第132話 見知らぬ指輪・後編
茶色の土がむき出しになった車道をガタゴト揺れながら進んだバスは、村で唯一の停車所で止まった。
バスからウェリアさんが下りてきたのを見て、私は屋根付きのベンチから立ち上がった。
「すみません。遅くなりまして」
「いえ。まさか、昨日の今日で来ていただけると思いませんでしたよ」
「はい。どうしてもいてもたってもいられなくって……仕事は休みました」
私の出迎えに、ウェリアさんは俯き加減に応える。ただ、その頬は僅かにだが上気している。
指輪の贈り主を見つけた、本人に尋ねていないが、ほぼ確定だろうという内容の電話をすると、ウェリアさんは明日にも行くと言ってきた。流石に気が早すぎるのではないかという懸念があったが、娘であるウェリアさんが一緒だと、相手に揺すぶりをかけれるかもしれないという打算が働き、会うことになった。
「その方には、ウェリアさんが来ることどころか、モニアさんのことも言っていません。村の歴史をお伺いしたいとだけ伝えています」
「どうしてですか?」
「指輪があのように隠されていた以上、モニアさんが贈り主との関係を秘密にしたかった可能性があります。ここで相手の虚を衝こうと思っています」
「分かりました」
ウェリアさんが寝台列車で乗ってきたので、まだ時刻は午前十一時だった。村で流れる時間はゆったりとしていて、数少ない道行く人たちも私たちに挨拶をする。
隣のウェリアさんの緊張感を肌で感じながら歩いていく内に、村の外れにあるシャニライズの屋敷が視界に入ってきた。とうとう門の前に二人で並んで立つ。屋敷を見上げるウェリアさんは、掌を固く握っている。
門柱のチャイムを鳴らしてしばらくすると、玄関から、六十代の執事服の男性が出てきた。ウェリアさんが息を詰まらせそうになっているのをよそに、私は彼に「先日アポを取ったアレクサンドロスです」と自己紹介をした。
「少々お待ちください」と執事が家に戻ってから、一分ほど、玄関が開いて現れたのは、イヴァ・シャニライズさんだった。
「お待たせしました。イヴァ・シャニライズです」
「本日はお忙しい中、わざわざお時間を作っていただき……」
「構いませんよ。……ええと、そちらの方は?」
「はい。急に同行してもらうことになりました、ウェリア・ジーギストさんです」
「え? ジーギスト?」
思いもよらない苗字が飛び出たのか、イヴァさんは驚き、口元を手で押さえた。その瞳は、大きく見開かれて、ウェリアさんから読み取れる情報を全て受け取ろうとしているように見えた。
やはり揺さぶりはうまくいった。そう思いながら、ウェリアさんの方を見る。すると彼女も、ぽかんと口を開けて、イヴァさんを見ているのかどうか、よく分からない視点をしていた。
あ、しまった。私はその時になって、初歩的なミスを犯していたことに気付く。
イヴァ・シャニライズさんが女性であることを、ウェリアさんに伝えることを忘れていた。
◐
庭のラウンジに置かれたテーブルに、私とウェリアさんはイヴァさんと向かい合うように座っていた。初対面の際、お互いに驚いた顔を見合わす形になってしまっていたため、私以外の二人は気まずそうだ。
メイドさんが、紅茶を置いて、屋敷内に戻っていったタイミングで、イヴァさんが苦笑……というよりも、頬を引きつらせるように笑い掛けながら口を開いた。
「お二人は、この村に関する取材のために、お越したわけではありませんね?」
「はい。騙す形になってしまい、申し訳ありません」
ここでは正直に頭を下げる。イヴァさんは聡明な方なので、ここで下手に誤魔化すと話がこじれてしまう。
まずは、モニアさんに関する質問をしてみようと考えていると、ウェリアさんが「あの」と声を掛けた。私とイヴァさんが注目する中で、彼女は持参した鞄を探る。私は、嫌な予感がした。
「これに見覚えはありませんか?」
ことんと置いた白い箱を、ウェリアさんは迷わず開けた。ああ、まずいと、私は天を仰ぎたい気持ちを堪えた。イヴァさんの様子を見つつ、絶好の機会でモニアさんに返していた指輪を出してもらおうと思っていたのだが、こうなれば腹をくくるしかない。
イヴァさんの様子を見る。彼女は指輪を見て、懐かしそうに目を細めていた。そこに、芝居がかった様子はない。
「はい。これは、私が贈ったものです」
まるで数式の答えを口にするかのように、イヴァさんはあっさり認めた。
今度は私が驚く番だった。ここに何か思惑があるのだろうか?
「かつて、モニアさんが村を出ると聞き、餞別として送りました」
「そう、なんですか」
穏やかに、そして嬉しそうに、イヴァさんは話す。それに対して、ウェリアさんは引っ込みがつかないような顔をしている。
確かに、これはモニアさんの娘として、求めている真実ではない。私は、無粋になるのを重々承知で、口を挟んだ。
「本当にそうですか?」
「え?」
イヴァさんとウェリアさんの視線が、真っ直ぐに突き刺すのを感じながら、私は一息に言った。
「勝手ながら、この指輪を鑑定しました。友人への餞別にしては、値段が高すぎるように感じられます」
「……」
「それから、あそこに植えられているライラック……高校生の時や大人になってからのモニアさんの写真にも、同じ色のライラックが写っていました。この指輪の宝石の色とも共通しています。全くの無関係とは思えないのですが」
「……」
ストレートな物言いに対しても、イヴァさんは黙り込んでいた。俯いてしまっているため、顔は見えない。
そこへ、ウェリアさんが居住まいを正してから、口を開いた。
「イヴァさん。私に気を使わずに、本当のことを教えてください。母の秘密を知りたいと思ったのは私自身です。どんな真実でも、受け止めるつもりなんです」
「……少々、お待ちください」
俯いたまま、イヴァさんは立ち上がり、屋敷の中に入っていった。優雅に歩く姿が、屋敷の奥に消えてから、ウェリアさんが心配そうにこちらを見た。
「大丈夫ですかね? このまま、追い返されるのでは……」
「信じて待ちましょう」
十分近く経ってから、イヴァさんは庭のテーブルへ戻ってきた。どこか寂しげな瞳の彼女の手には、写真とハンカチが一枚ずつ握られていた。
「お待たせしました」
「いえ……」
イヴァさんが腕をテーブルの上に乗せた時、古い写真が見えた。ウェリアさんがそれを覗き込んだ時、はっと言葉を飲み込んだ。
写真の左側には、高校生の頃のモニアさんがしゃがんでいた。カメラに向けた顔は、とろけるような笑みを浮かべている。その右側では、ライラックの木が紫色の花を満開にしている。
「このライラックは、山の方に生えていました。高校生の頃、私とモニアは、そこを目印に、いつもこっそり会っていました」
「では、この写真を撮ったのは……」
「私です」
ウェリアさんの質問を肯定して、イヴァさんはゆっくりと写真の中のモニアさんをなぞる。
「当時、同性愛者は精神疾患の一つとみなされていたため、私達はこの関係を誰にも言いませんでした。どんな小さな噂もあっという間に広がる村の中で、密会を重ねるスリリングさが、私達の幼い恋を加速させた、そんな面も否めませんが」
苦笑を浮かべた後、イヴァさんは写真の下にあったハンカチの方を私達に見せてくれた。
初夏の空のような色をしたハンカチには、紫のライラックの刺繡が施されている。あまり使われている様子はなく、新品同然だった。
「これは、私達が最後に会った日に、モニアがくれた、手作りのハンカチです。もらった日はとても嬉しくて、でも、もう会えないことが悲しくて、夜、ベッドの中でこのハンカチを握りながら、一晩中泣いていました」
「……あの、もう、母は、」
「ええ。大丈夫です。噂で知っています」
思い切って切り出したウェリアさんの言葉を、イヴァさんは最後まで訊かずに、微笑んだ。一点の曇りもない笑顔だが、ハンカチの上に乗せた手は、細かく震えている。
ウェリアさんは、その後に何も言えず、泣きそうな顔で頷いた。
「その指輪、ずっとモニアが持っていてくれたんですね。久しぶりに見た時に、本当に嬉しくて、叫びたくなりましたよ」
「……イヴァさんも、母からのハンカチを大切にしてくれて、ありがとうございます」
「触ってもいいかしら?」
「はい。私も、そのハンカチを触ってもいいですか?」
「ええ」
流れる雲のような静かなやり取りのあと、イヴァさんは指輪を、ウェリアさんはハンカチを、それぞれ手に取った。
イヴァさんのしわくちゃな指が、愛おしそうに指輪を撫でる。細い溝を、ヴァイオレットモルガナイトも、ゆっくりと。ウェリアさんは、その温もりを確かめるかのように、両手でハンカチを挟むように包んでいた。
音もなく涙を流す二人の後ろで、風でライラックの花が揺れているのが聞こえていた。
◐
「次のバスまであと三十分もありますよ」
バス停の時刻表を見た私が、背後のベンチで座るウェリアさんにそう話しかけたが、返事はなかった。
振り返って、目の前まで近づいてみても、ウェリアさんはぼんやりと自分の靴を眺めるだけだった。
「ウェリアさん?」
「あ、すみません」
名前を呼ばれてはっと我に返ったウェリアさんが、困ったように微笑む。
無理もないだろう。母親の、文字通り墓場まで持っていった秘密を知ってしまったのだから。本当は明日も休んだ方が良いと思っていたが、二日連続で仕事に穴を開けるわけにはいかないと、その日のうちに帰ると言っていた。
「後悔していますか?」
「そうですね、確かに、驚いたところはあります」
隣に座って窺うと、ウェリアさんは力なく答えた。
真実を知って、良いことが起きるとは限らない。私がもう少し気を使っていたらと思っている所へ、ウェリアさんは顔を上げた。その表情は今日の天気のように晴れ晴れとしている。
「でも、後悔はないですよ。母のことが、より誇らしく思えるようになりました」
「それはどうしてですか?」
「好きな人のことを、ずっと愛し続けていたからです。同時に、父と結婚しても、上手くいかなかった理由も分かってしまったのですが……。そして、その愛する人のために、自分を抑えて、その恋を秘匿する強さも母は持っていましたから」
「そうですね……。ただ、彼女たちの場合は、そうしなければならなかったという時代背景があるのですが……」
水を差すようだが、私はモニアさんとイヴァさんの関係を、美談として片づけたくはなかった。しかし、もしも二人が添い遂げていたらということを考えると、ウェリアさんが生まれてこなかったということになってしまう。
私が一人、運命の残酷さと不思議さに感じ入っていると、ウェリアさんは自分の携帯電話を取り出した。画面を操作して、今日写した一枚の写真を、私に見せてくれた。
「今度、母のお墓に、この写真を見せようと思います」
「それは良いですね。きっと、喜んでくれますよ」
イヴァさんによると、モニアさんとの密会の目印だったライラックは、随分前に枯れてしまったらしい。だが、その木の種から育てたライラックが、現在、イヴァさんの庭で咲き誇っている。
そのライラックを真ん中にして、ウェリアさんが右側、イヴァさんが左側にしゃがんでいる、私が撮った写真を、二人で眺め続けていた。
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