第38話 戦の後始末と次なる布石



 ドナウ軍が築いた砦の外側で、多くのホランド軍兵士の命を糧に燃え盛った無慈悲な炎がようやく収まりを見せたのは、一日近く経った五月二日の午前中だった。

 自らの撒き散らした炎に行く手を遮られ、砦の中で一日過ごさねばならなかったドナウ軍だったが、丁度良いとばかりに勝利を祝う祝賀会を開き、これまでの苦労を皆で労っていた。燃え続けるホランド兵を肴にした悪趣味な催しと言えなくもないが、西方の歴史でこのような行為はそこまで珍しくない。切り取った敵の首を並べて武勇を誇りながら酒を飲む者や、死体の山の上で宴会をする者など、戦争では大なり小なり羽目を外す者はそれなりに出るものだ。

 そうして殺した人間をオモチャの様に扱わねば、同じ人間を殺したという罪悪感を薄める事が出来ない者も意外と多いからだ。こと農民の次男三男が食うために兵士になった場合にそれは多い。貴族、あるいは軍人の家の者は幼少期の教育によって、その罪悪感を薄めさせる事が出来るのだが、何の教育も受けていない者には割り切るのは中々に難しい。

 戦闘中はアドレナリンが多量に分泌され興奮状態を維持しているので錯乱状態になった兵は居ないが、戦闘後の宴会で嘔吐する者が後を絶たなかった。彼等は一様に呑み過ぎただけだと笑っていたが、実は殺した罪悪感と人の肉の燃える悪臭に精神が耐えられなかったのだ。



 翌朝、炎が収まったのを見計らって、外壁の一部を取り壊して出入り口を造り、堀に橋を掛けて外に出たドナウ軍は生存者の捜索と死者の埋葬を開始した。ナパームの熱量はすさまじく、炎に巻かれた死体は殆どが炭化しており、性別すら判別できない程損傷が激しかった。身元を示すような物は悉く焼けてしまい、精々鉄製の剣や鎧が原型を保っている程度であり、家紋などを示すような装飾は一切見つからなった。これらの炭化した死体は早々に堀に落として、残らず埋めてしまうようツヴァイクが指示を出していた。下手にこの場に残しておくと、焼けたとはいえ疫病を引き起こしかねない。あまり役に立つ機会の無かった堀の有効活用というものだ。

 炎に焼かれなかった死体の方は、大半が煙を吸って一酸化炭素中毒になったか、酸欠状態になり窒息死したかで、損傷しておらず、装飾品なども焼けていなかった為、兵士達の戦利品として数多くが懐に消えて行った。ここでアラタが条件を付けて、身元の分かりそうな装飾品だけはホランドに返却するので懐に入れずに集めてほしいと、ツヴァイクに頼んだ。



 当然、兵士達は反発し、士官らも難色を示したが、今後の和平交渉の札に使う事を懇々と説明すると、かなり渋ったが最後は了承してくれた。この圧倒的な勝ち戦を演出したアラタの言葉だったからこそ、最後は折れてくれたのか、あるいは三万ものホランド兵を無慈悲に殺し尽くした戦いを笑いながら見ていたアラタを恐れたのかもしれない。

 死体漁りと並行して生存者の捜索も続けられ、幸運にも僅かではあるが生き残りが見つかり、彼等は捕虜として拘束される事となった。彼等は殆どが騎竜兵で、ナパームの轟音に驚いて竜に振り落とされ気絶していたが、目を覚ました頃には友軍はどこにもおらず、辺り一面炎の海だったので身動きが取れず、炎が収まってから死体の処理に来たドナウ軍に助けを求めてきたのだ。

 炎や煙には巻かれなかったが、一日中熱気の絶えない場所に放置されていたため、脱水症状を起こして身体が動かず、恥を忍んでドナウに助けを求めたのだろう。取り敢えず武装解除させた後、昨日の内に降伏した捕虜と同様、彼等は王都に後送してから和平交渉の時の札として利用される事になる。



 装飾品の剥ぎ取りを終えた死体は焼死体と同様堀に埋めてしまうのだが、アラタがある奇妙な要望をツヴァイクに伝えると、怪訝そうな顔をしながらも了承し、人員を割く事になった。


「それなりに綺麗な死体を千人分選んで、ここから離れた森の中に捨ててきてください。その時に大樽に溜めておいた糞便と土嚢の土も一緒に死体に満遍なく掛けておいてください。薬として利用します」


 糞便や死体から薬が出来るなど聞いた事も無かったが、アラタがそう言うのなら本当なのだろうと、色々不審に思いながらも黙って従ってくれた。ナパームやトレブシェットもアラタの知識がなければ存在しないのだ。どのような薬なのかツヴァイク達は気になったが、数年後にしか出来上らないので、まだ言えないと答えをはぐらかされてしまったが、今後の楽しみに取って置くかと、納得しておいた。

 ただし、命令する方はそれで済むのだが、実行する兵士らは溜まった物ではない。勝利の後始末で糞まみれになるのは誰もが嫌がったが、命令である以上は拒否は出来ない。堀に埋めた死体と違い、森の中とは言え埋めずに放置するのだ。さらには自分達の糞を満遍なく掛けるとなると、死に切れずに化けて出てくれるなよと、兵士達は気味悪がりながらも殺した相手に願う他あるまい。

 アラタも最初からこの事を考えて、戦闘前の挑発文を作っていたのだろう。あの時は的確に怒りを沸き立たせて統率を乱す為の策だと思っていたが、本当に実行する事になるとは誰もが予想しなかった。

 日中とはいえ木々の生い茂る森は暗い雰囲気で、糞便まみれの死体が殊更不気味に見えるので、さっさと済ませて立ち去りたいと思いつつ、兵士達は死体を運び込み続けた。



 戦いの後始末には一万人を動員しても丸一日以上掛かってしまったが、築城の時のように時間制限がある訳でも無く、ホランドが復讐戦を仕掛けてくるわけでもないので、死体を扱う以外は比較的精神に余裕のある作業となった。この作業中に幸運だったのが、ホランドが使用していた脚竜がパニックから落ち着き、主の元へ戻って来た事だった。しかしながら既に主は故郷に帰ってしまい、行き場所の無い竜達をドナウ軍は捨て置かず、引き取る事になった。その数、実に七千頭にも及び、ツヴァイクを初め、部隊長らはホクホク顔になっていた。彼等からすれば、死体からの剥ぎ取り分以上に嬉しい拾い物なのだ。

 ホランドの竜はドナウで飼われている個体より大柄で力が強く、よく躾けられているのもあって西方では高値で取引されている。それが七千もタダで手に入れば、嬉しくない訳が無い。流石に全てを直轄軍で利用する事は無いが、現行の千名の騎兵部隊分に、さらなる部隊増強をしてもまだまだ有り余る。一部は地方領主への贈り物として使う事を考えても良い。今回の戦で各地の治安維持に私兵を貸してもらったので、その謝礼としてホランドの竜を送れば、要らぬ悪感情は生まれまい。治安維持の経費などは王政府が支払うが、それとは別に直轄軍が何かしら礼をすれば、内情はどうあれ今回戦いに参加出来なかった溜飲もそれなりに下がるだろう。残りは王家に献上してしまえば何かしら使い道を考えてくれるし、軍が独り占めしない事へのアピールになる。



 こうして戦場の後始末をしたドナウ軍は、この戦利品を連れて意気揚々と王都に凱旋するのだった。



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 そんな足取りの軽いドナウ軍と対照的だったのが大敗したホランド軍だ。四万五千の大軍勢で攻めかかったにも関わらず、その三分の二の三万人ををむざむざと失ったのだ。ホランド軍十万の内、三割をたった一日で失ってしまった兵士達の心境は察するに余りある。

 特に総司令官であるバルトロメイ王子は、撤退時の鬼気迫る形相は幻だったかのように、今は屠殺場で解体されるのを待つ豚の様な生気の無い死んだ魚の様な濁り切った眼をしていた。彼の中では、自分の命はもって一ヵ月だと簡単に予想できた。何故ならその期間は、故郷の城に帰還する為に必要な移動時間だからだ。父であり、王であるドミニクに全てを報告した後、王子として潔く自害しよう。その命を以って、せめて息子だけは命を助けてもらわねば―――

 自らの命令で死んでいった配下や兵士には申し訳ないが、誰だって自分の息子は可愛い。彼等には自分の命一つで溜飲を下げてもらう他あるまい。

 そう心の中で決意を固くしたバルトロメイの横で、軍勢の実質的な副将ラドミーク=コビルカもまた、物思いに耽っていた。しかしながらこの齢六十を超えた老将軍は、若い王子の様に単に命を諦めたわけではない。如何にしてこの失敗を次の戦に活かすかを、四十年を超える戦の経験から導き出そうとしていた。



 年若い王子の心情は手に取るように分かる。彼の心は自責の念で溢れんほどに満たされており、敬愛する父王の顔に泥を塗り、三万の兵の命を無駄に散らせてしまい、逃げ帰る自分自身を誰よりも許せないのだ。きっと全てを報告した後、妻子の助命嘆願を願い自害し果てるだろう。そうでもなければ責任を取り切れないと思いこんでいる。

 まったくの間違いではないが、まだ青い。己の首一つでこの大失態の責任と釣り合うと己惚れている。いや、身の程知らずと言うべきか。そして、父親の気質を見誤っている。彼が首一つで許すはずが無い。それどころか妻子の命でさえ釣り合わないと一喝するだろう。

 兎に角、まずはこの王子を使い物にしなければ。そういった役目は若い者には任せては置けぬ。自分ぐらいの年寄りの方が向いているのだ。


「バルトロメイ殿下、いつまでも呆けてはいけませんぞ。これから貴方には大仕事が待っているのですから」


「―――何を言っているコビルカ将軍?私の最後の仕事はこの敗残兵を、王都まで一兵たりとも失わずに送り届ける事しか残っていないぞ。まさかそれが大仕事だと?確かに疲れ切った彼等を一ヵ月食わせつつ、長い道のりを歩かせるのは骨が折れそうだが―――」


 最後の仕事とは随分と弱気な物だ。予想通り王都への帰還後は自害し果てるつもりらしい。その潔さには個人的に好感が持てるが、王族として軍人としては落第だぞ。


「そんなものは些事ですぞ。貴方には今後もホランド軍を率いてもらわねば困ります。確かに弱小のドナウ軍相手に三万の兵をむざむざと失ったのは許されざる失態ですが、ここで逃げるのはそれ以上に許されません。戦の借りは戦で返すのが武人の倣いでございます」


「貴方の言ってる事は理解できる。だが、結果を出せない者にホランドは優しくない。些細な事なら軽い罰則で済まされるが、三万の兵を失う事は決して軽くは無い。例え実の息子であっても王は私を処断するだろう。でなければ周りに示しがつかない」


 ――それに弟がここぞとばかりに騒ぎ立てるさ。やや皮肉を込めた笑みを浮かべ、弟のユリウス王子の行動を口にしていた。二人の仲の悪さは誰もが知る所にある。派閥争いとまではいかないが、ユリウスに好意的な兵はこの軍にも大勢いる。最初にドナウへの侵攻が決まった時、ユリウスが総司令官だったらという話はあちらこちらから聞こえてきたのだ。さらに負けた事によって一層その感情は強くなったと言っていい。

 だが――とラドミークはそれに異を唱える。この戦いは何もかもが異常だった。最初から戦場と日時を指定され、別動隊による王都強襲が狙いだとこちらを見誤らせた上で戦力を二分させ、戦場予定地では、あの規模の砦をたった二日で築き上げる手腕。恐らくかなり前から訓練を重ね続けてきたのだろう。以前から商人たちの情報で、大規模な街道普請や堤防の補修など、戦争に関係のない事ばかり軍が担っていたことから考えて、この日の為にと悟らせないよう建築技術を磨いていたのだ。さらにはあの炎―――人を枯れ葉の様に軽々と吹き飛ばす熱風と、竜を狂わせる雷鳴の如き轟音を生み、西方一の強兵であるホランドを一蹴した未知の兵器。

 徹頭徹尾ドナウの掌で転がされていた以上、ユリウス王子どころかドミニク王でさえ今回の戦は勝てなかっただろう。これをバルトロメイの責任にするのは酷だ。


「ですが、現在我が国でドナウと交戦経験がある者はこの場に居る一万五千だけなのです。彼等を敗者として処断するわけにはいきません。バルトロメイ王子、貴方が自害なさったら彼等を誰が守るというのです?負けた経験を次に活かすには、彼等が必要になるのです。でなければまたホランドはドナウに負けるでしょう。我々は祖国を護るために、敢えて生き恥を晒してでも生きなければならんのです。簡単に死に逃げてはいけません」


 西方の未熟な医療技術では、老人は風邪を拗らせただけで命を落としかねない以上、齢六十を過ぎたラドミークはあとどれだけ生きられるか定かではない。残りの余生をどう使うかで選択を迫られている時期に来たのなら、今がこの枯れ落ちそうな命の使い所だ。


「よろしければ、私に全てを預けて頂きたい。これは何も貴方だけの問題ではありません、ここにいる一万五千の兵の命、ひいてはそれ以上のホランドの民の為にすべき事なのです」


「―――分かった。貴方にこの命を預けよう。元より命を諦めた身だ。私の身にどのような裁定が下っても文句は言わん」


 ラドミークの言葉に何かを感じ取ったバルトロメイは多くを聞かず、彼の提案を了承した。単に諦めたとも言えるし、残りの兵達の処遇も気になるところだ。自分の命はどうでも良いが、せめて彼等は助けてやりたいと心に決め、前を見据えて故郷を目指した。



 こうしてホランド軍は失意のまま一か月かけて本国に帰還する事になる。ドナウに叩きのめされた情けない敗残兵の姿であったが、立ち寄った本国以外の都市で憂さ晴らしを兼ねた略奪に明け暮れ、ますます民に恨まれる事になるのだった。


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