第21話 故郷からの旅立ち



 翌朝アラタは、エリィが村を出て行く事を村長に伝えると、村長は少し躊躇いながらも承諾した。王に仕える騎士に物を言えるほど村長は強い立場ではない。彼女自身も盗みを働いた以上、この村では生き辛いと思えば、この騎士の提案はそれほど悪い物ではない。

 アラタは他の三人にも同じように伝えると、三人は特に反対する様子は見せなかった。今は王都への帰路で、数日程度同行者が増えるだけなら大した負担ではない。エリィが神術の使い手だと他の村人から聞いているので、ある程度納得していた。

 太陽が完全に顔を出す頃にはエリィも解放されており、毛布代わりに貸した外套をアラタに返しに来た。ただ、エリィはアラタに対して膨れっ面だったが。


「えっと、ありがとう。このマント温かかった」


 アラタを直に見ず、顔を背けながら礼を言うエリィを村長は一喝しようとするのを、アラタが止めた。


「ちゃんとお礼を言うだけ性根がひねてないので構いませんよ。言葉遣いや、礼儀作法はこれから教えれば良いですから」


「いえ、ですがこれではお城で生活するには、とてもではないですが―――」


「どの道、農村での作法は役に立たない。一からみっちりと仕込むから、そのつもりで覚悟してもらうよ。俺の使用人という事で、悪い扱いはされないだろうけど、他の貴族におかしな事をすれば、即座に首を刎ねられる事も無いとは言わない。そのつもりで覚悟してもらう」


 首を刎ねられると言う言葉に、ビクリと小さな体を震わせる。いくら神術の使い手が貴重だからとは言え、貴族からすれば平民の娘一人の首など大した値打ちにならない。流石にその場で無礼打ちはしないだろうが、城から叩き出す事など造作も無い。

 ある程度はアラタも庇うつもりだが、アラタ自身が微妙な立場故、確実とは言い切れない。故に最初に釘を刺しておく必要がある。


「う、うん、じゃない、わかりました。これで良いですか?」


「良いとは言わないが、少しずつ覚えてもらうよ。暫くしたらこの村を立つ、荷造りは直ぐに済ませてくれ」


「大丈夫、あたしの持ち物なんて殆どないから」


 エリィはそう言って、荷づくりの為に家に戻って行った。

 この国の平民、特に農村の孤児に財産や私物など数えるほどしか無い。衣服も数着着回す程度で、後は荷物など親から貰った手作りの人形程度だ。大した時間は掛からない。

 この村の畑は個人の所有ではなく、共通財産でありエリィが相続する土地ではない。エリィの両親の家はあるが、子供一人が維持できるわけがなく、今後は村の新しい夫婦辺りに貸し出されるのだろう。


「あの子をよろしくお願いします。こんな小さな村にいるより、貴方様に仕えた方が良い暮らしが出来るはずです。どうか幸せにしてあげてください」


 村長がアラタに深く頭を下げる。総人数百人程度の小さな村だ。村人全員が顔見知りであり、両親が死んでから、それなりに面倒を見ていたので悪戯を咎めながらも、情は抱いていたのだ。

 エリィが大成すれば、お零れが村にも回ってくるという集団の代表らしい打算もあるが、本人の幸せを願っているのも本心なのだ。


「出来る限りの事はするつもりですが、最後は本人のやる気ですから、確約はしませんよ。ただ、怠ける暇を与えるつもりは無いとだけ言っておきましょう」


 そう言ってアラタも、出発の為の用意をし始めた。



 荷造りにはアラタもエリィも大した時間は掛からず準備を整えると、一行の出立を聞きつけた村人達が総出で見送りにやってきた。特にエリィの同じ年頃の少女が、泣きながらエリィに詰め寄って、どうして出て行くのかと強い剣幕で言い寄られていた。

 エリィはその少女たちをどうにか宥めようとしていたが、なかなか上手くいかないようだった。その代わりに、村の大人達はアラタ達に『どうかエリィをよろしくお願いします』と何度も頭を下げて懇願してきた。

 エリィも色々と悪さをしてきたようだが、思ったより愛されていた事が、この騒動でよく分かる。エリィも何だかんだで心配されている事が分かると、涙ながらに友達に謝罪とも説得とも言える言葉を交わしている。

 ただ、いつまでもこうしていると日が暮れるので、適当に切り上げさせて出発する旨を伝える。

 アラタは今生の別れではないに大仰な事だと思ったが、孤児院で暮らしていた時、士官学校へ入校するために孤児院を出る事を伝えたら、同じ院で暮らしていた幼年者から大泣きされた事を思い出し、子供というのはどこの国でも同じようなものなのだな、と一人納得していた。

 取り敢えずエリィに暫しの別れの挨拶をさせて、区切りをつけさせるようアラタは助言する。


「あたしはこれから、お城に働きに行きます。たくさん勉強もするから、何年も帰ってこれないけど、ちゃんといつかは帰って来るから―――――その、盗み食いした食べ物は……ちゃんと返すから――」


 途中から涙を受かべて、途切れ途切れになりながらも、どうにか言葉を紡ぐ。


「ひっく、うっく……もう盗みなんてしないから…ごめんなさい。だから、ちゃんと待っててね。お母さんとお父さんのお墓も、きれいにしてあげてください…うわああん!!」


 謝罪と寂しさが入り混じった言葉を紡ぐ度に、泣きながら帰って来る事を伝えると、子供達は同じように泣きながらも『待ってる』『ちゃんと帰ってきてお話を聞かせて』などと温かい言葉を掛けていた。


「では、エリィをよろしくお願い致します」


 村長を初めとした村の大人達が一斉に深々と頭を下げる。色々と打算もあるが、村の娘の安否を気遣う情も本物なのだ。


「確約はしないが任された。エリィには出来る限りの事はする」


 アラタも無碍にはしないと村人に伝えると、幾人かはほっと胸を撫でろす。神術の才があるとはいえ、一農村出の娘の命など塵芥程度の価値しかないのだ。貴族の庇護無しでは、城で到底生きていけまい。

 尤も、そう考えているのは村人だけで、そこまで酷いわけではないのだが、田舎の農民には王都の城の中の事など、想像のつかない世界なのだろう。身分制度、あるいは地方と中央の距離感が、相互理解の邪魔をしているのだ。


「エリィ、そろそろ出発するぞ。お友達とはまた会えるんだ、次はお土産持たせて里帰りさせてあげるから」


 やんわりと諭すと、子供達は泣き止み、『エリィちゃんをお願いします』とアラタに頭を下げる。子供にとっては貴族も村の大人も、同じようなものでしかないので大人に比べれば物怖じしない。

 どうにか子供達を落ち着かせ、エリィを竜車に乗せると一行は村を出発する。竜車の荷台はこの二ヶ月で採集した植物や、一行の生活必需品が載せられており、お世辞にも広いとは言えなかったが、エリィぐらいの子供一人を乗せるスペースは確保できたので、不自由な思いはさせなかった。

 既にエリィは泣き止んでおり、御者のアントンにあれこれと話しかけられていた。丁度エリィぐらいの孫が居り、扱いは手慣れているとの事だ。


「しかし、教官も思い切った事をしますね。確かに神術の使い手は希少ですけど、身請けしてまで手元に置いておくとは」


 イザークが脚竜を近づけて、アラタに話しかける。同じ平民だからなのか、この男はユリアンに比べると少し気安い態度がある。

「色々と思惑があるということさ。すぐには物になると思っていないが、子供というのは覚えが早いから、今から育てておくのも無駄にはならん」


「まさかとは思いますが、童女趣味じゃないですよね?そうだとすると、旅先で一度も女を抱かない理由でなっと―――」


「行軍中で良かったな、イザーク。もし竜に乗っていなかったら半日は意識を刈り取っていたぞ」


 流石に童女趣味と言われると、感情が希薄なアラタも怒りが沸いてくる。普段あまり表情が変わらないアラタだが、童女趣味扱いされて気分が良いわけは無い。些か冗談が過ぎたと察したイザークが慌てて謝罪をしたのでその場は収めたが、暫くは無言の移動になった。それを少し離れて見ていたユリアンも、今のアラタには話しかけないでおこうと、近寄らなかった。

 先行する三人は終始無言で竜に騎乗し続け、対照的に竜車のアントンとエリィはそれなりに仲良くなったようで、昼食の為に休憩を取るまで、アラタの機嫌が治る事は無かった。



 昼食になると、全員が顔を突き合わせる事になるので、いつまでも不機嫌では困るのでアラタも表面上は機嫌を直しているように見えているが、腹の中はどこまで元通りかは窺い知れない。

 昼食は固く焼いた黒パンに干した果物、少量の干し肉だ。五人とも食べる物は同じで、この二か月間は大体似たようなメニューである。

 エリィは他の四人の顔を不思議そうな顔をして食べている。


「貴族様って白いパンとかを一杯食べてるって聞いてたけど、あたしたちと同じ物を食べるんですね」


「それは城や屋敷での話だよ。我々は旅をしている以上、食糧は旅先の村々で手に入れているから、君らと同じ物しか手に入らない。それに私達は軍人や騎士だから、行軍中に贅沢な物は口に出来ないのさ」


 ユリアンがエリィに丁寧に説明をしている。彼は貴族だが、平民に横柄な態度を取る事は無い。階級や役職の違いで区別する事はあっても、虐げる事は考えつかない。彼にとって平民とは、庇護する対象なのだから。


「ふーん、騎士様も大変なんですね」


 彼女ら農民から見れば、騎士や貴族というだけで美味しい物を腹一杯食べていると思っていたのだろう。実際の食生活など保存技術が発達していない西域では、平民も王族も大した違いなど無いというのに。


「でも車の荷台にたくさん草とか花が積まれてたけど、あれって何なんです?野菜みたいに食べるの?」


「主に薬の原料になる植物の一部資料だ。繁殖地域を記録して、後日採集するために採っておいた物だ。間違ってもつまみ食いするなよ。中には毒草もあるから、死ぬ可能性もある」


 単なる草や花にしか見えなかった物が毒と言われて急に恐ろしさが込み上げてきたのだろう。エリィはひぃっと小さな悲鳴を上げる。


「直接口に入れなければ害は無い物ばかりだから、それほど怖がらなくても良いぞ。ただ、不用意に口にすれば運が良くても身体が不自由になると覚えておけば良い」


「わ、わかりました!ぜったい摘み食いなんかしません!」


 ブンブンと首を振って、アラタの説明を真面目に聞いている。最初に強めに言っておかないと事故が起きてからでは遅い。精製していないので毒性はそこまで強くは無いが、それでも死ぬ可能性もそれなりにあるのだ。特に、体力の低い子供では少量でも致死量になる場合もある。それを考えれば、アラタの注意も大げさではない。


「アントンからある程度聞いているかもしれないが、俺達はその毒性の植物を探してドナウ国内を二ヶ月旅していた。今はその帰路で、あと三日程度で王都に帰還する。昨日、村でこの辺りの植物の事はある程度聞いているが、まだ人に知られていない植物も数多くあるから、探しながらの旅になる。その気があるなら、採集した植物を覚えておくか?」


「あ、あの良いんですか?あたしみたいな平民にそんな大事なこと教えて」


「構わんよ。どの道採集するにも、人の手で育てるにも人数は必要になる。そうなれば平民の手が必要になって来る。お前一人増えた所でこちらは困らん。知識は増えて困る物ではないからな」


「お、お願いします。あたし、頑張ります!」


 アラタにはアラタの思惑があるのは事実だが、それはそれとして自発的に学びたいと願い出る人間には、何かと助け舟を出す事が多い。騎士団や軍士官の面々は言うに及ばず、官僚にもあれこれと知識や手法を指導するのは、何も王家の顧問役としての義務感からではない。彼は本質的に学ぶ事が好きであり、学ぼうとする者も好ましく思っているのだ。


「もし、見た事のある植物があったらどんどん言ってくれ。種類は多いが、数が少なくてまとまった量の薬が作れないんだ。どこかに群生地でもあれば楽なんだが」


 その前に食事だがな。そう言って食事を手早く済ませるアラタに負けない様にパンを頬張るエリィを他の三人は微笑ましく眺めていた。

 この様子なら二人は上手くやっていけそうだと。



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