第134話 「閉店のお時間です」


 あと五分で二十二時。閉店の時間になる。

 レジの内側に立って、店内をぐるりと見回してみる。ハンガーラックの間にも、試着室にも、お客様は一人もいない。首を伸ばして、外の方を見てみても、入ろうとする人影もない。


 ちょっと早いけれど、レジ閉めしようかなと、大きく伸びをしながら思う。別に用事があるわけじゃないけれど、すごく疲れているわけでもないけれど、こんな日が一日くらいあってもいいはずだ。多分。

 そんな言い訳を胸の内でしながら、くるりと出入り口に背を向けて、バックヤードへ行こうとした。レジの鍵を取るために。


 その瞬間、乱暴に店のドアが開けられた。驚いて振り返る。

 ドアを押して入ってきたのは、一人の青年だった。全力疾走したのか、息が切れていて、ドアにほぼ寄りかかるような格好になっている。


「あの……閉店のお時間ですが……」


 レジカウンターの前に進みながら、そう声をかけてみた。急いできてもらったところ申し訳ないが、あと五分で服を選べるとは思えない。

 だが、その青年は、ハアハアと荒い息のまま、こちらを制するように手を前に出して、何度も頷く。


「分かってます……ただ、すぐ終わりますので」

「はあ……」


 こちらを見た彼の眼光は、非常に鋭くて、おずおずとレジの内側に戻ってしまう。まあ、仮に閉店時間オーバーしても、商品が売れるんだしと、考え方を改めることにした。

 青年はきょろきょろと何かを探す。手伝おうかと思ったら、何かを見つけて、そちらへと歩み寄った。


 彼が掴んだのは、レディース服のマネキンの首元に巻かれた真っ赤なスカーフだった。とても小さな白い点々が散らばっている。

 まさかと彼を注視していると、スカーフを外して、レジへ持ってきた。そのスカーフがカウンターの上に置かれても、一瞬頭に入らなかったような、間が空いてしまう。


「すみません、これ」

「あ、はい。二千円ちょうどです」


 強い口調で促されて、慌てて値段を言う。とはいえ、ワンシーズン売れ残っていたスカーフだったので、値札には半額のシールが貼られていたから、バーコードを通す必要もない。

 彼は千円札二枚を押し付けるように渡すと、「袋いいです」とだけ言って、スカーフを掴むと、速足で店内を通り抜けていった。外に出ると、全力で走り出し、あっという間に姿が見えなくなった。


 文字通り、嵐のような人だったと思いながら、ふと後ろの時計を見ると、十時ぴったりになっていた。






   〇






 昨日の人は何だったんだろうなと、朝に歯を磨きながら思っていた。習慣でテレビのニュース番組をつけているけれど、全く内容は頭に入っていない。

 あんなに慌てて、殆ど吟味もせずに、女性もののスカーフを買っていく状況……。昨日、彼女とデート中に、相手の誕生日か記念日かを思い出して、プレゼントを買いに来たとしか思えない。だとしたら、この日は諦めて、別の日に改めてちゃんとしたプレゼントを用意した方がベストな気がするけれど。


『またしても、謎の怪人が出ました』


 その時、テレビが店のすぐ近くの街角を映し出した。見慣れた歩道の真ん中に、二メートル近くありそうなミイラ男が、逃げ惑う人々を追いかけている。手振れが酷いその映像は、多分スマホで通行人が撮ったのだろう。

 ここ数年、あちこちで「謎の怪人」が現れるようになった。恐ろしい見た目の巨躯で、人々を襲い掛かってくる。目的も不明で、組織的なものなのかも分からないのに、一般人が落ち着いて生活しているのには、理由があった。


『しかし、謎のヒーローが怪人を倒してくれました』


 それに対抗するヒーローも現れるから。同じ人が撮った映像の中で、全身タイツにプロテクターをつけて、フルフェイスヘルメットで顔を隠した男性が、生身でミイラ男に立ち向かい、ぼこぼこに片している。

 こういう人たちのお陰で、怪人による被害者は出ていない。アナウンサーによると、今回も怪我人はゼロだったらしい。


「……ん?」


 ヒーローが回転蹴りをした瞬間、ふわり止まった彼のスカーフが目に入った。それには、細かい小さな点が模様として付いていて……。

 あ、あの人だ。歯ブラシを持ったまま手を止めていたので、口の端から床にぽたりと水滴が落ちてから、我に返った。テレビは別のニュースを紹介している。


 一瞬しか見えなかったけれど、あれは間違いなく昨日売ったスカーフだった。昨日の彼が、あんなに急いでいたのも、たまたま忘れたスカーフを買ってミイラ男の所に駆け付けたかったからだ。プレゼント説よりも、しっくりくる。

 あの青年、どんな顔だったっけと、思い出そうとしても、上手くいかない。たった五分だけの来店とはいえ、人の顔を覚えるのは得意だから、こんなことは珍しい。もしかしたら、顔を覚えられないような、不思議な力を使っているのかも。


 また来てくれたら、サインを貰いたかったのに。悔しい気持ちもあるけれど、陰ながらヒーローの役に立てたのなら、とても誇らしくもあった。




















 

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