第149話 想定外な潜入 後・そして銃声を聞け
「そうか。麻薬の強奪に成功したか。追手に気をつけ、アジトに向かえ。と言っても、誰もいないが。そこで待機だ」
滑らかに進む普通乗用車の中で、助手席の男はスマホの通話を切り、ハンドルを握る男――東田の方に目を向けた。険しい顔をしている彼に溜息交じりに話し掛ける。
「お前、なんで廃工場に向かってんだ。理由は車内で話すって言っていたが、今井から全部終わったってメッセージが来てたぞ」
「古崎。俺は、この前、ハッキングして今井の検索履歴を調べてみた」
古崎と呼ばれた男は、東田に非難の目を向ける。
「仲間は信用してやれよ」
「いや、普通はしないけどな、今度の仕事では、殺し屋と組むって言った時のあいつの反応に、嫌な予感がして」
「んで、どうだった?」
「あいつは、ネットで拳銃の撃ち方を色々調べていた」
しばしの沈黙の後、古崎は盛大な溜息を吐いた。
「俺たちは義賊じゃないって、散々言っているというのに。……横溝を殺る気なのか?」
「分からない。単純に、もしもに備えているかもしれないが。ただ、アイツは真面目過ぎて頭が固い所があるからな」
「そうだな。もしものことがあったら、リーダーとしての責任を取らないと」
「よし、ちょっと急ぐぞ」
東田は、ハンドルを切り、車は脇道に入っていった。
△
銃を構える今井を、横溝はじっと見つめていた。自分の命の危機というのにも、無頓着そうな顔をして、突如口を開く。
「人殺しは、悪なのですか?」
「当然ですよ」
力強く肯定した今井は、銃を握る両手にぐっと力を籠める。それでも、横溝が続ける。
「故意ではない、過失事故でも?」
「……ええ」
「敵味方入り乱れる、戦場の兵士でも?」
「……はい」
「被告人に死刑を言い渡した、裁判長でも?」
「……それは、」
言い詰めよられるたびに、今井は言葉が不明瞭になり、目線を泳がせる。横溝の、子供のような問いかけをする、無邪気な瞳から逃れるかのようだった。
一瞬、言葉を区切り、横溝はじっと、今井を見下ろして、最後の問いかけをした。
「私を殺そうとする貴方も?」
「……」
今井は、完全に言葉を失った。その隙に、横溝はスーツの内側から、何かを取り出した。
その何かは、今井の構える拳銃の真下に差し込まれた。そこへ目を向けた今井は、引き金を引こうとしたが、完全に硬直する。それは、初対面の時にもらったのと同じ名刺だった。
横溝が、名刺を上方へと力いっぱい払う。虚空を向いた拳銃を、驚いた今井が発砲し、弾は空の彼方へと飛び去った。
「ああ」と情けない声を出して、腰が砕けた今井はその場にへたり込んだ。耳は銃声の残響がワンワンと鳴り響く。手が完全に痺れてしまい、指一本も動かせない。
一歩、横溝が今井に足を踏み出す。そのまましゃがみ込んで来ても、今井は反応できない。
じっと、静かな怒りを燃やして今井を見つめながら、横溝は熱のある銃身を無造作に掴んだ。
「覚悟の無い奴が、こいつを撃つんじゃねぇ」
「……」
俯く今井は、なされるがままに銃を奪い返された。立ち上がった横溝は後ろを向き、あっさりとスポーツバッグを足元に捨てて、歩き出す。
そんな彼とすれ違うように、古崎と東田が乗った車が現れた。
△
「リーダー。申し訳ありませんでした」
「いや、お前に仕事を任せたこちらの責任もあるからな。まあ、お前が誰も殺さなくて良かったよ」
古崎は普通乗用車を運転しながら、隣の今井にそう語っていた。思いがけず、優しい言葉を聞いた今井は、涙ぐんでしまったのを、窓の外を見て誤魔化す。
彼らの車の後ろには、今井が運転していた軽自動車が走っていた。サイドミラーで、東田が運転するその車を認めた今井は、「あ」と声を出す。
「横溝さんが持っていた鞄、あの中に入ったままでした」
「それは、横溝の仲介業者に送り返しておくよ」
「古崎さんも、横溝さんの住んでる所とか、知らないんですか」
「ああいうキャラだからな、自分の名前も言わない。連絡も、仲介業者にやっている形だな」
そう言って、古崎は赤信号で車を停めて、今井の方を見た。
「今回の仕事のお前の取り分は、全部横溝に渡す。今回の慰謝料だ」
「はい。分かってます」
暗い顔で頷く今井を、励ますように、古崎は明るい声で話題を変えた。
「ところで、お前が拳銃を向けた時、横溝は何か言っていたか?」
「ええ。『人殺しは、悪なのですか?』って、訊かれましたね。その後、『私を殺そうとする貴方も?』と言われた時、返答できませんでした」
苦笑しながら教えてくれた今井に、古崎は納得した様子で頷きながら、車を再出発させた。
「その台詞、ネットで検索してみろ」
「あ、はい」
戸惑いながらも、言われた通りにした今井は、「映画の名台詞集」というウェブサイトがヒットしたのを見て、目を丸くした。
「あれ、映画の台詞だったんですね」
「東田が最初に言っていただろ。全部の言動が映画の真似だって」
「だからって、まさかそこまでとは……」
瞬きしつつ、今井はそのウェブサイトをタッチしてみた。横溝が言っていた台詞の映画の説明を黙読する。すると、力が抜けてしまったかのように笑ってしまった。
「どうした?」
「横溝さんが言っていた台詞、殺人鬼の台詞だったんですよ。恋人の仇を取りに現れた主人公に対しての、詭弁の台詞だと紹介されています」
「そりゃそうだ。横溝自身に、信条や主張はない。会話はキャッチボールではなく、壁に投げたのが返って来たように、反射的に返しているだけだからな」
「何だが、あの瞬間に納得してしまったのが悔しいですね」
苦笑しつつ、スマホをズボンのポケットにしまった今井は、横の古崎を見る。すると、彼はいつになく真剣な顔をしていた。
「今井。今回は間違えてしまったが、お前のその真面目さは長所だ。もうちょっと柔軟さに、けど、その根っこの部分は変えないでくれ」
「……はい。気を付けます」
今井は、唇を噛みつつ、頷いた。それを訊いて、古崎も安堵したような笑みを浮かべる。
連なった二台の車は、一般道路の中を進んでいく。普通の人たちが行き違う変哲のない街を、今井は黙ったままフロントガラス越しに眺めていた。
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