第27話 若い二人




「おーい、今日の晩飯はなんだぁ。最近は寒くて敵わんから温かいもんが良いんだがよ」


「今日はギョウザとかいう具の入ったスープだ。温まるし、食いでがあってうめえぞ」


 我先にと夕食を食べに来た兵士に次々とパンとスープを渡す炊事場の兵士が額の汗を拭う。もうすぐ一年が終わりを告げ、新しい年がやって来る冬の夕刻でも、炊事場は竈の火と次々とやって来る人の波の熱気により、汗が噴き出すほど暑かった。

 この国にはギョウザという名の料理は存在しない。この料理はアラタが閉鎖環境での訓練漬けによる士気低下を防ぐため、物珍しく美味い料理を出す事を直轄軍の炊事兵に命じて作らせたものだ。

 アラタの伝えた料理はギョウザだけでなく、ピザ、麺、タコスなど比較的容易に作れ、かつ大量に作れる料理が多い。これは一万人の直轄軍の兵士の分を作る労力との兼ね合いを計算しての、料理の選択だ。幾ら美味い物でも造る側の負担を無視しては、長続きはしない。宇宙軍時代に部下の処理能力を的確に判断して、仕事の割り振りをしていた経験がここでも生かされていた。

 さらには軍の兵糧は日持ちと持ち運びを最優先しており、街ほど多種の食材が手に入らない事を考慮した料理なのだ。この西方地域では小麦粉を使った料理と言えば、パンを初めとして堅焼のビスケットにパイやケーキ、団子ぐらいしかレパートリーが無い状況で、ピザや麺、点心を出せば、単純作業の繰り返しでストレスのたまった兵士たちには格好の息抜きになったのだ。

 小麦粉以外にも豆を使った料理法もアラタからもたらされ、炊事兵に強烈な衝撃を与えた。西方地域では豆など家畜か貧乏人の食べる作物で、こんなものを料理に出したら石を投げられると拒否したがアラタは、


「では豆と分からなければ良いのだな?問題無い、そういう料理も知っている」


 そう言って仕込みを始めて、翌日に豆乳を使用した料理、チャウダーを作り、兵士達に振る舞っていた。食べた者達はしきりに美味いと言って、炊事兵を褒めたたえたが、褒められた側は酷く複雑そうな顔で食べた者達を見ていた。

 さらにはその豆料理を兵士たちに飽き足らず、貴族の千人長たちにも食べさせるが、誰もその料理が豆料理だと気づいていなかった。

 貴族に豆を食べさせたことに炊事兵は恐れおののいたが、アラタはしれっとしたもので、


「バレなければ問題無い。仮にばれても俺の名を出せば、貴族と言えど強くは出れない。現に美味い美味いと食べていたんだ。美味いものを作って咎められるなど道理に合わない。それに軍隊で食材の選り好みなど甘えでしかない。必要とあらば軍人は家畜のエサでも口にするべきなのさ」


 そう鼻を鳴らし、炊事兵を唖然とさせた。アラタが外国の平民だとは噂程度に聞いていた兵士達も、これほどこの国の常識と隔たりがあるのかと開いた口が塞がらなかった。

 このような物言いがあっても、アラタの教授した料理は毎日好評で、娯楽の少ない兵士達には貴重なストレス発散の手段になっていた。

 それを目の当たりにした炊事兵も、徐々に地位抜きでアラタを認めて、率先して料理の指導を願い出ており、着実に料理の幅を広げる事になっていた。アラタもそんな彼らの向上心を認めて、空いた時間を見つけては実際に料理を作り、指導を続けていた。

 アラタは元よりこの演習地に料理を作りに来たわけでない。本来は砦造りや、攻城兵器制作の監督に来ており、訓練の差支えになる兵士達の不満を取り除くことに奔走しているだけなのだ。



 料理以外にも、限られた人員で息抜きの出来る娯楽を考えて広める事も熱心で、スポーツ競技を考案して非番や休憩中の兵士達に推奨していた。

 辺境で土地だけは困らない事に目を付け、サッカーやラグビー、ホッケーなどの比較的道具を必要とせず、ルールが少なく余り頭を使わないスポーツを選んで兵士に教えていた。

 アラタにはどれも馴染みのあるスポーツで、特に布を丸めたボール一つで遊べるサッカーやラグビーが兵士達には好評だった。アメリカ人らしく野球やアメフトも教えたかったようだが、必要な道具が多くルールも複雑だったので除外したのだ。

 兵士達もただ命令されて体を動かすのではなく、ルールを守り競い合って体を動かす楽しさを覚えたことで、ストレスから解放され、非番にはあちらこちらでスポーツに明け暮れる者の姿を見る事が出来た。



 この姿を見た士官達も触発されたようで、軍人とは言え貴族と平民が共に汗を流してボールを追いかける姿が、そこにはあった。

 人里離れた辺境の地では娯楽など無きに等しく、兵士達は酒や賭け事に殴り合いぐらいしかストレスを発散させる方法が無かったのだが、スポーツを体験した兵士達は、皆晴れやかで酒を飲むよりずっと楽しいと笑顔で話していた。

 悪く言えば子供の遊びのような競技がこれほど有効だとは予想しておらず、当初はアラタの行動を懐疑的な目で見ていた指揮官らも認めざるおえなかった。

 王都での勉強会に参加していた士官はそれなり多く、アラタの頭脳や知識、白兵戦能力を認めている者は多かったが、これほど見事な人心掌握術までは予想していなかったのだろう。兵士の士気低下をあっという間に解決した手腕を褒めたたえたが、


「人間美味い飯を食って楽しく体を動かせば大抵の事はどうにかなるものだ」


 しれっと口にしただけだった。



 そんな直轄軍に強い影響力を与えたアラタも、一ヵ月ほどで演習地を去っていた。年末は王都の城で過ごすのだという。兵士達、特に炊事兵から帰還を非常に惜しまれたが、多忙な身ゆえ止むを得ないと士官らに諫められていた。

 しかし、時間の許す限り技術や知識を教え込まれた兵士達は、アラタが居なくとも立派に務めを果たしており、冬が深まり寒さが厳しくなっても、以前の様に士気の低下も見られず、むしろ着実に作業効率を上げて、アラタの要求の『全作業を二日で完了させる』を課題を抱えながらもこなしつつあった。

 当初はあまりにも高すぎる要求に、非現実的だと思われていたが、実際に作業をさせてみると困難ではあるが不可能ではないと結論が出ていた。要は如何に効率よく人員を働かせるかなのだ。

 美味い食事もスポーツも詰まる所、兵士の士気を保つための道具でしかないのだから。

 尤も、実際に恩恵を受ける兵士達にはそんな事はどうでも良く、毎日美味い飯が食えるのが嬉しくて仕方が無いのだ。

 随分日の短くなった夕刻の寒空の下で、熱いスープを受け取るために兵士達は今日も長蛇の列を作っていた。



         □□□□□□□□□




「――――――――ということがこの一ヵ月あったのですよ。この寒い中で訓練に励む兵達には頭が下がる思いをします」


「そうでしたか。軍の方々もお忙しいでしょうが、アラタ様もお勤めご苦労様です。この一ヵ月ずっと貴方の身を案じていました。こうして御壮健な姿を見せて頂いて、嬉しく思います」


 兵士達が辺境の寒空の下でギョウザ入りスープを味わっている頃、アラタは王都に帰還しており、空いた時間を利用してアンナに会いにベッカー邸を訪れていた。

 今回はエリィは連れてこず、お伴はヨハンだけだった。リザは残念そうにしていたが、年末年始ぐらいは少し休ませてあげたいとアラタから告げられて、理解してくれた。

 今はアラタから約束通り勉強を頑張ったご褒美として、望遠鏡を与えられて、四六時中弄り回している。


「身体が頑丈なのが軍人の売りです。むしろアンナの方が身体を労わるべきでしょう。冬の寒さは身体に障るでしょうから」


「私の身体が悪いのはいつもの事ですよ。あまり外に出かけないので、冬でもあまり関係ないです。――そうだ、アラタ様に渡したい物があったんです。出来れば旅に出る前に渡したかったのですが、作るのに時間が掛かってしまって」


 アンナが立ち上がり、クローゼットから真っ白な長い布を取り出し、アラタに手渡す。


「お城の針子に比べると不格好ですけど、宜しければ使って頂けませんか?」


 少し恥ずかしそうにしながらも、自信気なのは腕にそれなりの自信があるのだろう。脱色した羊毛で編まれたマフラーはしっかりした作りで、言葉とは裏腹に不格好でも無かった。まあアンナの性格上自信満々で自分の作った物を見せるわけが無いのだが。


「これはアンナが?」


 作ったのかと口にしようとしたが、本人の様子を見れば答えを聞かずとも分かる事なので、アラタは最後まで口にはしなかった。


「良い出来だ、大切に使わせてもらいます。しかし困った、私も何か贈り物を用意すべきだった」


「そんな気遣いは不要です!私は貴方に色々な物を頂きました!何よりアラタ様が来て頂けることが、私にとってこれ以上無いくらい幸せなんです!」


 穏やかでいて儚さを含ませる深窓の令嬢然としているアンナの姿は無く、剥き出しの感情を露わにしながら隣に座るアラタに詰め寄って、分厚い胸に顔を沈める。

 アラタも何も語らずアンナの背中に手を回し、か細い少女の体を優しく抱きしめる。マフラーがアラタの手から零れ落ち、床に落ちてしまったが、そんなことは二人には些末な問題で、ただ沈黙の中で若い二人は抱擁を交わし続けた。

 二人には永遠とも感じる時間を終始無言で抱き合うが、暖炉の薪がパチリと音を立てて崩れる音で沈黙が破られる。


「ずっとこうして欲しかったんです。好きな人に触れてもらいたかった」


「わた――いや俺もずっとこうしたかった。俺はずっと他人に興味の無い人生を送っていたから、君に抱いた感情が良く分らなかった。けど、今はっきりと分かった。俺も君の事が好きだと。君を放したくない、ずっと傍らに居たい、だから――――」


 アンナの肩に手を置き、胸から離してアラタの顔がゆっくりとアンナの顔に近づき、一つに重なる。


「ん、んふ」


 唇で唇を塞ぐと息が出来ず、アンナは苦しそうな声を漏らすが、そんなことはお構いなしと座っていたソファに押し倒す。鍛え上げられた軍人の身体はかなりの重量があり、下敷きになったアンナは苦しそうだが、同時に好きな男の重みと熱を存分に感じることが出来て、えも言われぬ幸福感に酔いしれていた。

 アラタも生まれて初めて沸き上がる獣欲を抑えることが出来ず、普段の冷徹さ、知的さが完全に鳴りを潜め、雄の本能に支配されたように荒々しくアンナの唇を貪っていた。その姿はまるで獲物の腹を食い千切る肉食獣のように見える。



 かなり長い時間、組み伏せられて息も絶え絶えなアンナだが、決して嫌悪感を抱いている訳では無く、むしろ紅潮し情欲に塗れた女の顔を露わにしており、熱に浮かされうっとりとした瞳がアラタの獣性を一層引き出してしまい、何度も何度も唇を貪られてしまう。

 ようやく満足したアラタが唇を離すと、お互いの唾液でベタベタになったアンナの口元を、持っていたハンカチで優しくふき取る。『ふう』と一息ついたアラタとは対照的に、未だにぐったりした姿のアンナが悩まし気な熱い吐息を荒く吐き出しながら、アラタを見上げており、それがまた雄の征服欲を掻き立ててしまう。

 こうなってはもう抑えが効く物ではなく、屋敷の住人が居ようがお構いなしに、この若く美しい獲物の全てを味わいたいという劣情に身を任せてしまいたくなる。

 アラタはソファでぐったりとして全身に力の抜けてしまったアンナを優しく抱き上げると、部屋のベッドへとそっと移して、寝かせる。ベッドは僅かな軋みを鳴らし、重みに耐え、本来の主とその番を受け入れる。



 既に日は落ちており、部屋は暖炉の火以外に光源は無く、薄暗い帳に包まれながら二匹の若い獣は欲望の赴くまま互いの体を貪り合う。

 屋敷の使用人が夕餉に呼びに来ていたが、部屋から聞こえてくる少女の嬌声と荒々しい息遣いで、中で何をしているのかを察し、何も言わずに立ち去った。屋敷の主人にどう説明するか頭を抱えながら。



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