!」


 偵察兵の報告を分析した将軍らは、一筋縄ではいかない戦だと結論付け、遅まきながら宴を切り上げ、明日の戦に向けた軍議を開く事になる。偵察兵の持ち帰った情報では、河を利用し西と南の二面を攻め込まれないよう築城しており、攻め手は北と東側に限定されるという。特にこの時期の河は雪解け水で増水しており、水深が深く流れが急で、とてもではないが攻めるに向かない。

 ドナウの兵の総数はこちらの半数以下で、彼等の言葉通りなら一万程度の少数しか砦には居ないのかもしれないが、これだけ強固な防衛線を構築されては、四万五千の兵士でも梃子摺るかもしれない。騎兵突撃に効果が無い以上、騎竜兵を竜から降ろして城攻めに参加させる事を検討したが、王子の提案は全員の将軍から反対を受け、却下される事になる。曰く、騎竜兵は誇り高く、無理に竜から降ろすとなると、不服と言って勝手に動いて統制を振り切りかねないとの事だ。

 王子の言う事すら聞かない兵士に眩暈を覚えたが、仕方が無いので敵に圧力を掛ける為に歩兵の後ろで待機してもらう事で将軍らは納得した。矢や投石も200メートルも離れれば有効打にならないのは、西方の軍人の常識だからだ。まずは歩兵らが犠牲を覚悟で杭を引き抜き、柵や土嚢を排除してからが、騎兵の出番になるだろう。

 ただ、彼等騎兵の言い分も一理あるのだ。彼等騎兵は竜の上での戦いを第一とした修練と装備を積んでいるので、地上に降りての白兵戦は、その重装備が足を引っ張り鈍いのだ。その為、過去には脚竜から引きずり降ろされて、歩兵に嬲り殺しにあった経験もあり、可能な限り地上戦は避けたかった。

 ここに来て攻城兵器の不足が祟る結果になるが、泣き言は言っていられない。どんな状況でも結果を出すのが王の責務だと、父であり王であるドミニクからの教えに泥を塗る訳にはいかない。そう己を奮い立たせ、全軍に檄を飛ばし、楽観視し緩んだ士気を再び上げる事にバルトロメイは苦心し続けた。



         □□□□□□□□□



 ホランド軍が慌ただしく動き始めた翌日、ドナウ王国軍は彼等を迎え撃つための準備を既に終えており、万全の体制を築き上げていた。王都から派遣された翼竜偵察兵が正確にホランド軍の位置を把握しており、いつ来るとも分からない大軍に神経を減らして、いざという時に戦えなくなるなどといった間抜けな話とは無縁だった。この偵察兵にはアラタが考案した望遠鏡が優先的に配備されており、空から肉眼では捉えられない距離から軍勢を見張り続けていた。この目があったからこそ行軍速度と照らし合わせて、ホランド軍が何時頃到着するかを正確に予測できたのだ。

 予想では、この砦と対峙するのは正午程度の時刻になるので、まだ食事をする余裕も十分にある。それを見計らい、軍司令のツヴァイクは、兵士達に交替で食事を摂らせる命令を下した。


「腹が減っては戦は出来ませんからな。酒は戦の後の祝杯にとっておきますが、出来れば良い物を兵士に食わせてやりたい」


「そうですな。これから彼等には働いてもらわねばいけない。空腹では力が出ません、レオーネ殿の国では戦の前には何か特別な食事を摂る伝統はありますかな?」


 城壁の見張り台に集まった直轄軍の部隊長たちに交じり、アラタはホランド軍の進路を無言で見据えていたが、話を振られた以上無視するわけにはいかず、簡単な言葉で応対していた。


「私の国では特別ありませんよ。ただ戦闘前の食事は、傾向として消化吸収に優れた品目や、直ぐに力の出る甘い物を優先して摂る傾向があります。出来る限り固形物は食べない様にしていますね」


「面白い考えですな。力の出る甘い物は分かりますが、固形物は何故口にしないのです?」


「腹部に裂傷を負うと内臓の治療に食品が邪魔になるのですよ。飛び散った消化物が治療を阻害して、傷口に入りこめばそこから余計に傷を悪化させます。ですから戦闘前やその途中には、甘い飲み物だけで済ませておくのが生存率を向上させる知恵です」


 宇宙軍の場合、宇宙空間での負傷は即死亡になるのでそこまで神経質になる必要も無いし、機体側から直接ケーブルで栄養素が補充されるので食品の摂取は不要だが、馬鹿正直にそれを口にしても理解されないので、それ以前の軍の方針を簡単に伝えるに留めた。

 と言っても砂糖が無く甘味が貴重なこの西方で、万を超える兵士に行き渡る量の甘味を確保するのは至難の業で、アラタの口にする方針をそのまま採用する事は不可能なので、部隊長らは話半分に聞いている程度で真剣に取り入れる気は無いらしい。

 それ以前に西方の医療技術では、腹部の切開手術や、縫合手術など慮外の治療法なのだ。手足の簡単な裂傷の縫合などは出来ても、内臓器官の縫合など未知の領域で、万が一内臓に損傷を受けた場合は、負傷者が生き残るのを神に祈るしかないのだ。それ故、治療の神術の使い手は尊ばれ、貴族や王家に囲い込みを受け、常識外の待遇を以って引き止められており、市井には一人も居ないのだ。

 そんなわけでアラタの心配する腹部の治療は、ドナウ軍の長達から今一つ理解を得られず、ただの無駄話に終わってしまった。一部の者は、アラタの国では内臓の野外手術が確立されている事を知って驚愕しており、その話が学務官僚に伝わって、後日医療講義が加わった事は、今の所関係の無い話である。



 そんな無駄話をしながら食事を摂り終えた頃には、目の良い者なら肉眼でもホランドの大軍勢は捉えられて、あちらこちらで兵士達が騒いでいるが、司令官を初めとした部隊長らは既に覚悟を決めており、涼しい顔のまま主だった士官らに命令を下して、城壁の上からホランド軍を見据えている。

 城壁の内側ではナパームを満載した樽が五基のトレブシェットの横に積み上げられ、一発目の装填が兵士らの手で行われている。それと同時に、砦内の火は全て消されて、揮発した油に引火しない様、細心の注意を以って運用している。

 その為、火を付ける役目の火矢の射手は、外壁の外側で待機しており、この戦いでは最も危険な役目を宛がわれている。一応、矢避けの屋根付きの待避所と、鉄張りの盾の護衛を付けているので気休めにはなるだろうが、それでも危険には違いない。



 西方地域では交戦規定は厳密に定められていない。大抵は戦の前に代表者らが顔合わせして、勝敗を設定しているが、それも明文化された物ではなく、慣習に従っての行動だ。よって、必ずしも必要な手順では無く、会談も無しにいきなり戦端を開く事も過去にはよく見られたそうだ。

 ドナウ軍も今回、戦闘前に会談を開くつもりだったが、砦を鉄壁に造りすぎた弊害が出てしまい、防御力が弱くなる出入り口を敢えて設けず、逃げだす者を出さない様、逃げ道を無くしてしまった。この為、使者を送り出した場合、帰ってこれないという笑い話でしかない事態になっている。

 最悪、縄を使って脱出するか、外壁を破壊すれば出られるので、戦闘が終わればどうとでもなるのだが、これでは向こうが会談を求めてきたらどうするのだと、この砦の発案者のアラタに解決手段を投げつけたが、アラタはそれをしれっと提案していた。


「なら、相手から仕掛けさせればいい。相当挑発的な物を見せるか聞かせれば、血気に逸った早漏が待ちきれずにこちらに突撃してくるでしょう。人間と言う物は自らより格下の者に馬鹿にされるのを我慢できない生き物です。さらに抜け駆けをした者に手柄を取らせたくないと他の者らも後に続くでしょう。そうすれば抜け駆けしたとはいえ、見捨てるわけにはいかないと、なし崩しに全軍が動かざるを得ない状況が生まれます」


 そう言って、アラタは寝具に使う大きめの白い布を広げ、何やら炭を使って絵や文字を書き始める。覗き込んだ士官らは最初は何なのか分からなかったが、段々と形が出来上がるにつれ、噴き出す者が出始めた。

 アラタの美術の成績は、彫刻や工作は非常に良かったが、絵の成績は並程度でしかない。それでも特徴を良く捉えたその絵は、ホランドを怒り狂わせるには十分すぎるほどの出来栄えだった。その絵の横にも簡単なホランド語で相手を侮蔑する言葉が列挙しており、これまたホランド語が分かる貴族士官に大爆笑されていた。


「まあこんなものか。じゃあこの横断幕を元に二~三枚似たような物を作って両端に木を付けて掲げておいてくれ。これを見たホランド人が怒り狂う事は間違いない」


 比較的役職の低い士官に命じて作らせた横断幕は既に出来上がっており、外壁の上で静かにその出番を待ち続けていた。



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