第150話 『孔雀』


 私が働き、そして暮らしている図書館は、建っている場所が場所なので、一日の利用者が二人いれば多い方です。その数少ない利用者の中でも常連さんが、ドアを開けて、今日も来てくれました。

 白神幸祢ゆきねさん。まだ十代の女の子ですが、本に対する愛情と知識は、司書である私以上であると思います。何せ、寝る時と本棚を眺めるとき以外は、本を片手に読み続けているのですから。


 今日も、真っ直ぐにカウンターへ来た白神さんはトートバッグに入っていた本を、その上に載せていきます。

 私が、彼女の返却する本を確認していると、「あの」と話しかけられました。相変わらず、本から目を離さないままですが、これは珍しい事です。


「金沢さん、こちらの本、読みましたか?」


 まだ私が確認する前の一冊で、山になった本の一番上に、白神さんは手を載せていました。それは、小石川浮名という方が書いた『孔雀』というタイトルの長編小説の文庫本です。


「はい。初めて見かける本だったので、興味を持って、つい。面白かったですね」

「何か、違和感はありませんでしたか?」


 感想を言い合えると思ってにこにこしながら答えたのですが、白神さんがさらに質問を重ねてきたので、意外に思いました。

 面白いかそうじゃないのかは、私の中でも判断基準があるので、語ることはできます。ですが、「違和感のあり/なし」は、意識して読んでいませんでした。


「いいえ。特になかったですよ」

「この本、実は戦時中に発禁処分になっているんです」

「ええ、本当ですか?」


 信じられない気持ちで、その『孔雀』を眺めました。表紙は、どことも知れない砂漠の絵です。恐ろしいくらいに青い空とその砂漠の間に、『孔雀』というタイトルと「小石川浮名」という著者名が横書きで並んでいます。

 この『孔雀』とお話は、ある架空の二つの国が舞台です。A国(伏せているわけではなく、そのように表記されています)の三人の男が、B国の国王にクジャクを献上するために、砂漠を横断します。しかし、彼らにはB国の国王の暗殺という密命が課せられており、それが成功するのかどうかを、最初から最後まで緊迫感をもって描かれています。


「正直申しますと、なぜ発禁になったのか、理由が分かりませんね。戦争反対の思想は見受けられませんし、実在の政治家や軍人がけなされているわけでもありませんし」

「風紀を乱すもの、というのも、発禁処分の対象になります」

「それは知っていますが、この小説、主な登場人物は男性だけですよ。それも、男色でもありませんし。ああ、孔雀を運ぶ男のひとりが、『B国で女を買った』とありましたが、それもその一言で終わらせていました」

「もっと重要な秘密が、この小説には隠されている、そのような解釈があります」


 ぺラり、と、白神さんが自分の読み途中の本を捲りました。この瞬間をもどかしく感じながら、私は彼女の話の続きを待ちます。


「この小説、『孔雀』というのが人間の女性だと言われています」

「……本当ですか?」


 「あくまで解釈の一つですが」と言いながら、白神さんは手に取った『孔雀』を私に差し出しました。受け取った私は、それを捲ってざっと目を通してみます。


「例えば、男たちが初めて孔雀と対面するシーンです。『檻の中にいたのは、真っ白な孔雀だった。彼らはそのあまりの美しさに目を奪われ、一斉に息を呑んだ』と描かれています。ただの孔雀に、大袈裟すぎる反応ですし、白い孔雀というのも可笑しいです」

「それは、アルビノのような孔雀だと解釈していました。あ、待ってください。確か、この孔雀、品種改良的なもので『作られた』と言われていませんでしたか?」

「ええ。『作られた』です。ただ、『品種改良』とは言われていません。『国内のすべての生物学者が、知恵を合わせて作り上げた、この国の科学の結晶だ』と言われています。だから、孔雀的な要素を持ち合わせた、人間だとも読めます」


 なんだか、恐ろしい本を手にしている気持ちになって、私はぞっとしました。


「確かに、私がこれを孔雀だと思った根拠は、目玉模様の羽や冠のような飾り羽が描写されていたからです。ただ、それを見ると普通の孔雀のように思えますが……」

「それです。金沢さんは、この孔雀のこと、オスだと思っていますよね?」

「当然です。その目玉模様の羽は、オスだけの特徴ですから」

「では、クライマックスシーン、孔雀を見たB国の王様の台詞を改めて見直してください」


 白神さんに言われた通り、最後の方から捲っていって、該当の場面に辿り着きました。檻にかけられたシルクの真っ赤な布が取り払われ、王様はやっと真っ白な孔雀を目にします。

 王様は、蝋燭の火に引き寄せられる羽虫のように、危なげな足取りで、玉座から降り、檻へと近づきます。そして、檻を掴むと、『ああ、なんて素晴らしい《《彼女》なんだ』と呟きました。


「……はっきりと『彼女』と言っていますね。見落としていました」

「はい。あからさまな矛盾です。誤字とも思えません。さらに、この後の王様は、檻の隙間に顔を突っ込み、孔雀へ接吻をしようとしています」

「いくら孔雀の美しさに夢中になっていたとしても、くちばしにキスしようなんて、異常ですよね」


 確か、このシーンでは、三人の男たちが王様を暗殺しようとする、作中で最も緊張感のあるシーンでした。それに紛れて、この描写を見逃してしまうなんて……。作者に裏切られたという爽快感よりも、こんなことも見抜けなかったなんて、という悔しさが先立ちます。

 ここでの孔雀の様子を注視すると、『檻の中で、ぼんやりと口を半開きにし、その真っ黒な目はどこも映していなかった』と書かれています。孔雀を擬人化して、表情を細かに描いたようでもありますが、先程の説を頭に入れて読むと、人間らしすぎるようにも読めてきます。


「そういえば、A国はB国の王様に、大好きな孔雀を十年に一度献上していると説明されていましたね。その十年前の献上の際に、運び役のひとりの男の家族が、崩壊してしまったと語られていましたが、それって……」

「ええ。その男の姉妹が、『孔雀』として献上された、という説もあります」


 白神さんは、私の思いつきに対して、相変わらず本に目を走らせたままですが、しっかりと頷いてくれました。読書家に認められた瞬間が、読書家にとって一番嬉しいものです。私は心の中でガッツポーズしました。


「裏の意味があるからこそ、風紀を乱すとして、発禁されてしまったのですね」

「ただ、これも解釈の一つです。実際には、王様が暗殺されてしまうという内容が、戦時中には不適切だとして、発禁されてしまった説が、一番有力です」

「あら、そうでしたか」


 白神さんの言う通りかもしれませんが、私はまだ浪漫を追いかけたい気持ちがあります。これで、『孔雀=女性』説を確証付けるものがこの本に載っていればいいのですが、あとがきも解説もありません。


「小石川さんという方は、この本で初めて見た名前ですが、自作解説本とか出しているのですか?」

「残念ながら、戦時中に従軍して、亡くなったそうです。『孔雀』は、彼の原稿を受け取った編集者がとても熱心だったので、戦後に再出版されましたが、死ぬ前も死んだ後も、出版された小説はこれだけという作家でした」

「ああ、残念ですね。もっとたくさんの面白い本を書けたでしょうし、それで作風を掴めれば、『孔雀』の謎の解明にも近づけたでしょうね」


 年齢関係なく、創作者の死というのは、私の心に重くのしかかります。その死と共に、彼らの頭の中にあった想像や物語も、この世から消えてしまったというのは、人類にとっての損失のように思えてなりません。

 白神さんも同じ気持ちなのでしょう。大きく頷いてくれました。


「改めて、『孔雀』を読み返してみたいと思います。ところで、白神さんは『孔雀』の発禁理由の話を何で知りましたか?」

「『十三冊の発禁本の謎』という本です。私が個人的に所有しているのですが、今度持って来ましょうか?」

「ええ、ぜひ、お願いします」


 私は白神さんに見られていなくても、笑顔で言い切りました。小さく頷いた白神さんは、別の本を借りようと、カウンター前から立ち去ります。

 白神さんの指す「今度」とは、これから借りた本を返しに来たときでしょう。図書館司書である私が、利用者の白神さんから、本を借りる……その矛盾が可笑しくて、私はこっそりくすっと笑いました。






















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