第144話 彼女の悩み、彼の天職


「聞いてよ、正美ぃー」

「なあに、また宗大そうだい君のグチィ?」


 お昼休み、会社の食堂で、私は真正面に座った同期で親友の正美に早速そう切り出した。

 寛容な正美は、そんな私の様子には慣れている様子で、苦笑しながらも聞いてくれる。


「そうなのよー」

「いいよぉ。亜美子の話、面白いから聞くよー」

「あんがとー」


 感激した私は、昨日、一緒に住んでいる彼氏の宗大の話を始める。


「昨日の夜、宗大が遅く帰ってきてさぁ。それも、五時に」

「それ、昨日の夜じゃなくて、今日の朝じゃん」

「そーなんだけどさー。こっちもアイツの生活リズムに慣れちゃってて」

「毒されているねー。亜美子は九時出勤なのに」

「まあ、それは良いんだよね。ああ見えて、ちゃんとアイツは私のことを起こさないように帰ってきているからね」

「あれ? じゃあ、なんで五時に帰って来たって分かるの?」


 正美にそう指摘されて、私も「ん?」と不思議に思う。帰ってきた瞬間は見ていないし、この時間に帰って来たよという連絡もない。なのに、なんとなく五時に帰ってきた気がしたのだ。

 けど、そこは今の話とあまり関係ない。私は、「そこはどうでもいいの」と流してから、本題に入る。


「帰ってきてから、上着を脱ぎっぱなしにしたり、飲んだ牛乳を出しっぱなしにしたり……。それどころか、水道の水も出しっぱなしにしていて、大変だったんだよ」

「うわぁ、ちょっと引くぅ」

「五時に帰ってきて……私が起きたのが六時だから、一時間出しっぱなし。当然、アイツを叩き起こして、お説教」


 ちゃんと宗大を叱ったけれど、また頭がかっかしてきたので、テーブルの上の水をがぶ飲みする。それを心配そうに見ていた正美は、「でも」と口を挟む。


「普通だったら、水道代を払ってもらうけれど……宗大君って、今もあれでしょ?」


 眉を顰めて、名前を言ってはいけないもののように正美が指摘する。ただ、私はそんなアイツのことなんて、どーでもいいのではっきり言う。


「うん。今もヒモ。働いていない」

「ず、随分とはっきり言うねぇ」


 正美が苦笑するのを横目に、ミックスフライ定食のエビフライをサクサク食べる。


「いいのよ。彼氏が働いていないからって、こっちが卑屈になる必要なんて、全く無いんだから」

「亜美子、前よりも図太くなったね」

「何だかんだで、付き合って二年経つし、働かない彼を色々気にしたら、損だなぁって」


 「強いねぇ」と正美は頷いて、味噌汁を啜る。


「それとは別に、宗大君には、働いてほしいでしょ?」

「もちろん、もちろん。定期的に言ってるよ、働いてほしいって」

「宗大君は、どんな感じ?」

「全然響いていない感じ。言い方を色々変えても、『あーはいはい』って流されてしまうんだよねぇ」


 折角おいしい昼食も、溜息交じりで食べていると、胃にもたれてくるような気持ちになってくる。愚痴っているのに、新しい悩みが見つかってしまったのも、余計に気を重たくさせる。


「働かないと、追い出すぞ、別れちゃうぞって、宗大君を脅してみたら?」

「似たようなことは言ってるよ? でもさぁ、うろたえもしないんだよねぇ。怖くなるよ」

「なんか、亜美子と宗大君のカップルって、ちょっと変わっているよね。付き合いたての頃から、ずっと倦怠期って感じで」

「まあ、そうかもね」

「ヒモが出てくるドラマを見たことあるけれど、それではヒモの彼氏は、いつも彼女の機嫌を窺うように、甘い言葉を言っていたよ」

「それはドラマでしょ? 現実はそうでもないんだって」


 私も、そんなにべたべたした関係が得意ではないから、宗大との恋人らしからぬ熟練夫婦のような距離感は、そんなに悪くなかった。だから、彼の態度に不満を持ったことはない。

 そう考えながら、付け合わせのキャベツ千切りを口にする。シャキシャキとさっぱりした味で、胃腸を整える感覚だ。


「亜美子と宗大君って、ナンパだったよね?」

「違うよ、合コンで」

「あ、そうだった? なんか、亜美子がナンパに応じるなんてって、聞いた時にびっくりした覚えがあるけれど」

「他の子と間違えているんじゃない?」


 正美は不可解そうに、小首を傾げていたけれど、気を取り直して、話を続けた。


「別れるって、言いつつも、その気は全然ないんでしょ?」

「それは、まあ……」

「やっぱ、宗大君がイケメンだから?」

「うん」


 口にご飯を頬張っていたので、もごもごしていた私だが、飲み込んだタイミングで正美にそう言われて、咄嗟に頷いてしまった。直後、恥ずかしくなってくる。これじゃあ私が、只の面食いみたいだ。

 その様子を見ている正美は、満足そうに頷いている。まるで、好きな子をからかってその反応を楽しんでいるみたいだ。それから急に、身を乗り出してくる。


「ねえ、宗大君の写真見せて? どんだけイケメンなのか、確かめたいんで」

「しょうがないなぁ」


 嫌々そうな態度を見せつつ、親友から彼氏を褒められるのは普通に嬉しい。私は渋々という表情を崩さずに、スマホの中の最近の宗大の写真を見せる。

 正美は、「わあ!」と華やいだ顔をしたが、私のスマホの画面を見つめている内に、だんだんと怪訝そうな表情になってきた。


「なんか、違くない?」

「あ、うん。最近髪を染めてたから」

「いや、こういう顔だったかなって。この前見た時は、別の俳優さんに似ているって思ったけれど……」

「気のせいだよ。そうそう人の顔なんて、変わらないって」


 変なことを言い出す正美に、苦笑しながらスマホをポケットに戻す。年を取ったとかならともかく、最後に正美に宗大の顔を見せたのは、たったの半年前なんだから。


「でも、こいつがイケメンなのは変わりないでしょ?」

「そりゃあね」

「イケメンだから何でもってわけじゃないけれど、大体のことは許しちゃう気がするんだよね」

「そうかなー。働かないって、その大体には入れない気がするけれど」


 からかうように言いながらも、目は本気で心配している様子の正美に、それが有り難いとは思いつつ、結局はいつもと同じ結論を言ってしまう。


「今のところ、働かないって点は、保留中だからね」






   〇






 商店街を歩いていると、どこかで聞いたことのある鼻歌が流れてきた。俺は辺りをきょろきょろして、その歌の主である青年の背中に声を掛ける。


「おーい、小豆洗い!」


 「小豆洗おか、人とって喰おか」という物騒極まりない歌を上機嫌で口ずさんでいるその青年が振り返ると、整った顔が見えた。怪しむようにこちらを睨んでいたが、すぐに「ああ」と安心したように寄ってきた。


「何だ、君かぁ。こんなところで会うなんてね」

「ああ。お前は買い物か?」

「さっき、小豆をたくさん買ったところ」


 とても嬉しそうに、エコバック一杯に詰まった小豆を掲げる小豆洗い。俺は、妖怪にもエコロジー精神が宿ってきているのかと、変な所で感心してしまう。


「君はどう? 最近どうしている?」

「ある若い女の家に、二年くらい厄介になってる」

「二年も⁉ 君にしては、思い切った長居だね」


 驚く小豆洗いに、うんうんと頷く。妖怪仲間からは、いつもそんな反応をされるからだ。


「普通は、点々と色んな家に入るけれどさ、最近はそれも難しくなってな」

「そうなの?」

「誰かいる! って勘づかれた時点で、警察を呼ばれるからな。加えて、室内にカメラがある家も珍しく無いから、とにかくやりにくい」

「ははあ、世知辛いねぇ」

「人間たちが便利になればなるほど、こちらは肩身が狭くなっていくんだよな」


 そう愚痴ってしまうが、人間たちからすれば「当然だろ!」と反論されてしまいそうだ。結局俺たちの関係は、平行線をたどるしかないのかもしれない。


「だから、試しに一緒に住んでるって思いこませることにした」

「それも大変じゃない?」

「存外、すんなりいったぞ。俺と君は、一緒に住んでいる恋人同士です、そして、俺は働いていませんって、思いこませれば」

「へぇ~。考えたね」


 小豆洗いに感心されて、俺は天狗ではないが、鼻が高くなってしまう。


「我ながら、良いアイディアだったな。天職を見つけた気分だ」

「でも、恋人って思いこませるのも、大変じゃない? 彼女が急に気持ちが変わって、君を追い出すかもしれないし」

「そこら辺は、ちゃんと気を付けているよ。今の彼女のタイプの男の顔に近付けたり、恋人としてやることはやってるって勘違いさせたりしているし。まあ、彼女自身、ドライな関係が好みみたいだから、そんなに苦労はしていないが」

「とはいっても、働いていないって大分マイナスでしょ。怒らないの?」

「いや、怒らせてしまった。今朝にな」


 俺を叩き起こして、彼女に説教されたことを思い出す。原因は水道水の出しっぱなしだった。そんなことで、とは思うけれど、人間にとって金銭関係は死活問題なんだろう。


「だから、彼女にプレゼントを送るつもりなんだ」

「あ、その紙袋、そうなの?」

「そう。UFOキャッチャーでゲットした、ネックレス」

「使ったの、彼女のお金でしょ? 逆効果じゃないの? あ、僕はちゃんとバイトして、自分のお金で小豆買ってるけど」

「誰も訊いてないから。まあ、百円で取ったんだから、喜んでくれるだろ」

「UFOキャッチャー得意なんだ」

「いや、因果律をちょちょっといじった」


 塩を振りかけるかのように、左手の人差し指と親指の先を、こすり合わせて見せると、小豆洗いは盛大に噴き出した。


「流石、ぬらりひょん。妖怪の総大将とあって、不可能はないね」

「まあな」


 人間から顔を褒められるよりも、同じ妖怪からこの力を褒められる方がよっぽど嬉しい。

 変化とか幻術とか、人間を騙す力を持つ妖怪は数あれど、過去や未来にも干渉できる力を持つのは、俺くらいなんだろう。それ故に、総大将なんて言われている。


「ちなみに、今の名前って何て言うの?」

「宗大」

「大分そのままだね」


 今度は爆笑された。ダジャレで悪いかとムッとするが、適当に付けた名前ではあるので、それに固執するのは逆に無粋だ。


「俺、ここをよく利用するから、寄ったら探してみてくれ」

「うん。今度お酒とか奢ってよ」

「お前が奢れよ。働いてるんだろ?」

「そこは総大将権限でさぁ」


 そんなことを言い合って、小豆洗いと別れる。その足で、すっかり「我が家」と化した、マンションの一室へ向かって歩き出す。

 亜美子は、このネックレスで機嫌を直してくれるかなとは思う。俺は食事をしないため、普通の恋人よりかは安上がりだが、自分がいたという痕跡を残さないといけないので、靴下脱ぎっぱなしとかを直せない。いつかまた怒らせるかもしれない。


 まあ、亜美子に本当に好きな人ができたら、潔く出ていこうかなとは思っている。

 ただ、彼女も同じようなことを考えているからなのか、こういう関係が今も続いているのが、現実だった。




















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