第22話 帰還報告




 二ヶ月振りの王都を目前に、五人はそれぞれ別の感情から息を洩らす。一番大きな息を洩らしたのはエリィだった。

 彼女にとって、自らの生まれた村以外の人間集団は伝聞でしか知識が無く、石造りの城壁に囲まれた王都は行商人から耳にしていたものでしかない。それ故あまりの巨大さを目のあたりにして、興奮した様子で他の四人を巻くしたてて、早く向かおうとせっついていた。

 彼女は生まれた村以外には見た事が無く、遠目に見えるだけでも故郷の100倍以上の人や家屋のある王都に大興奮だった。ただ、今は休憩中であり、王都の門を潜るのは昼過ぎになるだろう。

 まるっきりお上りさんといった風体のエリィに、ようやく帰って来たといった安堵の息を吐いたアラタを除く三人も、自然と笑みがこぼれる。子供の笑顔というのは、精神を落ち着ける効果があるのだろう。それが少女なら尚更かもしれない。

 ただし、アラタだけはしかめっ面で溜息を零していたが、他の四人はアラタの溜息には気づいていない。アラタも拠点に戻ってきてほっとしていないわけではないが、それ以上に頭を悩ませる事が別にあった。


(無事に帰還しましたね、レオーネ大尉。城の方々が首を長くして待っておいでですよ)


(ドーラ、お前は俺と四六時中通信してただろう。エーリッヒ王子辺りが手ぐすねを引いて待っているんだろう?)


(それ以外にも閣僚の皆様が、実験報告や新しい技術の指導を待ちわびています)


 二ヶ月も王都を留守にしていたのだ。色々と仕事が溜まっているのは予想できた事だ。しかし、仕事が山になっているのを楽しみだと思う者はごくごく少数だ。

 アラタは多数派であり、仕事など少ないに越した事は無いと思う派閥の人間だ。その為、これからの仕事の事を考えると、溜息しか出なかった。

 しかしながら、王家から生活の保障を受けている以上、投げ出す事は出来ないという使命感もあり、嘆息しながらも与えられた仕事をこなす覚悟を決めて王都に向かうことにした。



 二ヶ月振りの王都を歩いているが、特別変わり映えはしなかった。精々、露店の野菜や果物といった商品が少し変わっていた程度だった。それでもエリィからすれば、表通りの喧騒すら物珍しい物に映るのだろう。先ほどからしきりに、あれは何だの、これは何なのだの、お上りさん丸出しの態度を露わにしていた。その態度を煩わしいと思うか、微笑ましいと思うかは個々人の気質に委ねられるだろう。幸いな事に、田舎者丸出しのエリィを疎ましく思う者は一行の中に居なかった。

 そんな調子でも、大した時間は掛からず城へとたどり着く。一行の中でエリィだけは城を見上げてポカンとしているが、アラタから強引に顔を正面に向けられて、


「今日からここで寝起きするんだぞ。鳥の糞が入るから、そろそろ口を閉じていろ」


 軽く窘められて、慌ててポカンと開いていた口を閉じる。アントンだけは竜車を裏手に移動させるために、正門にいなかったが、残りの面々は堂々と正門をくぐって帰還した。

 途中でユリアンとイザークは騎士団に報告に向かうと言って別れたので、今アラタと一緒にいるのはエリィだけだ。そのエリィはといえば初めて目にする城の中を、しきりに首を左右に回しながら物珍し気に観察していた。

 アラタ達が最初に帰還の報告をしに向かったのが、政務室で書類と格闘していると思われる、宰相とエーリッヒ王子だった。


「失礼します、アラタ=レオーネ以下三名、ドナウ国内の植生調査から帰還しました」


「やあ、二ヶ月振りだね、ずっと待っていたよアラタ。その様子だと、それなりに成果はあったみたいだね。それから――――」


 エーリッヒは友人が無事に帰ってきた事を素直に喜びつつ、ようやく溜まっている仕事を押し付けられると思い、上機嫌になる。それと同時に、アラタに引っ付いている見慣れない少女に視線を向ける。

 エーリッヒの視線に気づいたエリィは、数日程度だがアラタ達に教えられた通り、拙いが貴族への礼をする。


「アラタ様に仕える事になりましたエリィです。い、いごおみしりおき―――いった!」


 貴族への言葉遣いがまだ上手く使いこなせない為か、舌を噛んでしまい最後まで話が続かなかった。やれやれと思いながらも、アラタはエリィの頭を撫でてやり、


「後で診てやるから挨拶はもういいぞ。お二人にはお見苦しい所をお見せしました。このエリィは数日前に立ち寄った村で見つけた娘でして、神術の使い手なので私が身元引受をして連れてきました。暫定的に私の従者という形で、暫くは教育を施しながら面倒を見るつもりです」


 神術の使い手と聞くと、二人の眼の色が変わる。特に使い手の希少さを理解している宰相のアスマンはアラタに対して、良い拾い物をしてくれたと内心思った。

 

「ほう、それは実りのある調査でしたね。で、本題の植生調査の方は何か成果はありましたかな?」


「原材料になりそうな植物は幾つか手に入りました。ただ、群生地などは見つからなかったので、数が揃わないのが不満です。見本は入手してあるので、学務長官殿と農務長官殿と協議して一定量を確保する形になるでしょう」


「わかった、ご苦労だった技術顧問殿。私の方から二人との席を設けておく。後ろの娘は現状、君の預かりだが必要な物があったら遠慮なく言ってくれたまえ。こちらでも出来る限りの手助けはしよう」


「過分な配慮痛み入ります宰相閣下。それから、こちらが例の件の場所を記した地図です。詳細は二枚目の書類に記しておきましたので、目を通しておいてください」


 エリィへの配慮に礼を言いつつ、ホランドとの決戦場予定地の詳細な情報を記した書類をアスマンに渡しておく。ある意味ではこちらの地図が最優先で片付けなければいけない懸案なのだ。

 封蝋で厳重に閉じてある書類を見て頷く。こちらの書類は機密に該当するので、人目に付かない場所で確認しなければいけない。


「重ねてご苦労、他には何か?」


「今の所は以上です。これから採集した見本の種別分けをしておきますので、植生調査の報告書は長官達との協議を終えた後に提出しますので、お待ち頂きたい」


 取り敢えず今出来る報告は全て終えると、退出する際にエーリッヒから声を掛けられる。


「区切りがついたら妹のマリアの所に顔を出しておいてくれ。君が旅立ってからずっと浮かない顔をしているから、会って安心させてやって欲しい」


「わかりました、時間を作って顔を見せに行きます。では失礼します」




 政務室を退出したアラタは、裏門に向かう。途中で舌を噛んだエリィを診てあげたが大した事は無かったので、手持ちの薬を塗ってやり、事無きを得た。ただし、薬が苦かったのでエリィは始終しかめっ面なのがご愛嬌と言えた。

 裏手に待たせていた竜車からサンプルを下して、大雑把だが分類分けしてから城の倉庫に保管しておく。エリィも短い期間だが、付きっ切りで教えた成果もあり、予想より早く仕分けする事が出来た。

 仕事とは言え、二ヶ月付き合って切れたアントンに労いの言葉を掛けると、


「いえいえ、これもお役目でございます。何よりレオーネ様と一緒に旅をしている間、酒に困ったことがありませんので、むしろ私こそ感謝すべきでございます」


 心からの本心ではないだろうが、呑んべえがタダ酒にありつけたのだから、役得ぐらいには感じているのだろう。アラタが今度、良い酒を進呈すると伝えると、やんわりと断られてしまった。それより孫へのお土産の方が喜ぶと話していたアントンは、一人の祖父の顔になっていた。それをアラタは快く了承して、アントンと別れた。



 一区切り付いたアラタはエリィと一緒に城の自室へ戻ると、丁度廊下でヨハンと再会した。ヨハンは驚きながらも、二ヶ月振りの再開を喜んだ。


「無事に帰ってきて良かったです。ところで隣の女の子は?」


 神術の使い手で、旅の途中で引き取ったと伝えると、ある程度納得してお互いに挨拶を交わしていた。エリィは同じ平民という事もあり、先ほどのように舌を噛む事も無く、普段通りの挨拶をこなしていた。

 取り敢えずエリィの指導をヨハンに頼むと、何分男なので完全には無理だと零していた。宰相にはエリィの事を伝えているので、頼めば人を付けてくれるとアラタが言うと、それならとヨハンは使用人内の責任者に話を付けると了承した。

 ヨハンはその責任者に紹介するためにエリィを連れて行くと、入れ替わりに着替えやお湯の張った桶を持ってきた使用人が入って来た。旅装束のままでは些か体面が悪いとの事で、気を利かせた使用人が用意したのだろう。



 使用人に体を拭かせている最中、ドタドタと廊下を走る足音、あるいは騒音が自室の前で止み、ドアが乱暴に開け放たれる。


「アラタ!!無事に帰って――――」


「うわっ!!姫様!!何ですかいきなり!」


 使用人が驚いて体を拭く布を取り落とす。アラタは体を洗うために全裸であり、マリアはその一糸纏わぬアラタの裸体を視界の中央に留める事になる。


「きゃあああああああああ!!!何で裸なんですか!!!」


「体を拭くためです。と言うか、勝手に入ってきて悲鳴を上げるとはどういう了見です?」


 幸い入口に背を向けていたので、股間の一物は晒していないが、これは悲鳴を上げる立場は男女逆ではないのかとアラタは激しく疑問に思う。


「取り敢えず服を着ますので、部屋の外で待って頂きたい。これでは落ち着きませんので」


「は、はい!失礼しました!」


 マリアは顔を赤らめながら慌てて部屋から出ていく。何してんだか、と嘆息しつつ気を取り直して、体を拭くのをそこそこに、着替えを済ませる。



 使用人たちが退出したのと入れ違いにマリアが部屋に入って来ると、先ほどの痴態は鳴りを潜め平静を装っているが、ちらちらとアラタを盗み見るような視線が目についた。


「先ほどは失礼しました。無事に帰って来てくださって、少々浮かれてしまったようです。先の醜態はどうか、忘れてください」


「では忘れましょう。着替えた後にこちらから顔を見せようと思ったのですが、殿下にはわざわざ足を運んで頂いて申し訳なく思います」


「そんなことありません。私の方こそ非礼を詫びねばなりません。それで長い旅でしたが、身体の不調などございませんでしたか?」


「幸いな事に、特別何もありませんでした。旅の目的の植物採集もそれなりに成果がありまして、有意義な旅でした」


 アラタは二ヶ月に及ぶ植生調査を丁寧に話し、マリアはそれを楽しそうに耳を傾けていた。またマリアも同様に、アラタのいない二ヶ月をあれこれと話していた。


「――――それでエーリッヒ兄様も、随分機嫌が悪かったの。政務の量がどんどん増えて、アラタも不在だったから息抜きがなかなか出来なくて、この二ヶ月はちょくちょく不機嫌そうな顔だったわ。けど、貴方が帰って来たから少しは兄様も落ち着くでしょう」


「確かに最初にエーリッヒ殿下に挨拶をしに行ったら、かなり悪い顔をしていましたよ。あれはきっと二ヶ月不在だったことへの仕返しを考えている証拠ですね。気を付けねばなりません」


 マリアはアラタの心無い言葉にフフフと笑いながらも否定しなかった。マリアはエーリッヒの愚痴を何度か聞いており、アラタが帰ってきたら色々と仕事を押し付ける算段を付けている事をしっているのだ。まあ、兄ならば底意地の悪い嫌がらせなどはしないと思っているので、ここは黙っていた。


「では城と言いますか、王都の中で何か変わったことはありましたか?」


「それほど変わり無いです。お城の中が随分と慌ただしくなっていますが、街の中はいつもと同じように活気に満ちていました」


 ドーラからの報告と同じように、未だ王都には戦争の影は近寄っていないらしい。街の住民の噂話や商人の出入り、取り扱う商品には季節品以上の差異は見受けられないと言う。これが戦争機運が高まっていれば、そうもいかなくなる。住人は娯楽商品を買い渋り、商人達は安易に利益を得ようと、生活用品を値上げしようとする。それが見られない以上、対ホランド戦を決定した現状のドナウ上層部の意志は洩れていないと見て良い。


「なるほど、では以前と同じように度々街にお忍びで出かけているわけですね」


「うぐっ!良いではないですか!最近は無断で出歩いているわけではありません。ちゃんと王女と分からない程度に隠して、護衛に付いてもらっているのですから。お父様もそれならばと、認めて下さったのですよ」


 それは単に国王が妥協した結果ではないかと内心思ったが、アラタはあえて口に出さなかった。無断で街の外に出歩かれるよりはマシだが、護衛の騎士も苦労しているなあ、と心の中で同情した。

 マリアが街の屋台で食べた焼きたてのパンが美味しかっただの、綺麗な細工物を手に入れただのと、嬉しそうに話しているのでアラタもこれ以上の小言は無粋だと感じて、適当に相槌を打って聞いていた。


「アラタもまた一緒に散歩に行きません?美味しいお菓子を売ってるお店を見つけたの」


「暫くは仕事が立て込むので時間が取れませんが、一息ついたらご一緒致します。その時はまた、マリィとして街に繰り出しましょう」


 マリィの名を口にすると、クスリと笑いながらマリアは『そんざいに扱わないでくださいね』と了承した。

 二人の他愛も無いおしゃべりは、お互いに良い気分転換になったようで、ヨハンとエリィが部屋に戻ってくるまで続いていた。









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